第五十二話「ちょうしょう がりべん」
「わかった、つ――!」
「アオ、上!」
フランの叫びのあとすぐに、攻撃の気配が上から降りてきた。
服を脱がしたあの少女だ。このまま俺を串刺しにでもしそうな勢いだ。
「水流!」
ただ今回はフランも動く。空中にいる少女は避けられずまともに水を受けるが、まるで効いていなかった。
「な、またっ!」
少女は目標を変えて、なんと水の上を走ってフランに向かった。
「土! ったく、オモシロ超人かよ!」
仮にも攻撃の魔法を、受け止めただけでなく利用までする。カードを使った痕跡もないのに、なんだこいつは。
フランは予想外の出来事に反応がついていかず、目を見開く。
俺はフランを守るために、間に入って盾を構えた。水流が止み、少女の持つ得物が甲高い音を立てて止まった。
「おまえら! 別にやる気はないがな、戦争なら四人でも――」
「いや、もうやらないわよ」
俺が臨戦状態に入ろうとしたところで、バニラの声がそれをかき消した。
「ほんと、下手糞スパイかただのおのぼりさんだと思っていたけど、案外」
「ベリー! そいつは危険だ下がれ!」
ビーンズが慌てて少女に逃げるよう促した。
ベリーと呼ばれた少女はその言葉に一度だけ視線を向けて、剣を引いた。
「危険ってどういうことだよ」
「そのまんまの意味よ、あんた、強いでしょ」
強い。こんなことば初めて言われた。ゲームですら言われたことないぞ。
ただ、たしかに俺の武器は強い。この褐色どもは、この盾を見ただけで勘付いたのか。伊達に戦争してない。
「ほんと、止めようものならあたしらだって無事じゃすまなそうだね」
「じゃあ」
「でも追い出すわけにはいかない。なおさらね」
「バニラ! おまえまさか!」
叫ぶビーンズだが、バニラは構わない。
バニラは無理矢理ビーンズとベリーを後ろに追いやって、俺たちに席を勧めた。
「仮にあんたらがスパイだとしたら、裏切る気はないか交渉する。スパイじゃないのなら、普通に使う」
なんというか、また嫌な予感がする。
「うちらの戦争に、協力してほしい」
「いやだ」
「カザンドに行きたいんじゃないの? それとも会いたい人がいる? もし協力してくれるのなら、あたしらがこの一帯で掛け合ってもいい」
「バニラ! 他はともかく、こんな腐った男を仲間にするつもりか!」
ビーンズが荒れに荒れ、反対を推し進める。
「あんたね、今の状態で戦況が何とかなると思ってるの? どうみても、あたしらが負ける」
「この腐れた男は好かん! それに、負けるわけなかろう!」
「とりあえず出て行け、ちょっとこのお兄さん達と話をするから」
バニラがすごい剣幕でビーンズに迫る。一度ビーンズは立ち向かおうとするが、
「ん」
ベリーという少女に服の袖をつかまれると、肩の力を抜いて踵を返した。
なんだあれ。
「ベリーよ、あたしの娘」
俺が見ていると、バニラが解説してくれる。だとするとビーンズの娘でもあるのか。母が八割だな。
「行くぞベリー! こんなところにいてはこちらまで腐ってしまう!」
ビーンズはベリーの手を引いて、この家から出て行こうとする。
ベリーは一度だけ、こちらをみて、
「ふふっ」
笑った。あれは人を馬鹿にする嘲笑だろう、見た感じでわかる。けどなんでだ。
「あああっ!」
そこでいきなり、フランが叫びだした。怒りで顔を真っ赤にして、拳を握り締めている。
ああ、なるほど。
あいつ、フランを笑ったのか。
*
バニラに言われるとおり、皆で大人しく机を囲む。
フランだけは、あれからそわそわと落ち着きがない。同年代に馬鹿にされるというのは初めてなのだろう。どう対応していいのかわかっていない。
「フラン、落ち着け、お前が頼りになるのは俺が一番知ってる」
「……」
フランは俺の機嫌取りもほとんど耳に入れず、ただイライラを募らせている。爆発しないだろうか。
「あんたら、もういいかい?」
バニラが咳払いして、俺たちの返答を聞かずに交渉を始めた。
「さっきも言ったとおり、あたしらはイノレードとの戦争をしている。戦況は最悪で、この一帯にいた男はもう三割削れたわ」
「白旗上げろよ、どう見ても勝てる状況じゃないだろ」
仮にも相手は三大国家のひとつだ。仮に奇跡が起きたとしても、次また攻められるはずだ。
「いや、あたしたしも馬鹿じゃない。一応マジェスとトーネルに使者を送っている。あたしらに関心のない三大国家さんだってこんな場所で略奪しているような連中を無視はしないだろ」
