第六十一話「かぎ あせ」
次に眼が覚めた時、そこはテントの中だった。
瞼がまだ重い。体中の気分も最悪だ。だが、眠気はとんとおきなかった。
「おはよっ」
俺の寝ている横から、ラミィが挨拶をしてくれる。
「……死んだか」
「違うよっ! 生きてますっ!」
ラミィの高い声が耳にキンキン響く。
生きている。あそこから生還したのか。
「あっ、ごめんね」
「なんか、身体中が冷たいんだが」
「うん、顔色はあんまりよくないねっ。もっと寝ててもいいのに」
「眠れない」
これだけからだが疲れているのに、眠る気が起きなかった。
俺はだるい体を首だけ動かして、ラミィと目を合わせる。
「なにがあった」
「いきなり活性化した溶岩から、私と、ネッタの人達が駆けつけたんだよっ」
「どうやって」
「それは私、ラミィの力……というよりも隷の紋章のおかげ。アオくんの生命活動が一時期本当に危ないところにまで迫っていたんだからねっ。急いで駆けつけたら、みんな倒れてるし」
「アオ殿、御目覚めになりましたか!」
テントの中にロボが入ってくる。あれだけ弱っていたのに、俺とは違って超快晴だ。
「先程まで死んだように就寝しておられ、逸りの思いでございました」
「ロボさん、まだアオくんは元気じゃないから、お静かにねっ」
ラミィが口元に指を当てて静かにのジェスチャーをする。唇が色っぽいなぁ。
「ラミィ、命令していいか?」
「この前みたいに、裸で耳掃除はもうやめてね」
「アオ殿、そのようなことをなさっていたのですか」
「いや、違うよ、うん。膝枕とかじゃないからな」
ラミィはいやらしいことばっか聡くなりやがって。今回は違うのに。
でも、裸で耳掃除もいいじゃないか。今にも落ちてきそうな乳の下でをやってみたかったんだよ。
「ならワタシが致しましょう」
「いや、だからいいんだってば」
流石に脱がなかったか、ロボが膝枕をしてくれる。これはこれでふわふわ感がいいな。
「違うんだよ、脱線するな。俺を外に出してくれ」
「外って、まだ安静だよっ」
「気になるんだよ、この場所、イノレードの軍隊もいるんだろ」
あれだけの戦争を起こしておいて、穏やかなまま終わるとは思えない。その流れで言えば、ここは安全じゃないのだ。
「アオくん、こんな時まで」
「あ、アオ殿、ワタシのももに触れるのをもう少し躊躇してはいかがか」
「時間との勝負だろうが、一応見届けておきたいんだよ。命令だ、手を貸せ」
ラミィの心配をよそに、俺の体を起こしてくれる。だるいが、まだ動けないレベルじゃない。
「アオ殿、担ぎましょうか?」
「肩をかしてくれれば」
俺はロボの肩を借りて、テントの外に出る。
そして目の前で、フランと鉢合わせした。
「あ……」
フランは一度呆けたまま俺を見たあと、なにやら難しい顔をして、ラミィの後ろに隠れてしまった。何かショックだ。
「どうしたんだよ」
「……」
「えっと、フランちゃんはたぶん恥ずかしいんじゃないのかな?」
ラミィが困った顔をしながら、足元のフランに翻弄される。
「フラン殿、アオ殿に何か話してはどうですか?」
「……」
「……フラン殿は、あの手傷にも関わらず、ずっとテントの前でアオ殿を待っていたのです。決してアオ殿への慕いを失ったわけではございません」
「そうか」
ちょっと安心した。でも、それならなんで俺からドンビキなんだよ。あれか、臭いのか。
「……ごめん、なさい」
「ん? フラン?」
「わたしが、あの蜘蛛を呼んだから」
「ああ」
なんとなく納得した。荒蜘蛛を呼んだことに責任を感じているのか。
俺は疲れ気味の顔を出来る限り穏やかにして、フランに話しかける。
「あれはお前のせいじゃない。それよりも、自分一人で何とかされる方がよっぽど怖い。それでどうにもならなくて、勝手に死なれたらもっと嫌だからな」
「でも、結局怪我をしたのはアオだけ」
