第百八十九話「ありがとう はんぶん」
タスクは面白くなさそうに俺を見ていた。ざまぁみやがれ。
「わからないな、まだやる気なのかい?」
「人々が、まだ生きているのなら!」
「みんなが、諦めないのならっ!」
ロボとラミィも、立ち上がる。不敵な笑みを浮かべてくれる。
何の策も思いつかないけれど、俺を信じてくれる。
タスクはその様子を、まるで理解できないと拒否している。
「戦わなければ少なくとも君たちは生き残れる、それでもやるのは理解に苦しむね」
「生きてるだけならな、栄養入ったチューブ飲んでるだけでもできんだよ」
俺は今、生きているという実感をいつも以上に受け止めていた。
「アオ殿、して策は」
「ったくさ、ロボはなんというか」
「アオくんっ! 頑張るだけでも私は手伝うよっ!」
「いやな、ラミィ」
二人の言葉がとても清清しいというか、俺の耳を気持ちよく通り過ぎる。
窓の外には、伝で送られてくるメッセージの余韻がまだ残っている。
いつにもない、最高の気分だった。
さっきまで泣いていたのが、嘘みたいだった。
「いいよ、三人とも、俺は気づいたんだ」
俺がカードケースに手を掛けようとして、攻撃の気配を感じ取る。
軽く後ろに下がってそれを避ける。攻撃してきたのはもちろんタスクだ。知らない伝説の剣か何かだろうか。
「慌てんなよ」
「そうもいかない」
タスクは座っていた椅子から中腰をあげて、俺に向かって手を広げる。
「君のやっていることは破滅でしかない。理解できない。納得できない」
「だったら一生つっかえろ。俺は俺のやりたい事をするんだよ」
カードケースから取り出したのは、火のカードだ。
フランはそれに気づいて、慌てて止めようと叫んだ。
「アオ!」
「俺はずっと悩んでだ。自分が死んでまで助けるものがあるかなんて、今だってそのとおりだ。何も変わらない」
「アオ、アオ!」
「だから大丈夫。俺は死なない」
火のカードを胸に抱き、俺は息を吸う。
いいんだよな。
『よしなに』
ホムラの、素っ気無い最後の一言が、後押しをしてくれた。
タスクはそれを阻止せんと、伝説の武具を取り出して投げ出そうとする。だがもう、止められない。
「纏え蒼炎、昇火!」
俺は唱えた。最後になるであろう自らの、人としての姿を焼き尽くす。
「俺はずっとさ、今の俺がいなくなったらそれで死んだのかと思ってた」
タスクの出す武器はごとごとく蒼炎に焼かれ、俺たち四人へと近づけない。
「違うんだ。俺自身だけじゃない。これまで生きてきたその場所にも、俺の生きた証があった。人は死んでも、どこかで人の心に陽は灯るんだ」
事象干渉である蒼炎の本当の力が、物理法則を無視して敵の武具を燃やし尽くす。たとえ英雄の武具であろうと、人一人の力で太刀打ちできるものではない。
「なら、俺が旅してきた、この異世界で一番美しいものを探す旅そのものが、俺自身なんだよ。そこにあったものや、そこにいた人たち、それが揃って初めて、俺なんだ」
精霊たちが時間とともに人間性をなくしていくのは、その名残がなくなっていくからだ。たとえ永遠があっても、その自身だけが残ったところで、それは生きちゃいない。
髪の毛が蒼く染まる。慈悲の瞳が、タスクを見据える。
「俺がしてきた旅は、無駄じゃなかった」
世界には、俺の生が溢れている。それがここまで嬉しいことだったなんて。
俺はこの異世界を、愛している事を知った。
「だけどその願いは、もう崩れる」
「崩れねぇよ」
俺は一度、三人を振り返った。
「ラミィ……ありがとうな。お前みたいな綺麗事をいってくれる奴がいなかったら、ずっとひねくれたままのろくでなしだったよ」
「アオくんは、ろくでなしなんかじゃないよ」