「……国はその使者を信じてくれるのか?」
「向かった二人はサインレアを持ってる。これだけで十分よ」
なるほど、完全に駄目ってわけじゃないのか。精霊の眷属ならそれなりに相手をしてくれるはずだろうし。
「ならさ、別の場所にしばらくの間逃げていれば」
「それは駄目だ。理由がある」
「理由か、やっぱ俺たちには話せないのか?」
「すまないね、つまりは、この戦争で敵との膠着状態を保ちつつ、犠牲を減らしてほしい」
バニラは人差し指を立てて、俺たちに見せ付ける。
「一週間、それだけの時間を稼げれば、二つの国家のうちのどっちかは動いてくれると、あたしは考えてる」
「考えてるって言われてもな」
俺はこんな戦争、関わりたくもない。
「アオくんやろう! 皆を守らないと!」
「アオ殿、義は彼女たちにあると思われます」
ロボとラミィはやけにやる気だ。正義感の強いコンビってのは厄介だよな。
だが、俺は嫌そうな顔で二人を睨んだ。
「この旅の主導は俺だぞ。悪いが、俺が逃げるって言ったらそれを協力しろ。命に関わるようなことを安受けあいするな」
「驚いた、あんたがここのリーダーかい」
「一応はそうだ。二人とも俺に従うって約束で付いてきてるんだろうが」
「し、しかしアオ殿!」
「ロボは嫌なら俺たちから離れればいい。元々そういう約束だろ」
「し、しかし!」
ロボはやけに慌ててるな。こいつは無理に俺と合わせる必要もないのに。
ラミィは予言やら奴隷やらの制約で離れられないが、まあ仕方あるまい。ラミィ自身もわかっているのか、悔しそうに唇を噛んでいる。
だいたい、俺たちはただ旅をしているだけなのだ。下手をすれば死ぬことをこいつらはわかっているのだろうか。都合よく生き残れる保障なんてどこにもないんだぞ。
ただ――
「アオ」
フランが、ふいに口を開いた。服の裾を強く握り締めて、何かを言おうとしている。
「なんだ?」
「もうちょっとだけ、ここにいたい」
フランの意外な提案だが、予想していなかったわけじゃない。納得のいかないことをどうにかしようとするのはフランの性分だ。
あの、ベリーの放った嘲笑を、根に持っている。
「そんなにむかついたのか?」
「あのこ、わたしのことを、アリみたいな目で見てた」
「アリの目は知らんが、とにかく馬鹿にしてたな」
この家でひと悶着があったとき、フランはベリーの攻撃に対処しきれなかった。ベリーはそれを、完全勝利と思っているのだろう。同年代とは、そういった対抗心が無駄に芽生えるのだ。
もちろん、フランも例外じゃない。
「お願いアオ、このままいなくなっても、逃げたみたいになる」
「……お願いか」
フランは、ラミィやロボと違って従う義理はない。俺が頼って、旅についてきたのだから。
従順になる必要はないが、無視をしてはいけない。
「アオくんって、フランちゃんの言うことならきくんだね」
「そうじゃねぇって」
ラミィは最近言葉に毒が混ざるようになったな。勘違いされても困る。
「……条件次第で、検討するかもしれないって心変わりしただけだ」
「アオ殿!」
「まて! まだ条件次第だ!」
そう言って、俺はまたバニラに視線を戻した。
「痴話は終わったかい?」
「まだだ。あんた、カザンドの事はどれくらい知ってた?」
このまま俺たちがこの村から逃げたとして、カザンドで情報を得られるとは限らない。むしろ、廃墟を見つけるだけの可能性だってある。
殺し合いはやりたくない。だがもし仮に、こいつらに協力をするのなら、意味がなければ。
「まぁ、それなりに通ってたよ、あの村での知り合いも結構いた」
バニラも慎重に言葉を選んでいるのか、歯切れが悪い。
だからその隙をついて、本音を探る。
「この世界で一番美しいものって、何だ?」
「……」
バニラの瞬きが止まる。驚きか疑問かで、膠着しているのだ。
ただ、ここで知っていると言うのはベストな答えじゃない。バニラは、ちゃんとこの疑問がわかっているのか。
「……青空より広大で、緑より穢れ無く、赤く燃えあがる気高さを持ち合わせた、現存する全ての心よりも美しいもの」
「知っているんだな」
知ったかぶりじゃ出てこない言葉を、バニラは答えた。
「俺は、それを探しにここまで来たんだ。カザンドにあるって聞いてな」
「ああ、知ってるよ、あたしらはよく知ってる」
