第二十四話「れきし くろれきし」
「えっと、まずこの世界には龍がいました」
馬車に揺られながら、フラン先生に歴史を習う。
歴史って、子供の頃からあんまり好きじゃないんだよな。何の役にも立たないってイメージが強くて。
日本史教師に、文字として歴史を伝える人間ばかりだからだろう。歴史を物語として伝える教師は数少ない。
「最初が龍なのか?」
「そう。発祥は龍自身もわかってなくて、ぽんと生まれたと思っていい。パパが言うには、宇宙から飛来したって話もある」
原子と単細胞を通り越していきなり龍が現れたのか。
がたごとと揺れる馬車にケツを痛めながら、フランの話は続く。
「龍は精神と力、ともに完全だった。だから争いも起きなくて、そのせいでどんどん数を減らしていった。進化をしない生命は成長しないから。そして龍は少しずつ体に欠点を作り、いろんな生命に枝分かれした。そうして、知能を強く残した人間が、産まれたの」
「じゃあ、もう龍はいないのか?」
「いる。本当に数は少ないけど。有名なのは、空にいる金と銀の龍。あの二体は龍の中でも特異体だったらしくて、互いの更なる進化を求めて、空で今も戦っているの」
月みたいなあれか、あのサイズって事は、かなりでかいよな。いや、それも含めて特異体なのか。
「だから、人の歴史は龍がほとんど知ってる」
「ああ、なるほど、それで歴史だけは長く解明されているわけな」
「人の次に、精霊が生まれて、悪い精霊が魔王を名乗って戦争を起こしたのが、人魔聖戦。人類は何世紀も魔王に家畜として生かされていたのを、地の精霊たちみたいな、人に味方をする精霊が解放した。魔王は封印されているの」
「封印?」
「精霊は本質的には死なない。この世界に使命を持って顕現し、その使命を遵守し続ける生命らしいの」
使命って事は、何か産まれたときに目的を定められるのか。
つか、人間の方が先に現れたのか。精霊なんていうから龍と同じくらいかと思ってた。
「解放された後、精霊を崇める考えを持った人が作った国が、イノレード。崇めるのではなく、ともに生きることを望んだのがトーネル。ただ純粋に、自らの発展を目的としたのがマジェス。他にもいろんな国が生まれたけど、この三つが一番強く成長した」
「三大国家だな、知ってる」
「あとは、龍が人類を滅ぼそうと考えて起こった、龍動乱。二十年前に技術と自然との衝突で起こった、トーネルとマジェスの戦争が主な出来事ね。どっちも和解して終わったの」
フランが顎に人差し指を乗せて、他に言うべきことがないかを探す。フランが何かを思い出すときの動作だ。
馬車が止まる。客間で同席していた門番が先に出て、なにやら馬主と話している。
「とりあえず、世界全体を含む大きな出来事はこれくらい。あとは、国の中でおきた細かいことになる」
「それはいいや、多国籍って言えば知らなくても通るし」
門番が、外から手招きをする。出ていいようだ。
「ありがとうなフラン。また何かわからないことがあったら、教えてくれ」
「うん、頼って」
まず俺が降りて、次にフランが転ばないよう手を引いてやる。
二人が上層の床を踏みしめてから、辺りの景色を見渡す。
「雲が」
まずそこは、若干の雲が掛かっていた。あの馬車でどうやってこんな高さにまで昇ったんだろう。
フランが、トコトコと勝手に歩き回って、近くにあった手摺に触れる。
「アオ、来て!」
俺は呼ばれるままにフランのもとに歩み寄り、足がすくんだ。
「マピュピチュかよ」
柵一個隔てた先には、トーネルの中層、下層が広がっていた。
街の家々が豆粒のように小さく、不規則に並んでいる。雲が晴れていれば、地平線すら見えていたのかもしれない。ポートタワーから覗く、トーネルの国みたいな感じだ。
「すごい……すごい!」
フランが、純粋にこの景色に感動していた。
ああ思い出す。見学でゴミ焼却場の煙突を昇り、丁度露天風呂が近くあったおかげで必死になってそこにばかり目を向けていた汚らわしい自分を。
「アオ殿」
