第二話「ちえ ちから」
「話を整理するとじゃ、君はこことは違う、魔法すらない国からやってきたというわけかの」
何を言い出すのかと、思われただろうか。
まず俺は、この国の常識を知らない、別の国の人間だと言った。
異世界という発想は、俺が地球にいたからこそでできたものだ。もしかすれば、そういう概念を持たない可能性だってある。
なんだか、自分が嫌なほど落ち着いている。
本来なら、俺はパニックでも起こして暴れだすのだろうか。パニックならここに来る前に怪物で体験してしまった。
でもそんなものじゃないのか。創作で散々異世界への理解を刷り込まれた人間だ。
自分でも、反応に可愛げがないと思う。
「そんな国、まだあるのかのう……」
博士は、やはり信じられないという風に俺を見る。
どうやら、魔法というものは、この国にとって常識的な概念なのだろう。日本における電気のようなものだ。
「まあよくわからんが、よし! わしが責任を持って君を元の国に帰してやるかのう」
「あ、いえ」
「ん、帰りたくないのか? 色々と準備は必要じゃが、やり方次第では半月もあれば逆の術式が完成できるのにのう」
元の世界に帰る。
今はちょっと、その選択肢は避けたかった。帰ったところで、あの化け物がいる。
下手をすれば、俺以外の人類が滅亡している可能性だってある。
「帰るのはまだいいです」
「そうか、ならどうするのじゃ?」
「それは……」
どうするといわれても。
帰りたくないのはやまやまだが、だからと言ってこの世界で何をすればいいのか。
『あっちの世界で、一番美しいものを手に入れてきてくれ』
思い出すたびに、なんだか頭が痛くなる。もうあの出来事は思い出したくなかった。
あの怪物が言っていたように、この世で一番綺麗なものを探す気はない。
そう考えて、一つの結論を出す。
「とりあえず、この世界で飢え死にしない程度に、生きていきたいです」
「そうか、ならわしらが呼んだ責任もあるし、しばらくはここにいるといい。飯くらいは食わせてやる」
「あ、ありがとうございます」
よかった。知らない国で路頭に迷うなんてシャレにならない。
言葉が通じても、ここが魔法の世界である以上、何があっても不思議じゃない。
「じゃ、詳しい話は明日にしよう。とりあえず寝るかの。もう夜も遅いじゃろ」
「夜って」
そういえば、怪物が来た時、俺は寝る前だったんだよな、こっちも丁度そんな時間なのか。
爺さんはあくびをして、この部屋から出て行く。
終始無言だったフランも、それにてけてけと付いていった。
俺も、追いかけようとして、
「あれ、動けない。なんだこれ」
見えない壁にぶつかった。
足元を見ると、俺を召喚した魔法陣か何かがほんのりと光っている。その周囲を見えない壁が覆っているのだ。
つまり、でられない。
「あっ、待って、置いていかないでくれ! 俺でられないの!」
少し慌てて、大声でドアの向こうへと叫ぶ。
「お~い!」
ただ、一度消えた姿は戻ることなく、俺はこの狭い円陣から動けない。
これは……忘れられた。いや、誰かがドジを踏んだのか。
そこまで深刻じゃないけど、この堅い床で寝るのは嫌だ。
「まじか……」
「……」
「ん!」
そんなときだ、ドアの向こうから気配がした。
というよりか、ちょっとだけドアに隙間が出来ていて、そこから誰かが覗き込んでいる。
あれは、フランだ。ちょっと可愛い少女のフランや。
「フラン……ちゃん?」
刺激しないように、囁きかける。
おどおどとした小動物のようなフランを逃がさないように、俺をここから出してもらえるように。
相手の反応を待つ。
フランは上から下まで俺のことをまじまじと見つめてから、眉をひそめてつぶやいた。
「魔法のない国から来たの……?」
「あ、ああ、そうだが」
笑顔で返事をする。
あ、やばい、俺の笑顔は、他人からちょっと気持ち悪いって言われるから逆効果だ。
「えっと、フラ――」
「嘘つき」
うそ、つき?
