第五十四話「こくりょく しんどう」
「あぁ!」
グリテが、最高に嫌な表情をしてその男をにらみつける。
「ジぃル! オレに歯向かう気か?」
「違う、彼は降参と言っていた。俺たちイノレードは、慈悲を請う民を選ばない」
「クソは民じゃねぇよ」
ジルと呼ばれた男は、臆することなくグリテとにらみ合っていた。
その男、精悍という言葉が相応しいイケメンで、綺麗に取り揃えられた長めのおかっぱだ。シメントリーすぎる中肉中背とその顔つきが、真面目そうな印象を与えている。
「だいたい、こいつをどうするんだよ、尋問とやらにでもかけるのかぁ? いいじゃねぇか、殺してもよ」
「……頼む」
ジルは、ただ一言それだけを願った。
グリテは一度それを鼻で笑ったあと、ジルの顔面を容赦なく殴り抜いた。
「……っ!」
辺りの兵も騒然となる。ジルは派手に転び、受け身も取れないまま地面に倒れる。
「飽きたわ」
グリテはそれで、俺に目もくれることなく立ち去っていった。
沈黙が流れる中で、兵たちの誰もがグリテの背中を意識する。睨めば攻撃される、でも、意識せずにはいられない刺々しさが、この場を作っていた。
そうして、グリテの背中が見えなくなると同時に、俺も含めた全員がほっと息をついた。
助かった、のだと思う。少なくとも、五体満足だ。
「大丈夫か君」
ジルはいつの間にか立ち上がって、俺のもとにまで近寄ってきた。
「ああ、たすか――」
「失礼」
ジルはそういうと、いきなり俺のまぶたを開いて、先程グリテにやられそうになった目をじっと睨む。顔が近い。
「……眼球に傷は付いていないみたいだな」
この男は、なんというか警戒しないのだろうか、俺がいきなり飛び掛ってきたらどうするのだ。
いや、そんなへまはしないか。この男は一見優しそうだが、ピリピリと張り詰めたような雰囲気が漂っている。あのグリテの拳も、あえて受けたのかもしれない。
「嫌な所を見せてしまったね、元々、僕達は彼に逆らえない」
「か、かまわない、だいたいわかってた」
さわやか青年というか、兵のイメージとはかけ離れたような男だな。騎士って感じだ。
「僕の名前はジル、一応僕もこの部隊の隊長だが、このざまなのであまり期待しないでほしい。君の身柄を拘束させてもらうが、名前をうかがっていいかな?」
「アオだ」
ジルは器用な手つきで持っていた縄で俺を縛り、カードケースを奪い取った。
「アオか、色みたいな名前だ」
「そのまんまだよ」
「君は僕が来ることを知っていたね。あのグリテ相手に降参をしたのも、がむしゃらとは思えなかった」
「あいつと、地位だけなら対等な奴がいるような話を直前に聞いていた。追いついてきた兵たちはグリテのことよりも、あとから来る誰かを待っている。周りの兵を見ればジル、あんたが歯止め役になってるのはすぐにわかる」
「そうか、僕を当てにしてくれたか」
頬にあざの残った顔でジルは笑い、手で兵たちに指示を出す。
兵たちは俺達を背中から取り押さえて、俺に歩くよう指示する。
「君はネッタのものだね、宿舎で尋問をさせてもらう。あまりいい扱いは保障できない」
まるでわびるような口調でジルは俺に話しかける。ここまで来るといい警官と悪い警官を疑いたくなるくらいだ。
とりあえず、今は素直に従おう。俺が貧乏くじを引く形になったが、最悪でもないだろう。女が捕虜になってしまう方がずっと気分が悪い。
*
尋問室なのだろうか、連れてこられたのは先程の駐屯地にあった一つのテントだ。両手を縛られてはいるが、逆を言えばそれだけで、椅子にも座らせてもらっている。
ものの数十分だろうか、自分の身の上や状況を説明していた。もちろん異世界とかじゃなくて、どうしてここにいるのかとか、なにをしているのだとか。
