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第三十八話「きぼう ひとごろし」

 ルツボ? 今ルツボって言ったよな。

 攻撃の気配が、うねるように部屋全体に流れ込んできた。そして実際に、魔力の泥みたいなものが、イェーガーの体から噴出した。


「あ……ラミィさ――」

「サンバル!」


 イェーガーの傍にいたサンバルは、真っ先にその泥に飲まれた。残った左手はラミィのもとに伸ばされている。

 ラミィはその手を取り、サンバルの左手だけが泥から外れた。


「……!」


 ラミィが驚きに目を見開く、サンバルの左手だけが、ラミィと手を繋いでいる。


「おい、起きろ! ラミィ逃げろ!」


 呆然としているラミィに活を入れるが、届かない。

 間一髪、駆けつけたロボがラミィを抱えて飛んでいった。他の兵たちも、一斉に散る。縛られた奴隷商人や、それをあえて助けようとした兵士たちは、泥に飲み込まれる。


 見ると、気絶した王様もその中に巻き込まれていた。


「あ、アオ!」

「俺たちも逃げるぞ!」


 俺はラミィの手を引いて、一目散にイェーガーの泥から離れる。


「なんだよこれ」


 一歩引いた視線で見るその魔法は、恐ろしく強大で、不可解だった。

 吹き出た泥は人間を巻き込み、今はもう部屋の半分を埋め尽くしている。限界の大きさまで膨れ上がったのか、これ以上泥が伸びてくることはない。


「自爆魔法かよ、人を巻き込みやがって」

「……違う」


 フランが、俺の推測を否定する。

 次にまた、泥が収束を始めたのだ。段々と液体から固体へ変わり、筋肉のようなものを形成する。

 そうして出来上がったのは、泥色の巨人だった。丸い体から液体をしたらせて、四本の長い腕が生える。


「たたりがみじゃねぇか!」

「あれが、ルツボ……」


 ルツボが、動いた。攻撃の気配を横一線に、なぎ払いをした。


「フラン!」

「チョトブ!」


 俺がフランを抱えて、フランがチョトブを唱える。俺たちは咄嗟の判断で上空へ飛び、ギリギリのところでルツボのなぎ払いを飛び越えた。

 ただ、兵の数人が反応に遅れ、攻撃を受けてしまう。吹き飛ばされることもなく、腕の泥に飲まれていった。

 ルツボは人を取り込み、取り込むたびに大きく、強大な魔力を俺たちに示し続けた。


「フラン、距離をとるぞ!」

「うん」

「アオ殿、無事でしたか!」


 二人で更にルツボから離れると、ロボが、ラミィを抱えてこちらにまで飛んできた。

 ラミィは唖然としたまま動くことなく、何もない手を見つめていた。


「サンバルが……お父様が!」

「ラミィ殿、落ち着いてください!」


 ロボが必死になだめようとしているが、それどころではないようだ。

 動揺している人間に落ち着けはあまり意味を成さない。こういうときに必要なのは、


「しゃあない」


 俺は一度、風の弦を引き、波紋を飛ばす。すると意識の中に、この部屋の状況が図面のように分解される。

 風のハープがもたらした、ソナーの機能だ。潜水艦にも入ったことの無い俺でも、反響する音を読み取って、内部構造の隅々を把握できる。

 見るのは、ルツボの内部だ。


「泥に飲み込まれた人間は、まだ生きているな」

「……アオくん! それは!」

「嘘じゃない。魔法を使ったイェーガー自身を中心において、周りの人間を魔力の供給タンクに変えているんだ。ルツボはたぶん、近くにある魔力源を片っ端から集めて、あの怪物を作るものだろ」

「アオ、それってすごく危ない」


 フランが、いつも以上に深刻な顔をしている。冷や汗を流し、震える眼でルツボを見ていた。


「危ないって?」

「この世界に、魔力のない物質なんて、存在しない」


 フランが指差す先には、あれだけの戦闘でも傷一つつかなかった下水道の壁が、ルツボによって溶け始めたのだ。

 このまま放っておけば、取り返しのつかないことになる。


「……逃げるか?」

「このまま逃げたら、取り返しがつかない」

「それだけじゃないな、この国の構造からして、下水道中が溶かされたら、上が崩れる」


 ドッカベを崩す魔法なんて今までなかったのだろう。あったとしても、この国を崩すほどの量は発動できない。国っていうだけの大きさはあるし、ドッカベはかなり強固らしい。下水道全部を溶かさない限りは崩壊しないだろう。

