第百六十九話「わかもの いま」
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『私たちは、生き残ろうとするその意志には全力でサポートします。でも、その最初の一歩は、あなたが前に進まないといけません』
演説が始まってからしばらくは、アルトが動かなかった。
が、それも少しの間だけ、前よりちょっとだけ難しい顔をして、よりきつくわたし達のいる方向を睨み付ける。
『私がこんな事を考えられるようになったのは、王族だからじゃありません。事情があって、私は今奴隷をしています。長くなってしまうかもしれません、でも聞いてください。少しでも、この気持ちを共有したいから。この気持ちを気づかせてくれた、私の大切な仲間たちとの、旅の毎日を――』
でも、もう前よりは怖くなかった。震えもいつの間にか止まっている。
わたしはまだ戦える。戦いなんて一人でするものだ。それを紛らわす誰かがいるのなら、それでも頑張れる。
アルトは表情を硬くしている。どこか怒りに満ち溢れているが、むしろその状態の今こそ、アルトが小さく見えた。
「ははっ、参りましたね」
そして、アルトのいる場所にもう一人、ゴオウの姿があった。
身体に怪我は無くても、その病気は進行している。輪郭がかすみ、光が溢れている。
「……」
「どうせなら反応してください。会話していないと、意識が消えてしまいそうで」
ゴオウは、動けないはずの身体から震えを取り去って、立ち上がった。わたしのしらない構えまでしている。
アルトはそれを見ると、表情を曇らせた。
「もうやめろ」
「どうしてですか?」
「ゴオウ、君の病気は経過で良くなったりしない。進行すればしただけ、君に死が近づくんだ」
「そう思うのなら、時間稼ぎに付き合ってくださいよ」
ゴオウの身体は前以上に光り輝いていて、今にも溶けてしまいそうだ。それなのにどうしてだろう、さっきとは別人のように、活き活きとしている。
「私は、あなたを止めるためにきたのですから」
ゴオウがニコニコと微笑む。
その顔に切っ先を突きつけるように、アルトのポルクスが向けられる。
「やっぱり、無理ですか?」
「無理なのは君だゴオウ。それ以上動けば、俺を倒す倒さないに関わらず死んでしまう。俺でも、止められなくなる」
「博士を殺しておいて、それをいいますかね」
アルトは押し黙り、根競べのようににらみ合っていた。攻撃の気配など、なかった。
ゴオウが手を伸ばす。アルトはそれに気づくと慌てて距離をとった。
「何故君が命を賭ける! 君の妹はもういない、なんのために」
「野暮ですね。英雄はそんなのに理由なんて要らないんですよ」
最初に攻撃の気配を出したのは、ゴオウの方だった。しっかりと攻撃の構えを取って、ステップまで踏んでいる。
次の瞬間には、アルトの顔面にゴオウの拳がめり込んでいた。
「アルト、あなたも私も歳をとりました」
アルトは身体をふらつかせている。上手く脳にショックを与えたようだ。片目の瞳孔が開いていた。
ゴオウはそこからさらに距離をつめた。瞬間移動にも見えるその足裁きで完全に自分の領内を得ていた。
「ラミィの声を聞いたでしょう? 世界にはもう、私たちなど時代を通り過ぎた人間でしかないのです。主役は、すでに私たちじゃない。あなたが無理をする必要なんてない」
アルトは咄嗟にガードするが、そのガードのタイミングとゴオウの攻撃が偶然のかち合いをする。アルトの動かした右手が、丁度良く向かったゴオウの拳によって砕かれた。
ポルクスが、アルトの手から離れる。
「なっ!」
「未来を担うのも、世界を変えるのも、若者たちの役割です」
ゴオウの拳が落ちる。仰け反って無防備なアルトに向かって、攻撃の気配をあふれ出す。
「だから、今は私たちが支えましょう!」
「くっ……おおおおおおおおおっ!」
アルトはもう一度ガードの体勢を取る。心臓を狙っているゴオウの拳に合わせて、物を握れなくなった腕を捧げた。
ぶちぶちと、繊維の破裂する音を出して、アルトの右腕が吹き飛んだ。防御虚しく、心臓にもヒットする。
「が……っ! があっ!」
アルトが苦しみにまみれて悶絶する。
「コンボ! ヒエル、ヒエル! シュート!」
わたしは咄嗟に遠距離魔法をそうてん、発射した。
アルトもそれに気づいていたようだが、今の状態で避けられるほど甘くない。
冷気がアルトの身体を包み、凍結させる。
「っあ……あ」
だがそれでも、アルトの身体は動いた。
「義眼ですか、いい人を持ちましたね」
「くっ」
アルトが、義眼ジャンヌでゴオウを睨んだ。
本来ならば、黒い幽霊のせいでゴオウの身体は砕けるかもしれない。
「……そ、うか」
