第四十六話「たたかい りくつ」
「あれ、ラミィはどうしました?」
「スカート買いに行きました」
病院の、やけに広い中庭でゴオウは待ち構えていた。
あのへんなマスクも外して、口調も元通り、人払いも済ませてあるようだ。
「あのマスク、もうしないんですか?」
「ちょっと、この歳には堪えます。もうちょっと私が若ければ、あの姿のまま奉公できたのですが」
「いえ、今のほうがいいです」
若い頃は無茶やったんだろうな。
ゴオウは気軽に肩をほぐしながら、体の調子を見ている。
「なんにしても、ラミィがいないのなら好都合です。ミライ、黙ってみていてくださいね」
「はーい」
「ではアオくん、カードケースから水のカードを使用してください」
本当にどうなってるんだこのおっさん。なんで水のカード持っているの知ってるんだ。
疑問に思うことばかりだが、とりあえず言われたとおりにする。
「水」
代わり映えのしない氷の剣が出来る。
そのあと、ゴオウは俺に軽く手を差し伸べて、
「貸して下さい」
「え……はい」
俺の氷の剣を受け取った。
いやまて、どうなっている。俺の魔法は他人が触れたところで何の意味もないんだぞ、氷の剣はあのロボですら使用を試みれば体が凍り、土の盾は俺が手を離せばただの鉄の塊になるのだ。
ゴオウは受け取った氷の剣を素手で軽々と振るってみせる。
「うん、思っていたよりいい剣ですね」
「ども」
「修行メニューはこれにしましょう。この剣を使って、私との手合わせです」
剣に触れた事は意外だったが、やることは案外まともだ。ちょっと一安心。
「剣術を教えてくれるとかですか?」
「いえ、元より私は格闘家です。ラミィと同じ流派ですから、ちょっとくらいしかわかりませんよ。それに、剣の稽古ならこれじゃなくてもよいでしょう」
ゴオウは、氷の剣を両手に持って、力をこめる。なにをしているんだ。
「やるのは、魔法への理解です」
ぱきっと、氷の剣が縦に割れた。
え、え!
「な、なにしてるんだゴオウさんよ!」
「なにって、剣は二つないと稽古にならないでしょう」
「え、えええぇ!」
見ると、二つに割れた剣が、パキパキと音を立てて形を変え始めた。しばらくたつと、いつも見たことのある剣が二振り、ゴオウの手に作られていた。
「なんだよそれ、パピコかよ……」
「氷の剣の能力ですよ、こうやって二つに分けることも出来る」
「俺、そんなの知らないんですけど」
「なんで、剣に触っても大丈夫なの?」
フランがもう興味心身でこちらに近づいてきた。気になることが多いのだろう。俺にだってわかる。
「私の能力です」
「あんたの能力ってなんだよ……」
「秘密です、ちなみに、この剣が割れるのも、その秘密が教えてくれました。実を言うとあなたは、この氷の剣ですら、半分の力も出していないのですよ」
「……」
何か怪しい、すっごく怪しい。
何故能力を隠す必要があるんだ。あのラミィだってバンバン見せてたのに。
「はいはい! でははじめましょう!」
俺の疑問をうやむやにするかのように、ゴオウが攻撃の気配を滾らせた。とっさに、剣を前に構えて、防御の体制をとる。
「なっ、なにするんですか!」
「手合わせしましょうといったでしょう」
それにしてもいきなりすぎる。まるで俺の考えうぉおおお!
