第百六十八話「あそこ つぎ」
カエンが、ヘビのようにうねる炎を右手で束ね、螺旋状に放った。
結局は火、ワンパターンだ。
「いっつもいっつもな!」
「それはてめぇだっつてんだよおぉ!」
カエンは煮えを切らした。炎に紛れて俺たちへ接近してきたのだ。
風のハープで炎を振り払った時にはもう右手を振りかぶっている。その貫手は俺の心臓を狙い済ましている。
ハープを使えば避けることは出来る。でも、糸がそれを許していなかった。
なら、受け入れよう。
「ぐっ……あああああああああっ!」
糸が僅かに身体を反らして俺の下腹にカエンの手が食い込んだ。たぶん、背中にも貫通している。
俺の身体は激痛に慣れてない。ゲノムみたいに盾にはなれない。
「ん?」
カエンが怪訝な表情を浮かべる。まだ理解できてない。
俺がやっているのは、ゲノムの時の再現だ。
あの時、ゲノムの身体を貫いたカエンの身体は、火を吹かなかった。実際にはできるのだろうが、カエンは反射的にそれをしなかった。
カエンは、人間の体に包まれている間だけ、自分自身が火になれないのだ。
思えば、カエンの体が火に変わるのは何時だって敵から身を避けるときだけだ。熱の余波を受けても、その体のまま攻撃されたことが無い。
もちろん、俺の推測がハズレだと言う場合もある。
でもあの時、ゲノムの体を貫いて立ち止まったあの瞬間、焼き殺すよりも手っ取り早く手を引く事を選んだ。
あれは、常に自身を安全圏においているが故の、カエンの数少ないクセだ。
「まあハズレでも、俺ならちょっとはな!」
今までならこんな状況で叫んだりはできなかっただろう。やっぱり、龍の精神と体に近づいてきている。
俺はカエンの手をしっかりと押さえる。
カエンは激昂と俺の怒鳴り声に気を取られている。
グリテはその期を逃すまいと、俺の身体を遮蔽物に、カエンへと迫った。カエンからすれば、瞬間移動でもしたかのような出現だろう。
「っわっかんねぇとでも、おもってんのかよぉ!」
だが、カエンはそれよりも一枚上手だった。
冷静さを失ったこの状況でも、自身の弱点やその危険性を把握していたのだろう。たぶん、俺が避けなかったことで若干だが冷静になったのだ。
「あと一人! まさかあんたとはなぁ!」
俺が片手を抑えに使っていることから、完全に誰が悔杭を持っているのかもばれた。
カエンは手刀を選択する。グリテの右手を摺り切る目算だ。
「くっ……!」
そしてグリテの右手が宙を舞って、隙間だらけで浮いたマジェスの大地から落ちていってしまう。
最後の戦闘は、カエンの都合よく事態が動いていく。
俺たち二人は、完全に負けた。炎のように燃え盛る太陽が、カエンの味方をするように俺達を照らし返す。
力尽き、手を離してしまいそうなその刹那に、俺は見つけた。
どれだけの熱量を敵に回そうと、俺があれを見間違えるわけが無い。渇いた口が、思わず開く。
「ク……ソがぁ!」
「は、はは! 俺っちの勝ち! 残りぜ――」
「ロボォおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「……は?」
カエンが、呆けた声を上げる。
次の瞬間には、右肩に刺さっていた。
悔杭。俺は牙抜き作戦でベリーが持っているのをちょっと見ただけだが、あれはそのときのものだ。違いない。
ロボが、悔杭をカエンの右肩に突き刺したのだ。
俺がカエンの右手を塞ぎ、グリテも自身のわき腹を押さえつけるように、カエンの身体を離さなかった。ベクターとゲノムの暴走魔法がカエンから冷静さを削ぎ、そこへ来た俺の叫びに、カエンは一瞬呆けて気配の察知を遅らせてしまう。
今思ったすべてが、プラスの要因になったとは限らない。俺の叫びなんて、もしかしたらマイナスかもしれない。
それでも、これまでの尽力が、命を賭した結果だ。
ラミィの声に背中を押され、あきらめる事をしなかった俺たちの、勝利だ。
「ぐっ……ああああああっ!」
カエンは予想だにしない敏捷さを見せて、俺たちから離れた。たぶん、二人とも抑える力が弱まっていたのもあるだろう。
だが距離を置いてすぐに、苦しみもだえ始める。右肩に刺さった杭を抜こうとするも、精霊の手では触れられない。次第に身体は球体に包まれて、姿も見えなくなる。