そんな言葉が、フランから放たれた。一瞬聞き間違いかと思った。
「あ、え!」
「ひゃ! 嘘つきが喋った!」
だがその二言目で、確信した。
あいつ、クソガキだ!
いや女はクソガキであってるのか? よくわからん!
俺がムカッと来ているうちに、フランはそそくさと逃げていった。
俺はなんともいえないもどかしさを感じながら、夜を明かす。
*
床にくちづけしたまま、魔法陣のみの部屋で一夜を過ごした。
翌朝、と言っても昼ごろになってやっと二人はこの部屋に来た。遅すぎる。朝は低血圧なのかもしれない。
ちなみに、トイレに行く気にはならなかった。たぶん、ここに来る前に怪物のせいでちびったからだ。怪我の功名なのか。
そういえば、服はそのままなのに、濡れてなかったのはどうしてだろう。
「おはようじゃな、たしか、アオくんじゃったか」
「藤木あおです」
「そうじゃったな、いいにくいからアオでいいかの?」
博士はあくびをしながら、ゆびをひょいひょいと軽快に動かす。
すると、魔法陣からすっと光が消えた。ためしに俺が手をかざすと、壁が消えている。
出られた。なんかそれだけでちょっと感動した。
「火、風、水、土……光と闇はおしゃかじゃな」
博士は魔法陣の隅においてあった紙を拾い集めて、なにやら溜息をついている。
俺は博士の横からその紙を覗き込むが、変な絵が描いてあるだけでよくわからない。
「あの、お腹すいたんですけど」
見ているだけなのもつまらないので、ちょっと口を挟む。
「ああ、そうじゃったな、朝ごはん」
博士はそういうと、ポケットから何か試験管に似たビンを取り出して、
「ほい」
それを渡す。
なにこれ。
変な液体入りのビンだ。
「カロリー凝縮栄養汁じゃ」
「もしかしてこの世界って、こんな食べ物が主流なんですか?」
「栄養取れればなんぼじゃろ。吐く不安もない。料理はディスアドバンテージじゃな」
「ディスアドって」
いや、そういうのじゃないでしょ。あと、日本語常用句で英語もありなのか。
とはいえ、来てそうそう文句もいえないので、ためしに飲み込んでみる。うん、味はちょっと甘い。思っていたよりも噛み応えがあって、すぐにお腹が膨れる。確かにべんりっちゃ便利だ。
俺がお腹を撫でていると、博士も俺と同じように試験管ジュースを飲み干し、ガムのように噛んでいる。
もしかして、この世界にいる間は暫くこれで過ごさなければならないのだろうか。
食に一抹の不安がよぎる。
「贅沢野郎……」
ぼそりと、ドアの隙間から声がした。
俺がさっと振り向くと、さささっと素早い動作でフランが物陰に隠れた。
あのアマ。
「贅沢は大切じゃぞ。人は楽と贅沢がなければ進化など必要ないのじゃからな」
「普通の食べ物ください」
「贅沢は自分で作れ。楽したいわしには無理じゃ。汁なら用意しちゃる」
そこはかとなくフランをたしなめ、俺の要望を論破された。
まあ、料理はいつか自分で作ればいいか。食材くらいはもらえるだろうし。
ふと、博士がこちらとカードを見比べたのち、カードを差し出してくる。
「カード、いるかの?」
「もらえるんですか」
一応受け取っておく。
カードは四枚。裏には暗い背景に丸い紋章みたいな絵で統一され、表は枠内に絵が描かれている。
適当に目を通すが、よくわからん。違いは表の絵くらいか。お母ちゃんに言っても間違えて買ってきそうな微妙な違いだ。
「これ、なんですか?」
「カードじゃよ」
「いや、カードなのはわかりますけど」
「そのカードが、この世界で魔法を使う道具なんじゃ」
「カードが、魔法になるんですか?」
「カードが魔法なんじゃよ」
そういうと、博士はポケットからまた別のカードを取り出した。
表の絵をこちらに見せ付けるように掲げてくれる。絵は、なにやらウサギに似ている。
「チョトブ」
博士が囁く。超飛ぶ?
