第五十九話「ざこ そしつ」
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「ここ」
ベリーの案内でたどり着いたのは、洞窟だった。たぶんここが、精霊のいる場所なのだろう。
この辺りが山だというのはわかっていたけれど、ここまで熱を持った山中なんてあるのだろうか。途中現れたモンスターたちもやけに熱かった。
「すすも」
「うん」
でも、ここで立ち止まってはいけない。たぶんここには、アオがいる。
死んだりはしていないだろう。ただ、怪我をしていないか心配だ。アオはああ見えて打たれ弱いところがある。人によく攻撃するくせに、言い返されるとすぐにへこむのだ。
洞窟内は熱いが、我慢できるくらいだ。やけに赤いのは……魔力だろうか。
「彼……アオ」
ふと、ベリーがアオの名前を言う。たぶん、アオのことについて話があるのだろう。わたし以上にくちべただが、耳を傾ければちゃんと理解できる。
「あれは、あたしの責任」
「そうね」
わたしはお世辞なんていえない。アオがああなったのは、ベリーを逃がすためだった。そこは譲らない。
ただベリーは、その台詞に傷つくことはない。ちゃんと事実を受け止めて、何をすべきかわからなくても、最適な行動をとれる人間なのだろう。
「あなたの力、頼らせて。一人じゃ、たぶん難しい」
「うん」
「だから、あたしの力、たよって」
「うん」
ベリーのこういうところは、うらやましい。わたしは考えばかりが先行して、なかなか行動に移せないからだ。
それでも、遅れをとるわけにはいかない。しっかりと状況を見据えて、どうやってアオを助けるか考えないと。
「……うらやましい」
「ベリー?」
ベリーは無表情なまま、じっとわたしを見つめる。何がうらやましいのだろう。
「とにかく、ベリー。あなたの魔法抗体は強いけど、決して攻撃を防ぐものじゃないことを覚えてよ。あなたのその力は奇襲が一番強い」
「……」
わたしがこれからの作戦を説明しようと抗弁を垂れたが、ベリーはそっぽを向いていた。
「……ベリー?」
無視していたわけじゃない。何かに気づいて、それに耳を傾けるような仕草だ。そしてしばらくすると、ベリーの体が、いや洞窟が段々と震えている。
「うそ」
突如、地鳴が響く。ぱらぱらと洞窟内が音を立てて小石を落とした。
「走って!」
ベリーが叫ぶ、わたしのてをつかんで、ぐいっと引っ張った。
わたしはたたらを踏むが、それでも無理矢理に走らされる。半ば浮くような形で、耐性を立て直され、なし崩し的に一緒に駆け出した。
なにがおきたというのだろう。
「な、なに!」
「きた!」
地鳴がさらに大きくなる。その音の元はわたしの背後からだ。
わたしはうしろを振り返ってから、目を剥いた。見覚えのある姿だった。
「く、蜘蛛!」
赤い大型の蜘蛛が、八足を奇妙に動かして迫り寄ってきた。狭い洞窟内で蜘蛛の足は洞窟の八方それぞれを叩きながら、うねうねと動く。
蜘蛛が歩いた場所はまるでハチミツでもたらしたように、ドロドロに溶けていった。
「荒蜘蛛!」
そう、あれは荒蜘蛛だ。グリテがわたしたちに見せたサインレアの魔法によって作られた生成使役魔法だ。
速さはあの森にいた時よりも遅い。たぶん洞窟内が蜘蛛の足を逆に縛っているのだろう。
「フラン! フラン魔法!」
「あっ!」
ベリーの言葉にはっとさせられる。そうだ、魔法を使わないと。わたしはベリーの手を解いて、カードケースに触れる。
「コンボ! 火、水!」
二挺拳銃の魔法を取り出して、速射性を早める。そうしている間にも、蜘蛛との距離が狭まっていく。
「放射!」
わたしは躊躇うことなく、洞窟の天井に熱を放つ。洞窟が崩れる恐れもあったが、そんな心配をしていられない。あの蜘蛛にちょっとでも触れれば、体は溶ける。
落盤を誘発し、蜘蛛ごと生き埋めにする算段だ。
ただ、荒蜘蛛はその落盤を赤く染めて、今にも飛び出しそうだ。たぶん、あの程度じゃ倒せない。
「ベリー! わたしにつかまって!」
わたしは右の銃を、自分の頭に向ける。
「ブットブ!」
わたしの体は前方に大きく飛んだ。できれば硬化がほしかったが、生憎コウカサスは消えてしまった。
だから、その責任をベリーにとってもらう。
前方にあった曲がり角を曲がれず、わたしはそのまま壁に激突しかけるが、ベリーのしなやかな足が受け止めた。
「ベリー、目的地は!」
「もっと先!」
「おおよそすぎ!」
たぶん、すぐにつける場所じゃないのかもしれない。移動しながら戦うしかないということならば、
「じゃあ、広いところ!」
「次、分かれ道右」
できるだけ対処しやすい広い通路を選ぶべきだ。森ほど開けていなければ、まだ機動力に知恵を使える。