「一応生きてる。フランが大怪我しなかったしいいだろ。アルトの時は俺が助けてもらったんだ。もし危険なことがあったら、また俺を頼ってくれよ。そのほうが嬉しい」
フランの判断は正しい。そのことをわかってほしかった。
一番いけないのは、俺の知らないところでとんでもない事態になることだ。女性によくある、大切なことに限って後回しにする癖だ。
あういうのって、一番辛い時にまとめて帰ってくるからいやなんだ。それなら、最初から全部言ってほしい。
ああ、思い出す。姉はふざけて壊した俺の自由研究を夏休み最終日になって打ち明けやがって。先生に怒られるのも、成績が下がるのも俺なんだぞ。
「それでも悪いと思ってるなら、こっち来てくれ。離れられると悲しい」
「……うん、ごめん」
まだ晴れた表情にはなっていないが、とりあえず近づいてくれる。何かを話すことはないが、傍にいるってのはいいものだ。
歩いていると、他のよりも大きめのテントに行き着く。
「アオ殿、ここにジルと、バニラ殿が佇んでおります」
「入るぞ」
俺は横にいた兵らしき人物に目配せして、中に入る。止められはしなかった。
「アオ! 眼が覚めたのか」
ジルはいち早く人の気配に気づき、俺たちの進入を歓迎してくれる。
そのテントの中には、ジルと、バニラとビーンズを中心とした、兵とネッタの人々で構成されている。端っこの方にはベリーもいる。
内部は予想していたよりも落ち着いていた。冷戦状態をイメージしていたので拍子抜けだ。というか、ビーンズが静かに座っているのは違和感マックスだ。
「あぁ、あんた、もう起きたの?」
「……」
バニラもこちらに気づくと、頬杖を付いた手で適当に手を振ってくれる。顔はいつも以上に疲れがたまっていた。
ビーンズは、俺を見ても何も言わなかった。
丁度いいので、今のうちに聞けるだけ聞こう。
「この状況はどうなってる?」
「どうもこうも、戦争どころじゃなくなったって感じよ。あのクソ精霊の掌の上って時点でどうしようもなくむかつくわ」
バニラは飄々としているものの、生傷は目に見える。あの薄着ならなおさらだ。
たぶん、あの洞窟から脱出するのに力を貸してくれたのだろう。
あれ、でもまてよ、たしかフランとベリーはいち早く抜け出して俺に合流したんだよな。そう考えると、バニラたちの到着が早すぎじゃ……まあ、いっか。何か考えるだけで汗をかいてきた。
「じゃあ、今はどうなってるんだ?」
「見ての通りよ」
「いや、見てよくわからないんだが」
「今すぐ再開、ということはなくなったよ」
ジルが補足してくれる。こういうときに気がきく人がいると安心するな。この前はビーンズとバニラだから大変だった。
「ただ、さすがに同盟を組むとまではいかないけどね」
「当然よ、うちらの使者が来てあんたらは御役目御免。尻尾巻いて帰れってとこよ」
バニラの吐き捨てる声に、ネッタの戦士たちはちょっと盛り上がる。
対するイノレードは、静かだ。反発することもなく、ただ疲れたように彼等を見ていた。
「今回ばかりは、僕達に完全な非がある。これからはイノレードへの風当たりも強くなるだろうが、これでいいのだと思っている。僕達はやりすぎた」
ちゃんと僕達と言っている辺り、ジルの責任感は強い。しかも机から立ち上がって、
「すまない」
頭を下げる。
「あんたそれ、さっきもやったろ。何回もやると馬鹿にされてるみたいでむかつくわ」
「失礼した」
「いいのよ、そんなことしてもあたしらは許さないから。それとも、もう一回あたしら全員であんたの頭踏んでやっか?」
「すげえことしたな」
なんにしても、大体の状況はつかめた。
こっからは俺のターンだ。
「じゃあ、俺たちの依頼はどうなる? 無しってことはないだろうな」
「安心しな、むしろあんたには感謝してるよ、炎の精霊ならいざ知らず、あの荒蜘蛛を追い払ったんだってね」
バニラは隣で座っていたビーンズの頭を叩いて笑う。
「みろよ、この悔しそうな主人の顔を」