ラミィは、俺の言葉に何かを悟ったのだろう。ちょっとだけ寂しそうに、それでも涙を流すまいと、はにかんだ笑顔を向けてくれる。
「ロボ、ありがとうな。そういう真っ直ぐな気持ちを貰えなかったら、そんなに純粋に好きでいてくれたから、ひねくれずにすんだ」
「アオ殿は、出会ったときから真っ直ぐでしたよ」
ロボも、涙をこらえて、何度も目を拭う。俺に近づこうとする身体を、なんども躊躇ってくれる。
「フラン」
俺は、フランのほうに振り返る。
フランも俺のやることくらいわかっているだろう。もう付き合いも長い。
「や……だ、やだ――」
「俺さ、フランのこと、好きだ」
卑怯な事をしたと思う。
俺はフランを抱きとめて、唇をふさいだ。
ゆっくりと距離を置いて、ベソをかきかけているフランに囁く。
「ごめんな、こんな最後になって。でも言っておきたかった。俺はフランの笑顔や、泣き顔や、集中して真っ直ぐ見据える瞳が、その全身から心から、なにからなにまで大好きだった。今までいえなくてごめん」
蒼炎の燃え滾る中、戦場でする告白なんてロマンもクソも無いだろう。
でも、これが一番の純粋な感情だ。
「旅を、ありがとう」
「……え」
フランの体が、突然フワリと浮き上がる。下から巻き起こった風に押されながらも、重力に逆らえず落ちてゆく。
ロボもラミィも一緒に、足場と壁のなくなった戦艦から追い出され、俺から離れていく。
壁を燃やして、彼女たちを追い出したのだ。
「さてと」
「どうするつもりだい?」
「この世界が滅んでもさ、戦艦は壊れないんだろ。じゃあさ、戦艦の中だけを滅ぼせばいい」
冥の戦艦のバリアが、世界の崩壊から身を守れるのなら、その崩壊を包み込む事だって可能なはずだ。
無論、どうやってコントロールするとか、誰がやるのだとか、遠隔操作は出来ないんじゃないかとか、いろんな問題はあるが。
もちろんタスクは、俺の世迷言を鼻で笑う。
「トチ狂ってるね。戦艦の中だけでこの冥の精霊を抑えられると思っているのかい?」
「いいや思ってない。でもさ、ちゃんとここにあるじゃん、残機がさ」
俺は、世界の残機とも言える三枚のカードを、楽しそうに指差した。冥の精霊は世界一つ分を壊す。理屈は、間違っちゃいないはずだ。
その瞬間だけ、タスクの表情が消えたのを、俺は捉えた。
「……キチってる」
タスクの言葉が、あながち間違っていない事をものがたっていた。
あとは、方法かな。
「伝、このことをベクターに教えてやってくれ。いるのはわかってるから。うん、お願いな」
「死ぬよ」
「さて、どうなるかわからん。俺は死なないからな」
漠然とした推論ばかり広がる。
本当に出来るのかも明確じゃない。でも方法なら探せばいい、目的があるのなら、前に進めばいい。
俺にやれることは少ない。だからこそ、できる事を見据え、自分を確かめるのだ。
この世界なんて、わからないことばかりだ。
「タスク、あんたはこの三枚のカードを皮肉って言ったよな?」
「……?」
「俺はまだ旅の途中だった。一生かかっても、観測しきれない。そんなことは不可能だ。何せ世界は、俺が思っているよりもずっと、広くて……」
俺が冥の戦艦を半分くらい燃やした影響だろうか、地響きが鳴り、世界が揺れる。それもすぐに収まり、再生していく。
後ちょっとで見えなくなりそうな満天の空を見納めにして、タスクを見据える。
「なぁ、世界で一番美しいものって、なんだと思う?」
***
「やだ……あ……」
わたしは、落ちていく。
足場は燃えさって、アオに地上まで落とされていく。空を飛んで、今すぐにでもアオの元に駆けつけたかった。
「アオ、アオ!」
涙よりも先に、わたしが落ちる。いくら手を伸ばしても、届かない。
身体はすでに満身創痍だった。八時間にも及ぶ連続戦闘と、アルトとの戦いですでに限界だったのだ。両手は言う事を聞かず、魔法はいつもの半分の効力も持たない。
