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第百六十七話「なまえ まえへ」

「それでさ、何が変わったってんだよ!」


 カエンは歯軋りをさせながら、ベクターの身体を捉える。満身創痍のベクターの動きは、カエンには容易に対応できた。

 ベクターの右腕が、あらぬ方向に曲がった。

 だが次の瞬間には、吹き飛んできたキングベクターの小破片がベクターの右腕の肉に食い込み、折れた骨を矯正する支柱になる。血を噴出し、激痛に目が血走る。


 ベクターはホムラや精霊のように再生能力なんて無い。暴走状態で意識も感覚も定かじゃない体で、鬼気迫る戦いを繰り返した。


「……」


 カエンですらその所業に我が目を疑っていた。何かを感じていた。


「っ! くぉあ! どうせ頭か心臓! どっちかやりゃいいんだろ!」


 カエンの目も血走り、やけになって攻撃を始める。暴走の余波がカエンから冷静さを削ぎ取っていく。

 ベクターは心臓と脳だけは守り続けた。確かにあれなら即死はないだろう。でも、出血には限界がある。


「おぉ……」


 ベクターが、膝を突く。それだけで、部位に刺さったキングベクターの破片はさらに奥へ食い込んだ。全身を埋め尽くすほど、破片が引っ付いていた。

 カエンは、その期を逃さない。


「きえちまぇよ!」

「一曲目!」


 俺も、逃すわけが無かった。

 一曲目は無限ジャンプの魔法。味方全員が飛行できるようになる。


「十五分、ジャストだ!」

「じゃ、すと!」


 グリテもそのときを待っていた。糸を使って無理矢理ベクターの身体を引っ張り上げる。溶けたマグマの世界を上手く避けてこちらにまで持ってきた。

 ベリーはもう動かないゲノムの身体を、無限ジャンプで拾ってきた。


「無駄なことすんじゃねぇ!」

「でも!」

「っち! ツバツケ!」

「だ、め、足りない、土の盾!」

「そんな時間ねぇ!」


 グリテのツバツケですら最大限の譲歩だ。これ以上はベクターの生死に関わるとしても、それどころではない。

 すでに、カエンはこちらにまで迫ってきていた。


「終りだっての!」


 ベクターを追って、そのままこちらにまで来ていたのだ。

 風のハープである程度は距離を歪められても、遠回りしたところでいつかはたどり着かれる。


「にしても早過ぎだって!」

「炎上だ! 荒蜘蛛ォ!」


 荒蜘蛛が俺たちの間を遮ってくれる。


「な!」


 が、カエンの暴走した体では足止めにすらならない。荒蜘蛛は、目くらまし程度にしかならなかった。


「どけよてめぇら、俺っちは納得しねぇ!」

「行けベリー!」

「うん!」


 魔法抗体のあるベリーがまず斥候として放たれる。空中を移動できるようになった身体はいつも以上に俊敏だ。

 俺もグリテも、それを機転に飛び出す。結局は悔杭を当てるためのブラフだ。誰が持っているか知らないが、近づいて損はないはず。


「どけっつってんだよ!」

「ぐっ!」


 だが、近づくことも困難だ。カエンの暴走する熱量は風のハープしかない俺では限界が来る。

 熱い、痛い。

 十五分やそこら休んだところで、疲労は全快しない。

 その一瞬を付かれた。


「吹けば燃えるちりみてぇによ」

「か、あぁ……」


 ベリーが嘔吐して、枯れた声を漏らす。

 カエンの拳が、そのままベリーの体に入った。魔法抗体が熱の貫通を防いでも、内臓破裂はしたかもしれない。精霊の暴走状態の腕力は、尋常じゃないだろう。


「……あ」


 ベリーが何の抵抗も無しに、倒れて動かなくなった。

 吹けば燃える。俺たちは一撃でもくらえば死ぬ可能性があるのだ。


「あと、三人か?」


 暴走したカエンに、戦えるのすら怪しい。凄まじい熱量は、いるだけで脅威だ。


 ほんとうに、俺たちだけで戦って、こいつに勝てるのか?


