第五話「みこみ ほっとけーき」
朝、この家の誰よりも早く目覚める。
でもたぶん、日本時間にして午前十時はすぎているはずだ。皆朝に弱い。
俺は毛布をどかして、背伸びをする。
いるのは召喚されたときの小部屋。家具も何もないが、博士がなけなしの布団と、おさがりの服を持ってきてくれた。
俺にはぴったりだけど、じじいの服にしては小さいよなこれ。
部屋を出て、キッチンに向かう。栄養汁のために作られた、栄養汁のように生活観の少ない場所だ。掃除はどうしているのだろう。
とにかく、作業に取り掛かろう。
俺がフランに取り入るために、料理をする。
とはいえ、俺のような人間が美味い料理を作れるかといえば否だ。母親にまかせっきりで、家事を手伝うなんて本当に年に数回ある程度だろう。
それでも、俺には一つだけできる料理がある。
休日、外にも出ない。外に出ようとしない俺が、何かおいしいおやつを食べようとする。でも両親は冷蔵庫には何も残してくれない。
俺は、家にいつでもあるもので、かつ簡単に作って食べられるものを探す発想に至った。
外は怖いから仕方ないね。
そんな都合のいいものがあるのか、あるのだ。
それが、ホットケーキだ。
卵砂糖バター牛乳薄力粉ベーキングパウダー。普通はホットケーキミックス使うけど、元々ある素材は家に大体ある。
順番とか分量があるが、とりあえず混ぜて焼けば出来上がる。
この世界にホットケーキミックスはないだろう。だから食材から作る。
中学のころ、親が何を思ったのかホットケーキミックスまで買わなくなったので、負けまいと食材から作った思い出が役に立った。
とにかく、焦がさなきゃ誰でも作れる。本当に簡単に作れる。
「焦げ臭いの」
博士がキッチンにやってきた。朝飯の準備をしにきたのだろう。
バニラエッセンスがないため香りはただ焦げ臭い。香りだけの苦い食材など買うつもりがないのだろう。あれば色々役に立ったのに。
「あ、おはようございます」
俺は博士に挨拶をする。博士の後ろに、フランの存在を見つけた。
だいたい博士の近くにいるんだな。まあ俺と一人で会いたくないのかもしれないが。
「食べます?」
「いらん」
おい! ここは一口くらい食べろよ。
俺の計画が早速瓦解しそうだ。
「いや、そういわず一口だけ」
「まずそうじゃな、焦げ臭いの」
「お願いします! なんでもしますから食べてください!」
人に食わせてやるのにこうもせねばならないのか。
「しゃあないの、一口だけじゃぞ」
「食べる必要ないわよ」
ぼそりと、フランが呟く。
たぶん、フランに言ってもバニラエッセンスのないこれを食べるとは思えない。
だから一度、拒食ジュースじじいに味見をさせる必要があるのだ。
味覚センスが普通であることを祈る。というか嘘でもおいしいと言ってくれ!
博士は一切れだけちぎってから、口の中で何度かかみ締めて、飲み込む。
次の一切れを掴む。
「いや、ちょっと待ってください!」
「なんじゃ」
「味の感想を言ってください!」
そうこう言っているうちに、もう一口を博士が食べた。
無言で、ちょびちょびと一口を何回にも分けて食べている。
「まあ、いいんじゃないのかの」
なんとも消極的な博士の言葉。
いや、おいしいのだろう。そうでなければ、ここまで食べない。
ただ肝心のフランは、
「じー」
凄い興味を示している!