「だまれだまれ!」
「はは……すいません」
渇いた笑いをしたら、すごい顔で睨まれた。
「まあ、あれは俺のずるみたいなもんだから、あんまり気にしなくてもいいと思う」
「当然だ、貴様のそれは人のものじゃない」
「……? まあいいや、じゃあ依頼の報酬を求めてもいいんだな」
彼女たちにとって今はそれどころではないだろう。でも、確認だけは取っておくべきだ。後日とぼけられるのも困る。
「約束は、破らないわよ。何なら今見せてもいい」
「今って、まだ会議中じゃないのか」
「関係ないわよ、約束は約束。理屈ではどうあれ、功労者に敬意を表せもしないクズはあたしらの村にはいない。それに、あたしじゃなくても案内は出来るし」
バニラが顎で促すと、末席にいたベリーが動いた。
ベリーは俺の目の前までやってきてから、じっと睨む。
「今、行く?」
「いく」
「アオ殿、今は安静を選ぶべきです」
「見るだけだ。気になることがあると眠れない」
昔からそうだ。楽しみは明日に残すと大体今日が眠れない。結局全部その日の内に楽しんでしまうタイプだ。残したらどっかいきそうで心配なんだよ。
ベリーの顔は何を考えているのかわからないが、とりあえず無言のままテントを出て行く。ついていけばいいのだろうか。
*
「アオ、あれでいいのかな?」
「あれって何だ?」
テントを出てすぐ、フランが話しかけてきた。
「結局、何も解決してない。ネッタの人とイノレードは仲が悪いままなのに、それでいいのかな」
「しゃあないだろ」
なるほど、なんとなく読めてきた。
フランはこの消化不良の結末に納得が言っていないのだ。グリテも掴まらず、炎の精霊は身勝手なまま、戦争も実質終わっていない。ネッタの人たちはボロボロのまま骨折り損になっている。
「なんでもしっかり終わるなんて事はないんだよ。後味がいいにせよ悪いにせよ、人間なんてダラダラと過ごしているだけなんだから」
「でもこのままじゃ、ネッタの人たちはどうなるの」
「それこそ、当事者たちの思うがままだろ。一人で生きていくのもいいし、イノレードに寄生したっていい。他の国の傘下にだって、避難場所くらいは提供してくれるだろ」
「そう、よね……」
フランが心配そうに見ていたのは、前を歩くベリーだ。
なんだろう、前に見た時はあれだけ嫌っていたのに、いつの間にかそんなことを考える仲にまでなっていたのか。女ってわからん。
「なんにせよ、今回の俺たちは部外者だ。旅をしてれば、こんな時もある」
「アオ殿は最大限に尽力したと思われます。今回の被害、最小限に抑える支柱となりましたのはアオ殿と信じております」
「アオくんはなんだかんだ言って、やることはやるからねっ」
「ああ、そうだな。ラミィ、あとでやろう」
とそこで、ベリーの目的地が見えてきた。あれは確か、バニラのテントか。
「あそこに置いてあるのか、予想通りっちゃ予想通りだったけど」
カザンドにあるとは聞いていたが、バニラが回収したのだろうか。それとも、元々この辺りの村全般を担っていたバニラのものだったのだろうか。たぶん後者だ。
炎の精霊は、ビーンズに美しいものを任せるとか言ってたしな。
「先に、言う、あれ、美しいもの、じゃない」
「え、あ?」
前を歩くベリーが、滑舌の悪い声で何かを伝えようとしている。
「おいまて、美しいものじゃないって、じゃあこれから見せるのはなんなんだよ」
「鍵」
「鍵?」
ベリーがテントの中に入っていくので、続いて俺たちも入る。中は狭いな、大きさは他のテントと一緒だ。奥のほうに私物らしきものがたくさん散乱している。
ベリーはそのまま私物を漁り始める。
「どこか、ある」
「なんでこんな大雑把なんだ……」
この世界で一番美しいものだろうが、盗られてもなくしたと勘違いしそうだ。
「あ」
ベリーが気づいて、ごそごそと乱暴に私物をまさぐる。そうして出てきたのは、箱だ。カードケースに似ている。
「これ」
「これか」
