第七話「なみだ ちびる」
「え」
「……え?」
俺とフランが、それぞれ怪訝の声をあげる。
凝縮した時間から解放されて、俺は尻餅をついた。
フランは、信じられないものを見るかのように固まっている。
ブットブは、ぴくぴくと体を痙攣させながら、腹に黒い槍のようなものが貫通している。
先端が二股に分かれた槍、それを両腕、頭に三つ供えた。ブットブよりも巨大なモンスターが現れた。
「……コウカサス」
フランが呟く。
「うそ、図鑑でしか見たことない」
コウカサス。体長五メートルはあろうかという、巨大なカブトムシだ。二足歩行で、両手には頭と同じ角が生えている。
「コォオオオオオオオッ!」
ブットブを遥かに超える咆哮だ。空気が震え、足腰から力が抜ける。
でかいのってのは叫ぶのがすきなのか。
串刺しにされたブットブは、一枚のカードになって地面に落ちた。
「い、今のうちに」
俺は逃げようと、必死の思いで立ち上がったが、コウカサスに見透かれた。
睨まれて、動けなくなる。相手はあの速過ぎるブットブを正確に突き刺し、ブットブの突撃の威力を片手で押さえ込んだのだ。
来る、完全にこっち見てる!
相手の気配が、俺の周囲一メートルを埋めた。
すかさずその範囲から飛び出す。次の瞬間には、草むらごとその箇所が抉れていた。
コウカサスの角が、地面に突き刺さっている。
「い、今だっ! 水っ水っ!」
その隙を逃すまいと、俺は氷の剣を取り出して、切りかかる。
「なっ、堅い!」
コウカサスの黒い表面が、氷の剣を弾いた。もちろん凍結はしない。外皮の表面がちょっとだけ凍りついたくらいだ。
「か、関節に当てれば!」
そう思っても遅かった。また気配が来るのを察して、俺は尻尾を巻いて逃げた。コウカサスの右手が、直角に下ろされる。
爆発を撒き散らしながら、俺もその威力に脚をもつれる。
「ふ、フラン! 逃げよう! あいつは予定外だろ!」
必死の思いで、フランの元に駆け寄る。
俺にとって、駄目そうなら逃げるは鉄板だ。経験上それ以外にない。
「あっ……あっ。いやっ……パパっ」
しかし、フランは動かない。それどころかパニックまで起こしている。
シャレにならない。理詰めの人間は、予想外のことが起きると対処に遅れる。人格の幼いフランが、もろにその影響を受けたんだ。
「俺だって理詰め人間だってのに!」
どうすればいいか、俺はフランを抱えて逃げられるとは思えない。
コウカサスが俺とにらみ合う。どうしたのだろう、なかなか接近してこない。むしろ距離をとり始めて、大きく後退する。
俺が右手の剣を前に構えると、コウカサスもそれに反応する。かなり敏感というか。
「……あ、剣か!」
おそらく、この氷の剣の脅威を、あのちょっとのもみ合いで感づいたのだ。下手に飛び込んで、その威力のまま刺さるかもしれない。頭良すぎだろ。
となると、このままあいつが警戒して近寄ってこなければ……ああ!
敵の角が、あたりの木を抉って、丸太を作り出す。それを大きく振りかぶって、
「なげたっ!」
多すぎて気配が読みにくい。適当に投げやがったな!
俺はフランを抱えて……重い!