 ルツボは、その二つの条件を満たしてしまっている。


「アオ殿」

「わかってるよ、さすがに、見捨てたら後味が悪そうだ」


 考えるしかない。今あるカードの中で、何が一番あいつを倒せるのか。


「フラン、人に比べてドッカベの吸収が遅いのはどうしてだ?」

「……元々、ドッカベは魔法の干渉を一切受けない。だからたぶん、その反発作用があるんだと思う」

「フラン、火の魔法だ」

「うん……火の弾!」


 フランの火の魔法は、簡単にルツボへと命中する。が、ちょっと表面を燃やしただけで、ほとんど傷はない。


「アオ殿、先程、ワタシもあの体に摂関を試みましたが、あの吸収率は許容外です」

「触ったのかよ、よく大丈夫だったな」


 ロボの右腕の銀毛が、少しだけ痛んでいた。少しずつ再生しているが、あのロボの体毛ですら喰らうのか。

 干渉できないわけじゃない。だが、吸収率が異常なのだ。

 氷の剣じゃ、中の人の安全は保障できない。ならば、必要なのは一人だ。


「アオくん、みんながまた無事って、本当?」


 相変わらず、立ち直りの早いことだ。ラミィの瞳が、また輝きだした。

 俺はちょっとだけラミィから目をそらして、頬をかいた。


「ああ、まだ、助けられる。それには、ラミィの力、その燃費のよさが、今は必要だ」

「うんっ! なんでもするよ!」


 試すのは一回だけ、もしこれで駄目なら、氷の剣を使うしかない。おちおちしていたら、手に負えなくなる。



 ルツボが、更なる魔力を求めてうごめき出した。あの部屋で手に入る魔力が、少なくなったのだろう。


「突貫だぁ!」


 俺は風のソナーを使い、もう一度辺りの状況を確認、逃げずに留まっている兵はまだいる。


「私たちは王様救出に乗り出します! 動ける人は、遠くから魔法で援護してください! 私たちに当てないよう注意してください! ではいきます、風の変身っ!」


 ラミィの大声が、部屋中に響き渡る。


「火の力!」

「水の矢!」


 兵たちは、すぐさま行動を開始した。俺もそれに続いて、前に出て行く。

 一番前にいたラミィに、ルツボが気づいた。右前足を起用にうねらせて、斜めに振り落とす。


「こぉおおっ!」


 ラミィの両腕に集まった風が、それを弾く。だがすぐに、もう一撃がラミィを追撃する。


「アオくん!」

「わかってる!」


 俺は風のハープを弾き、ラミィに風を集める。この空間を圧縮するように、外からどんどん風を引き寄せていった。

 ラミィの右手が、ルツボの追撃を弾き飛ばした。


「よしっ!」


 効いている。ラミィの攻撃は吸収されながらも、そのまま強引に風を飛ばしていける。

 削るように、段々とその体を抉り、内部を取り出そうとする。要であるイェーガーを何とかすれば、この魔法は収まるはずなんだ。


『どうしてか、わからんねぇ』


 そんな中で、イェーガーの声が響いた。水中から発せられる音波のように高く、耳鳴りのように聞こえた。


『やっぱり平和がいいのか? そんなあんただって、退屈が嫌で、そんなことをはじめた口じゃないのか?』

「……」


 ラミィは一心不乱に攻撃を続けつつも、いちいちイェーガーの言葉に体を震わせる。


『結局は、同じなんだよ』

「同じじゃねぇよ。あんたは、人殺しだ。ラミィとは、その辺が根本から違う」

「アオくん、ありがと」


 ラミィは目を瞑り、風を強く感じる。ルツボが攻撃するよりも先に、風が、吹きぬけた。

 両腕をクロスさせて、収束した風をいっぺんに解き放つ。その風を、まるで職人芸のように編み上げて、俺の示したイェーガーのいる場所をこじ開けていった。


 イェーガーの姿は、泥を抜けて、目の前に現れた。


「私はっ、誰かに笑顔になってほしくてっ! この場所にいるんだから!」


 ラミィの手が、イェーガーの体をつかむ。無理矢理引き抜くようにして、泥の外へと飛ばした。

 残りは、ラミィだ。


「フラン!」