しばらくして、ジルがテントの中に入ってきた。助かった。尋問官がグリテみたいなのだったらどうしようと思ってた。
対面の椅子に座り、ジルは持ってきた資料に目を通しながら口を開く。
「最初に、君は冒険者だね、そのギルドの証を辿らせてもらったよ」
「そんなものがあるのか」
「身元確認という意味でも使われているんだ。だからこまめにギルドによってレベリングを受けたほうがいいんだよ」
ジルは紙を置き、ちょっと肩の力を抜いた。
「アオ、君の証言どおり、ただこの場所に来て巻き込まれた冒険者だという裏取りが出来たわけだ」
「助かった……」
「さて、アオ一人での冒険なら、まあ言語制限等の条件付での一時保釈なんてのも出来たんだけれど。仲間がまだネッタに残っているんだよね」
「あ、はい」
「人質にとられていることは僕にも責任がある。ここで謝らせてほしい」
ジルは席から立ち上がり、頭を下げる。
事情を話す際、ちょっと脚色して被害者面していたのが悪くなるほどの誠意だ。俺は手を振って、慌ててしまう。
「い、いや、俺だって今日だけだけど、あんたのところの兵を殺すのに加担しちまったんだ」
「彼等は兵だ。戦場にいる以上は殺されること覚悟してここにいる。ましてや今の僕達は侵略者だ。仮に敵であったとしても、人殺しを非難する気はない」
なんというか、真面目だ。ベクトルがロボに近い。
とりあえず、俺からの情報は相手も知り尽くしただろう。森だって適当に歩いたせいで、ネッタの隠れ家なんて案内できないし。
「えっと、聞いてもいいですか?」
「かまわない、君にはその権利がある」
「なんで、戦争しているんですか」
本来なら、触れるべき話題じゃないだろう。
だが今の状況は、旅をする上でかなり面倒な状況だ。俺たちはすでに巻き込まれたのだ。それに、一番美しいものを諦めるわけにもいかない。
俺程度の知識でも、何とかならないかと考えてしまう。
ジルは、ちょっと気まずそうに目をそらしてから、話し出す。
「アオは、二十年前に起きた戦争を知っているね」
「あ、はい。トーネルとマジェスですよね」
「そう、結果的に我が国が戦争の原因でもあったあれだ。この事件をきっかけに、戦後まもなくして、イノレードの政府は窮地に追われた」
「窮地、戦争に参加していないのに? やっぱり、元凶としての責任とかか?」
ジルは首を横に振る。
「トーネルもマジェスも、結果的に私たちへの非を責める事はなかった。ある程度の制限と数人の制裁くらいで、御咎め無しと言ってもいい。だが、それがいけなかった。つまり、彼等にとってイノレードそのものは、とるに足る国力を持たないと判断されていたからだ」
「……ああ、どっちにとっても弱い国として見られてたわけか」
「むしろ見せかけのパワーバランスを保つために、都合の悪いことへ対しての情報制限まで二つの国は行ってくれた。トーネルとマジェスにとってイノレードとは、一見対等に見えるが、実のところ三大国家のうちで最も下の地位にあると見せしめられた」
たしかに、そんなことになれば国の一大事だな。窮地という意味はわかる。自分の国が遅れてるなんて言われたわけだ。いざとなったら、利用されるだけの存在として扱われる。
「でも、それと今の状況がどう関係するんだ?」
「ネッタ周辺にある自然区域が、火のレアカード生成の市場八割を占めていること、そして、この地に眠るといわれる精霊の力をイノレードの領内へ入れることを考えている」
レアカードって自然から作られるのか。化石資源みたいなものなのかな。
なんにしても、国力がほしくてネッタに来たのはわかった。だが辻褄が合わない。
「だからって戦争したら他の国が黙っちゃいないだろ」
「当初の予定では、同盟を組むということで僕達が派遣された。最初こそ断られたが、まだ交渉の余地はあったと思っている。しかし、そこで事件が起きたんだ」