「アオ殿、おくればせました」
だけど、俺にとって一番嬉しいことは、ロボがまだ生きて俺の目の前に立っていたことだ。
ロボは俺とグリテの身体を抱えて、手ごろな地面の上に寝かせてくれる。ロボのバリアは俺たちの流血を止めて、傷の保護をしてくれる。
とはいえ、流石のグリテもあの体で意識を保てない様子だ。
俺が人間だったら、たぶんチビって気絶していたんだろうな。
「……」
ロボは周りの凄惨とした様子を眺めながら、痛ましい目で自分を責めていた。
「遅刻の言い訳を、聞こうか?」
だから、ちょっとだけ気をそらそうと、そんな言葉を出す。
「……夢を見ていました」
「夢?」
「ワタシは光の中をただ進み続け、目的もわからぬまま彷徨いました。どこへ帰ればいいのか、夢のワタシには露とて知りません。ただ、しばらく歩くとワタシを呼ぶ声がいくつも聞こえます。そこに向かって歩いていくと、ワタシの大切だった人、テレサ、ジル、そしてマリアまでもが、ワタシを呼んでいたのです」
それはロボが気絶している間の走馬灯か何かだろうか。心臓すら止まっていたのだから、夢なのかすら怪しい。
「皆、ワタシの全てを許し、癒すように迎え入れてくれます。ワタシは迷わすその袂へ向かおうとした時、ふと足元を暗闇に取られました。ジャンヌが、その仄暗い底から手を引き、ワタシの歩みを止めていたのです。そして言いました、あなたの居場所は、あそこなのかと」
ロボは俺を見て一度だけ、少しだけ肩の力を抜く。その後でまた、警戒するように、俺を守るようにカエンのいる方向を睨み続けた。
「アオ殿や旅の皆を思い出して、ワタシの居場所はここではないと言いました。気がついたときには、ラミィ殿の演説が始まっていた所存です。所詮世迷言と、罵しってください」
「はは、くだんねぇな」
俺はロボの容貌どおり、くだらないと一蹴してやった。
ロボは笑ってくれたが、ちょっとだけ寂しそうな顔をしていたと思う。
ずん、と。音がした。
カエンを包んでいた球体から手が伸びたのだ。
俺はぎょっとなって、腹に力を入れてしまう。ずきりと痛みが走った。
「っざっけんじゃねぇ!」
ぐちゃりと、繭を引き裂くような音を出しながら、カエンが球体から脱出をする。
「おいまて、まさか悔杭が」
「いえ、そういうわけでもなさそうです」
カエンは全身をふらつかせて、額に汗を浮かべている。杭の刺さった右肩は、壊死したように真っ黒に染まっていた。
「どうやら、入りが薄かったようです。あの状況で避けられるとは」
「わかってたさ、そこの二人のどっちかだってのはな、俺っちが全員を燃やそうと火を解放した時、あの時だけグリテは必死になって叫んだ。男の方だと思ってたのによ!」
「グリテが……」
「グリテ殿は、この場で戦を行っている事を常に教えてくれた。荒蜘蛛の火柱が、ワタシを導いていました」
そういえば、あの時だけだよな。グリテが慌てて叫んだのは。
つまりは最初から、この作戦のジョーカーはロボで、ずっと悔杭を握っていたのだ。
心臓も停止して、意識のなくなったロボを、グリテはずっと信じていたのだ。
「てめぇ……本当に生物か?」
「ワタシの名はロボ! この場に篭められた思いを全て背負い、たとえ屍になろうと、精霊といえど討伐して見せましょう!」
ロボは構えを取った。たぶんカエンに刺さった杭を押し込めるつもりだろう。
「いや……まて、俺も参加する」
俺は無理を押して立ち上がった。傷は痛むが、我慢できなくも無い。我ながら人間離れしている。
でも今回ばかりは感謝すべきだ。
カエンは疲弊しているとはいえ、冷静さを取り戻しつつある。ロボが出し抜かれる心配もあった。
「アオ殿、よろしいのですか?」
「ああ、一回だけな」
だから、確実に勝てるであろう方法を選択する。
「なんだぁ? やっと火を使うのかぁ?」
「いや、いらない」
「だったらさ! やっぱ俺っち――」
俺はカエンが起き上がったときにはもう、曲を唱えていた。
「ほらよ」
引き寄せる曲はカエンの炎ごと俺の左手に集合する。ホント簡単に、左掌で杭の根元を叩いてやった。
碌でもない。カエンが怒りに身を任せて炎なんか焚くからだ。俺に攻撃の気配が無いものと、油断しすぎている。