「くれとまで言わない、できればそれを見せてほしい。それができないのなら、どんなものか教えてくれ。それが、あんたらに協力する条件だ」
バニラは俺の言葉に対して、何か悩むようなそぶりを見せる。どうしたのだろう。
ただ、数秒と経たぬうちにバニラは気合の入った掛声で席を立ち上がり。俺に手を差し伸べた。
「交渉成立ってとこね。いいわ、もし一週間ここを守ってくれるのなら、それを見せてあげる」
「破るなよ」
「当然、あたしらは約束を破らない」
俺はバニラの手を握り返し、ロボとフランが、ちょっとだけ嬉しそうにそれを見る。
*
「アオ殿なら悶着を押し通しつつも承諾すると踏んでいました」
「そういうのはやめろ」
ロボって一度色眼鏡がつくとなかなか外れないんだな。たぶん人に対する依存度が高いんじゃなかろうか。
あのバニラとの交渉から暫く。了承してからはそこまでトラブルもなく、今日はそのままこの家に寝泊りすることになった。
イノレードの軍勢も、今日は来ない。負けはしても、ビーンズの軍勢はそれなりに敵を疲弊させたらしく、まだ大人しいとバニラは予想していた。
動くのは明日からだ。今日も含めた七日間はどうにかして現状を維持する。
「でもな、今回は絶対に切迫するぞ」
「アオ殿?」
「何せ俺たちみたいなぽっと出に協力を頼むくらいだ」
たぶん、この町は前の抗戦でほとんどの戦力を失っているのだろう。
「アオくんっ、そんなに切羽詰ってないで、大丈夫って考えていかないと疲れちゃうよっ。それに、うまくいけば普通よりもずっと効率よく情報を得られるわけだし」
「わかってるよ」
ラミィは微笑み、俺の両肩に手を乗せる。楽観視をしているわけではないだろうが、そう悲観的になることもないと伝えたいのだろう。
「でもな、ラミィ」
「しばらくはみんなと一緒の部屋だねっ!」
そういうところで嬉しそうにされるとちょっとへこむ。一週間はお預けってことだよな。
「あっ! そういうわけじゃないからねっ!」
「もういい、覚えてろよ」
「……アオ、ちょっと外行きたい」
フランは何か目的があるのだろうか、しきりに俺の服の袖を引っ張る。たぶんベリー関連のことだろうけど。
「今日はもうねるんだ」
「まだ、早い」
「明日な、敵の戦力を視察に行けって言われたんだよ。俺一人で」
バニラはあえて、俺一人を視察組にまわした。他は駄目らしい。
いわば、バニラにとってこの三人は担保なのだ。裏切れば三人に危害が及ぶ。こいつらは掴まるようなへまはしないだろうが、完全に無事でいられる保障はない。
「外に行きたいのならロボにでも頼めばいい」
「じゃあいい、明日にする。アオだってすぐに帰ってくるんでしょ?」
「そうだな、早朝にいってすぐ帰るから」
「なら、アオと一緒にする」
フランはそう言って、バニラが用意した布団をかぶる。もう寝るつもりだ。
「ロボ、鼻の通りはいいか?」
「しかと。敵意が来ようものなら夢うつつも覚めましょう」
ロボは鼻がいい。そしてやたら気配に敏感だ。たとえば、深夜にフランが小声で話しかけてもすぐに目覚める。おかんみたいな奴だ。
「安心してっ! 私も夜は強いんだからっ」
「朝も強いけどな」
フランもその類だ。人の声や行動に敏感なのが二人もそろえば、奇襲はそこまで警戒しなくてもいい。
「一応、ワタシは外を巡回してみます。有用な情報を得られるやもしれません」
「あっ、私もロボさんと一緒に行くね!」
そういってロボとラミィは躊躇いもなく外に出る。アウトドアだよな。
あの二人ってどんな関係なんだろう。あんま話しているところ見たことないけど、立場が一緒な分仲がいいのかも。
「すー」
俺と一緒の立場であるフランは、俺と同じくひきこもって就寝だ。
なんにしても、明日は大変そうだな。あのベリーに会おうとするなんて。
フランにとって、たぶんベリーとの相性は悪い。
あの見るからに感情的なベリーは、フランの理屈など聞きもしないだろう。勝つためには、文字通りの勝利を得るしかない。
衝突は必死だ。不良とがり勉の間で会話など成立しない。フランはその辺をまだわかっちゃいない。
「何にしても明日だ」
今後どうなるのか、戦争もフランもわからない。
ならもう、寝るしかあるまい。なるようにしかならないのだ。人事を尽くす。
そう思いつつ、俺はフランから一番近い布団を選び、就寝する。
*