ゴオウは格闘家とは思えないほどの滑らかな体躯で剣を蛇のように操る。どれも対応できないわけではないが、一杯一杯だ。
「アオくん、君は能力の向上のために来ているのですから、まずそちらに集中してください」
「……」
「この二つに分ける力は、別に私だからできるというわけではありませんよ。元々氷の剣に備わっていた能力です」
つば競り合いになっても、ゴオウの持った氷の剣は俺の元へ帰らない。牙を剥き、氷同士の削れる音が響く。
「君は、戦いには何が必要だかわかりますか?」
「知る気もない!」
がむしゃらに、ゴオウの剣を弾く。
ゴオウはその威力をそのままに剣を回し、一回転したままこちらへと攻撃してくる。
「いちおう答えてくれないと困りますねぇ」
ゴオウの苦笑いと、横なぎが、俺の剣にぶち当たる。
嫌な音を立てて、俺のほうの剣が、ひびを作った。
「な、なんでだよ、同じ剣だろ!」
「違いますよ」
ゴオウが見せびらかすように、ゴオウの剣を見せ付ける。
ゴオウの持っていたものは、剣というよりも、より細く鋭くなった、日本刀のような形状をした氷の刀だった。
「ではもう一回、戦いに必要なのは?」
「わかりません!」
「うん、正直に言いましたね。不正解ですが。いいでしょう、答えは、理屈です」
「理屈!」
なんだよそれ、普通達人って本能とかそういうのが一番って言わないか。
ゴオウは氷の刀の形状を更に別のものにする。より細長く、しならせて、鞭のような動きをはじめた。
「はい、理屈です。勘や本能とは基本的に、知識の延長線上にあると、私は考えています」
鞭を振り回し、幾度となく攻撃の気配を体に掠めるも、辛うじて受け凌いでいる。
「たとえば、火が危険だという本能は、基本的に火は熱いという学習をするからこそ産まれる感情なのです。本能のままに動く赤ん坊は、火の怖さを感じ取ることが出来きず、勝手に触ったりしますよね」
ゴオウが一度、大きく振りかぶった。その溜めを感じた次の瞬間には、気配の雨みたいな物が俺の周りに充満した。
「本能と勘は、自ら与えられた知識の簡略的な処理機能の事を指します。理屈とは、自ら与えられた知識を汲み取り、考え、より最適な結果を生み出すためのプロセスです。故に本能は理屈よりも素早く動けますが、結果的に穴が生まれます。大慌てで整理した本棚は、綺麗に並びません」
ゴオウが一振りすると、小さな氷の粒が霰のように降り注ぎ、俺の体にかすり傷を作る。体は凍らないが、たぶんゴオウが手加減をしているからだ。
「最終的に本能だけを極めたところで、限界が見えてきてしまうのです。鍛えたところで、体の中にある百の知識のうちの半分を活用できるかと言ったところでしょうか。ベテランほど勘に頼りがちですが、それは強さとは言えません」
ああ、聞いたことある。
たしか、飛行機パイロットで墜落する奴の大体は、計器を見ないで勘で進めた奴ばかりだそうだ。
「理屈は、その持ちえる百の力のうち、九十を活用しようとします。鍛えれば、その処理演算を最適化し、より早く行うことが出来る」
「本能よりは……」
そこでやっと、俺は口を開くだけの間ができる。息切れが激しい。まだ一分も戦ってないというのにだ。
「本能よりも、速くなれるのか? あんたの理屈じゃ、速くなれないんじゃないのか」
「先程も言ったでしょう。本能や勘は、知識の延長線上だと、本能と勘、知識を組み合わせた力が、理屈に行き着くのです。なにも、相手より早く行動する必要はありません」
ただ、その息切れを逆に利用される。俺が隙を突いて体力を回復しようとすれば、ゴオウはそこに付け込んでまた剣を振り回す。休憩するような間があるのに、行動に移したとたん、相手は攻撃を仕掛けてくる。
もうちょっと上手く戦えば何とかなりそうな気がするのに、どうやっても上手くいかない。
「戦いにおいての決め手は、手数や力ではなく、相手を出し抜くしたたかさです」
目が慣れてきたと思ったら、全く違う気配を放ち。こっちが逆に攻めようとすれば、あと一歩のところで決まらない。
わざとやっている。ゴオウは、あえてあと一歩までの道のりを示して、突き放してはを繰り返していたのだ。