「どうする、どうする」
たいした回避運動は出来ない。相手にもろくに近づけない。
いっそ風を使うか? だめだ、そうしたら水を引っ込めないといけないし、何より当らない。同時に出せば、暫く痛みで動けなくなる。
必要なのはやっぱり、フランだ。
「おい、フラン!」
丸太が、俺たちにのしかかってくる。咄嗟にフランを抱きかかえる。
ひ、左手がモロに丸太に当った。これじゃあ剣も振り回せない。
フランも庇いきれなかったようだ、少し痛そうな顔をしている。
「フランおきろ!」
「っ! 今なにがっ、なにをすれば」
「落ち着け、カードをちゃんと選べ!」
震えるフランの手から、ぽろぽろとカードが落ちる。俺の知らないカードもある。
地鳴がする。歩いて、身動きの取れない俺たちを近づくつもりなのだろう。突撃で偶然刺さるラッキーはない。
「あの虫はどうやって倒せる」
「む、無理よ、コウカサスの装甲はブットブの対壁大砲でも貫通できないのよ、体力だってしゃれにならないわ。ブットブのカードよりもわたし達を優先したでしょ、賢くて、逃げるのだって難しいのよ」
「俺の剣を刺せば、多少は敵も怯む。実際警戒してたぞ。倒す必要はないんだ。手傷を負わせて、何とか逃げよう」
「でも、でも」
フランが、気まずそうに自分の足を見ていた。
……まじか、足を怪我している。
「ツバツケは」
「あれじゃあすぐに治らないわ」
「……」
「ねぇ、どうしよう」
「おおお落ち着け」
どうすればいい、わからない!
「……今できる中で一番強い魔法を、あいつの下っ腹に打ってくれ」
「え」
「最初に俺が突撃するから、それに続け。やれるだけやってみる」
複雑な指示をだしても、俺じゃあ伝えられないし思いつかない。
こうなったらもう、一点集中で敵の装甲を剥がすしかない。本当に上手くいけば、怪我した手でも刺さるはず、下半分だけでも凍ってくれれば、まだ逃げられる。
「……わかった」
フランが頷く、大砲のシリンダーを開けて、カードをスロットに装填しようとする。
しかし手が震えて、上手く装填できていない。
……俺がもし、フランの立場だったら何が怖いのだろう。
「安心しろって、俺だけ逃げないよ」
「……うそ」
「うそじゃない。俺だけ逃げても、あのじいさんが養ってくれるとは思えないからな」
フランを見捨てたくないとか言って、取り繕ったりはしない。最低の理由だが、合理主義マッド共にはこっちの方がいいだろう。
「養われるための努力ってのも、大変だろ」
「……」
フランは何も応えない。
ただ力強く、自身の作業に集中する。
コウカサスが近くに来た。一度遠くに逃げたのが仇になったな。空気読んでくれたのかもしれないけど。
俺が、木々の隙間から飛び出す。
「うおっしゃぁ!」
「コォオオオオ!」
敵も、俺の腕力も怪我も把握している。装甲を貫通できるとは思っていない。
こっちだって、本命は違うんだよ!
「コンボ! 火、光!」
フランの叫び声、コウカサスの意識が俺に向いた瞬間を狙った速攻だ。
大砲から、稲光と熱を発する。一直線に光の線を放った。レーザー照射みたいだ。
コウカサスの反応は素早かったが、光の速度で迫るレーザーはよけきれない。甲虫の腹は熱を帯びて、煙を放つ。
「っ! ああっ!」
あのフランが、苦悶の声をあげた。もしかして、レアカードのコンボはかなりの負担なのかもしれない。
「よし、いい焼き加減だ!」
タイミングもクソもない突撃だった。
しかし、フランが上手くあわせてくれる。丁度俺が懐に飛び込んだときに、レーザーの光が収まっていた。
コウカサスの腹は、若干だが溶けている!
「そこにぃ!」
当てる。当てようとした。
だが、コウカサスは素早かった。すぐさまバックステップを始めて、一瞬にして数メートルの距離が開く。
「う、嘘だろ!」
見ると、腹の装甲がもう再生を始めた。
この距離で追いつくころには、もうあの腹も治っているだろう。
そして何より、敵が俺たちを近づけさせない。
どうすりゃい……いぃ! あれは!