「コンボ、火、ブットブ!」


 そのまま体を保護するようにして、ブットブを放つ。

 まだ残っていたルツボはラミィを捉えようと目論むが、火に阻まれ、


「ラミィ殿!」


 ロボがキャッチしたところで、ルツボは力尽きる。

 コンセントを抜かれた扇風機のように、少しずつ動きを止めて、最終的には形を保てなくなっていき、溶けていった。


「へっ、あっさりやられちまうもんだねぇ」


 俺たちがそれを見ている横で、イェーガーが呟く。


「やっぱオレじゃあ、その程度か」


 もう、イェーガーからは攻撃の気配どころか、首から下が死んだように動いていなかった。そこかしこが生気を失い、ただ顔だけが、薄ら寒いほどに微笑み続けていた。


「お前が弱いんじゃなくて、ラミィがおかしいんだよ」


 仮にも王族だ。専用の魔法陣まで作られたあの体と、でたらめな俺の魔法が合わさって初めて勝てたんだ。


「兄ちゃん、勝てたとか、思ってる?」

「……」


 その実感を崩すように、イェーガーが呟いた。


「どういうこと?」


 ラミィが、ロボに担がれてここまで戻ってくる。両腕は戦いの反動もあってか、傷だらけだ。


「オレを倒して、ハッピーエンドというわけには、いかねぇのよ」


 イェーガーの視線は、崩れたルツボに向けられる。泥が蒸発し、吸収されていた人間が姿を見せる。

 彼等はまるで、死んだように肌を白くして、動くこともない。

 俺も含めて、この場にいた四人の表情が凍りついた。


「ルツボは別に、取り込んだ人間を燃料タンクにするわけじゃねぇ、しっかり融合して、その体の一部になる」


 イェーガーは俺たちの反応が予想通りだったのか、どこか楽しそうに囁いた。


「本体が死んだら、そりゃ、臓器も死ぬでしょ。まあ後十分くらいはもつんじゃねぇかな」


 一番最悪な、目をそらしていた事態が発生した。

 いわば結合双生児だ。体のくっついた双子の片方が死んでしまうと、もう片方も死んだ臓器に引きづられて死んでしまう。


 あの中にいたのは何人かの非公式奴隷商人と兵隊と、サンバルと、王様。

 全員が、死んでしま――


「イェーガー! この外道が!」


 ロボが、激昂して胸倉を掴む。だがすぐに、そのイェーガーの体の異常も察した。


「もちろん、オレも例外じゃない。だけどさ、オレは希望をゼロにはしないのさ」

「……パアットのカードだな」

「兄ちゃんは察しがよくて嫌いだなぁ」

「それはどこ! あなたのケースなの!」


 ラミィは慌てて、動きの悪い両腕でイェーガーのケースを漁る。ばら撒いたカードの中から一枚、俺の知らないカードを掴んだ。たぶんあれが、パアットだ。


「さて、問題です。それで何人救えるでしょう」

「……」

「選ぶのは君だ、ラミィくん。これは、君があのとき、サンバルへの攻撃を躊躇った結果であり、オレ生涯最後の指名さ」


 ラミィは振り返り、ルツボから現れた人たちを見つめた。

 兵隊たちは苦しみにうごめきながら、言うことの聞かない体で必死にもがいている。奴隷商人たちにいたっては、助けてくれと懇願する声まであった。


 王様も、その中にいる。ただ何が起きたのか理解できず、力の無い目で、この地獄絵図を眺めていた。

 イェーガーの言動は、この状況の責任を、ラミィ一人に背負わせようとしていた。


「ラミィ……さん、助け、て」

「サンバル!」


 そこには、サンバルの姿もある。

 ラミィは叫んで、周りを見て、目をそらしては何度もパアットのカードを見つめる。


「サンバル君はね、オレがレジスタンスの資金援助をしていることを知っていたんだ。だから、囚われるのを嫌った。オレが掴まっちゃったら、あの小屋は壊滅だもんなぁ」

「……あんたが、足長おじさんかよ」

「嘘よ、なんで、なんでっ!」

「趣味にお金をかけるのは、誰だって一緒だろう」


 この状況に追い討ちをかけるような、イェーガーの真実だ。

