第七十五話「つみ だれのせい」
記憶の世界に、ノイズが走った。
ノイズが消える頃に映ったのは、ジャンヌの駆けている姿。
「マリアっ……マリア、どこなの!」
ジャンヌはイノレード国内を当てもなく走り回って、マリアを探していた。
「何が起きたんだ」
「アホか、さっきの映像だろ」
さっきの映像……ああそうか、マリアは何者かに連れ去られたのか。マリア最後の記憶で、病室にたくさんの医師が集まってたし。
ジャンヌの必死な思考も、同時に流れ込んでくる。
もう行方不明になって何時間たったのかもわかっていないのだ。ジャンヌはそれからずっと走り続けている。
発覚が遅れたのは、どうやらイノレード政府が関わっているらしい。そのせいで、テレサですら手がかりが見つかっていないそうだ。
ジルも手分けして探しているらしいが、あてはない。
「マリア、マリア!」
ジャンヌの必死な想いは、幸運にも自らの才能に届いた。
闇の幽霊が、道を指したのだ。
ジャンヌに教えるように、街路樹の物陰からこっそりと、場所を教えてくれる。
「っ!」
ジャンヌはそれに従って走った。がむしゃらになって探すよりもずっと根拠があったからだ。
そうしてたどり着いたのは、イノレードの離れにある、小さな建物だった。
「オ、オイ」
「アイツハ……」
小さな建物には似つかわしくない警備員が、ジャンヌを見て動揺していた。
「オイマテ! ココカラサキハ、コジンノショユウスル――」
「どいて」
ジャンヌはもうなりふり構ってはいられなかった。問答無用で、男をバラバラにする。
「シンニュウシャダ!」
「ドウシテココガ!」
建物は地下に通じていた。たぶん外から見るよりもずっと広いのだろう。
ジャンヌは不快に思いながら、ふと眼に止まった白衣の男に近づいていく。
「マリアはここにいるんでしょ?」
「ナ、ナンノコトダ!」
「ねぇ、どこ」
「ヒッ、ギャアアアアアッ!」
研究者らしき男の右手が割れる。闇の幽霊に触れた体は、飴のように割れてバラバラになってしまう。
男は、恐怖に顔をゆがめて、口を開く。
「コ、コノサキノ、ダイサンケンキュウジョニ……」
「……そう」
ジャンヌは疲労のあまり息を切らしながらも、足は止まらない。景色が移動し続ける。
第三研究所、そう呼ばれた場所を、ジャンヌは見つけた。
「だ、誰だ!」
扉を闇の幽霊でこじ開けると、そこにはある程度魔法泥を制御した男の研究者がいた。
おそらく、この施設の責任者だろう。
男はすかさずカードを取り出すも、その手ごと幽霊に砕かれる。実力者相手だろうと、ジャンヌはまるで怯まない。
「どこ……どこなの!」
それどころか、男にも構うことなく部屋中を見渡す。
マリアらしき姿はどこにも見当たらない。若干暗くてよく見えないが、その部屋は所狭しと魔法の機材が詰まれていて、そこまで広くはなかった。
博士の家にもこんな機械っぽいものはあったが、それとは別の、しかも強大な装置だった。たしか、陣とそれに見合ったカードで起動する装置だ。限られた条件によりコストはかかるが、持続した活動が出来ると聞いたことがある。
「どこ、あなた、マリアをどこに隠したの!」
ジャンヌは見つからないと判断するや、研究者を糾弾する。
研究者は恐怖に顔をゆがめながらも、ジャンヌの背後を指差す。
それと共に、研究所に光が灯った。
「そ、そこに……」
ジャンヌは振り返って、その先を見つめる。
俺たちもそれに倣って探したが、マリアの姿はない。
そこにあるのは、先程と同じ魔法で出来た機材、どうやらそれは何かを収める水槽らしく、今は光で中身が見える。
透明なガラスの中には、赤みのついた溶液に満たされた、人の脳が入っていた。
「え」
俺は思わず、声をこぼしてしまう。
その脳から人体模型で見たことのある脊髄がそのままくっ付いている。その脊髄には、チューブのようなものが何本も接続されていた。
弾けるように、他の水槽も見つめる。腕の骨らしき物体や、ゴルフボールに似た球体が二つあったり、髪の毛らしきものが保存された水槽まであった。
ジャンヌの思考は、不自然なほどに何も入ってこなかった。
「これは、なに?」