「最後はやっぱ、しょっぱいもんだ」
カエンの弱点は、類稀なる戦闘経験があるが故に、百年培われた先入観がなかなか取れないことだ。
停滞を壊してばかりで、躍動には近づけない。
俺の隣で、竜巻のように逆巻く音がした。
「光の……巣!」
グリテが、カエンの身体をぐるぐる巻きにして、落ち行くカエンを糸で吊ったのだ。
ぐるぐる巻きにするのは、万が一杭が外れないようにだろう。何故吊ったままなのかと言われるとたぶん……やるなら徹底的にってことだろう。
このままだって、結果的には十分だろうに。
「はっ、情けねぇな」
グリテは自重するように微笑んだ。体中はあちこちが火傷していて、吹っ飛んだ右手はどこにいったのかもわからない。くっ付けるにも部品が無くてはおじゃんだろう。
「ほんとさ、あんたらむかつくんだけど」
カエンが簀巻きにされながらも減らず口を叩く。だいたい予想通りだ。
「テメェの負けだクソ精霊」
「ああ負けたよ。だからどうしたって? 精霊は死なない。お前らさ、この杭がどいうもんだかわかってんの?」
「……」
「人間の死体で! 作ったやつなんだぜ! 生きた人の手がないとなんもできねぇ杭さんよ、しかもその封印だって完璧じゃねぇ、人の手で外してもらえばいいだけなんだからな」
カエンは悠々と俺達を睨む。この封印の脆弱さを、俺たちだって知らないわけじゃない。オボエの封印をした時もそうだったし、もっともな言い分だ。
精霊は寿命の概念なんて無いし、それこそ百年二百年の時などあっという間だろう。
グリテは割れたサングラスから瞳を覗かせる。それはどこまでも深く、仄暗い何かが潜んでいた。
「いつか絶対。欲にまみれた誰かが俺っちの封印を解く。わかる? あんたらがやったのはそんなもんさ! まあ俺っちは退屈が嫌いだけど、気長に待たせてもらうさ」
「……」
「なぁどうしたんだよグリテ、お前! 涼しい顔しちゃってさぁ! 何ならどうだ、俺っちの封印が解かれた時にあんたをいの一番に殺しに行ってやってもいいんだぜ? まああんたが寿命で死んだら一族皆殺しって手も」
「そっか、じゃあ仕方ねぇな」
グリテが、今まで見たことの無いほど穏やかな声で呟いた。
逆に静かすぎて、俺の方まで鳥肌がたってしまう。
「はぁ? なにいって……」
カエンが怪訝な表情を向けていると、グリテはそれに応えるように指を動かした。
ゆらりと、吊られた糸が揺れ動いた。縛られたカエンの体が回り、俺達を見ていた上から、これから落ちるであろう下へ。
たぶん、最初は何を見せられたのかわからないだろう。何せ真っ黒なのだ。
「……あ」
カエンはその場所の正体を知る。知識に疎くても、精霊はやはり知っているみたいだ。
「世界の……皹」
世界の皹。
それはマジェスより数キロ先にある、一直線に引かれた崖だった。崖の側面にある洞窟へ入ると淵の精霊や、マネスルというモンスターがいたりする。
底の見えない暗闇の中は、どこまで続いているかわからない。
ベクターたちとは最初から打ち合わせをしていた。封印したら、この場所に落とす事を。
「確か……人間の最高記録は、自由落下で一週間らしいな、底は見えなかったみてぇだが」
「お前! わかってねぇよ! ここがどういうとこだか! あの中にあるのは底とかそういうもんじゃねぇんだ!」
「は、やっぱ精霊はしってんのか」
カエンが、初めて目を剥いて吠えた。
グリテはその瞬間を待っていたと言わんばかりに、心の底からの笑みを浮かべる。
あのまま落とさなかったのも、たぶんこの反応を見るためだ。
俺が言うのもなんだが、かなり性格が悪い。
「負けた奴にいつかなんて、ねぇんだよ、わかるか? 餓鬼」
負けは死ぬことだ。勝てなくても生き残ろうとして初めて、次がある。グリテは本能的に、それをわかっているんだ。
「てめぇ!」
カエンの叫びと同時に、グリテの腰が炎を上げた。丁度カードケースのある場所だ。
たぶん、炎のサインレアが燃えたのだろう。
イタチの最後っ屁だ。グリテを殺そうと、最後の手段を持ってして火を吹いた。
だから、いちいちこんな事をしないでさっさと落とすべきだったんだ。
「せっけぇな」
グリテはそれをせせら笑う。満身創痍のグリテにはこの状況をどうにかする手段が無いのに、平気な顔をしている。