「ええ、そうです」
ゴオウの体には何の変化も無かった。それは避けたりしたわけじゃない。わたしにもわかるくらいに、しっかり当たっている。
半透明のゴオウの体に、影が落ちるだけだった。光り輝くゴオウの体に触れた黒い幽霊は、ゴオウの体内をすり抜けていたのだ。
「もう、助かりませんね」
ゴオウが一歩前に出た。そこには丁度わたしの送った冷気のつららが沢山あるのに、まるで障害物になっていない。
もう、物に触れられないほど、ゴオウの身体は存在が薄いのだ。
「まあ、当然です」
「わかった、この勝負はまた俺の負けだ。命を賭けて戦うのなら、俺はこの戦いで失うものが軽すぎた」
アルトはどこか納得しつつ、それでもまだ何かしようとしていた。
攻撃の気配が、わたしにまで届くほどの力を感じていた。
「ジャンヌ!」
アルトが叫ぶ。その次の瞬間には、彼の周りに可視できる黒い何かがマントのようにアルトの身体に羽織られた。
「あれはジャンヌの!」
わたしはすぐに思い出した。ジャンヌが全身装甲していた黒い蝶だ。
あのときほどじゃない、マントだけだ。でもあれでゴオウは殴れなくなる。触れるもの全てを消滅してしまうのだから。
「うぉおおっ!」
マントに羽織られたアルトの肉体も例外じゃないだろう。アルトはそれでもその痛みを苦にせず、落としたポルクスを拾い上げて、ゴオウに向かっていった。
「ひ、ヒヤリ! シュート!」
通用するかわからずとも、駄目元で射出してしまう。
対するゴオウは……
「な、いつも通りなんて!」
先ほどと変わらず、ただ構えるだけ。いくら無敵でも物理法則は適用されるはず。
「大丈夫ですよ」
ゴオウは迷い無く攻撃の気配を促し、右手を半透明から元の形に戻して拳を放った。
わたしの氷の魔法は予想通り義眼の力で止められて、砕け散る。
その砕け散った氷はキラキラとした輝きを当りに振りまき、突然すべてが集合する。
「大人は、一人じゃありませんから」
「おらぁああっ!」
スノウが現れた。わたしの放った冷気を起点に、この場所にあった全ての氷を吸い込んで現れたのだ。本体じゃない。その証拠に身体に色もつかずただの動くオブジェになっている。
マントを狙ってスノウは飛び込んでいく。もちろん身体は触れている場所から消滅していくが。
「化身……っ!」
「こんなんっ! 物量!」
消滅していく身体をそれ以上に再生させて、強引にマントを払った。その時点ですでに残っていた周囲の冷気をすべて使い果たし、今度こそ塵になって消えた。
「しまっ!」
「はぁあああっ!」
ゴオウの正拳が、あらわになった腹部へと直撃する。腹を貫通して、水の爆発する音がした。
展望台が空気の波紋を広げて、ビルの壁面にあるガラスが余波によって全て割れて落ちる。
ガラスの雨が落ちていく中、アルトの黒いマントは力を失って消滅する。
マントを取り去った身体は、マントの副作用であちこちが火傷のようにただれていた。
だがそれ以上に、貫通した腹部はほぼ全ての組織が消滅していた。アルトは上半身と下半身を別々の場所に落として、倒れる。
「あとは、よろしくおねがいします」
ゴオウは、どこかすまなそうに、困ったように笑っていた。
たぶん、わたしに向かって。とても申し訳なさそうに。
「……そんな顔しないでよ」
わたしのほうこそ、役に立てなかった。
ゴオウは命を捨ててまで戦った。そんな彼に、不満などもてるはずがない。ましてや、過去の親友と戦わせてしまった。
ありがとうと、言いたかった。
「どういたしまして」
それを言うよりも先に、ゴオウはそれだけ言って消えてしまった。
光の粒がまたいて、空に溶けていく。
残されたのはアルトだ。
だが身体を両断され、断面から内臓があふれ出している。もう助かりはしないだろう。
ビルの中で待機していた兵たちが、アルトの死を確認しようと近づいている。
「終わった……」
流石のアルトも、スノウとゴオウの両方には勝てなかった。痛み分け、そんな言葉がアルトを見ながらふと――
「……っ! 早く、早くして! 殺して!」
わたしは、叫んだ。
アルトの体が、若干だが動いていることに気づいた。
本来なら死を待つだけの存在だ、動いているだけでも異常だ。でもわたしは恐怖でこれを言っているわけじゃない。
アルトは目標を持って動いていた。倒れて分離した、下半身にあるカードケースに手を掛けて、一枚のカードを取り出している。
兵たちも何かに気づいたのだろう。魔法を放ってアルトを即死させようとする。
「パアッ……ト」
だがそれ以上に、アルトの死力をかけた叫びが、先に動く。
遅れて、アルトの全身に炎の弾丸が浴びせられ、全身に風穴を開ける。
そんなの、意味無い!