ふと、後ろから声がかかる。この仰々しい口ぶりは、ロボだ。
「ロボか」
「お待たせして申し訳ない。そして床選びまでワタシが扇動してしまい、申し開きもない」
「かまわねぇよ、そもそも床すら選んじゃいなかった」
こちらに歩み寄るロボの姿は、いつものぼろマントじゃない。ちょっと綺麗な装飾を飾った、赤マントだ。趣味わりぃ。
「何だその格好」
「ああ、これですか、やはり王との謁見には犬とて相応の礼儀がある。首輪一つじゃ目のやり場にも困るらしい。懸念せずとも、アオ殿から頂いたマントは丁重に補完されている。野暮に扱う気は毛頭ない」
「べつに、ぼろいと思ったら新しいのかってやるよ」
ロボは着心地悪そうに、赤マントを指でつまむ。
フランは、ものめずらしそうに赤マントを素手でつかみ、引っ張ったりしてる。防御力でも調べているのだろうか。
「とりあえず、アオ殿とフラン殿は城に入ってみてはいかがか。上層は一つの城の中に居住区から何までを用意してある」
「城一つが上層ってことか」
「野蛮な従来も今は許してくれよう。存分に宿をとらせてもらおうではありませんか」
ロボがマントを翻して、城の入口に向かっていく。俺もそれに付いていった。
フランは、俺たちが歩くのを見たら、いつの間にか隣でひょこひょこ歩いていた。静かなところがあるから、できるだけ目を離さないようにしないと。
大きな音を立てて、城の扉が開いた。裏門じゃなく正門から入れた辺り、眷属は本当に偉いんだな。
城の中は中世そのまんまの、無駄に広い廊下とか部屋の入口とか、素材のわからない飾り付けがそこかしこにある家だ。俺みたいなのが歩いたら価値が下がりそう。
「精霊ってこの国には他にもいるんだろ? えらく贔屓されてるな」
「ワタシも聞いてはいるが、まだ会っていない。そこまで人に会うという事はしないし、下層に潜むと聞く」
「上層にいないって、精霊の扱いはどうしたんだよ」
「元より、歓迎の儀を嫌うものが多い。ワタシもその限りではないのだが、どうも押されてしまい」
「すごい、ひろいよアオ、あれなんだろ」
フランは初めて見る豪邸に心躍らせているが、俺たちから離れるのがいやらしい。袖をあっちこっちに引っ張って、俺を誘導しようとしている。
俺がその指示どおりに動いてやると、ちょっとだけ表情が和らいで可愛いです。
「アオ殿、こちらだ」
ロボは俺たちのペースに合わせて、歩いては止まってを繰り返す。豪邸とかにあんまり興味がないのな、俺たちがおのぼりさんなだけかもしれないが。
年齢及び身の上不詳だし、ロボはもしかしたら何回か王宮行ったことあるのかも。
すれ違う人間のほとんどが、裕福そうというか、穏やかな外面でロボに挨拶してくれる。やっぱ王族はどの世界でも笑顔なんだな。
俺もいるけど、無視される。たぶんロボへの挨拶でいっしょくたになったんだろ。
「これはこれは……恐れ入ります」
「こちらこそ、作法には痛み入るばかりです」
死に掛けの爺さんなんて、ロボを見てはお祈りしている。
「ロボさ、地の精霊がかなり古い精霊だって知ってたか?」
「存じている。ただ、この国で地の精霊はまた別の意味で敬愛されていると聞くが」
「別の意味?」
「なんでも、古風なジンクスがあるらしい。地の精霊の眷属がこの国に来る時、近いうち世界に変革をもたらすと」
「変革って、それはまた大げさだな」
ジンクスか、あながち無下にできるものじゃないけど、蔑ろにすると後悔するやつだ。
ただ、妄信すればこの扱いも頷ける。特にじじいがそれを信じている辺り、そうなんだろう。
「二十年前にも、地の眷属がこの国に訪れたそうだ。龍動乱の時も、地の眷属はこの国で王族との邂逅を果たしたという」
「歴史の証人になれるわけか」
「なにそれ」
フランは、胡散臭そうに眉をひそめる。理屈もない出来事は信じられないのだろう。
ただ、多くの人が信じていれば、それは根拠に繋がる。集団心理は時に真実まで変えてしまうのだ。