あのフランが、口を開けたまま博士の掴むホットケーキの一切れを目で追っていた。
これはいける。作戦成功や。
とりあえず皿に残しておいた出来立てのホットケーキを見せて。
「ほら、フランも食べてみてくれよ。おいしいぞ」
とりあえず、渡す。ここで出すのを渋っては駄目だ。まだ利益を得るタイミングじゃない。
「……」
フランは、黙ってそのホットケーキを見つめた。フルフルと体が震えている。何か心の中で葛藤があるのだろう。
彼女が出した答えは、
「てぃ!」
「うぉお!」
俺の手を払うことだった。
そして空中に飛んだホットケーキをキャッチして、部屋の隅に移動。
「はむはむ」
フランはそこでしゃがみこみ一口、次からはリスのように小さな口を何度も動かして、ちょっとずつホットケーキを口に入れていた。
「アオ、皿は弁償じゃぞ」
「いや、俺やってませんよ」
「何でもしますっていったじゃろが」
「……それ、有効なの一回だけですからね」
博士とフランは、何の感想もなしに、一心不乱に味のみを楽しみ、食べ続ける。
料理すればいいのに。でもしなかったからこその手柄だ。第一段階は突破した。
割れた皿を拾いながら、思わずガッツポーズを決めた。
*
敵は腹だ。俺の腹を狙う。
それが解ったのだから、もう腹を守る以外にないだろう。服の下に紙と鉄板を仕込んで、昨日より強くなったつもりの自分。
「ぐぺぇ!」
しょせん付け焼刃というものである。
チョトブと出会ってから暫く、この手あの手で戦い続けてはいるがもう限界だ。
フランは昨日と同じで、時たまこちらを見るだけで何もしない。
「なあ、フラン」
「……」
話しかける。チョトブがいるので、フランを見ることは出来ない。
「その、背中についた大砲、格好いいよな」
フランからの返事はない。俺が一方的に話しかけているだけだ。
できる限り攻撃頻度を抑えるため、敵の射程範囲から外れようとする。
「俺も、それがあれば魔法が出来るのかな」
「……無理よ」
あ、返事がきばぶろぉ!
おなかはやめて、ホットケーキが。
「この魔砲はあたしの魔法管が大きすぎるから、パパが威力の調整しやすいようにって設計図を作ってくれたの」
「ああ、なるほど」
物じゃなくて、設計図な辺りが博士らしい。
フランの背中にあるバズーカのような筒は、時折魔法を飛ばしては、俺かチョトブに当てている。百発百中なのは凄いが、どういう仕組みなのだろう。
「ということは、フランは調整が苦手なのか?」
「……うるさい」
あ、怒られた。
これ以上はまずいと思い、チョトブに集中する。
「欠点を補うのは、何も腕だけじゃないのよ」
フランがぼそりと呟く。そろそろいいだろう。
俺は、腹の前に剣を構え、野球で言うバントの体制をとる。
チョトブはそこに何も考えずに突っ込み、頭を切る。
俺の体へは、腹に仕込んだ紙を切り落とし、鉄板に食い込んでて止まった。
「ふぅ」
「なにやってるの!」
「大丈夫、でもこれ一回しか出来ないんだよな」
フランが驚愕の表情でこちらに近づく。そりゃ腹に剣を食い込ませたから、驚きはするだろう。
剣によって冷え切った鉄と、仕込んだ紙を腹から取り出して捨てる。中世的には貴重な紙だが、この世界には沢山ある不思議。いや、この家だからたくさんあったりするのか。
「まあ、とりあえず休憩してもいいか? ちょっと疲れたんだ」
「……勝手にすれば」
フランは新しいチョトブのカードを広い。手近にあった、倒れた丸太に腰掛ける。
俺はわざとその隣に腰掛けて、
「な――」
「おやつだ」
フランがいやがる顔を見せる前に、話題を提供する。
俺は地面においておいたリュックの中を漁り、紙に包まれたホットケーキを取り出した。
「なにそれ」
フランは、興味深そうな目でこちらを見ながらも、嫌そうな顔がまだ残る。
そんな顔をしていられるのも、今のうちだけだ。
「やっぱ、ホットケーキにはこれだよな」
「!?」
リュックからホットケーキのほかにもう一つ、ハチミツを取り出した。
フランがかなり興味を持っている。たしか、ハチミツは好物だったよな。
俺がわざとらしく、よく見えるようにハチミツをホットケーキの上に垂らした。
「ホットケーキの表面を流れるハチミツが、聖地の上を流れる黄金水のように輝いている。この楽園にも似たハーモニーはホットケーキとハチミツでしか表現できない」
たっぷりハチミツのついたホットケーキをゆっくりと口に含む。
フランはその様子を、瞬きも忘れて見つめていた。
「んん~おいしい!」
「ごくり」
釣れた。これはいける。
好物のハチミツに、今日食べたばかりで印象の強いホットケーキが合わさったのだ。彼女にとって、これ以上のコンボはないだろう。
