第百七十五話「たいとう だきょう」
「いいところじゃないか」
「あんたは敵だろうが!」
「穏やかじゃないね」
タスクは静かに俺と目を合わせてから、サンに笑いかける。
「明日は来なくてもいい!」
「だそうだ」
タスクはこの場での位置を獲得したかのように、悠然と両手を開く。
殴りたい。
「実際のところ、ボクとしてはほんと驚愕の限りだよ」
「なんだよ指差すなよ」
「何せボクからしてみれば、あの牙抜き作戦失敗でこの計画はほぼ磐石と思っていた。これだけの準備を入念な用意を重ね、それだけの事をしておきながら君たちはまた活路を見出す」
タスクは感心したように顎に手を乗せて、俺をまじまじと見つめる。
「やはり、正義とは不屈のものなんだね」
「俺は正義じゃない」
「いやそれとも、龍のなせる業か、ゲロみたいに醜いね」
「もうちょっと言葉を選べよ」
タスクは会話しているようで、ほとんど自分ひとりで話してるな。
サンがここにいる事を認めた以上、精霊たちの力を借りられないだろう。
「何しに来たんだよ、俺を殺しにきたのか?」
「違うよ。戦闘はしない、ボクじゃ勝てないしね」
「じゃあ、陣を奪いにか?」
「そんなことしても意味がないよ。一度作られた陣は複製できる」
俺の次の質問をするまえに、タスクが動いた。
タスクはサンの方を見て、手を開く。
「ボクにも、代わりを」
「よかろう!」
「え?」
変わり?
俺は思わずツナの方を見るが、ツナも首を横に振る。
「変わりって何だよ」
「これだろこれ」
サンは紅の懐から、カードケースを取り出した。
そして内にある一枚のカード、赤のカードを、
「えまてまて!」
「ほれ」
「ありがとう」
タスクに、渡したのだ。
俺はあまりのあっけなさに事を見守ってしまった。手を出そうとするが。
頭を振って冷静になろうと勤める。こいつはたぶん、適当に渡したとかじゃない。
さっきから驚いて叫んでばっかりだ。馬鹿みたいに叫ぶよりも先に、意味を考えるべきだ。
元より、精霊たちに力ずくは不可能なんだから。
「……さっき言ったよな、代わりって」
「そうだよ、君たちがボクを封印する陣を手に入れる代わりに、ボクは赤のカードを手に入れる」
「俺も最初は悩んだぞ。元より陽のカードを奪取したのはタスク、貴様に使用されないためだ。だがな、彼女の言葉で俺は少し考えを変えた」
サンは、自らの体、つまり紅を指差して言う。
「人の行く末を見守るのが精霊だ。しかしその行く末を支えることしか精霊にはできぬ。ならばタスクのすることもまた人の領域だ。たとえこの世界が滅びに向かおうと、それを行うのは人の持つ意思が成したもの」
「とどのつまりあんたは、タスクがする事を止めないってことか?」
「左様!」
「世界が滅ぶんだろ、冥の精霊のときはとめたんだよな」
「あの時とは勝手が違う。我等は当事者でなく観測者。すでにこの世界の主役から退いている。いつまでも同じ英雄が世界を救うなどと、そんな甘い話はない。そんな事をすればいずれ、無理が祟る」
サンは俺とタスクの二人を交互に見つめる。互いの戦いに審判をくだす、一歩身を引いた立場だ。
いつまでも同じ英雄が世界を救わない。そんなの当たり前だ。
精霊が死なないというだけで、都合よく使っていい理由にはならない。
「なに、それで滅ぶならそれまでよ! 所詮はその程度だったということ!」
サンは豪快に笑った。とはいえ紅の体なので可愛いほうだが。
精霊は都合のいいドラえもんじゃない。今までだって散々知らされてきたことだ。
こいつらは自分の理念に赴くままに、勝手に生きているだけ。
「ただまあ、仮にも一度世界を救った身でもある。見捨てるのは詮無い」
サンは笑いつかれて溜息を吐くと、目を細めて持っていた陣のカードを見つめる。
「故に、戦うものには相応の譲歩がある。ルールを敷こう」
「……どうも」
俺が、牙の精霊封印の魔法陣を渡された。
これがあれば、牙の精霊を封印できる。
結局のところ、陽の精霊も精霊でしかないのだ。
世界の意思が今互角にぶつかり合っている。
ならば、その世界を左右する俺たちにも、五分の勝負が望まれる。
タスクは来た時にはこの流れを全て把握していたのだろう。俺と逆の立場になっても落ち着き払っていた。
と、睨みつけていたら目が合ってしまった。
「笑うなよ気持ち悪い」
「いやいや、君に及ばないよ。とまあそんなことはいいんだ。せっかくだし、ちょっと話をしないかい?」
