第百六十五話「はなれる しん」
「行く」
「待て」
ベリーが無理にでも戦闘に参加しようとしたが、グリテがその身体を止める。
「十五分、あいつはたしかにそういってたな」
「あ、ああ。俺も聞いた」
あれはおそらく、キングベクタービーストの活動限界時間だろう。その間なら、戦っていられると。
俺たちにあえて時間を伝えた意味を考える。
「……弱点を探れってことか?」
「それだけじゃねぇ」
グリテはカエンから目を放そうとしなかった。たぶん、この十五分を有効活用する期だろう。
でも、それだけじゃないって。
ベクターはその後で、残響も同じって言ってた気がする。
とりあえず俺も、カエンの動きに注目する。
あいつは素の攻撃力が尋常じゃない。面と向かうなら特殊な体でもない限り防御する必要がある。格闘能力もそれなりで、気配への対応力もある。いざという時は身体を火に変えて回避まで可能だ。
でも、こんなのは事前に知っていた情報だ。
俺たちに必要なのは、あいつを確実に足止めする方法だろう。悔杭を当てられる手順が今の課題だ。
「……あれ? 暴走?」
そこでやっと、俺は気づいた。
「カエンの炎が、強くなってる」
ベクターと戦っているカエンの身体は、より強力に、凶暴な牙を剥いていた。
「残響って」
「あっちも、暴走」
キングベクターが取り入れたのはゲノムの体だ。能力を極端に強化できるが、理性を失い暴走してしまうリスクがある。
そしてそれは、敵にも通じる。
カエンの目が血走り、攻撃が今まで以上に単調になっていた。ただその攻撃力は凄まじく、キングベクターも無視できないダメージを負う。
「十五分、あいつが消えた後で、オレたちの制限時間だ」
「強くなる分、敵が冷静じゃなくなる……」
精霊に残された人の名残は、その感情といっても過言ではないだろう。
時が経つにすれそれすらも無くしてしまうが、カエンはそのなかでは人としての形を保っている。
つまりは、精神に対する攻撃が有効打になるのだ。冷静じゃない奴なら、隙を付けるかもしれない。
ただ攻撃力もその分強化される。
ハイリスクハイリターンだ。
でも、そうまでしないと勝てない。ここまでやれば、勝てるかもしれない。
「本当に怖いのは、力の強い敵じゃねぇ、相手を出し抜くしたたかさだ」
「かしこ、く!」
グリテはすでに、その結論に至ったのだろう。観察を続けている。
カエンのクセでもなんでもいいから、見つけて勝つしかないのだ。
キングベクター滅んだ後に、俺たちでカエンを倒さないといけなくなる。
***
「ポルクス、昔いた大量殺人犯の名前です」
ゴオウは気楽にも、わたしの知らない人間の話を始めた。
先ほどわたしの事を見られた気がしたが、気のせいだろうか。
「おいゴオウ、ぽるなんとかが誰だかしらねぇが今は」
「聞いてください。彼は双子の兄弟だったんです。弟のカストルと互いに依存するように毎日一緒にいた双子で、二人だけの独自の言語まであったそうです。ただ年月を重ねるにつれポルクスのほうに才能があるとわかりました。学問と運動においてポルクスは天才的で、何をやっても上手くいきました。カストルは逆にうだつのあがらない人間だったそうです」
ゴオウは、アルトの持っていたその剣じゃない何かに向かって話しかけている。
「ポルクスは大人になると、殺人を日常的に犯すようになりました。その秀でた能力を活用して一度も掴まることがなかったとまで言われています。でも、ある日を境に変わりました。カストルが心不全で急死したのです」
アルトはたぶんそれをわかっているのか、下手に攻撃をしては来ない。今はアルトが不利なのだ。たぶん、スノウが痺れを切らすのを待っている。