そう、だからわたしは右を選んだ。少し進むと、開けた場所に出る。地面は溶岩で染まりきっていたが、橋の様に一本の通路があった。
そしてそこには、わたしの知っている人がいた。
わたしは思わず、その場で立ち止まってしまう。
「あぁ?」
「グリテ!」
ベリーが叫ぶ。
結果としては最悪だ。そこにいたのはグリテだ。
わたし達が進もうとする先の通路を塞ぎ、暇そうな顔をして地面に座っている。
「なんだよ、雑魚じゃねぇか」
後ろから地面のうねりが届く。わたしたちが立ち止まっている間に、荒蜘蛛が追いついたのだ。
どうする、前にはグリテがいる。後ろから荒蜘蛛が迫っている。
「うわぁああっ!」
ベリーがわき目も振らずグリテに立ち向かった。
「ああもう! 放射!」
わたしは前に攻撃をした。一直線にしか道が無い以上、誰もよけられない。
ベリーに魔法は効かない。そのまま素通りして、グリテのもとに魔法を放つ。
「ッチ」
グリテはただ舌打ちするだけだ。避けようともしない。
背後にいた荒蜘蛛が、その舌打ちに反応するように、ジャンプした。
そしてグリテの前で立ち止まり、彼を庇うようにわたしの熱線を受ける。
ベリーはその荒蜘蛛の移動に巻き込まれる。わたしからは、荒蜘蛛のせいでベリーの姿は見えなくなった。
「うぜぇ、なんだよお前」
熱線と土煙が晴れると、グリテに小刀を片手で受け止められたベリーの姿が見えた。
ベリーの目は血走り、無理を通そうと必死になって動かない小刀に力を篭める。
「あなたの、あなたのせいで!」
「あぁ?」
「あたしは、眷属っ! なれなかった!」
ベリーの嫉妬からくる、私怨だ。
彼女にとって眷属がどれだけの意味を締めるのかわたしにはわからない。でもそれが、大きいことだけはわかる。
グリテはそれを見てなにを思ったのか、鼻で笑った。
「はっ、そうかお前、ネッタの長の娘か。何を言い出すかと思えば、ほんとくだらねぇ。オレは別に、選ばれたくて眷族になったんじゃねぇよ」
精霊が眷族を選ぶ基準はない。ベリーのそれは、ただ感情から来る言葉だ。
「オレは、英雄になれる素質があるんだとよ」
グリテは、受け止めたベリーの小刀を器用な手つきで捻り、ベリーだけを突き飛ばす。
「ま、オレはこんなクソだせえ肩書きはいらねえけどな」
奪い取った小刀を、グリテはつまらなそうに放り投げる。そして、ゆっくりと右手を挙げた。
「オレが英雄になれるのは、他のやつらがろくに働かないからだ。オレはな、そんな奴らのために過労で殉職するのは真っ平ごめんなんだよ」
親指を下に向けて、ベリーに示した。それを皮切りに、荒蜘蛛がまた動いた。
「チョトブ!」
もう右の銃でチョトブを発射する。ベリーは荒蜘蛛に捕まるよりも先にこちらに戻ってくる。
「ベリー、落ち着いて。まだ奴は本気じゃない」
あの男。まだこちらを舐めている。それでも十分わたしたちを圧倒できるのだろう。その隙間をわたしたちで抉る。
「ベリーが攻撃している間、荒蜘蛛は動かなかった」
グリテがベリーに構っている間、荒蜘蛛はずっと何かを待っていた。あれはたぶん、グリテの命令を待っていたのだ。
荒蜘蛛そのものに意思はないのだ。元々生成モンスターだから当たり前なのだが、これにも種類がある。あれは、その場で命令したことをただ実行するタイプだ。
たぶん、最初に出会ったときの命令は見つけた生き物を潰せだろう。次はオレの前に来い。
このアドバンテージは大きい。荒蜘蛛を見るよりも、グリテを見ればいいのだ。
「まだ、戦え――」
「あぁ?」
ぞくりと、わたしからだがささくれ立つ。
グリテの、ものともしない一言が、わたしの直感を揺さぶる。
そう、あのアルトと戦った時と同じだ。勝てる勝てないのレベルじゃない。この男と、勝負になるのかすら疑問に思ってしまう、距離感だ。
そう感じていたのは、ベリーも同じだった。わたしのとなりで、真似するように同じ顔をしている。
「……五十四」
ベリーが、何かの数字をぼそりと口にする。その数字は一体なんなのだろう。
「へぇ、見たのか」
グリテが感心していた、自身の首もとにふれて、一つのガラス玉をこちらに見せ付ける。
あのガラス玉は、わたしたちも知っている冒険者のレベルを計る……
「ごじゅう、よん」
レベル五十四。その意味がわかってくると同時に、寒気が湧き上がる。
『わかる? 仮にレベル二十九が三人いても、レベル三十には叶わない。それくらい差があんのよ。二桁目が違うだけで、その前の桁の奴とは決定的な差ができるの』
前に言っていた、冒険者ギルドの人の言葉を思い出す。