「こ、この容器は、その物質を構成する魔力の性質を測るものだ。人の身体には六つの魔力が必ず混ざり合っている。その割合を、調べている」
研究者は、割れた腕を抑えながら、聞かれたままの事を答えつづける。
「これはなにって……聞いてるの」
「ここ、この研究は、マリアの持つ才能の根源を調べることで、より将来の成果を上げるために作られたものだ。才能の根底を探るため、分割して、それぞれの数値を図っている」
ジャンヌはまだ、何も思考していない。考えないようにしているのかもしれない。
研究者はそれを尋問と判断したのか、どんどんと口を滑らせる。
「せ、戦闘力を期待できなくなった彼女の活用方法を模索した結果だ! 部位ごとに数値は異なるが、彼女の数値はどれもが平均以上だ、これから六種類の魔力割合を量れば、人工的に天才へと矯正することも……ひっ!」
ジャンヌが動いた。少しずつ、脳の入った水槽に歩いていく。
「ねぇ、ジャンヌはどこ」
「だ、だからここに」
ジャンヌの手が見えた。その手は水槽のガラスを撫でる。
何を言っているのか、ジャンヌには理解しがたがった。この研究者は何を言っているのだと、否定し続けた。
たが、ジャンヌは見てしまった。
その脳から発せられる魔力の形が、見知ったマリアの形をしていることを。
思わずジャンヌは目をそらしたが、その先にも、マリアだったものが目に入った。
「……マリア」
――これは、マリアなんだ。
ジャンヌの思考が、その目の才能が、核心を伝える。
「どうして」
どうしてこんなことになったのか。
今までの反動か、ジャンヌの頭は思考でいっぱいになった。ワタシがずっと見ていなかったからだとか、すぐに行動できなかったからだとか、真っ黒な気持ちが混ざり合う。
「うそ……うそ」
何がいけなかったのかと、ジャンヌは自問自答し続ける。
ガラスに触れた手が震える。力を入れすぎて、骨が折れてもまだその手はガラスに押し込まれ続ける。
「ああっ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」
喉を壊すようなジャンヌの絶叫が、延々と続く。
ずきりと、俺たちの頭に激痛が走った。
「あ、頭が!」
頭痛がする。ジャンヌの想いが、俺達を塗りつぶすほど大きく、ぐちゃぐちゃになる。
マリアを殺したのは、ワタシ? テレサ? だれ、だれだれ、なんでコンナコトニ、ねぇ誰、教えてよ、なんでこうなったのかわからなくて、でももうどうしようもなくてワタシはいままでなにをしてなんのためにここにいたのかもわからなくてどうしてどうしてどうしてドウシ――
ぷつんと、チャンネルを変えるような音で、俺は正気に帰った。
「ぷはっ!」
「くっ」
グリテも俺も、思わず膝をついた。額から汗が流れていた。記憶を見る前の、真っ暗な空間に戻っていた。
気分は最悪だ。車酔いのあとに頭を揺らされたようだった。
「おい! クソ精霊!」
『これ以上はあんまりよくないよ』
あのままあそこにいたら、あの思考と共有し続けたら、どうなっていたか。まあわかる。
グリテもその辺はわかっているだろう。ただどうしようもなくむかつくのもわかる。
「……続きだ」
「え、グリテ」
「あるんだろ!」
あんな思いをしてまでまだ見るのか、いや、たしかにまだロボになった経緯がわからない。
あの事実のままだと、ロボは死んだことになる。
『じゃあ、見せるよ、今度は安定方向で』
ぐるんと、場面が変わる。あの研究室に戻ってきた。
しかし今度は、ジャンヌの姿が見えていた。ということは、視点が変わったのか。
「あの、研究者か」
入ってくる思考は恐怖と、理不尽に対する怒りだった。
「なんだよこれ、なんでこいつが怒ってるんだよ」
俺の呟きは、誰も返してくれない。グリテはそれほどまでに、この光景を注視していた。
ジャンヌは上を向いたまま、時間が止まったかのように固まっている。たぶん、先程の叫びのあとだ。
ジャンヌの頭の中は、今なにを考えているのだろうか。知りたくないと思っても、気になってしまう。
「……」
ジャンヌの強張った身体から、肩の力が抜けていく。
少しずつ、止まったジャンヌの時間が動く。その時計はたぶん、今までどおりに動いていない。
「……あはっ」