「うそ、うそ!」
アルトの身体はすでに光を帯びていた。穴の開いた箇所がいっそう強く輝いて、傷口を修復していった。
パアット。
世界最高峰のアンコモンカード。その魔法にかかれば、どんな傷であろうと治癒してしまう。
「……火」
アルトが右腕を手刀に構えなおし、手で火の斬撃を放った。
展望台に集まっていた兵たちがその熱量に巻き込まれ、燃えていく。
「うわああああっ!」
「ゴオウ、最期まで君には勝てなかったな」
火にまみれた兵たちが倒れた頃には、アルトが万全の状態にまで回復していた。
「……」
ことりと、この場面で相応しくない小さな音が立てられた。
ジャンヌの義眼だ。目が完全再生したことにより、アルトの左目から零れ落ちたのだろう。
アルトはそれを拾い……躊躇いも無く自分の左目に押し込んだ。
「ひっ!」
わたしは思わず悲鳴を上げてしまう。
ぷっつと、アルトの目がつぶれる音が聞こえた気がした。戦いのために、義眼のために自らの目を潰すのは理屈からしたら当然の行為だろう。
だが、それを何の躊躇いも無く、当然のようにやってのける。しかも義眼は、見える景色が常人のそれとは違うほど狂っているはずなのに。それを誰よりもわかっているはずなのに。
「フラン!」
お母さんの声ではっとなった。
わたしは気がついたら、ビルの壁面からこの演説会場にまで逃げ出していた。
悔しさと情けなさが最初に出たが、そんなのに構っている場合じゃない。
「アルトが、来る!」
「お話は、終わりか?」
背後から、アルトの声がした。
すでにビルの壁面を駆け上がって、この場にまで到達していたのだ。
わたしの体が動かない。
義眼の能力、黒い幽霊がすでにわたしのからだに張り付いているのかもしれない。
「伝は、まだ解除していないみたいだな」
「くっ!」
お母さんも同じみたいだ。身体を左右に揺らすだけで、ほとんど動いていない。
演説会場の中心にいるラミィだけが、意図的にその拘束から逃れていた。
「……」
ラミィはその凛とした顔を崩すことなく、ただアルトの言葉を待っていた。
アルトはそれが不思議だったのか、一度は怪訝な表情を浮かべる。それも一瞬のことで、すぐに元に戻ったけれど。
「ラミィと言ったな、ラミディスブルグウルトーネル。王でありながらも奴隷である人間か、あの二人の子にしては皮肉すぎる」
「……」
「怖いのなら逃げても構わない。俺は君を弱い人間とは思っていないし、逃げるのは懸命な判断だ。生きていれば戦うのなら、ここは彼らを見捨てて生きるべきではないのか?」
アルトはとても嫌な誘導をしていた。
ここで逃げたりすれば、それが全世界に中継される。それがたとえ賢明であっても、それを見た世界の人間はどうなるか。
完全に士気を失う。逃げた時点でわたしたちの敗北は確定するのだ。
ラミィは逃げられない。だからといって、立ち向かっても勝てるはずはない。
どちらにせよ、タスク一味に反抗する思想を、勢力を根絶やしにされてしまう。