最終的に、俺の疲労がピークに達して、剣をこぼした。
ゴオウは手を止めて、俺が剣を拾うのを待っている。
俺は剣を拾う前に、一度口を開いた。
「ひとつ、いいか?」
「なんでしょう?」
「本能が戦いにむかないって話、いまいち信用できない」
俺が見てきた格闘技なんかは、大体とっさの力とか、野生の本能なんかが勝ったりすることが多い。
だいたい、じゃあ理屈人間の俺はなんで弱いんだ。
「では問題です。私が、あなたの敵だった場合、どう対処しますか?」
「……あんたが剣を持った時点で逃げる」
「正解です。今ちゃんと考えて結論を出しましたね。勝ち目がないなりに、あなたの勝利を定義しています」
ゴオウは息一つ乱さず、あまつさえこちらにそっぽを向いて話し始める。
「逆に、本能はその点では信用できません。もちろん、ちゃんと逃げる人もいますが、勝利の定義を倒すことだけと勘違いし、ただ向かってくる人もいます。どっちの結論を出すのかわからず、結局は運任せな部分が多い」
「……運は嫌いだ」
いつだってジャンケンに勝てない俺は……じゃんけん。そういえばあれも、咄嗟に本能で選ぶ競技だったな。特殊な技術や知恵がない限り、あれでずっと勝つなんて不可能だ。
「だいたい、本能を鍛えれば誰にでも勝てるのなら、この世界の頂点は犬かクマです。人が今強くあるのは、牙を抜き、その牙で剣を作るからです」
「なんとなく、いいたいことはわかりました」
理屈を極めきったものが地球にもあったな、核とか。
「それで、俺に何を伝えたいんですか」
「アオくんは、理屈でよく考える割に、咄嗟になると思考を放棄しますね」
「……なんとなく」
放棄するというより、結局どうしていいのかわからなくなって、がむしゃらになるのだ。
考えすぎるから、結局は何も出来ない。
「思考放棄は逃げです。本能に基いた行動も、真の最適な考えを出そうとすることから逃げていると言ってもいい。考え続けなさい。あなたの思考は、何も戦闘中だけに行われるものではありません」
にっこりと、ゴオウは笑って、立ち上がらない俺を、ずっと待っている。
ここからどう行動するのか、俺が考え。その対処を、ゴオウは考え続けているのだ。
戦っていない時だろうと、対戦相手の対策を考え続けること、スポーツ選手なら誰だってやることだ。
今できる事はなんだ、氷の剣は不思議と解くことができない。説く必要もない、剣でやればいい。ゴオウに勝つために必要なのは、ゴオウに一本くれてやることじゃない。
俺の氷の剣が、不思議と冷気を帯びる。このまま振りきれば――
「はい、今日はここで終わりにしましょう」
振りきれば……。
ゴオウが、剣から手を離す、氷の剣は空気に霧散して、散っていった。
「おおっと、今考えるのをやめようとしましたね、それではいけませんよ、あと魔法も解かないことです。体力を消耗しないのなら、その状態を維持し続けることも訓練になります」
ゴオウは背中を向けて、俺から離れようと歩き出した。
どうしてだろうか、すこしだけ、ムカッときたからかもしれない。
俺はそのまま、振りかぶって氷の剣を振るう。すると、地面から巨大な氷塊が飛び出して、辺り一体を氷で埋め尽くそうとする。
その奔流は、ゴオウの前に来たところで……とまった。
「いま、考えを放棄しましたね、駄目ですよ」
ゴオウは何をしたわけでもないのに、氷はせき止められた。想像の中では、もっと広がるはずだった氷の森が、ほとんど広がらずに散っていく。
「結構難しいことなのですよ、でも、いつだって出来ることです。頑張ってください」
ゴオウは人差し指を立てて忠告すると、機嫌良さそうにスキップでどこかへ去っていった。
肩の力が抜けきらない中、訓練は終わってしまった。
「ままなりませんな、つかみどころがない」
ロボは俺のもとに近寄りながら、なんとも困り顔で口を開く。
「まあ、難しいけど当たり前で、誰でも出来ることだ」
考え続けること。人間が生物の頂点に立てたその長所を鍛えろと言っていたんだ。
持てる身体能力を今更鍛えても、最終的にロボより強くはなれないだろう。