「その火はぜってぇ消えねぇ、カードを手に持とうものなら溶け落ちるぜ。どうするよ、消してやろうか?」
カエンにとって最後の強がりだろう。命乞いかもしれない。
その一瞬、俺の中にある心の部屋が開いた。
世界の意思である精霊の死に、証のサインレアが反応したみたいだ。
俺は知らされる。知らない記憶を思い出させられる。
かつて、俺の知らない時代に一人の男の子がいた。
龍も精霊も人に干渉をしなくなって久しく、多くの国が雌雄を決し、三大国家が統治しきれていない、群雄割拠の世の中で彼は産まれた。
少年には素質があったが、産まれてすぐにその資質を潰されることになる。
人体実験。精霊の作る陣を模倣しようとした人間は多かった。国は自らの地位を確立するために陣を施しては失敗することばかり。
少年もその失敗に巻き込まれた一人だ。全身は焼け爛れ、血管からは見たことも無い植物が芽を出す。ただ産まれ持った才覚が、彼を生きながらせた。
世界中の人間が、一つの意思を持っていた。こんな世界が、いつまで続くのかと。
人魔聖戦、龍動乱や、二十年前の戦争よりは世界にとっては生ぬるい争いだったろう。それでも、多くの人々が虐げられ、そう願っていた。
少年は死に絶える身体を知りながら、それでも自由を得ようとしていた。
最期の日、その研究室が襲撃にあう、炎上する室内で研究者たちは逃げようと必死になっていた。
見捨てられるのは少年にとってもチャンスだったはずだ。虐げられた牢獄よりも、炎の中で死ぬか、どさくさに紛れて逃げるのも考えられた。
でも少年は、そうはしなかった。
自らを虐げた研究者たちに向かって牙を剥く。もう手ともわからない体で、研究者に手をかけた。
少年からしてみれば、助かることよりも、自分がこのまま逃げた研究者たちを恐れていることが、同じ感情を捨てられないことの方が嫌だったのだ。
その停滞を打ち切るために、死を覚悟して立ち向かった。
死ぬことよりも、同じ感情を捨てられないことが怖かった。
それに世界は応え、精霊が生まれる。
戦乱を無闇にかき回し、良くも悪くも戦争を早期終結させた炎の精霊。
彼にとって、変わらないものは死と一緒だった。
「……んなもん」
「……アオ殿! このままではグリテ殿が」
「手助けなんてあいつには屈辱だよ。だから今はいらない」
証のサインレアって、ほんと害悪だな。
こんなもん見せて何がしたかったのだろう。必要な記憶なんていっているが。俺にこれを知らせて何がしたい。
やっぱり、あいつも精霊なりの信念があるとかか?
くそくらえだ。
グリテは炎に身体を焼かれながら、涼しい顔をしてカエンを見下していた。
「助けたら、こいつ消すのか?」
「……消してやるよ、なんだ? 命が惜しくなったってのか? いいんだぜ、そういうのも――」
「もう黙れよ餓鬼」
カエンが少しだけ饒舌になった、ちょっと元気付いたその瞬間を狙ったのだろう。
グリテが、手に持った糸を離した。
カエンは何か言おうとしたが、言葉が見つからなくて、そのまま地球の皹の中へ落ちていってしまう。暗闇の中に吸い込まれて、見えなくなってしまった。
あの精霊は、寿命で死ぬことも出来ない。封印されて動くこともできない。ただ永遠に同じ暗闇の中落ちていくだけだろう。完全なる、停滞だ。
グリテはカエンが見えなくなってとうとう力尽きたのか、体中から力を抜いて前のめりに倒れそうになる。そのまま落ちたら、世界の皹の中へまっさかさまだ。
ロボがまた助けようと一歩前に出るが、今度は俺が止める必要も無く後ろに下がった。
「……クソが」
「……そ」
ベリーが、グリテの手を握って下へ落ちるのを防いだのだ。
炎にまみれたグリテの体に手を突っ込んで、一枚のカードを取り出す。魔法抗体は身体を炎から守りつつ、カードについていた火を払っていった。
「ほ、のお」
炎のサインレア。
ベリーが手に入れることの出来なかったサインレアだった。たしかグリテに個人的な恨みがあるのってアレのせいなんだよな。
「……だい、丈夫?」
ベリーはあっさりと、そのサインレアを地球の皹の中へ捨てた。
グリテはその様子を眺めてから、ベリーを無視して目を閉じた。