「みつけたぁああああっ!」
俺は駆け出した。一目散に、コウカサスから斜めにずれて、茂みのほうへ、飛び込む。
「……え」
フランの、唖然とした声。
「大丈夫だ、逃げるんじゃない」
あった、俺はその茂みにあった、一枚のカードを持ち上げる。
氷の剣を逆手に持って振りかぶり、俺はそのカード
「ブットブ!」
アンコモン、ブットブを使用する。
チョトブ単体の威力は、石を早く飛ばす程度、コンボで岩を砕けるが、岩なら氷の剣でも切れる。
モンスターの強さがそのままカードの威力になるとすれば、ブットブはコンボ以上に強いはずだ。単体しか使えない俺でも、一度同時に使う程度なら。
「串刺しだぁ!」
思惑通り、コウカサスの腹を貫通して、氷の剣が飛んでいく。
やったと思った、それが甘かった。
「コォオオオオ!」
コウカサスが、ものすごいスピードで迫る。
剣を持たなくなった俺を好機と見た、躊躇いもない突進だ。腹を抉られたことに激昂もしている。
気配の範囲は半径二メートル、飛んでも、避けられない。
「……まじか」
瞬きをした瞬間、コウカサスの三本の角が、俺の胸を正確に捉え、
皮膚を引き裂いたところで、止まった。
「あ、え……冷たっ!」
パキパキと、コウカサスが渇いた音を立てる。動きを止めて、少しずつ、凍っていった。
黒い全身を青く染めて、体全体を凍結させている。貫通した傷口なんて、氷で塞がるほどだ。
「は、はは、やっ……た。やっ、痛っ」
氷付けになったコウカサスにヒビが入って、大きく崩れ落ちる。全身が砕け、カードとなった。
「う、嘘でしょ、こんな威力って」
「……痛い、いったぁああああああああ!」
「ひっ!」
痛い痛い!
「……副作用」
「痛い! 痛いよ!」
「コンボじゃなくても、同時には使えない」
あ、フランがくすりと笑いやがった。馬鹿にするんじゃない、本当に痛い!
お、おかぁちゃ~ん!
「ツバツケ」
フランが、回復魔法を唱える。フラン自身に!
「痛い! 俺にも痛い!」
「無理よ、副作用は怪我じゃないんだから」
フランは足を引っ張りながら、俺の元に近づく。コウカサスのカードを拾って、ケースの中に入れた。痛い!
「大丈夫?」
フランが珍しく、心配してくる。
「大丈夫じゃない、死ぬ」
「そう」
フランは、俺が転げまわる様をずっと見つめている。とっても真剣な目で、俺の醜態を見ている。
「な、なんだ」
「なんでもないわよ……あ、そうね、ブットブのカードはどうしたの」
おもむろに話題を変えられる。そういえばどこにいったんだあれ。アンコモンだよな。
「手にない」
「……もしかして、消滅させたの」
「……わかりません」
「信じられない。ブットブの破壊確率は五%もないのよ、一回で壊したのね」
そんなこといわれても。
「すみません」
「いいわよ、今日は許してあげ……」
なんだか、フランの口が流暢だ。なにか、
「フラン、足」
フランの足が、まだ震えている。
あれだ、緊張が解けないのだろう。死ぬかもしれない場面から、ようやく解放されたのだ。口を動かして、ごまかしている。
しかし、もう限界だろう。
「……あ」
怪我をしていないフランの足が、途端に力をなくす。よく見ると、下半身が濡れていた。
「ま、まあ、もう」
「……ごめんなさい」
……は?
なんで謝られたんだ。
「いや、気にしてないぞ、洗うのは博――」
「ごめんなさい……うわぁあああああっ!」
突然泣き出した。わからん。全く解らん。
「気にしてないって」
俺もちびったし。
とりあえず、フォローだけはして、ちょっとだけ肩を叩いて、それだけ。
本気で泣いている人間に必要なのは、待つことだ。相手が泣いていることを出来るだけ気に掛けないように、とにかく待って、待って、泣き止んでから接する。
たぶん、彼女の涙は、本気だ。
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