第六十話「おきた もやし」
敵うわけがなかった。俺は知っていたはずだ。
人と精霊は根本から違う。
「別にさぁ、あんたらとの関係を解消しようって分けじゃないんだぜ。俺っちも陽の精霊は怖いからさ、その辺はしっかりするって」
「ふざけるな!」
ビーンズが、よろよろとだが立ち上がる。
俺を含めた全員は、カエンに圧倒され、手も足も出なかった。一人残さず地面にひれ伏して、溶岩の中に落ちていった兵も何人かいる。俺だって盾がなかったら指一本動けないはずだ。
「俺たちの仲間を侮辱しおって、見損なったぞ!」
「だからあんたには喋りたくなかったんだよ、おっさんムキになりすぎ。精霊ってのはさ、元々こんなんこんなん」
愉快に笑いながら、炎の鞭が俺達を脅す。
「うぉおおっ!」
ビーンズは怯むことなく、カエンに殴りかかる。
カエンは避けようともしない。代わりに鞭が飛び、斥力だけでビーンズを吹き飛ばす。魔法が効かなくとも、極限まで弾けば人の体は持たない。
ずっと繰り返されてきた行動だ。頭のテープが擦り切れるほど見た。
カエンは、俺たちの攻撃を避ける必要がないのだ。魔法を全く受け付けない。効かない体質なんかじゃない。圧倒的すぎて、俺たちの攻撃はそよ風にもならないのだ。
その点では、アルトの方がまだましだ。強さの優劣はないが、あいつはなんだかんだで避ける動作をする。
「まだだっ!」
隣を通り過ぎるのは、ジルの影だ。まだ動けるらしい。
「この身、奮います!」
ロボもそれに続く。たぶん元気なのはこの三人だけだろう。
だが、そんな三人を見て、逆にカエンはつまらなそうにあくびをする。
「ったく、暑苦しいのは炎の特権なんだけどなぁ」
しつこく攻撃する二人に、カエンはわずらわしそうに、手を振った。
すると火の鞭がしなる。ジルは避け、避けきれないのも含めてロボが受ける。それだけの消耗をして、やっとカエンのもとにたどり着く。
ただ、すぐに返り討ちにあい、またこちらにまで戻ってきた。溶岩に落とさないのは、カエンの慈悲だろうか。
「お早い御帰りで」
俺はからだがちょっと回復したのを見計らって、ロボに近づく。盾の回復に努めるのだ。
「お前らな、ビーンズを逃がすんだろ。あいつに立ち向かってどうするんだよ」
「し、しかしアオ殿! 炎の精霊は出口を塞いでおります!」
俺たちが逃げると言ったのに反抗してか、いたずらか、カエンは入口を塞ぐように立っているのだ。引き返す前に先回りされた。
その行動にビーンズがさらに激昂し、戦うことになってしまったのだが。
「ロボっていったか、お前、眷属だろ」
カエンが、じっとロボの事を見て、何かを待っていた。何を期待してるんだあいつは。
その言葉に、ロボはビクリと肩を震わせる。
「如何なる――」
「なんで、サインレア使わない」
「ワタシは魔法の抜を禁じております。もし使えば、本能のままに周りを」
「嘘だな」
カエンはロボを指差して、魔法を使うことを煽り始めた。
どうしたって、ロボが魔法を使えばこちらに危険が及ぶ。なにをいいだすんだこいつは。
「そのサインレアは本能なんて呼び覚まさない。ただ、あるがままのお前を映すだけだ。本当は、それを知るのが怖いんじゃないのか?」
「……」
「何を言ってるんだよ、お前は」
カエンのいい分はまったく解読できない。結局は危険になるだけだろ。
ロボだって考えは同じはずだ。地のサインレアは、期待できない。
どうすればいい、せめてあそこから立ち退かせれば。
「はぁ、お前ら帰っていいよ」
考えをめぐらしていたら、カエンの溜息が帰ってきた。
「……は?」
「はじゃねぇよ、俺に意気込むからには楽しめるかと思ったけど、つまんねぇ喧嘩だわ」