 誰も傷つけたくない。そんなラミィの真摯な思いとは裏腹に、事態は最悪の方向へと導かれていく。選択を、強いられる。


「さて、どうする? 助けられるのは何人かな? 君が選んで、残りは君が殺すんだ」

「あ、ああああっ!」

「君は選ばなきゃいけない。選べないのなら、すべてが終わる。理屈で考えれば、助ける奴なんて一人だろう。君の、個人的な! 感情でいったらさぁ」

「いや、いやぁああっ!」


 ラミィは、疲労以上に、精神的な瓦解が体を震わせる。涙を流して、今にも折れてしまいそうだ。

 ロボも、この場で何が正しいのか、わからない。事の顛末に介入も出来ずに、血が出るほど拳を握り締める。


「……アオ?」


 そんな中で、フランは俺が何をするかわかっていたのかもしれない。

 俺はただ、ラミィの手から、パアットのカードを掠め取った。


「……アオ……くん」


 ラミィは涙を拭う暇もなく、俺がカードを奪ったと気付くのも遅い。

 俺はすかさず、王様の元へ近づき、手を当てて、


「パアット」


 カードを発動した。

 魔法の力は俺にではなく、触れていた王様に行くよう意識する。すると、王様の体は光に包まれて、生気を取り戻していった。


「たすけ、て」


 そこかしこで、俺に向かって助けを請う声が連なる。

 だが、俺の手に、パアットのカードはなかった。


「フラン、パアットのカードは、この国にまだあるか?」

「……あっても、この人たちには使わないと思う」

「……だよな、ロボ、王様をたのむ」


 王様を抱えて、ロボたちの元、安全圏まで引き摺っていく。

 ゆっくりと、時間を数える。もう十数秒経っただろうか。

 次に俺は、イェーガーの体を持ち上げて、


「あ~あ、しらけちまった」

「よく、言われるよ」


 泥の周りに、放り投げる。


「水」


 よし、苦痛はない。氷の剣は滞りなく発動する。

 切っ先をそのまま、泥へと向けて、その空間を片っ端から凍らせた。

 選ばなかった全員を、俺は殺したのだ。


「た、たすけ――」


 偶然目が合ったサンバルの声を、俺はしっかり聞いていた。

 俺が、殺した。正統性はあっても、今までとは違う。殺してはいけない人間を、俺は殺したんだ。


「……なんだよ、これっ!」


 部屋の入口から、新手の叫び声が聞こえた。


「なんだよこれ!」


 アバレだ。たぶん、ゴーグルの言葉につられて、ここまできたのだろう。怪我人の癖に、こういうところは義理堅い。


「サンバル!」


 アバレは、足を引き摺りながら、見知った顔へと駆け寄った。

 氷で真っ白に凍結したサンバルに向かって手を伸ばす。それがきっかけになって、危ういバランスで形を保っていた氷の森が、砕け散った。

 アバレは、震える手で残った氷の結晶を手に乗せる。次に、俺を見た。


「……お前だな」

「ああ」


 否定しない。たとえそれまでの過程がどうであれ、直接手を下したのは自分だ。

 アバレは激昂し、歯を食いしばる。


「なんで殺した!」

「致命傷だった、それ以外になかった」

「馬鹿言うな! なんですぐ諦めるんだよ! まだ助かったかもしれないじゃねぇか!」


 アバレは俺の胸倉をつかんで、叫び続けた。


「おまえは、その希望すら壊したんだぞ!」


 たしかに、まだ彼等は生きていた。苦しみながらも、死にたくないと言っていた。

 奇跡でも起きない限りは助からなかったが、奇跡が起きるかもという希望があった。

 今更だが、イェーガーのやり口を思い出してしまう。


「なんかいえよ!」

「……すまんな」

「このっ!」

「アバレっ!」


 ラミィが叫んだ。

 だがもう、アバレは拳を振りかぶり、止めるつもりはないようだ。

 俺も、避けるつもりは更々なかった。


「人殺しが!」


 脳を揺さぶるような衝撃が、体に響いた。


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