第六十三話「おねがい しんそう」
イノレードは上空から見ると、大きな円に十字を描いた形になるらしい。どうしてそうなっているかというと、元々イノレードはたった一人のカリスマが作り上げ、そいつの理想通りに建造されたものだからだ。
今もそいつの遺言を守って、その景観を崩さぬよう、家一つ作るのにも国の許可がいるらしい。
「ぁぅ……ぁ……」
「アオくん、もうちょっとだよっ」
俺たちはすでに、イノレードの国内にまで足を踏み入れていた。
どういう経緯で着たとか、ほとんど覚えていない。
身体が、疲労を訴え続け、それどころじゃなかった。
「アオくん」
「……」
頭がぼおっとする。目を開いているはずなのに、視界がぼやけて見える。なのに、眠ることはない。
「アオ殿、もう少しの辛抱です」
ロボの声がすぐ前から聞こえる。よくわからないが、たぶんロボが俺を背負っているのだろう。
「ぁ……」
「ロボさん、やっぱりもうちょっと速度上げよっ」
「承りました、衛生兵殿も、ワタシの軌跡に遅れることなきよう」
体の揺れが大きくなる。声もろくに出せなくなった俺には、それくらいしかわからない。
思えば、俺は子供の頃から病気になりやすい性格だった。人並み以上に気温に敏感だったのかもしれない。親父はそれを嘆いて、小さい頃は暖房も冷房もほとんど付けれくれなかった。この体質は、病院で入院するまでに悪化した。
何でも厳しい環境におけばいいわけじゃない。むしろ、その状態で鞭を打てば、週単位で引き摺ってしまうのだ。
頭に血が回らない。もし治っても、脳に後遺症とかそういうのは絶対にやめてほしい。そうなったらパアットを探す旅になるのかな。
「アオ殿、ご安心ください。彼女の居所はワタシの勝手知ったる庭地でございます」
「ロボさん、あの、もしかして、その人ってロボさんの知り合……ごめん、聞かないほうがよかったね」
ロボとラミィの会話ばかりが聞こえるが、フランは付いてきてくれているだろうか。
ちょっと振り返ると、ぼやけた視界の中に見知ったフランの姿が見えた。フランも俺を見ていたのか、目が合ってしまう。
「……」
「いえ、構いません。彼女、テレサはワタシの養母です。養母で察しは付くでしょうが、このイノレードで孤児院をやっています。元々はイノレード政府と関わり強かったせいか、魔法に精通し、ワタシの師匠でもありました」
「じゃあ、故郷での再会になるのかな」
「いえ、この醜き姿ではワタシだとわかりはしないでしょう。ですから皆様は、この事は内密にお願いいたします」
フランは何も言わない。俺の目に答えても、話しかけては来ない。
それから、どれくらいだったのだろう。
体の揺れが突然収まる。立ち止まったのだろうか。いや、揺れはするから、たぶんどこかを歩いている。
「アオ殿、暖炉があります。ここで暫くお待ちください」
体がちょっとだけ温かい。そういえば何かが当って頬がつめたったから、雪が降っていたのかもしれない。
イノレードは北の果てにあった場所だ。あのネッタが異常だったのだろう。間隔の失った手足に、熱が篭る。
「……彼ですか」
「はい」
もしかしたら意識が飛んでいるのだろうか、瞬きをするたびに眼に映るものが変わる。でも、眠れたわけじゃないから疲労は蓄積する。
「酷いですね、何か口を吹くものを用意すればよかったでしょうか」
「いえ、おか……テレサ殿、治療の先手をお願いしたい。疲労ばかりが今も蓄積しているのです」
「ええ、それはもちろんです。ただ」
俺の頬に、誰かの手が触れる。俺に似て冷たい手だった。
「約束をしてください」
その手から少しずつだが何かが流れ込んでくる。冷たい手なのに、口元が温かくなっていく。
「テレサ殿! 何を!」
「すみません。私は彼と話をしています」
「しかし、約束などと、アオ殿は今生死の境なのです!」
「だからです。昔から私は、ずるいのですよ」
俺の口がぱくぱくと動いた。相手からすれば、海から出てきた魚のように見えたかもしれない。
テレサと呼ばれた人は、それを見て頷くような動作をしてから、また話しかけてきた。こいつは、俺に話しかけていたのだ。
「私のお願いを一つ、聞いてください」
録に頭も回らない俺に、お願い事をする。
「安心して、無理なことをお願いする気はないの、ただ、私の尻拭いを、あなたに手伝ってほしいの」
依頼の内容は曖昧だ。何をさせる気なんだ。
「こんな状況でも、疑り深いのね」
「テレサ!」