カエンは場違いにも、俺たちの前で拗ねてみせる。遊びに飽きて愚痴をこぼす子供のようだった。
「やっぱ精霊なんかになるんじゃなかったわ。喧嘩ってのはそれなりに弱くないとやってけねぇ」
「おまえ……」
カエンの言い分はカチンと来るが、逃げられるのならこの好機を逃すわけには行かない。
「ろ、ロボ」
「か、畏まりました。ビーンズ殿」
ロボも逃げることには反対しない。あとはビーンズをロボに運ばせればいい。
「は、放せ! ここで舐められて、逃げるわけにはいかん!」
体が動かなくとも、まだ憤りは収まらないらしい。あれだけ馬鹿にされれば仕方ないけれど、もっと周りを見てほしい。
と、そこでビーンズの眼が俺を捉えた。なんでだよ。
「貴様! 何故本気を出さない!」
「……俺?」
俺に向かっていったのか? 今だって倒れっぱなしで体がろくに動かないのに。なんなんだよ。
「アオ!」
そのときだった。俺の耳になんとも心地いい響きが渡った。フランの声だ。
見ると、その声どおりの姿が入口にあった。ちょっと息切れしているが五体満足だ。傍らにはベリーもいる。
俺を探しに着てくれたのだろうか。いや、ロボか。あんまり人に期待するとあとで痛い目を……。
「……なんだ?」
突如地鳴が響いた。次の瞬間には入口の岩石を吹っ飛ばして……蜘蛛!
「何だあの蜘蛛!」
「なぜ荒蜘蛛が!」
ジルが驚愕に目を剥く。そしてすぐに辺りを見渡し始めた。
「グリテはどこだ! あいつがいないと制御できない!」
「アオ!」
フランがこちらにまで駆け寄ってくる。
それに続いて、荒蜘蛛まで襲い掛かってきた。まるでフランについてきているようだ。
あれだ、このままじゃ俺とフランはあの蜘蛛に潰されるんじゃないのか。
「おい……おいまて!」
「アオ殿!」
ロボが間一髪、俺たちの間に入って荒蜘蛛を止めた。
しかし、あのロボの体毛から、焼けるようなにおいがした。荒蜘蛛の熱量はロボの防御を貫通する。
「ぐっ、アオ殿! 早く!」
「っ! フラン!」
俺は咄嗟にフランを抱えてそこから走り出す。が、無理して体を動かしても、すぐに足がもつれて、転んでしまう。
「あ、アオ! 荒蜘蛛が! ロボが!」
フランがロボを何度も指差す。尋常じゃない慌てようだ。
ロボは苦しそうに顔をしかめながらも、あの荒蜘蛛と押し合っている。
「わ、ワタシは堅固です! 構わず!」
「で、でもっ!」
「フラン! あの荒蜘蛛ってのはどうしてお前を狙ってる!」
俺はフランの肩を抑えて、こっちを見るようにジェスチャーする。
フランは涙の篭った目をこちらに向けて、必死になって震える口を開こうとする。
「わ、わたしを狙うよう、命令されてる」
「それはどういうことだ」
「おそらく、グリテがそう決めたままの命令を実行しているのだろう」
ジルが横から助言してくれる。あれか、遠隔操作型スタンドみたいなものか。
でもそうなると、なおさらやばいんじゃないのか。
「ジル、どうやったら止められる!」
「……グリテが魔法を解く以外に、ない」
ジルはそう言ってから、ロボと荒蜘蛛の渦中に飛び込んでいく。
「まてよ! 倒す方法とかは」
「無理だ、たとえイノレード全軍でも、これを倒すのはほぼ不可能に近い」
荒蜘蛛が振り上げた腕を、ジルの剣は切り飛ばす。しかし、その熱を浴びた剣は瞬時に溶けていき、切られた腕は一秒もたたないうちに再生した。
ロボを焼くほどの熱量を供え、傷も瞬時に再生する。
あいつの動きは単調だ。でも、だからこそどうにも出来ない。出し抜こうにも正直すぎるのだ。
このままじゃ、最低でもフランは殺される。
「ロボ、君じゃあ無理だ! あきらめてくれ、このままだと君まで焼け死んでしまう!」