次の瞬間、カードが光って砕けた。欠片は蒸発するように、空気へ溶けていく。
今度は、もう片方の手で弄んでいた試験管が輝き始めて、飛んだ。
「はえ?」
試験管が、ぴょんと軽快に飛んだのだ。
目視できないほどの速さで飛び回り、気づいたときには、壁にぶつかって試験管が砕け散っていた。
「どうじゃ、どうじゃ?」
博士が、我が物顔でこっちの反応を待っている。
悔しいが期待通り、ぽかんと口を開けて驚いた。
「研究者というのはな、持っている知識を他人に披露したくてウズウズするものなんじゃよ」
研究者だったのかよ、たしかに白衣着てるけどさ。
「じゃあ、フランも」
「ありゃコスプレじゃ。わしの真似しとる」
「あ、そ――」
がたんと、大きな音を立ててドアが開いた。
まず最初に、博士のもとまで駆け寄り、
「パパの馬鹿!」
景気よく蹴飛ばして言った。
次に、俺の元まで駆け寄って、
「わーーーーーっ!」
大声を出す。思わず耳にツーんと来た。
俺が怯んだ隙に、またドアの向こうに消えていく。
あいつ、もしかしてずっとドアの向こうで聞いていたのか。
思わず飛び出したって感じだが、俺はとばっちりだぞ。
「元気でいいじゃろ」
博士に凄く、自慢げに言われた。正直どうでもいい。
「とにかくじゃ、どうせこっちの世界に来たのなら、アオも知識欲を解消したくはないのかね」
「魔法を、教えてくれるってことですか?」
「知って置いて損はなかろう?」
たしかに、知って置いて損はない。むしろありがたい申し出だ。
知ることは力なりと、偉い人は言いました。
これからの自分を省みるに当って、知識とはあればあるほどいい。
「お願いします」
「うむ、ここではなんだ、もうちっと広いところでやろうかの」
そう言って、博士はこの部屋から出て行く。
やっと、俺もこの狭い部屋から飛び出して、異世界への一歩を踏み出した。
というか、来て早々の立ち話でする話題でもない気がする。
楽っちゃ楽だが。せっかちというか、効率主義というか。
普通はあれだ、暫くの間住まわせてもらって、ふとした食事の時に「魔法を知りたいです」とか言って始まるのが定石だと思うんだ。
*
外に出ると、辺り一帯は森に囲まれていた。
俺が出てきた家の半径数メートル以内に木はないが、それ以外はすべて森だ。
博士とフランの家を見てみる。
一応、木で出来た骨組みに白い壁紙を張ってある。たぶん、素材や設計は現代日本とあまり代わらない気がする。
サイズは大きめで、縦に長い。屋根の上からは、天体望遠鏡っぽいものが突き出ている。
森の中にぽつんとある大きな家。一言で言うとそんな感じ。
「よし、はじめるかのう」
博士は家から適当に離れて、自分の肩を揉む。
一枚のカードを腰のカードケースから取り出して、
「デブラッカ」
また呪文らしきものを唱える。
すると、空から巨大な岩石が落ちてきた。ずどんと、地面を震わせる重い音を立てて、原っぱに落ちる。
「この魔法はな、目標に向かって大岩を落とすカードじゃ」
「なるほど」
「人の上に落とすことも可能じゃ。目標を定めることが重要かの」
「あんなの頭の上に落ちたら死にますよ」
「そりゃ当然じゃな。やるときは殺すときじゃ」
物騒なものである。こんなのがカード一枚で出来るのか。
「次はこれじゃ」
今度はまた違うカードを取り出す。絵が描いていない。雰囲気としては、俺がもらった四枚のカードに似ている。
博士はカードを前に構えて、気合を入れるように息を吸った。
「光の鉄槌!」
カッっと一瞬博士の周りで波紋のようなものが広がり、それに応えた何かが空から雷を落とした。
雷は大岩に当り、粉々になるまで砕かれた。
「どうじゃ?」
「どうっていわれても、すごいとしか」
「つまんない感想」
「ホ! フランいつの間に!」
気づいたときには隣にフランがいた。びっくりだ。
フランは一回だけ俺のことを見ると、ぷいっとそっぽ向く。やっぱ嫌われてる。
「のうアオ、何か気づいたことはないか?」