「でも、あなたに選択肢はなくてよ」
わかっている。俺の体は、本当に駄目になりそうだ。
なんでもするから、俺の体を治してくれ。
そう思っただけ、口に出しもしなかったが、テレサは満足そうに頷いた。
*
眼が覚めると、ベッドの上にいた。
「アオ」
隣でフランがもそもそしている。別にベッドに入っていたとかじゃなくて、落ち着きなく動き回っていた。
ここは知らない家の一室だった。狭い部屋に二段ベッドを無理矢理置いた、夜行列車みたいな場所だ。
フランがもそもそしていたのは、その狭い部屋で動くから、布団が動くのだ。
「おはよ」
「おはよう」
とりあえず挨拶する。ベッドから起き上がろうとしたが、腹筋に力が入らない。
記憶が正しければ、たぶんここはイノレードのどこかだ。
「フラン、ここは?」
「家」
「そりゃそうだが」
「起きましたね、アオさん」
いつの間にか、ドアにいた人物に声を掛けられる。見覚えのある声だ。たしか、テレサといったか。
テレサの出で立ちは初老の女性といえばいいか、熟女といえばいいか、口元に皺は寄っているが、まだ美人だとわかるような雰囲気がある。あとエプロンがやけに似合う。個人的には圏外だ。
「入りますよ」
そんな失礼なことを考えているうちに、テレサは部屋の中に入ってくる。上品に足音を立てず、落ち着いた様子で近くの椅子に座る。
「調子はどうですか」
「……眠い、あと五分」
「私と会話してからでよろしいかしら。身体の方は……ツバツケを唱えても支障はないでしょうね」
フランは俺の隣で暇を持て余す。テレサはあまり怖がっていないみたいだ。
俺は状況を整理するため、深呼吸してから舌を動かす。
「テレサさ……テレサさんが、名前でいいんですか?」
「ええ、敬称ではなくて、それが私の名前。ここはイノレードの孤児院よ、芽生えの家とも言われているわ」
やっぱり孤児院だったか、俺に一部屋貸せるという事は、孤児院の中でも潤沢なほうなのかな。
耳を済ませると、廊下を歩く足音が聞こえる。ラミィの小屋とはまた違った、静かな子供たちの空間という感じだ。
「部屋の事は気にしないで、私が勝手にあてがっているだけだから」
「すみません」
「いいえ、これからあなたにしてもらうことを考えれば、むしろ安上がりですよ」
ふふっと、これまた上品な笑いだ。ロボはこういう人に殿をつかうべきだな。
ただ、俺としてはあまりいい気分じゃない。俺にしてもらうこと、その一言が引っかかる。
「もちろん、その体がしっかりと元の状態に戻るまで、この家にお泊まりなさい。部屋は自由に使ってかまわないわ。ただその片手間に、やってほしいことがあるの」
「あの時、俺にした約束ですね」
「はい」
あんな状態でもしっかり覚えている。
このおばさんは、俺の体を元通りにする条件に、お願いを聞いてくれと言っていた。内容を全く言わないで。
ちょっと思い出したせいか、いっちょまえに反論したくなる。
「あれはお願いというよりも、命令ですよね」
「そうですね」
「なんで具体的な内容も言わないで、断られたらどうするんですか?」
「……これは私の第一印象ですが、あなたはあまりいい人間ではないでしょうね。でも、あなたは約束を破る人間じゃありませんよ」
遠まわしにクズと言われた気がする。それなのに約束は守ると。
「どうしてそういえるんですか」
「だって、そうでしょう」
テレサは何がおかしいのか、失笑して俺を見る。
理由もなしに、確信したのか。
「たしかに、アオはそうね」
フランにまで同意される。
テレサは何が面白いのか、体を震わせて笑いをこらえている。
「そうなのか?」
「そうよ、ルールは守る」
「……ああ、そうか」
確かにそうだ。
クズには二種類いる。
ルールを守らないクズと、ルールを守るクズだ。
前者は文字通り、駆けっこでフライングや、じゃんけんであとだしをするタイプだ。幼少の頃の俺と言っていい。勝つためならなんでもする、無法タイプだ。
ここから成長すると、後者になる。ルールを守るクズだ。ルールの範囲内であれば、何でもするというやつだ。倫理的に間違いでも、犯罪じゃなければ何をしてもいいと考える人間と言っていい。
ゲームにたとえると、対戦でバランスの壊れキャラをバンバン使うタイプといえばいいか。製作者の落ち度から起きたものなんだから、いくら使ったって合法だろう。悪いのは手を抜いた製作者だ。
丁度身の回りが気になり始めると発生するクズのタイプだ。保身を考えると、ルールは守るべきと、そんな中途半端な考えに行き着く。
