第百八十七話「しんじつ ひにく」
最後の部屋は、展望台のようだった。
というのも、部屋の壁一面に窓があった。陽は高く、何一つ邪魔するものなくこの冥の戦艦を照らしている。間取りも広く、ダンスフロアと言われても納得できそうなくらいだ。
真っ黒だった戦艦内とのギャップに若干戸惑ってしまう。ここまで開放的な空間が、この戦艦にあったとは。
「……」
ただ、それを楽しむ余裕なんてあるはずもなかった。
タスクが目の前で、俺たちに微笑みかけているからだ。力なく、枯れた笑顔と言えばいいだろうか。
「どうしたんだい、黙っていちゃわからないよ」
「……今のあんたなら、案外仲良くなれそうだよ」
「この姿かい? まあ……冥の戦艦を動かしているんだ。これくらいのリスクは承知だよ。精霊だからまだ軽い方さ」
タスクは痩せた手を持ち上げて、気楽に笑う。
冥の精霊は人のもつ破滅願望を具現化させた精霊だ。破滅願望を一身に受ければ、精霊とて無事じゃすまないということか。
つまりこいつは、このまま放っておいても死ぬんじゃないのか。
「渡せ」
なら今すべきことは、ほぼ決まった。
「何をかな?」
「この世界で一番美しいもの」
「ああ、これのことか」
タスクは、隠すこともなくあの三枚のカード、赤青緑のカードを取り出した。
迂闊すぎないかこいつは。ボケたのか?
あの震えた手でカードを掴むタスクからなど、隙を見せればすぐにでも奪えそうだ。
「ほしいのかい、ここから出ないのなら、かまわないよ」
「そいつは無理だな、俺たちはそれを奪ってこっから帰る」
「じゃあ、駄目だ」
「言って聞くと思うのか?」
俺はカードを構える。力づくは元より承知の上だ。
フラン、ロボ、ラミィも、疲労はあってもその点は抜かりない。このために、多くの戦いと犠牲を払ってきたんだ。
「言って聞くと思うからさ」
そんな俺たちをあざ笑うかのように、タスクは言ってみせた。
「君たちは勘違いしている。まだ、この戦いが続いていると、思い込んでいる。すでに戦いは終わったんだよ」
「あんたこそトチ狂ったのか? それを俺たちが信じるとでも。アレか? 俺たちがこの戦艦探検している間に全世界の選定を完了して、もう人類はあんたの好きな人間だけってか」
「いいや、まだ嫌いな人はいっぱい生きている」
タスクは窓の外を眺めて、目を細める。
冥の戦艦の最上部なのだろうか、雲の上を走るその景色からは、マジェスやグルングルたちモンスターの姿は見えない。
でも、生きているはずだ。雲の下ではまだ戦っているやつらがしっかりいる。現にタスクはそれを認めている。
この景色をブラフに、駆け引きすらしない。
時間稼ぎじゃない、そして俺たちを動揺させるわけでもない。つまりそれは、
「選定は、とっくの昔に完了したよ」
「なっ!」
どうする、これすらブラフで、俺たちの時間を稼いでいるとしたら、すぐにでも行動に移すべきじゃないのか。
フランは封印の陣をすでに構えているはずだ。これ以上何かが起きるよりも先に、倒すべきじゃないのか。
「もう戦うのかい? 個人的にはちょっと待ってほしいな。君たちだって困るだろう。もしボクが倒れた後で、どうしようもない結果が待ち受けていたら。すこしは情報を得ておくべきだと思うよ」
「あんたが嘘こかない保障が」
「あるよ。この戦いは、もうボクの勝利だから」
タスクが掌を窓の外へ向ける。その動作を中心に波紋が起きて、窓全体にあった何かを取り払った。
『……ラン』
その途端に、俺たちにも聞こえる。謎の声が届く。
「お母さん!」
フランがいち早くその正体をつかんだ。
リアスからの通信だ。フランだけではなく、俺たちにも直接届くようになっている。仕組みはわからない。フランに向けられる通信が俺たちにも聞こえるようだ。
『……やっぱり繋がった! 繋がりました! 妙な反応を探知したわたしの予想は』
「なんで、どうなったの!」
「今あんたらはどうなってる」
『え、なぜアオの声が聞こえるのでしょう』
タスクはどうやら、ここにあったジャミングを取り払ったのだ。
自分が嘘をついていないとでも証明するつもりなのか、そんな事をしたところでなんになるとも思えない。
「状況の説明をっ!」