「はなし? 今さらなにを……まあ、こんな時くらいしか、機会なんて無いか」
今まで会ったら殺し合いみたいな関係だったし、今みたいな状況は珍しいっちゃめずらしい。
その前に、こっそりと隣にいるツナに耳打ちをする。
「今封印使えないか?」
「そ、それは……」
「無理だ!」
耳聡いサンに全否定された。
……陣の使い方ぐらいフランに聞いておくべきだったかな。
タスクは何がおかしいのか、口を押さえて笑いをこらえている。
「いやいや、ぶっちゃけてるね」
「こっそりやるつもりだったよ」
「なんにしても無理だしやめた方がいい。この空間はそういうことができない場所でもある。そしてそれをやろうとすることは、ちょっとずるというか、精霊たちの言葉に真っ向から立ち向かっているね」
タスクは両手を広げて、周りにいる精霊たちを仰ぐ。
なんかそういわれると、心なしか冷や汗をかいてきた。
「きゅぴぴーん!」
特に月の精霊とかがすっごく怖い。目が笑ってない。
タスクはそういう意味では、ちゃんとニコニコしている。
「さて、要件だが……ボクたちと戦う事をやめてくれないかな?」
「は? んなもん無理に――」
「君が大切だと思う人を、十人くらいまでなら選定に関わらず生き残らせてあげよう。もちろんその後手出しはしないし、ボクにそんな暇はない」
タスクが、俺に対して交渉してきた。
意外な事ではない。むしろ話ができるのなら考えられたことだ。
俺の力はすでにタスクを凌駕している。前に戦った時もほぼ圧倒できたのだ。
たとえタスクの力が変幻自在で勝てる可能性がまだあるにせよ、懸念材料として俺は十分すぎるのだろう。
理に叶いすぎている。
「そんなんで妥協していいのかよ。あんたは理想の世界を作るんだろ」
「そうだよ。ボクは君のことが嫌いだし脅威とも思っているが……選定基準からすれば確実に生き残れる人材なのは確かだ。そして君は、無闇に人を選んだりしない」
「……マンセーやめろよ。乗らないからな」
人に褒められる。しかも敵側になんて、場違いだけどほんとうに恥ずかしくなってきた。
「君は自分が思っているよりも人の傷を知っている。蒼炎竜王を手懐けたのも、状況だけじゃない、その君が持つ本来のやさしさだ」
「だから、褒めるな。俺はそういう実の無いのが大嫌いなんだよ」
まただ、敵のペースに乗せられている。
こんな、子供でもかからないような褒め殺しに、ほんの少しでも浮かれる自分が情けなく思う。
「悪い話じゃないだろう? 双方にメリットがある」
タスクは、正論だけを述べて、俺を勧誘しようとする。
確かに正しい。言っていることは全部いい事尽くめだ。
だけど――
「タスク、俺はな――」
「っざけんじゃねないわよ」
俺が口を開きかけたそのときだ。
ミライが、前に出てきた。表情は険しく、堪忍袋の緒が切れたとはこのことだろう。
「さっきから理想だの最高だの、アホみたいな言葉ばっかり並べてさ、あんたら何様?」
「俺も入ってるのかよ……」
「理想をかなえるのが人生さ、精霊になっても、その考えは変わらないよ」
「だから、そういう口先がうざったいっていってんのよ!」
ミライはブチ切れていた。
たぶんきっかけなんてなんでもない。恋人のゴオウが死んだことで、ピリピリしていた神経が爆発したのだろう。精霊でも、まだミライは顕現からそこまで長くないらしいし。感性が女性そのまんまなのだろう。
「あんたがゴオウを殺した! そんな奴らがニコニコしてんじゃないわよ! こっから出てってよ!」
「これはこれは」
「爆発しないようにずっと耐えてたのに、あんたたちのせいで台無しじゃない! ゴオウを返してよ!」
耐え切れていないよなこれ。よく姉もこういう風に怒ってたのを思いだす。
ただ俺は、この状況をうざったいと言うよりも、むしろ歓迎していた。
理論は無茶苦茶でも、正解なのだ。
「やっぱり、あんたはゴオウにとって大切な人だったんだな」
「はぁ! あんたみたいなのが私とゴオウに――」
「はいはいシュピーンとしまっちゃいますね~」
ルナが滑り込んできた。見かねて止めに入ったのだろう。
ミライはまだ馬事を言い足りないようだが、口を押さえられて何も出来なくなっていた。
俺は去り際に、ちょっとだけ目を向ける。さらに嫌われるだけだろうけど、一応言っておいた。
「ありがとう。さっきはあんなこといって、ごめん。あんたもゴオウと一緒だよ、尊敬できる人だ」
「へぇ」
タスクはそんな俺の言葉に、関心でもしたのか口を丸くしている。