ルールは破るべきじゃない。ルールとはあくまで敵の拘束具なんだ。
「確かに、約束は破らないかもしれない」
「開き直った……」
「わかりやすい子ですね、マリアとは間逆のタイプだわ」
「ひねくれているんですよ」
「それでも、一つの指針があるわ。人はあなたの考えが見えづらくて、いい印象は受けないけれど、あなたは必死になって一つのことをやり遂げようとしているのよ」
いつの間にかマリアの表情は柔らかくなっている。警戒心が解けたのだろうか。
「でも、マリアがあなたを選ぶ理由も、だいたいわかったわ」
「マリアって、ロボのことですよね」
「ええ、今はお犬さんの姿をしているけれど、彼女は紛れもなくマリアよ。あの子は変らないわ、自身を揺るがない木のように思っているけれど、頭の中が御花畑なのね」
御花畑って、このおばさん地味に毒舌だな。
「ロボが、マリア?」
「ロボの人間だった頃の名前だよ、この孤児院にいたんだろ」
「私のお願いは、そのマリアに関してなの。ここではロボと呼んだほうがいいかしら」
「そっちにして、ほしい」
フランの要望に、テレサは快く頷く。共通の話題でフランの気を引いたか。
「で、そのお願いってのは?」
「ロボの過去を追ってほしいの」
「過去? それならテレサさんの方が詳しいんじゃないのか」
「過去とは言っても、ロボがああなってしまった事件の真相を、知りたいのよ」
テレサの目が強く光った。人の視線をひきつけ、会話の主導権を握ろうとしている。
俺はできるだけ流されないように、情報を引き出そうと試みた。
「事件の真相って、あなたは何があったのか知っているんでしょ」
「いいえ、私はおろか、イノレードの政府内でも首謀者が誰だかわかっていないくらいなのよ。もちろん、政府が関わっているのは暗黙の了解だけれど」
「ロボがどうしてああなったのか、あんたたちも知らないのか?」
「ええ、わかるのはイノレードのある研究所でロボがモンスターの姿となり、ジャンヌが狂気に身を染めたということだけ、そこにいた研究者は全員殺され、資料も先回りした黒幕に奪われてしまいました」
研究所か、いかにもロボが変わった原因がありそうな場所だな。
「だとすると、あんたはその政府に対して報復したいのか?」
「いいえ」
テレサは首を振る。
「報復よりむしろ、再発の防止、そして、ロボをもとに戻すためです」
「もとに戻すって、戻るのか?」
「はい、私の光の魔法は、レジストと呼んでいますが、人の持つ体構造への干渉にあります。干渉できる力には限度がありますが」
「そんな魔法があるのかよ」
だから俺の病気も治ったのか。
「あなたの病気は症状から原因まで詳細がわかっていたから、元の状態に戻すのは簡単でした。もしロボがああなった原因がわかれば、元の状態にまで戻すことができるかもしれません」
「便利な能力だな」
「よく言われますけど、この力は本人の持つ力の範囲しか干渉できないのよ。敵対してくる物には無効化されます。最近は、子供の隠れた才能を見つけ、引き出すことに使っていますが」
テレサは目の小じわを手で寄せて、自嘲気味に笑った。
「ただ、老いには勝てませんけどね」
何歳なのかすごい気になる。たぶんレジストで工夫はしているんだろうな。
「だいたいわかりました。でもそれだと疑問があります」
「なにかしら?」
「なぜ、俺に依頼するんですか。権力者ならいざ知らず、俺はこの世界じゃ家族もいない一人身ですよ」
テレサだって事件の真相を追っていたはずだ。それでも解明できないものをどうやって見つけ出すのか。
「いい質問です。たしかに、私はおろか、知己の権力者ですら、真相をつかめずに終わっています。人の手では、犯人を見つけ出すのは不可能でしょう」
「なら、なおさら駄目なんじゃ」
「物理的な手段に頼らなければいいのです。もっとそう、神秘的なものを」
テレサはユーモアを表現したのか、両手をぱっと広げる。
神秘的って、なんだよそれ。あとフランは横で真似しない。
俺はフランの手を押さえながら、反論する。
「神秘的って、非現実的なものとか……?」
が、思いついた。非現実的なもの。人の手が届かないもの。
「……精霊」
「そう、正解です」
俺とテレサは指をさしあった。フランも横で遅れて付いてくる。
「証の精霊、イノレード学院にいるといわれている、精霊を見つけ出してください。彼はこの世界のあらゆる記憶を有し、保管しています」