ジャンヌは口元を引き裂くように、笑った。
その微笑みは彼女の口に刻み込まれたかのように、ずっと残り続ける。俺の知っている、ジャンヌの顔だ。
ぐるんと、首を回して研究者と目を合わせた。
「ひっ!」
研究者越しでなくても、恐怖は伝わる。
ジャンヌの吸い込むような瞳が、研究者の全身を釘付けにする。後退することすら、許されなかった。
「わっ、私に何をするつもりだ!」
やっと動いた口は、今まで研究者にあった憤りをぶつけるものだった。
「私はしっかり国の許可を得てこの研究を始めた。法律的にいえば合法だ! 何の罪もないのだぞ、なぜ私を責める!」
ルールを守れば、何をしてもいい。表面から見れば、俺と似たような考えだ。
だが、踏みにじった他人の目の前で、そんな建前が通用するはずがないんだ。
「わからないのか! 彼女一人のおかげで、これから生まれる子供たちに才能を持たせることが可能なのだ! 将来的に考えれば、数百人、いや数千人もの命を救う結果が生み出せる」
世界から見ればこの研究者は正義の味方かもしれない。多数は正義なのはわかっている、でも、そんなの被害者には関係ない。
そいつは、憎むべき――
「何の御話かな?」
「……へぁ?」
ジャンヌは笑顔のまま、憎悪を向けるどころか、人懐っこく喋った。今まで見た思い出とは正反対の反応に、俺は困惑する。
逆を言えば、それは俺の知っているジャンヌだ。
なんだ、ジャンヌの心に何があった。
「ワタシはね、誰も責めてないよ」
ジャンヌは両手を広げて、無邪気に踊りだす。
それに連動するように、そこら中のものが割れたり、壊れていく。たぶん、闇の幽霊だ。
「あはっ、宵闇さんも楽しそうだね」
「よ、宵闇?」
「そう、みんなの友達、誰も明かりをともしてくれないから真っ暗で、宵闇さんなの」
ジャンヌはとても楽しそうだが、ここにいる研究者は気が気じゃなかった。わけのわからない台詞に、困惑している。
「わ」
「?」
「私を責めないというのは、本当だな!」
「そうだよ、信じてくれないのかなぁ?」
ジャンヌは可愛らしく首をかしげて、どうしてかわからないと唸る。
「ワタシはね、決めたの」
「決め……た?」
「そう、この世界は昔のジャンヌにとってとっても住み辛いものだったの。だから、ワタシが出てきて、彼女の変わりに今を生きるのよ。そしていつか、本当のジャンヌがここに居てもいい世界で、この体を返してあげるの、わかる?」
研究者は、まだ理解できない。突如全身を覆うようなどす黒い何かに、身体の自由を奪われていった。
「待っててねジャンヌ、マリア、この世界が、あなたたちに優しくなれるように、全部変えてあげるから」
空間が、黒く染まっていく。研究者の視界が、黒いものに被われて、その世界を段々とだが閉じていった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、ぼんやりとした視界が、まだいるジャンヌの姿を映している。
「ありがとう狼さん、ありがとう天井さん、みんな、マリアのために頑張ってくれるんだね」
ジャンヌは水槽の中に、何かを入れている。こちらの視界からはまだ判別しづらい。
いつの間にか研究所には、おびただしい数のモンスターがひしめき合っていた。たぶん何体かは、研究者を食べているかもしれない。
「いいよ、あなたも一緒にしましょう」
近くにいたモンスターは、付き従うようにジャンヌの元へ歩いていく。そうして何か処理を施して、水槽の中に入れた。
「モンスターで肉付けしてやがる」
グリテの毒を吐くような声が、その光景を補足してくれた。
……なんてこった。ロボはモンスターに変えられたんじゃない、モンスターそのものだったんだ。
俺はずっと、ロボの体の内側には元の身体が残っていて、何とかすればその体をもとに戻せると考えていた。
こんなルーツを辿ったロボは、元の姿に戻れるのだろうか。
それ以前に、今のロボは本当にマリアなのか? 本物はすでに死んでいて、マリアの人格を持っただけの、別の存在じゃないのかと、そう叫びたくなる。
『おしまい』
素っ頓狂な厚紙一つで、その光景は終わりを告げた。
天才二人を襲った事件の真相が、全て明かされたのだ。