あまり乗り気ではなかったが、案外ためになった。
今ある魔法を強くする、俺でも出来る方法だった。
*
あのあと、ラミィがなかなか帰ってこないので、迎えに行くことにした。もう日は暮れはじめ、早くしないと夜になってしまう。まだ宿も決めていないのに。
ロボとフランも一緒に、チリョウの商店を周る。すれ違っても病院にいるゴオウが知らせてくれるだろう。
「スカートって、どこで売ってるんだ?」
「それは服屋か仕立屋でしょう」
ファンタジーの服屋ってどんなところなんだか想像できない。別に地球と変わりないだろうけど、試着室っていつ産まれたものなのだろうか。
「それにしてもアオ殿、まだ続けるおつもりですか?」
「まあ、一応」
ロボの視線が、俺の左手に映る。そこにあるのは、出したままの氷の剣だ。
「なんといえばいいか、未だに気分が抜けないんだよ。それもあのおっちゃんの考えかもしれないけど」
「わたしはかまいませんが、いささか物騒です」
「もうちょっとで、何かが思いつきそうなんだ」
「アオ殿のようなお方が武器を持っていらっしゃると、治安が悪くなります」
「正論だけどさ、傷つくんだが」
ロボは魔法を納めない俺を見て、次にフランを見る。
フランは俺たちのちょっと後ろについてきているが、ずっと下を見たまま、歩きが左右にふらふらと揺れる。
「アオ殿、フラン殿への影響も考慮してください」
「……ん、ああ」
「なにかいった?」
フランが、自分の名前を呼ばれて初めて顔を上げる。その小さな両手には、カードを持っていた。
「フラン殿、カードとの睨めっこは構いませんが、ちゃんと前を見て歩いてください」
「ん」
生返事で、結局また視線をカードに戻す。
「わたしも、考えてみる。カードの力は、知識や感情と深くかかわりがあるってパパも言ってた」
俺を真似て、フランはカードのことで考え込むようになっていたのだ。
たしかに、風のハープみたいに理解できた瞬間にわかる能力もある。そういった意味では有意義な行動なのだが、フランは一度決めると場所を選ばない。
「アオ殿、場所を考えてください」
「俺はこれでも控えめな方だぞ」
そういって、手に持った氷の剣を掲げて見る。
見ると、氷の剣はいつの間にか氷の短剣とも呼べるくらいにまで縮小し、手に収まっている。あのゴオウがやって見せたように、形状を変えられるようになってきたのだ。
まあ、へんな言い方をするとナイフを常に隠し持っている男に見えたりもするけど。
「戦闘以外でも、発動しているだけで結構変るものなんだな」
「むっ、アオはずるい」
フランは常時発動できる能力が無いため、カードとの睨めっこである。
「なんでもやっておいて損はないだろ」
こんな考えにまで至るとは、地球にいた頃にはなかったであろうことだ。
ただ、フランの不安定さは確かに心配だ。服の袖でもつかんでおくか。
「ん、こっち」
すると、フランは自ら片方の手を開けて、俺に手を繋ぐよう指示する。
ああ、最初の頃に比べて、本当に仲良くなったものだ。フランもフランで、何かが変っているのだろう。
「仲のいいことで」
ロボも溜息をつきながら、結局止めることを諦めてくれる。優しい犬や。
ふと、そんなときだ、この街の教会だろうか、大きな鐘が鳴り響いた。教会が近いのか、やけに耳障りなその音に目を細めて、耳を塞ぐ。
「なんだよこれ、帰りのチャイムみたいなもんか」
夜更けの合図か何かかもしれない。地球にもあった習慣だな、あっちはカラスの歌だけど。
思い出すなあ、親は普段俺にほとんど無関心なのに、この時間に帰らないと怒り出すんだよな。せめて鳴ったら三十分くらいまでに帰るくらいの門限でもいいのに。
餓鬼の頃は、真っ先に帰るのりの悪い男とも呼ばれていたのを思い出す。
そんな俺にとって、チャイムとは区切りでもあり、タイムリミットだ。家に帰りそびれれば、自分の居場所の安全が保障できない。
もっぱら、今はそうでも――
「ロボ、どうした?」
ふと、ロボを見上げると、目を見開いた状態のまま固まっていた。かすかに開く口から、漏れるように声が聞こえる。
「……ジャンヌ」
「え」