 弱気が声になりそうなとき。

 背中から、ただの追い風が吹いた。


「……?」


 不思議な風だった。

 こんな風じゃ今の灼熱は和らがない。なのに、どうしてか、意識を持っていかれる。


『私は今、これを聞いてくれる皆さんの時間を、少しだけ借りたいと思っています』


 放たれたのは、ラミィの声だ。

 空から、地面から、風に乗って声が届く。伝のサインレアは、まるで地球が囁いているような近くにラミィがいるような、そんな魔法だった。

 もう、時間になっていたみたいだ。


「戦ってるのは、俺一人じゃないもんな」


 ラミィだって今、戦っているのだ。敵なんていなくても、その身を糧にして、何かを成し得ようとしている。


「行くぞグリテ!」

「うるせぇ!」


 グリテもまだ戦える。肩を並べて、足を動かしてくれる。なら進む以外に何がある。


『私の名前はラミディスブルク、ウル、トーネル。名字があります、そしておそらく皆さんが知っているであろう国、トーネルの現国王の娘です』

「あぁ? まあまあ元気になっちまってさ、この女の声がそんなにいいわけ?」

「一曲目!」

「光! 光! 光の巣!」


 俺は、グリテをまきこんで飛翔の音楽を再度奏でる。

 グリテはその間に、光の糸を両手から溢れさせる。一瞬で景色の中に溶け込み、どこにあるのかわからなくなった。

 ただ、引っ掛ける障害物が無く、地面の上では溶岩に燃やされてしまう。


 グリテは、俺を引っ掛けに使った。グリテと俺の間に無数の糸が張り巡らされる。


「いいねぇ人間らしいよ。どうせならさ! 女の名前でも叫んで隠れた力でも引き出したらどうだぁ!」

「うぉおおおおおっ!」

「精霊の話くらい聞けよてめぇら!」


 グリテと俺はカエンを囲うように陣形を取る。間に糸を敷いて、カエンを捕らえようと動くが、


「じゃあいいよ、はよしねや!」


 糸はすぐに焼かれて消える。カエンには見えずとも、何の障害にもならない。

 だが届いた。


 風のハープのふっとばしは、糸を伝ってカエンの全身にアッパーをかける。

 空に呼んでやった。


『私の名前は初めて聞いた人も多いと思いますが、姿を知っている人は多いはずです。私はかつてタスクの宣戦布告の際、その場に居合わせて人の持つ強さを示したつもりです』


 ただ、そんな事をしてもカエンの炎は衰えない。

 俺は目が火傷してしまいそうな錯覚を感じながら、グリテの糸に引っ張られるように近づいていった。

 グリテも、俺との引っ張り合いに抵抗することなく、カエンを挟み撃ちにする。


『ただ、私も参加した牙抜き作戦は失敗して、今もマジェスが滅びの危機を迎えていることもわかっています。戦況は芳しくなく、今私が話している間にも、人類は負けてしまうかもしれません。これを聞いている皆さんも、不安に思う人は少なくないと思います』

「おらぁ!」


 カエンの炎は、風のハープで弾き出す。近づけば精度も落ちるし、出だしを射止められなければ身体は焼かれる。

 火傷を負いながら、俺とグリテはただ近づくことだけを目指した。拳を振り、あたかもチャンスを狙うように、身体を動かす。


『でも、ごめんなさい。私はあなたたちを守るつもりはありません。無責任と言う罵りを受け入れます。しかし私一人、いえ、世界を守ろうとしている屈強な英雄たちでも、所詮世界を守ることは不可能なのです』


 一向に悔杭が現れないことに、カエンはさらに苛立ちを募らせていく。

 もっと、もっと冷静さを損なわせるんだ。

 右足がカエンの火を浴びてしまう、ぶくぶくと沸騰して水ぶくれが起きる。


「……つっ!」

『私はそれを踏まえたうえで言います。私たちは、戦います!』


 グリテも似たようなもので、この戦い方ではいつか限界が来るだろう。隙を付くのも、難しい。


『全霊を賭した牙抜き作戦は失敗しました。でもそれは無意味でしょうか? いいえ、意味はありました。たとえどれだけの苦汁を飲まされても、私たちがまだ生きていると言うことです。たった一度失敗したくらいで、自分の無力を教えられたところで、全てを諦めるようには、できていないからです』


 それでも俺たちは戦うしかないのだ。活路はある。作戦も残っている。生きているのは俺たちだけじゃない。


『私は皆にタスクと戦えなんていいません。でももし、あなた達がタスクの言う死を受け入れられのでしたら。どうか近くにいる誰かの事を見てください。それができたのなら、あなたはまだ死にたいとは思っていないはずです』


 だから、もうちょっとだけ、俺はこの声を聞き続けていたい。


『タスクはいつか世界に死を撒き散らします。その時に、あなたは身近な誰かとだけでもいいから、生き残ろうとしてください。私たちは、生き残ろうとするその意志には全力でサポートします。でも、その最初の一歩は、あなたが前に進まないといけません』