俺が興味本位に手を伸ばすと、ベリーはその手を避けた。
「触らないほうが、いい。あたしたち、じゃないと」
「アオ、この箱、何かへんな気配がする」
フランの言うとおり、この箱から妙な攻撃の気配がした。なんだこれ。
ベリーの箱に触れる手がバチバチと光っている。もしかして、あの魔法抗体とやらじゃないと触れられないものだったりするのか。
かぱりと、気の抜けたような音を箱が出す。ベリーが箱をあけたのだ。
俺はぬっとその箱の中を覗き込む。両隣にロボとラミィ、下からはフランも一緒になって顔を前に出す。
「これは……カード?」
入っていたのは、カードだった。
ベリーがそれを掴み取って、箱から取り出す。やっぱりカードだ。
「赤の、カード。あたしたち、昔から、これを守る」
美しいものがそんなにあっさりと見れるとは思っていなかったが、これはかなり拍子抜けだ。
「これが鍵? 鍵って何だよ」
「わからない」
「おい」
「美しいものの、鍵。カエン、言ってた」
「う、う~ん」
なんとも反応に困る。
あの精霊が言っていたのだから、まがい物ではないだろう。
だとするとこれはなんだ。
赤のカード。見たまんま赤色を基調にしたカードだ。魔法のカードに似ているが、裏面の形が違う。なんていえばいいか、普通のカードが開く模様だとしたら、これは何かを閉じているような感じだ。模様の密度も普通の比じゃない。
「これは、使用できるのか?」
「無理。パパ、試してた」
そうだよな、一族って言っても気になることは調べるよな。あのおっさんとおばはんは。
俺は黙っている三人に顔を向ける。
「どう思う?」
「ワタシには皆目見当が付きませぬ」
「やっぱりあれじゃないかな、鍵だからどこかで使わないと意味がないとか」
「どこかで使うか、つってももらえるわけじゃないからな」
使う時だけ同行してもらうとかになるか、そうなると使う場所を探すことになるな。
「アオ、たぶん、これ一つじゃないと思う」
フランが、ぼそりと呟いた。
「青空より広大で、緑より穢れ無く、赤く燃えあがる気高さを持ち合わせた、現存する全ての心よりも美しいもの。これがそうなら、青と緑がある」
「……ああ、そうだわな」
その言い分どおりなら、少なくとももう二つカードが必要だ。
それこそシェンロンみたいな出現方法なのかもしれない。
何か頭痛くなってきた。これからのこともそうだけど、さっきから汗が止まらない。
「……ベリーは、美しいものが何なのか知ってるのか?」
「これしか、ない」
ベリーは首を振る。手がかり無しか。
「アオくんそんなに落ち込まないでっ、これでも結構な進歩だよっ」
「わかってるよ、落ち込んでねぇ。とりあえず目標は定まったんだ。当面は他の二つのカードを……カードを」
一瞬、あたまがぐらぐらした。たたらを踏んで、視線が下に落ちる。
ロボに支えられて、何とかこけずにすんだ。
「アオ殿!」
「ああ、ありがとな」
俺は感謝をして、一人で起き上がろうとするが、立てない。
「アオ殿、どうかいたしましたか?」
「い、いや」
もう一度身体に力を入れようとするが、やはり立てなかった。ロボの支える腕から離れることができない。
「アオくん、すごい汗だよっ! やっぱり寝てなきゃ駄目なんだって!」
「そんなこといったってな、眠くもないのに寝れるか」
「それどころじゃないよっ、顔色もすごい悪いし、どうしちゃったの」
ラミィが俺のおでこに手を当てて、本当に心配そうにこちらを見てくれる。
俺の両親はこんなことあっても全然気にしないのにな。むしろなにぼぉっとしてるんだって父が怒るくらいなのに。
「あたし、ひと呼ぶ」
「はは……はぁ、ごっ!」
せきこんで、息も荒くなる。本当に風邪をひいたのかも。
なのに、全然眠くない。疲れてもいるし、身体中が弱っているのに、眠くない。
「アオ……それ、血」
眠れないまま、終わりの見えない痛みが、延々と続いた。