「なりません! たとえジルの言葉であろうと、ワタシはフラン殿のためなら命を賭します!」
「おい、カエン!」
俺は咄嗟に、その場にいたどうにも出来ないもう一つのものに縋りついた。
「カエン! こいつを何とかしてくれ!」
「いやだよ」
「頼む! フランが、このままじゃロボだって!」
「知るかよ」
無駄だとわかっている。地球でもそうだ、いつだって俺の頼みを聞いてくれるような奴はどこにもいなかった。
だけど、自分たちだけでどうすればいい。なにもな――
「それを使えばいいだろ」
突如、俺のカードケースから攻撃の気配が漂った。
カエンの一言が、何かを焚き付けている。俺のカードケースに残された何かを、起こそうとしていた。
それが何なのか、俺は手に取る前から知っている。
「火の、レアカード」
「使えよ、絶対面白いからさ」
意地の悪い笑みを浮かべて、カエンがからかう。
たぶん、今なら火のカードを使える。どうして発動できるのかとか、全くわからないけど、熱く、なにかが目覚めている。
もしかしたら、こいつを使って助かるかもしれない。けど、
「断る。絶対面白いだと、そんなこと言って、やらせたらしらけるのくらい知っている。学校で経験済みだ」
「学校? じゃあ、どうするよ」
「わかってるんだよ、煽りやがって」
カエンに気づかされる。
やばいことになっているのは、火のカードだけじゃなかった。
「アオ……これ」
「きめぇわな」
土の盾が、震えているのだ。比喩表現じゃない。本当の生き物みたいに、ごとごととうごめいていた。
これも火のカードほどじゃないが、どう見ても危険そうだ。何故なら、握っている手に針みたいなのが刺さって、手から離れない。まるで、俺を縛り付けているみたいだ。
あのビーンズが危険だと言っていた意味も、なぜ使わないと煽っていた意味が、ちょっとだけわかった。
原因は何だ。
「周りの魔力だよ、懐かしくて起きたんだろ」
カエンの見透かした台詞が、なんとも耳に付く。
「アオ殿……申し訳ございません……」
「もういいロボ! そいつから離れろ!」
俺は立ち上がった。幸い、ある程度の回復は出来ている。
「あとは、俺が何とかする。フランも俺から離れろ」
「……いや」
「離れろ!」
「フラン、離れて!」
ベリーが丁度よく、俺からフランを引き剥がしてくれる。お膳立ては完了だ。
ロボは満身創痍ながら、ジルの助けもあって荒蜘蛛から離れることに成功する。
自由になった荒蜘蛛は、飛び出すようにフランに向かってくる。
「こっちくんなやぁああっ!」
俺が盾で荒蜘蛛を前に押し出す。触れてないのに、一瞬にして全身の皮膚が焼け始めた。
この盾が今キモイのはどうしてだとか、起きたとかどういうことだとかはどうでもいい。とにかく、この状況をどうにかしてほしかった。
「発動しろ発動しろ発動しろ! ほら噛め!」
「ぐちょぐちょ、わかってるよな。そいつは本当に、やばいよ。あんたのご都合で発動するには、身が重いんだ」
「発動しろってぇ!」
俺は叫ぶ。物に対してなのに、伝えるように命令し続けた。
カエンのいいたいことはわかる、今までの窮地だって幾度となくこの武器のデタラメに助けられてきた。でも今回は、こいつらを理解したりとか、精神の強さから出す力じゃない。
ご都合的な力が、タダで手に入るとは、思ってない。
盾が、それに応える。
盾の表と裏に、何か薄い線みたいなものが描かれる。生々しく膨らむその線は、人間の瞼に似ていた。
「な、なんだこれ」
盾の瞼が開くと、そこから赤い瞳がいくつも出てくる。目に映るあらゆるものを睨みつけて、瞳孔が開いた。
しゅっと、何かが息を吸うような音がしたあとに、盾から魔法があふれ出した。
「アオ殿、傷が!」
ロボの叫びによって、俺が回復していることに気づいた。