「え」
博士が両手を広げて、こちらの反応を待っている。
俺は期待に答えようと、博士の全身を見渡す。つまらない身体だ。爺さんだし。まだフランを見ていた方がたの……あ。
「雷を出した時のカードが、消えてない」
今までのカードは全部、使ったあと空気に溶けていた。
なのに、雷を出したカードは絵も形もそのままに残っている。
「当りじゃ、これはレアカードと呼ばれてな、貴重だが数の多いカードじゃ」
「カードに種類があるんですか」
「ある、コモン、アンコモン、レア、サインレアの四種類じゃ。コモンは一回使うとなくなり、アンコモンは一定確率でなくなる。レアとサインレアは何回使ってもなくならん特性がある」
「へぇ、じゃあコモンはあんま使わない方がいいですね」
貧乏性の俺としては、そういわれるとレア以外に使いたくなくなる。
でも、レアって言うからには手に入らないのかな。でも数は多いとか言ってたな。
「そうでもないのじゃよ。レアだけは、産まれたときに使える使えないが決まってしまう」
「適性があるってことですか?」
「そういうことじゃ、ちなみにレアだけは火風水土光闇の六種類しかない。まあ、普通の人は六種どれか一つのレアを使えるという程度じゃ」
なるほど、たしかに一種類だけじゃできることに限りがある。コモン、アンコモンは、誰でも使えるというのが利点というわけか。
あれ、だとするとサインレアは何だ?
「サインレアは?」
「知らなくてもいいじゃろ。アオには縁のない話じゃ」
聞いてみたが、ばっさり切られる。
たぶん、今の俺には本当に必要のないことなのだろう。まだ少ししか話していないが、博士の性格が解ってきた。
「ぷぷ」
フランは隣で笑うんじゃない。揚げ足をとことん掴む気でいやがる。
「つまりじゃ、まず魔法を使うにあたって、アオはどのレアが使えるか見極める必要がある。さっき渡したのは全部レアカードじゃ」
「あ、それで」
ポケットから、四枚のカードを取り出す。
「全部もらっていいんですか? 貴重なんですよね」
「かまわんよ。生成方法が特殊なだけじゃ。それにどうせ、全部は使えん。しかもそこにあるのは火風水土じゃから、光と闇だった場合持っている意味もない」
せっかくこんなモノをもらって、光と闇だったら本当にガッカリだな。
下手をすれば、全部駄目という可能性もあるわけだし。
「安心せい、人間ならどれか一つは当てはまる。とにかく使ってみいよ」
勝手にへこんでたら、ちょっと励ましてくれた。良いじじいだ。
「どうやって使うんですか?」
「カードの名前が書いてあるじゃろ、それを読むんじゃよ」
「読めません」
「なんと? 読めない? わしらの言語を話しているのに、文字は読めんのか」
「そうみたいです」
「なら文字もおいおい知る必要があるのう。生きていくのには必要じゃからな。ま、とりあえずはわしが読んでやるから、その通りに言うといい。さて、どれを最初に使う?」
文字まで教えてくれるのか、意外だ。
どうみても効率主義の博士が、やたらと何かを教えてくれるのは違和感がある。こういう人って、出来ない人は自分でやるまで何も教えてくれないのが基本だったりするからな。
もしかして、俺を育てることで何か効率のいいメリットがあるのだろうか。
俺は四枚あるカードの中から適当に一枚取り出して、博士に見せる。
「それは水のカードじゃ。それに思いをこめて『水』と読めばいい」
「思いをこめて『水』?」
「なんといえばいいかのう、愛しい人に向かって愛しているという感じじゃ。そのままの感情をぶつけるといい。わしは光のカードを使うときに、敵に攻撃する意味もこめて光の鉄槌とアレンジしたりする」
よくわからん。とりあえず水と言えばいいのか。
そのままの感情か。いろんな本を見てきた身としては、魔法や超能力に憧れみたいなものがある。それをそのままカードに向けてみるとか。
「むむむ……」
ものはためしにと、一応唸る。
「む水!」
「むみず?」
ちょっと噛んだ。