 あと少しだけ、カエンと戦おう。


『そんな、近くの誰かを守りたい想いが繋がって、世界中の人たちがその思いを一つに持てば、いつの間にか世界が救われると思いませんか? 一人が二人を、その二人がまた別の三人目を、そんな人たちが世界中に溢れれば、私はタスクに勝てると、そう思います』


 意識が遠くなるが、その度にグリテが繋がった糸で活を入れてくれる。俺が危なくなった時も、その糸で誘導してくれた。

 ほんと、情けない。


『私がこんな事を考えられるようになったのは、王族だからじゃありません。事情があって、私は今奴隷をしています。長くなってしまうかもしれません、でも聞いてください。少しでも、この気持ちを共有したいから。この気持ちを気づかせてくれた、私の大切な仲間たちとの、旅の毎日を――』


 ならやっぱ、勝たないとな。


「ふ……フハハハッハハ……ハハハ!」


 俺たちの耳を叩いたのは、ベクターのせせら笑いだった。

 腹筋から血を流してもなお、その口を止めない。無理ばっかりする命知らずの王様だ。


「この瞬間を待っていた! 我こそは変革の観測者!」

「死にかけがぁ!」


 カエンはその声へ本能的に反応する。すでに脅威にならないベクターに対して炎を放った。

 俺はそのわかりやすい炎をチャンスと見て、風のハープで分散させる。

 グリテは横からカエンへ接近し、懐に手をしのばせる。俺も時を同じくして、手を背中に隠して接近した。


「ほんと、うざってぇ!」


 カエンはまた体からフレアを噴出させ、俺達を引き剥がした。


「どいつもこいつも! おまえもおまえも! この数分ぼっち、この状況で、何ができんだよ!」

「それだけあれば、貴様に勝てる! 世界とは常に、一瞬の輝きに踊る! 活目せよ! これぞ人の持つ輝き!」


 倒れた体で、一体どの腹から出ているんだと言いたくなるような怒声が、ベクターの体から放たれる。


「人類斥候! 神豪爆誕! 発進せよ、マジェスッ!」


 ベクターはそれが最後といわんばかりの怒鳴り声を放ちながら、血を吐いた。

 次の瞬間に、変化は起きる。


「な、なんだ」


 大地が揺れていた。いや、俺もこの話は聞いていたはずだ。

 マジェス全体が、振動しているのだ。国に残された魔力を総動員して、マジェスに属する斥の精霊がそれを還元する。


 空を飛んでいる俺たちは、一番に気づくことができた。


 マジェスそのものが、戦艦になって浮き出したのだ。

 大地を引き剥がす音が響く、さしものシャンバラも空を飛ぶマジェスに振り落とされ、同じく落ちていった瓦礫の中へと埋もれていく。


「今更」


 カエンは、小ばかにするようにそれを見て笑う。たしかにそうだ。

 本来なら、もっと前から発動すべきことだ。シャンバラによってそれなりに魔力を吸収された今を狙う必要はない。


 たぶんカエンは、そう思っている。


 わかっちゃいない。

 今、このタイミングでマジェスが空を飛ぶ意味が、人の意思の理屈の通らなさを。


「荒蜘蛛ォ!」


 グリテが炎のサインレアを発動させる。まるで景気づけの花火みたいに、火柱が立った。

 俺たちのいる場所はボロボロだ。大地だって割れに割れて、足場なんてほとんどない。

 でもそのおかげで、浮き上がったマジェスの破片が障害物となって俺たちの周りを囲い始めた。糸を引っ掛ける場所が、必然的に増えた。


「さぁ、最終ラウンドだクソ餓鬼!」

「いちいちいちいちさぁ……お前らやっぱ嫌いだわ!」

「俺も嫌いだ」

「しゃべんじゃねぇよ!」


 俺とグリテは構えた。

 カエンが暴れればこんな障害物すぐに溶かされる。つまりはそう何度もこの状況は残っていない。

 いや、たぶん今回、一回きりだ。チャンスなんて、二回以上期待するべきじゃない。


「ま……あと二人か、終わりだな」


 カエンは動かなくなったベクターを見下してから、俺たち二人に集中する。

 冷静で無い頭でも、この一回が最後だと気づいたみたいだ。

 そんなに長くはない。勝敗は一瞬で決まる。


「ああ、終わりだよ!」


 俺がまず動いた。悔杭をもっていない以上は、囮として最大限の活躍をするしかない。

 グリテも俺をデコイとして認識している。後ろからついてきながら、糸で都合よく誘導してきた。


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