さっきまでそこかしこにあった火傷が、治っていったのだ。見ると、離れた場所にいるロボも、倒れた兵士たちも、段々とだが傷を修復させている。
「か、回復能力」
それは今まであった盾の能力そのままだ、ただいつもより効力が大きく、範囲も広い。
でもこれって、さっき感じたやばさとは全く違う気が……。
「……痛っ」
そう思っていたら、段々と体の節々がぴきぴきと音を立て始めた。筋肉痛っぽいけど、何かちが――
「アオ殿、荒蜘蛛が!」
盾の無効で俺に突進を続けていた荒蜘蛛の体に、皹が入った。皹が入った次の瞬間には、再生を始めた。
この盾の意味が、わかってきた。
「過剰再生」
フランの呟く声が、俺の盾を一言で表していた。
再生しすぎた身体が、崩れているのだ。それもまた回復されるが、すぐに過剰になってまた壊れる。どんどんと、荒蜘蛛の体が腐っていくのが見て取れた。
荒蜘蛛はいつの間にか自壊して、空中に霧散していく。
荒蜘蛛は元々再生能力を持っていた。だからさらにその再生を過剰されて、この場にいるどれよりも早く壊れてしまったのだ。
ただ、早かっただけで、攻撃は荒蜘蛛に留まるわけじゃない。
「アオ殿、早く盾をしまってください!」
「わ、わかってはいるが……」
盾の発動が、止まらない。盾の瞳孔が開きっぱなしで、次々と回復の魔法を吐き出していく。
俺の内臓が、嫌な音を鳴らした。
「と、止められ、ない」
盾から手を離そうにも、茨のような棘が刺さり、その傷が癒着したまま回復してしまっている。力ずくで引き剥がそうにも、皮膚に張り付いた棘が痛みを与え続け、皮膚を切り裂いて指一本だけ離れても、すぐに再生して癒着してしまう。
「アオ殿! ぐっ!」
「が、っがあああっ!」
「ああああっ!」
周りの兵隊たちにも苦痛が回っていく。再生を超過した腐敗が体を侵食していた。
やばい、
「こりゃやべっしょ、やっぱ箔が違うってか」
あのカエンが冷や汗をかいて、この場から離れる。精霊が逃げるほどの事態だ。
精霊を退け、新しい敵も追い払った。目的だけならすべて達成した。
だが、俺たちはこのままだと全滅する。
「……フラ……ん」
体中の力が枯れ、視力すら衰えた中で、俺はフランが俺を見ていることに気がついた。
「わたしが……わたしのせい」
何かにおびえ、震えた瞳で俺を見ている。
どうしたんだよ、フランは何も悪くない。そう言いたいのに、口から声が出ない。
最悪だ、どうしようもない。こんな出来事が、旅の終わりだなん――
「このもやしがぁ!」
「もやし!」
がっと、俺の身体にしがみつく二人がいた。ビーンズとベリーだ。
魔法の圧力に押されながらも、その二人だけは何故かこちらにまで迫っている。危ないよ、俺に近づけば近づくほど死に近くなるんだぞ。
「フラン、探してた」
ベリーは俺の盾を握り締めながら、俺を見据える。
「あなたのこと、大切、って。あたし、守って、守る!」
「うおおおっごぉおお!」
ビーンズが俺の手を無理矢理引き剥がし、びりびりと皮膚の裂ける音がした。
体中に漂っていた嫌な気配が、とんと止み、土の盾がカードに帰る。
ベリーとビーンズはそれで力尽き、俺の隣で倒れる。
助かった、のだろうか。
「……っ! 溶岩の活動が!」
ジルの叫びが、どこかから聞こえる。俺はそちらに顔を向ける力も無い。
「このままだと溶岩がこの山全体に来るぞ!」
「アオ殿、おきてください! 今すぐこの場から離れないと!」
「誰か、まだ動けるものはいないのか! せめて一人でも、誰か生き残れないのか!」
ロボとジルの叫びだけが、耳に届く。誰かが動く音も気配も、何もしない。
極度の疲労が瞼を重くして、俺はそのまま意識を落としてしまう。
*