「にしてもあれだな、王族って結構いるんだな」
「ほとんどが分家と聞く、宗家……つまり国王の直系になると、国王本人と、子である兄と妹の二人だけになるそうだ。妾を持たず、今もなき母に愛を誓っているらしい」
「へぇ、俺には無理だな」
少なくとも、一ヶ月ごとに好きなキャラクターをころころ変える自分には無理だ。
「なんで無理なの?」
「そりゃ、ずっと覚えていることなんて出来ないからさ」
「わたしは、パパのこと今でもずっと好き。アオはそうじゃないの?」
「またそれとは違うんだ」
「アオ殿、静かに」
ロボが突然、足を止めて佇まいを直した。
「先ほど申し上げた、直系の方が見える」
「え、まじで」
この広い城の中で会えるのか。そういう身分って、夜は部屋に篭りっきりだと思ってた。
「アオ殿を迎える少し前に邂逅したから間違いない。国王の娘、ラミディスブルグ・ウル・トーネル様だ」
ただっ広い廊下の向こうで、つかつかと足音がする。ロボは目がいいから、あんなとこにいる人間の顔もわかるのか。
「穏やかで礼儀正しく、わがまま一つ言わない。素晴らしいお方だと評判だ。元々体が弱いらしく、日の内はほとんど部屋に篭り、誰も入れないのだそうだ」
「箱入りお嬢様か」
わがまま一つ言わない、こういうのは隠れてとんでもない事していると言うのが基本だったりするが、俺には関係ないな。
素直にいい人と思えない辺り、自身の性格がうかがえる。
まあいい。先に挨拶しないと、後々禍根を残すようじゃ駄目だ。見た目の印象は悪くても、自分を下に見せればそこまで攻撃はすまい。
相手がこちらに気付くよりも先に、頭を下げる。
「アオ」
フランはそんなことお構い無しに、俺の袖を引っ張る。
「なんだ、頭を下げないとマナーが」
「そうじゃない」
フランが、恐れ多くも姫様を指差している。やばいって、そういうの一番とらぶるの原因なんだから。
俺は慌ててフランの前に立ち、姫から隠すように前に出……ああ!
姫様は一度にっこりした後、そのままの表情で固まった。
「姫君、先程は失礼いたしました」
「……」
「どうかなされましたか?」
「あっ、いえいえっ! こんばんは初めまして、初にお目にかかることを……えっと」
姫様が目をそらして、冷や汗を掻いている。完全に取り繕おうとしている。
それをフランが、盛大にぶちまける。
「アオ、あれラミィよ」
ドレスで着飾った姫様は、ウェーブの掛かった長髪に、利発そうな顔が覗いている。透き通った瞳が、まるで宝石のようにピカピカと輝いている。彼女の容姿そのものが、人を引き付けるようなカリスマ性を持っていた。
キラキラ輝くその瞳、クイーンサイズな胸、まごうことなきラミィだ。
*
「ちょっと来てくださるかしら」
「おいま」
「ちょっとキテクダサルカシラ」
ちょっと引き攣った笑顔で、ラミィが俺をどこかに連れて行こうとする。
「アオ殿、いったいどんな粗相を」
「なにもしてねぇよ、ちょっとは飼い主を信じろ」
この犬、俺が悪いみたいな疑いをかけてやがる。いつも思うけど、なんで人は長い信頼よりも、出会った疑いを優先するんだ。
「キテ、クダサルカシラ」
「……わかった」
怖いよ。
ほら、フランだって俺の後ろから出てこなくなっちゃったじゃないか。
もう腹を括るしかない。とにかく話を聞こう。
「ロボ、お前も来るか?」
「許しがあるのでしたら」
「じゃあ来い」
「待ってくださるかしら、これはアオく……さんとのお話なので、できれば眷属様は」
「俺とこいつは、仲間だ」
犬には一応事情を教えておくべきだ。いらぬ誤解を招くのは昼ドラで十分なんだよ。
「そうですか、仲間に隠し事は出来ませんわね」
ラミィが目を瞑り、何かを決意するように目を見開く。
「よろしいでしょう。ついてきてください」
大きく身を翻し、早足で歩き始める。
俺たちは黙ってあとをつけた。右に三回左に三回廊下を曲がり、次に階段上った…あたりで道順がわからなくなる。要するに、どんどん城の奥へ、上へと連れて行かれる。