ジルの顔が神妙になり、こちらに少し寄る。声も小さめだ。
「使者の一人、隊長であるグリテがネッタの民に殺害と暴行を加え、自体は一変した。彼等から交戦をしかけられ、僕達はやむなく応戦せざるおえなくなった」
「まてよ、応戦って、あんた達がまるで受け身みたいな口ぶりになるぞ」
発端はどう見てもグリテだ。ホントどうしようもないんじゃないのかあいつ。
ジルは俺の凶弾にすごく苦しい顔を見せる。なんというか、理屈が無理矢理なのも理解しているのだろう。
「……すまない。僕達は、彼等に戦争を仕掛けられ、応戦した」
「普通にグリテを差し出せよ。もうどうにかなる状況じゃないけど、最初こそそれをやれば収まったじゃないか」
ちょっとだけ、俺の声が荒げる。だって嫌じゃないか。
なんであちらから攻撃してきたのに、ネッタが悪者扱いされるんだよ。知ってるぞそういうの、クラスメイトがフザケ半分に俺を殴ってきたから反撃したのに、丁度その反撃だけを教師が見て俺を怒鳴り散らされた思い出だ。
規模こそこれとは桁違いだが、こいつらの言っている事は身勝手すぎる。
ジルの態度で、ちょっとだけよりの戻ったイノレードの印象が悪化する。こいつらきらい。
「……ゴオウという、二十年前の戦争の英雄は、知っているね」
ジルはまるで懺悔でもするかのように、ぼそりと呟いた。
「ゴオウ? なんであの人の名前が」
「国力的にもマジェスに劣るはずのトーネルを支えたのは、たった一人の天才だった。龍動乱を止めたのも、魔王を封印したのも英雄だ。千の兵よりも一人の英雄の方が、国力として重宝されるんだ」
「……」
たしかに、この世界は一人の重みが大きい。ちょっと前、現にトーネルで一人の男に国家を揺るがす事件が起きたばかりだ。世間は知らなくても、俺は身に覚えがある。
「イノレードは戦後、神童に恵まれた。たった二十年の間に天才と呼ばれる人間が四人も現れたんだ。ただ一人目は狂気に走り、二人目は魔法の実験中に事故死。イノレードは恵まれながらも、そのうち二つもふいにしたんだ」
ジルはなぜか、その二人の話をしようとする口が震えていた。
「政府は今、英雄の確保に狂っている。第三の神童、グリテはまさにその典型だ。彼が何をしようと、この国に付くという約束のもと咎を隠蔽している」
「……あー」
ジルが口ごもる理由がわかった。言ってしまえば、自分の国が腐ってることを公言するみたいなものじゃないか。
「ジルさんさ」
「ジルで構わない」
「ジル、自分で言っててわかるだろうけど。やっぱりやめられないのか?」
この戦争は、もう嫌な印象しか覚えなかった。イノレードが自分の都合ばかりで話していて、まるで相手側を考えていない。
「すまない。僕達はイノレードで生まれ、それでもあの地のために戦うことを決めた人間だ」
「さっきも言ったけどさ、他の国に知られたらもうイノレードは終わりだぞ」
使者が来れば、この戦争は終わりだ。むしろ最悪の事態が待っている可能性だって、
「ならよぉ、その前にちゃっちゃと終わらせるんだよ」
突然、俺の後頭部が蹴り飛ばされた。気配は読めたが、よけたらもっと強いのがきそうだったので、敵のけりに合わせて頭を前に傾けるだけにした。それでも痛い。
「グリテ!」
ジルの言葉で、その実行犯がグリテだと気付く。なにしにきたんだよ。
「結局のところ、相手が何しようが制約を結んじまえばいいんだよ、一度決まったことを覆すほど、あいつらも暇じゃねぇさ」
「グリテ、まだ兵たちは疲弊している。ことを急げば被害が増えるばかりだ」
ジルは、強硬手段に出ようとするグリテを何とか止めようとしている。
「兵、だ?」
だが、グリテはそんなことも構わずに、俺の近くにいた兵の胸倉をつかみ上げて、ジルの隣へと叩きつけた。