『ラミィ様まで……は、はい! 現在、損壊が三割を越えてもなおまだ継続して飛行中のマジェスベクターは存続。今も戦いを続けています……しかし』
「しかし?」
『冥の戦艦の、兵器軌道を確認しました』
その台詞に、俺は言葉を失った。
冥の戦艦の兵器、それはつまり、世界を滅ぼす力だ。
これだけは使わないと思っていた機能を、タスクは迷わず起動したのだ。
ただ、希望が無いわけじゃないと、俺は自分に言い聞かせた。
「起動ってことは発射して無いんだよな?」
「発射したよ」
その希望すら打ち砕くように、タスクは告げた。
「は……ふざけるなよ、まだ世界は残ってるだろ」
「起動はしたんだよ、あとは広がるだけ。もちろん、そんなものを止めることは不可能だよ」
冥の戦艦の消滅波は世界を破壊する力を持っている。止めることは龍や精霊でも不可能とされ、この惑星そのものが崩壊する危険性があった。
崩壊せずとも、地上にいる全ての生命は、消滅する。
「あんた、なんてことしたんだよ! 選定もクソも無いじゃないか!」
「だから、まだ広がりを押さえている。もちろん起動しちゃったから、どれだけやっても遅くすることしか出来ないけれどね」
タスクは俺たちに説明してから、両手を広げて自分の身体を見せ付けた。
「まあ、これがその遅延の代償さ。ボクが死んだらどうなるか、もうわかるよね?」
「……おまえ」
「卑劣な!」
タスクがいなくなれば、封印でもすればもうこの世界は御終いだ。
だからといって、このまま野放しにすることは出来ない。そんな事をすれば、マジェスにいる人間の方が消耗してしまう。
「そして、もうひとつ」
タスクが部屋の窓を暗転させて、映像に切り替えた。
それは地上の映像だった。マジェスから遠く離れたどこかの、小さな町だろう。
ほとんどの人間が、死んでいた。
家々は溶け、木々も飲まれて倒れている。
濁った色の泥に巻き込まれて、逃げまとう人々が少し残っているだけ。
「ルツボ……!」
「そう、ルツボだ」
『こ、こちらでも全世界にルツボの強制発動を確認。数を把握し切れません! とにかく世界中に!』
リアスの狼狽する声からも、現在の状況が見て取れた。
マジェスは高度な情報網で、世界中と通信魔法が繋がっている。その世界を把握できるマジェスが、全世界にルツボを確認したということは。
「今、世界中にルツボが蔓延している。ボクはこのために、自分に組しなくともそれ相応に同調できる人々に、ルツボを提供してきた」
「なんのためにだ!」
「地上のカスたちをしっかりと殺すためさ。ボクが冥の戦艦で全部打ち壊すのは実感が湧かない。あともちろん、ルツボに打ち勝てるような人がいれば、ボクの力で保護できるようにするために。選定は完了したけど、追加人員は増えた方がいいだろう?」
色々な世界の映像が流れてくる。どこも、悲惨な光景ばかりだった。
「生き残った数少ない人間は送の精霊に頼んでこちらにもってきてもらうよ。人類意思が強者だけになるから、彼も頼みを聞いてくれる」
「こちらに……」
「もうわかってるんじゃないのかな」
タスクは俺たち四人を順番に眺めてから、拍手をした。
「おめでとう、君たち、そしてマジェスベクターに乗っている君たちは、選定に選ばれた人類だ。強者として世界のために戦い、己が力を余すことなく発揮する。知恵のあるものだって、マジェスベクターへ協力と称して中にいるはずさ。つまりはもう、最初から君たちを生き残らせる気でこの戦いを挑んだのさ」
「俺たちはあんたのマリオネットかよ」
「そんなっ!」
「当然だろう。相手の手腕を先呼んでこその戦術だ。実際に君たちはよくやっているよ」
タスクは憧れにも似た視線を、戦闘しているであろう雲の下へと向ける。
「冥の戦艦は発動した。でも、発動した戦艦自信はちゃんと生き残れる。それに密着した、マジェスベクターも一緒に守ろう」
わかった。タスクの考えは。
「でも、その作戦には欠陥がある」
「参考までに、言ってみてくれ」
「冥の戦艦が起動すれば、世界が滅ぶんだぞ! あんたがどれだけ理想の人間を生き残らせても、結局地球がなくなっちまうんだ。何だ? お前はこれが箱舟にでも見えるのか?」
冥の戦艦も、マジェスベクターもそれなりの魔力を保有している。確かに生活は可能だろう。