「アオ、大丈夫かな?」
「わからん、口封じに消されたり……まてまて、大砲を構えるな、王様に銃を向ければ反逆者って言われてもいいわけできん。ただ空気のように、彼女についていくんだ」
「なにそれ」
極力、疑われる行動は避けるべきだ。人間とは、集団にいると上でも下でも飛び出れば目立つものだ。空気は下でありながら、できるだけ誰の目にも留められないようにするスタイル。
そんなことを考えていれば、いつの間にかラミィはある扉の前で立ち止まった。
「ここよ」
「ここ?」
「アオ殿……ここは、姫君の部屋だ」
「入ってくださるかしら」
ロボが説明してくれる。まじか。
犬とサイコショッカーがいるため、間違っても色っぽい展開でないことはわかる。もしかして、個人的に始末とかしないだろうな。
部屋の中に入ると、とんでもなく広く豪華な空間が広がっていた。この世界ではあまり見たことのないクローゼット。化粧をするための机には、人一人が入りきるほどの鏡が立て掛けてある。鏡を隠すカーテンもやけに赤っぽく豪勢だ。
一人部屋をもらえなかった俺にとって、女性の部屋というのはあまり珍しくも無い。ただそれでも、この部屋からは上品さといい匂いがすることがわかった。うちの部屋は臭かったからな。
がちゃりと、俺たちが入ったと同時に、ラミィが鍵をかけた。
ロボがちょっとだけ、警戒する。
「一体、どういうおつもりで――」
「はぁああっ……なんでいるのよぉおおおおおおおおおっ!」
びりびりと、ラミィの痺れるほど大きな声が部屋の中に響いた。これ隣の部屋に聞こえるんじゃないのか。
「うそ、ほんとうになんでっ! 確かに顔を見られたのは迂闊だったけど、よりにもよって顔を見たあなた達がっ! その日の内にっ!」
「俺だって驚きだよ、シルフィードラミィさん」
「うわぁああああああっ!」
ラミィが頭を抱えて、大きなベッドにダイブした。なんか左右にころころしてる。
「なんでっ! 失礼だけど、上層に来るなんて思ってもいなかったのにっ!」
「本音が出てるな」
「アオ殿、これは一体どういう了見なのだ」
ロボは明らかに困惑している。そうだろう、あれだけおしとやかだったラミィが、これだけ元気に悶々としているのだから。
「まあ元気出せや、条件次第では黙っていてやるからさ」
「アオってたまに現金よね」
フランは、近くにあった小物を手で弄びながら、興味なさそうに呟く。
「嘘よ、一体私に何をする気っ!」
「いや、一国を敵に回したくないからさ、とりあえず現金がほしい」
「あなたそれでも人なの!」
「なんで俺が悪みたいになってるんだよ。隠し事をするシルフィードさんが悪いんだろ」
「ううっ……ううっ!」
ラミィはちょっとだけ涙目になって、俺から逃げようとする。まだ何もしてないのに。
「ごめんなさい! 私が使える現金なんてたかが知れているの。王宮と言っても、ただ家にいられるだけの女だからっ! お茶っ葉だけなら趣味で一杯あるよっ!」
「あれ、あの小屋に寄付してたのって、王族のあんたじゃないのか?」
あんな無償の善意をする奴なんて、勘違いガールのラミィだからと合点が言ったんだが。
「あれは私じゃないわ。本当にどこかの貴族が、名乗ることもなしに子供たちに寄付してくれている貴重なお金よ……もしかして、それに手を出せとか言うのっ!」
「外道ね」
「フランが最近俺の味方してくれない」
ロボの情操教育の賜物だな。
ラミィが、頭に嫌な汗を掻いている。心なしか顔が青い。
「ったく……冗談だよ。今のところ金に困っちゃいないからな」
俺は頭を掻きながら、ネタばらしをする。というか、なんで皆俺の言うことを本気にするんだよ。そんなことしたら悪人だろうが。
「冗談でありましたか」
ロボまでほっと一息ついているし。
「は、はぁあああっ……」
ラミィの体から力が抜ける。ちょっとだけ胸が揺れて俺も抜ける。
「つかさ、なんで隠れてあんなことやってるんだ?」
とりあえず事情を聞こう、話はそれからだ。
*