「そんなの、どこにいるよ」
グリテは兵を踏みつけて、ジルを見下しながら言い放った。
「オレ一人で、十分だ」
「グリテ~はやくいこ~よ」
どこからか、先程見た遊女二人がこちらにまでやってきて、グリテに胸を押し付ける。ビッチめ。
たぶん、あの女もグリテが勝手に呼んで使っているのだろう。軍服じゃないのも、気ままな暴力も、神童だからこそ出来る贅沢だ。
自分勝手でも、それに見合う実力、あの糸の能力を生まれつき持った天才。
荒蜘蛛、いつだったかネッタの人が言っていたグリテの呼称が脳裏をよぎった。
***
朝、珍しく早起きできた。
「フラン殿、おはようございます」
「……うん」
まだちょっと眠い。
ただ、今日は二度寝するわけにはいかなった。アオが心配だったのだ。
休息はしっかりとれた、ならば、この懸念をまず解消するのが先決だ。わたしは立ち上がって、小屋から出て行く。
「フラン殿、いずこに」
「迎えに行くだけ」
ロボは律儀についてきてくれる。たぶん、寝る前にアオと何か約束をしたのだろう。
ネッタは大陸でも北側にあるはずなのに、かなり熱い。昔見たパパの資料だと、この辺り一帯に魔法的な現象が作用していると書いてあった。精霊なんかも関係しているらしい。
「アオ殿が心配なのですね、ワタシもこの思いが杞憂であると願っております」
アオは帰ってきたのだろうか、早朝に出かけたと言っていたから、この時間には戻っていてもおかしくはない。
ふと、奥のほうで人だかりが出来ているのに気づいた。この町は小さいため、何かがあればすぐに気付ける。
「何かあったのでしょうか……」
「あっ、ロボさんフランちゃんおはよっ!」
その人だかりには、ラミィがいた。わたしたちに気づくとすぐさま駆け寄って、元気に手を上げる。
「ラミィ、どうしたの?」
ラミィの事はまだ慣れないが、会話できるくらいには仲良くなれた。騒がしいのは苦手だけど、ラミィのおかげで怖いとは思わなくなった。
わたしの言葉を受け取ったラミィは、突然目をそらして、頬をかく。
「えっとね、えっと~」
「アオ殿が帰ってきたのですね」
ロボは唐突に、わたしと同じことを考える。
そうだ、この町で盛り上がる事柄といえば、悪くも戦争の話だ。しかも朝の人だかりとくれば、アオの帰還と思うべきだろう。ロボはたぶん根拠の無い勘だ。
人だかりは怖いが、心配も合わさってわたしは前に進んでいく。ロボの図体が助けになって、どんどんと中心へと近づいていった。
「……」
その中心にいたのは、あのむかつくベリーとかいう女だった。
帰ってきたばかりなのか服は汚れ、小さな傷も見え隠れする。少しだけ息が荒いが、五体満足だ。隣にいたもうひとりの女の人も目立った怪我はない。
たが、そんなことはどうてもいい。
「アオは?」
「……」
勇気を出して、ベリーに声を掛けるが、目をそらして無視をされた。
馬鹿にしている。あの時偶然わたしより立ち回れただけなのに、やけに生意気だ。わたしは背中にしょっていた大砲に手を掛けようとする。
「フラン殿」
そこで、ロボがわたしをとめる。いいたいことはわかる。でも納得がいかない。
「こいつ、わたしを無視した」
「何か訳があるのでしょう」
「違う、わたしを見下してる。また油断してたら、突然殴りかかる」
「まってまってっ! フランちゃんは急ぎすぎだよっ!」
ラミィまで止めに加わる。二人はわたしの味方をしてくれない。
だいたい、この二人は性質が似すぎているのだ。正義感が強く、感情的な面が表に出やすい。理屈よりも無駄なことばかり優先させる。
これだから――
「アオ……は、掴まった」
ベリーは突然口を開いた。
掴まった……?
「なにそれ」
「敵に見つかった。あたしたちを逃がそうとして、一人残った」
わたしはおもわず、大砲を構えた。
「火の弾!」