三十も差がついたらどうなるか。経験でも、センスでも埋めることの出来ない圧倒的な差が生まれる。
「ブットブ!」
わたしはその場から逃げ出すように、呪文を唱える。ベリーを抱え、広間の外へと逃げ込んだ。
「コンボ! デブラッカ! モスキィー!」
洞窟が崩れるのもお構い無しに、わたしはその部屋を爆破する。
「フラン、逃げない!」
「駄目! わたしたちじゃ、足りない!」
「おもしれぇじゃん」
爆発の煙が立ちこめる中、その向こうにいるグリテが呟いた。
煙はどうしてか、すぐに晴れてしまう。あの爆発は洞窟全体を巻き込んだはずだ。
「でも、飽きたな」
入口から見える広間は、何も変っていなかった。
厳密に言えば、赤い糸の球体が、大きな塊を包み込むようにして蜘蛛の隣に置かれている。
「モスキィーの爆発そのものを!」
そうとしか考えられない。でもありえない。モスキィーは爆発の粉塵をフロア全体に撒くのだ。あんなふうに収束することなんて、たとえ事前に知れても不可能だ。
「このカード、派手なのは見た目だけだな」
グリテのそれは、まるでモスキィーのカードを初めて見たような口ぶりだ。
荒蜘蛛は爆発を握りつぶすように、段々と蜘蛛の糸を縮ませて、完全に消してしまった。
「コンボ! ポチャン、ポチャン!」
わたしはがむしゃらに水の魔法を唱えた。二挺拳銃の熱がそれに反応して、煙幕に変わる。わたしたち自身も視界をゼロにしてしまった。
「ベリー!」
わたしはヒステリックに叫んだ。
ベリーはこのとんでもなさを理解していない。だが、ちゃんと危険だと感じる力は持っている。
「逃げよう!」
「……でもっ!」
「今は勝てない!」
「でも!」
強情だ。どうすれば、どうすれば!
「そうだアオっ、……ビーンズたちの力を借りよう!」
そこで咄嗟に思いついたのは、アオたちのことだ。勝てないのなら、力を合わせればいい。
「逃げるんじゃないの! 皆で協力し合えばいい!」
「……」
ベリーの中で葛藤がざわめく。彼女は一人で勝つことが目的じゃない。あくまで、炎の眷属以上の要素を自分の中につかみたいだけだ。
ベリーなら、生き残る選択をしてくれるはず。
「くだらねぇ」
荒蜘蛛がこちらに向かってくる。攻撃の気配が無いことに腹を立てて、この辺りを荒らしまわるつもりだ。
「フラン、ついて!」
ベリーも動いた。やっと逃げる決心を付けてくれたのだ。繋いだままだった手が方向を示す。
「一人、勝てない」
「……ありがとう!」
「あなた、巻き込みたくない」
わたしもその声に続いて、足を速める。
煙を抜けて、視界がはれたと同時に、二挺拳銃を解除してバズーカーに変える。わたしはケースにあったチョトブを取り出し、すべてのシリンダーに装てんした。
「チョトブ!」
ベリーが方向を示す先に、ただチョトブを唱える。カードの消費はとんでもないが、荒蜘蛛から逃げるのに必死だった。
逃げる。そう、逃げている。
あのアルトのときとは違う。今すべき事はなんだ、アオとの合流だ。
あのグリテには勝てない。でも、アオなら何とかしてくれるかもしれない。
前だって、あのイェーガーの秘密を暴いて、風の魔法を目覚めさせて圧倒してみせた。なら今回だって、アオのまだ見たことないカードの効力が、わたしたちを生かしてくれる。
最悪、倒せなくても逃げ切ることが出来る。
「もうすぐ!」
目的地が近いのだろう。ベリーが叫ぶ。
右左と、何度かチョトブを放った後、グリテとは違う人の声が耳に入った。知らない人間だが、もしかしたらアオがそこにいるのかもしれない。
戦闘をしているのかもしれない。なら、アオは確実に無事だろう。ロボもいるのだ。ただの凡人に負ける事は、想像できない。
狭い通路を抜けて、開けた場所に出る。グリテがいた場所よりも広く、橋のような狭い足場しかない場所に着いた。
「アオ!」
わたしは開けた視界に一度瞬きをして、そこにいるアオをみた。ロボもいる。
全員、倒れていた。
***
脇役列伝その8
アオの姉 藤木なごみ
東京のけっこういいとこ大学の大学生。地球滅亡寸前までは仕送りで一人暮らしをしていた。母の容姿と父の性格を受け継ぎ、持ち前の顔立ちと気の強さで、幼少の頃から他の女の子をいじめるくらいにリーダーシップをとっていた。家で悪いことをしても大体間の悪い誤解でアオが叱られるため、わがままでもある。
中学の頃、受験でイラついたときにアオの部屋に殴りこみ、アオの持っていた物を手当たり次第に壊した経歴がある。アオはそれに怒って報復に出たが、逆に返り討ちに合って右腕とアバラを折られるという大怪我を負ったことがある。家族間のため事件にはならなかった。そのせいかあまり反省していない。アオの事は完璧に下だと思っている。