「半分こって、言ったのに……」
世界の重力に引っ張られて、アオから引き離される。
いや、いやだ。
体のバランスが取れない。このまま上下も覚束無くなって――
「おいて……いかないで!」
「しょうがないなっ!」
そんなときだ。背中を支ええる手が現れた。
わたしは、振り返る。
「ラミィ」
「ほんと、最後までフランちゃんには敵わないかったなぁ……」
「そればかりは早計ですよ」
もうひとりの手が、わたしの背中を押してくれる。
わたしは、彼女を見た。
「ロボ」
「ワタシとて、アオ殿をお慕いしたものですから。フラン殿のお気持ちはわかります」
ラミィとロボが、二人してわたしの背中に手を当てた。
この二人だって、もうほとんど体力など残っていないだろう。無理をして、無理をしてやっとタスクの元にまでたどり着いたのだ。
「でもねっ、口だけは嫌だから」
「重い荷物はいりません、その心があればこそ、ワタシはこの四人が好きなのですから」
二人が、示し合わせたかのように、ほぼ同時に動いた。
わたしを一度、パチンコの弦みたく大きく引き、
「空!」
「地!」
魔法の発動と共に、わたしを吹き飛ばした。
二人は、諦めないわたしのために、残された力を振り絞ってくれた。
「アオくんによろしくっ!」
「アオ殿と、御幸せに!」
「……ありがとう!」
わたしには感謝の言葉しかいえなかったけれど、それでもわたしは二人のことが好きだって伝えたかった。
でもごめんなさい。
もっと大好きな人が、その空の上にいるから。
「……もっと」
身体は不思議なほど浮き上がる。地の物理法則と、空の摂理開放がより高く、冥の戦艦の最上階へと飛ばしてくれる。
わたしは自分勝手だ。行ったところでなんにもならないだろう。だからアオは、わたしたちの事を思って引き離したのだ。
「……もっと」
それがどうした。わたしはわたしのやりたい事を。
アオだってずっとそう言ってきた。大切なのは自分だと。
わたし自身が納得できる行動を取り続けることが、生きることなのだ。
「…………もっと」
だが、空へと昇る速度はどんどんと減少していく。ロボとラミィも最後の力を振り絞ってくれたが、それでも限界があった。
もしかしたら、届かないかもしれない。
「………………もっと」
減速からは逃れられなかった。重力に押され、速度はほぼ静止する。
だが、あとちょっとなのだ。
わたしの目には、冥の戦艦の頂上が。
そこにいる二人の人影、タスクと……アオが。
「もっと!」
わたしは、諦められなかった。手を空へ。
身勝手な、どうでもいい、ただアオに会いたいという。アオと生きたいという心だけが、わたしの内を占めていた。
「届け!」
その瞬間、目の前がまばゆいほどに輝いた。
何が起きたのか理解できなかった。その光に触れるまでは。
光から流れる情報は、世界そのものだった。
守りたい。たとえ自分勝手でもいい。自分の大切な人間を、隣にいる誰かを、それだけでいい。
ラミィの演説にあった言葉だ。もし、隣の誰かを守りたいという気持ちが、世界中に満たされれば、それは世界全てを守れるのではないだろうか。
世界中が、そんな輝く意思で満たされていた。
「……ええ、そう!」
わたしは全てを覚悟して、その光に手を伸ばす。
この世界には、一つの言い伝えがある。
世界に潜む根源的な人間の願い。千差万別で無数にある想いの中の一つが、世界中で大きくなった時、その意思を集め、それを受け取るに見合う人物が選ばれて、
精霊が、誕生する。
今、精霊が生まれようとしていた。
「青!」
青。誰もが持っている近しい色。見上げた空の色。
太陽と共に、人を包んでくれる。
わたしの身体は、光に包まれて、変わり始めた。