どんな味か、かなり気になっているはずだ。
俺は本当においしいので、おいしそうな顔を全開に一口ずつ食べる。
「ね、ねぇ」
来た。
たぶん、これが初めて俺に、好意的に話しかけてくれた言葉だろう。
「ん、どうした?」
「それ、おいしいの?」
「ああ、おいしい。ホットケーキが三倍くらいおいしくなる」
遠まわしだが、意図は伝わってくる。
だが、フランの口から言わせなければならない。
俺はとどめといわんばかりに、持ってきたもう一つのホットケーキを取り出して、ハチミツを目の前でかけてみせる。
フランの目は、とてつもないほどにキラキラしていた。
「あ、あの」
「なんだ」
「そ、それ……わたしにもわけて」
「ああ、いいよ」
フランなりに、この台詞はかなり勇気がいるだろう。
嫌いな、下手をすれば見下していた相手に、おこぼれを預かろうとするのだ。
俺はもちろん拒否しない。
クラス皆で食べていたクッキーを、俺に渡す時だけ渋い顔をする女の子を思い出す。あの目を見たときの、俺の悲しみを味あわせるわけにはいかぬ。
これは互いの譲歩だ。認め合う精神を、遠まわしに確立したのだ。
「ほら、落とすなよ」
俺が手渡しをする。
フランは、ちゃんと素直に受け取った。
仮にフランが「なんで分けてくれないの?」とか言い出したら、目の前で全部食ってやるつもりだった。
うん、フランは思っていたよりも、人を認める柔軟さがある。
「おいしいだろ」
「……そうね」
夢中になって食べているところを見ていると、ちょっと和んだ。ガキ4少女3幼女3くらいのだろうか。
*
休憩も終わり、ちょっと探索すると、遠くにチョトブを見つけた。
よし、こっからが重要だ、タイミングを計って問いたださねば。
「ねぇ」
そう思っていると、フランが話しかけてきた。
「なんだ?」
「ちょっとこっち」
フランがちょいちょいと手招きをするので、俺はそのまま従う。
見ると、フランの手には石ころが置いてあった。もう片方の手には……チョトブのカード!
俺は思わず仰け反る。
「うぉおぃ!」
「大丈夫よ、当てたりしないから。見て」
本当だろうか。
とりあえず、疑うのも悪いので見ることにする。何かあるのだろうか。
暫くの間じっとみていると、なんだろう、ちょっとちかちかしてきた。
「目を逸らさない」
「はい、すみません」
真剣な声音だったので、つい謝ってしまった。
いやいや、余計なことを考えちゃ駄目だ。とりあえず見る。チカチカが若干だが強くなってきた。目が疲れる。
「すこしだけ、瞬きしないで」
「おう……まぶし!」
突如目がくらむ。時々見えていた光が、一層強くなったのだ。
「目がぁああっ!」
「濁った目を掃除したわ」
畜生、信じた俺が馬鹿だったぜ。目潰ししやがった!
目を擦りながら、恨みの視線をフランに送ろうとして、
「ん、あり?」
開いた視界の中に、何か違和感のようなものを見つけた。
フランの手に持つ石が、光の線を辿って俺の左目にたどり着く。
「これは」
「魔力の流れ。わたしが無理矢理送り込んだから今ははっきりと見えるだろうけど、本当は感じる程度にしかわからない。魔法は、その人の意識が表層に出てくるの」
「つまり?」
「……魔力をもった生き物相手なら、その予備動作がちょっとだけわかるの」
理解力の良くない俺に、仕方無しと説明してくれる。
つまりこれは、気配が読めるとかそういう感じなのか。
「わたしに、剣を向けて見て」
「あ、ああ。水の剣……こうか?」
「何かわからない?」
「あ、なんかがフランに向かっている気がする」
魔法じゃなくても、意識から来る大体の予備動作がわかるのか。便利やな。
もしかしてこれ、昨日言ってた博士の、敵を捉える方法ってやつじゃないのか。
「本当は、強化チョトブと一時間くらい戦っていればよめるのよ。あなたは察しが悪すぎるから、無理矢理あけた」
「さいですか」
察しが悪いといわれても、俺のせいじゃないよ。
ただ、話から察するにこれはチョトブにも有効という事だ。
俺がどうやってフランから聞き出そうと考えている間に、彼女から教えてくれるとは。
「よっしゃ! これからはどんどん狩っていこうじゃないか!」
これが出来れば、あの早いチョトブ相手にも全然立ち向かえる!
まだ二日目だが、このミッションはもう終りっぽいぜよ。
俺は意気揚々と、遠くにいたチョトブに近づく。俺とチョトブがにらみ合っていると、
「コンボ! チョトブチョトブチョトブチョトブ!」
「え?」
チョトブに対して、計四枚のカードがコンボとして発射される。
そう思った次の瞬間には、俺の腹にとてつもない一撃が。
*