「ボクは、彼女はちょっと苦手かな」
「俺だって嫌いだよ。でも俺が言うなんかよりもずっといいこと言ってくれた」
「いいこと? 彼女のそれはただの罵詈荘厳だよ。溜まっていた鬱憤を晴らしただけだ」
「それは俺も同意するけど、それだけじゃないだろ」
俺は一度タスクから目をそらして、周りにいる精霊たちを見回す。
よし、全員聞いてるな。
「あれが俺の答えだ」
「……ん? つまり……あれかな、仲間を殺したような奴の言う事を聞けないと」
「聞けないだけじゃない。信じられない。あんたの言うことはいい事尽くめだし理にもかなっている。最大限の譲歩だ」
俺はタスクを指差す。
「だが、あんたがそれをやってくれる保障なんてどこにもないんだよ。どれだけ条件を重ねても、安心できるような取引方法を提示されようと、あんたとは交渉すら不可能だ」
俺は指差した手を自分の胸に持っていって、親指で自分を指差す。
「そして、一番は俺があんたを気に入らない」
タスクは、笑顔を崩さない。だけど、むかついているのがわかる。
ざまぁみろだ。
「とまあ、色々御託を並べるが、そういうこと。今後タスク様のご健康とご活躍をこころよりお祈り申し上げます。ミライは一言で全部済ませたのにな」
「くそったれだね」
笑顔のまま、そう返される。
タスクもタスクで、結構言うこと言うよな。
「うん、もうちょっと粘ろうと思ったけどやめたよ。君は生き残させておくとろくなことになら無そうだ。相変わらず、龍はボクをおちょくるのが好きみたいだし」
「さいですか」
「大丈夫、君は必ず死なす」
タスクは終始笑ったまま、俺に手を振っている。そして、ふいにふっとこの空間から消え去った。たぶん帰ったのだろう。
「これ、俺の勝ちだよな?」
「……どうでしょうかね」
ツナもツナで笑顔を崩さないでいるものの、仮面の付け方はタスクよりも下手糞だ。
『兄弟の口喧嘩みたいだったよ』
なんにしても、これでまたチャンスが産まれたわけだ。
五分五分とまではいかないが、それなりの勝率は確保できた。
「さて! 話は終わったな!」
「ああ、もう――」
「なら本番だ! 巫女に会いに行く! うぉおおおおおおおおっ!」
サンが両手を上げて雄叫びを上げる。
他の精霊たちも何故かそれに追従する奴らがいた。一部だがノリのいい奴がいる。
「うぉおおおおおっ眉目開闢!」
淵の精霊ディープが、不器用ながらも一緒になって叫んでいた。なんて言ったんだ今。
俺にはこのノリがわからない。
「なんじゃそりゃ」
「ほっ、精霊にとって巫女という人の存在は、とても、とても大きいんだ」
『僕は知らないけれど、昔からいる精霊にはすごく慕われているよ』
隣にいるガイアスもほっこりしている。そういえばまだラミィに会ったこと無いか。
オボエはそんなに嬉しそうでもないな。
あれか、イノレード開国の巫女が生きた時代にいた精霊たちの声なのかも。
「イエーイ! カイイエーイ!」
「俺はそんな楽しみじゃねぇ! あの婆そっくりだったらどうするんだよ!」
「だいたいな! 渡すのなら今の英雄本人だろう! こんな腐ったぐちゃぐちゃなのに渡してもつまらん! やっぱりつまらん!」
サンは大声で結構酷いこといって来る。やっぱ精霊嫌い。
「もう俺渡されたぞ」
「ほっ、もう一枚ある」
「陣などいくらでも作れる! 伝! 貴様も来い! 全世界に歴史的瞬間を刻み付けようではないか!」
「承った」
サンが大仰な鎧を翻す。金属同士の弾ける音と同時に、火のマントが鎧から現れる。可愛らしい紅の顔は兜によって被われて、中身が女性には見えなくなった。
マントがこの空間を引き裂いて、闇を払っていく。
たぶん、この空間が終わるのだろう。精霊会議は終了し、元の世界へと帰っていく。
「御役目御免ですね」
ツナの台詞が妙に的を射ていた。
なんだかんだで便利に使われただけだよな。眷属ってそういうものなんだろうけど。
「成功したってことでいいのか?」
「あなたが敢闘賞ですよ」
「結局は陽の精霊に全部持っていかれたぞ、説得できなかった。一番活躍したのは紅だよ」
「そうでしょうかね」
「そうでしょうよ」
俺は頑張ったが、特に何も果たせなかった。これだと頑張ったってすごい言訳に感じるな。
でも正しい労力を費やしたのは紅だ。あいつはこの世界を救うために最善を尽くしてきた。
「俺は、どうすればいいんだろう」
これまで、俺は何をしてきたのだろう。
最善じゃないことは確かだ。