だが、永遠じゃない。魔原をもつ土台の地球がなくなれば循環もくそもない、消耗するだけ。
「なんだよ、牙の精霊サンは、たった数年の世界平和のために、すべてを犠牲にするのか?」
「そんなわけないだろう。君も、一つ大切な事を忘れている」
タスクは、部屋から産まれた机に、それを置いた。
「この世界で一番美しいものは、なんだい?」
突然、全く関係のなさそうな話を、タスクは持ち出してきた。
俺たち四人は、困惑の表情を浮かべるしかない。
タスクはそんなことわかっていたのだろう。一人で話を続けた。
「あれかな? 最高純度で作られた宝石? 世界最高の芸術家が作り出した美術品? いや違うよね、そんなわけない」
「何の話だ」
「君たち人間が、満場一致でこれが美しいなんて決めることは出来ないはずさ。そうだろう、人はたった二人でも意見が割れる。美意識はその人の感性が大きい。世界で一番美しいものなんて、存在しないのさ」
「じゃあそれが、なんだっての!」
「だからこれは、精霊たちの皮肉なんだよ」
タスクは、机の上に置いた三枚のカード。赤青緑のカードを示す。
俺は、あの言葉を思い出していた。
「青空より広大で、緑より穢れ無く、赤く燃えあがる気高さを持ち合わせた、現存する全ての心よりも美しいもの」
「人は自らの罪で視野を狭め、穢れ、地に落ちる。この世界で一番美しいもの、それは美と醜さを判断する人間のいない、誰も見たことのない世界そのものなのさ」
世界そのもの。
この小さな三枚のカードには、それほどのものが閉じ込められている。
信じられない。
だが、今まで見当の付かなかった美しいものの答えとして、精霊たちがひた隠しにするほどのものがなんだと考えて、俺は――
「ボクはね、全てを壊した瓦礫の上に、選ばれた人間だけの理想郷を作り上げる」
「うそ……じゃあ」
「この世界は、じき壊れる。冥の戦艦は、起動した」
タスクはハッタリでもなんでもなく。本当に世界を壊す装置を起動してしまったのだ。
「まて……よ」
俺は、自分の体から力が抜けていくのを感じていた。
「ボクを殺してしまっても、ルツボ選定で生き残る人間が減るだけだ。抑制が利かなくなった冥の戦艦はこことマジェス以外のすべてを滅ぼす。もう、手遅れなんだよね」
「……そんな」
「そんなはボクさ。必ず死なそうと思っていた君たちが生き残ってしまった。友達のアルトを殺した君たちを許せはしない。でも、選定に生き残ったのなら、平等にすべきだと諦めるよ」
「もう、なにをしても」
「君も、諦めるんだね」
「そ、そんなのっ! できるわけな――」
「じゃあどうする? ボクを殺す?」
タスクは抵抗する気が微塵も無いように、両手を広げて見せた。
ラミィは、そんなタスクに向かって攻撃することは、できなかった。
「そうだよね、それはただの自己満足だ」
「だ、だが! それではワタシたちの行いは! 輩への報いは!」
「君たちの力不足さ。戦闘とはただ強ければいいものじゃない。常に先を読み、相手を出し抜く。自らの切り札を、最後まで温存する」
ロボは握り締めた拳を、下げることしか出来なかった。
「ボクの、勝ちさ」
「……負け、た? はは、嘘だろ」
俺はいつだって負けてばかりだった。負け慣れてきたつもりだった。
それでも、プライドや自分の矜持だけは無くさないで戦ってきたつもりだった。
いつのまにか、譲れないものが増えていって。
自分のやりたいことだけ、本気で立ち向かったのなら、負けたくないと、思えるようになった。
「……うあ」
俺は、力なく膝を突いた。目の前が、真っ白になるような錯覚すら覚える。
どこにも、活路を見いだせない。
「うわぁあああああああああああああああああああああっ!」
泣いてしまった。最悪の涙を、流してしまった。
嗚咽が止まらない。自分のしてきたことが、無駄になった。
ロボが床を殴り、ラミィが顔を覆う。
「そう泣くこともないさ、君たちは生き残る。さて、ゆっくりと待とうじゃないか。この世界の、新しい夜更けを」
流れる時間は残酷にも動き続ける。太陽は少しずつ沈んでいく。
「ねぇ」
「ん、なんだい」
唯一人、フランはまだ、そこに立っていた。