「すると不思議に、ポルクスは犯罪をやめ、自首しました。実はカストルは、何もできない人間ではなく、人を操る能力にのみ誰をも上回る才能があったそうです。ポルクスは猟奇的なカストルの本性に気づきながらも、彼に逆らうことができず犯罪を起こしてしまいました。彼はカストルが死ぬことで初めて解放されたと、自首する時に告げたそうです。その、アルトが持っているポルクス」
ゴオウがアルトの剣じゃない何かを指差す。ここまで来ればわかる。あれがポルクスなのだろう。
「それは彼の、カストルと言う兄弟から離れたいという願いの具現化。おそらく、離れる能力を持った、仕切りです」
たぶんゴオウは、わたしやスノウ、この会話を聞いている全員に情報を提示しているのだろう。
アルトの武器は剣じゃない。タスクの作り出した、ポルクスという人間の執念なのだ。
「だから、ポルクスを振り回すことは逃走のそれに近く、気配も見えません」
わたしはスコープで、展望台に落ちているスノウの片腕を見つめる。
切断面は真っ黒に染まって見えない。が、わたしがみている傍で、ぴくりと指を動かしていた。
「そのため、再生しませんよ。あなたの体とその腕は、ただ距離が離れただけですから。機関や感覚は繋がっています」
「わーかったよ、いちいち」
スノウは切断面を見つめながら、その落ちた手が握ったり開いたりしているのを確認している。
「離す能力なので攻撃でもなく、物を選ばないので防御は意味がありません。解除方法は切断面の黒い箇所をくっ付ければ――」
「いらね」
スノウは自分の肩から先を砕いた。腕は溶けて水に変わり、スノウの砕けた肩からは新しい腕が生えていた。
「あたしは、こうする」
「強引ですねぇ」
「いつものことだろう」
アルトが、自然とその会話に混ざる。
ゴオウとスノウはそこで口を閉ざして、アルトを睨んだ。
「待っていてくれるんですね、やはり」
「ゴオウなら聞くまでも無く、わかっていただろうに。変わらない」
アルトが自重の微笑を浮かべる。まるで、ゴオウの笑顔に感化されて緊張を解いたみたいだった。
だからといって、戦闘が終わるはずも無い。もうすぐ衝突する。津波の前の海面は、とても穏やかだった。
「アルトは変わりましたね。特に、疲れています」
ゴオウが、構えた。わたしは見たこと無いが、たぶん格闘術を使うのだろう。
アルトはポルクスの柄に手を伸ばして、空高く飛んだ。
スノウが、アルトの足場一帯を氷山で埋め尽くしたのだ。
「ゴオウ! アルトはあたしが近づける! あんたはそこだ!」
「はい」
ゴオウがにっこりして、頷く。
スノウはアルトを追って飛び上がった。
「本当に、単調だ」
アルトはそれをわかっている。ポルクスをレイピアのように構えて、目にも見えない素早さで突き刺した。
「馬鹿の一つ覚えってかぁ!」
スノウは刺されるのも構わず、攻撃を続行する。
精霊は死なない。ならいくら攻撃を受けても構わないのだ。むしろポルクスはどんなものにも距離を作る武器である以上、防御にはまるで向かない。
「んな武器崩れ!」
スノウの攻撃は止められない。いくら分割したところで、痛みも受け止めることもできないのだ。
頭をわしづかむスノウの手が、アルトの眼前に迫る。
しかし、その手はポルクスによって根元から寸断された。
「な、突き刺したば――」
「はぁ……ボボン」
「チョトブ」
ゴオウが溜息交じりに魔法を唱えた。爆発の魔法をアルトには避けられるが、スノウの体に直撃した。
スノウの全身はそれに抵抗することなく全部溶けていった。
アルトの攻撃は素早かった。突き刺したと思ったらすぐに肘を引き、手首をひねって何度も撫でるように振り回したのだ。
それによってスノウの全身は細切れに分解されて、下手をすれば活動することもできなかっただろう。
ゴオウはそれを助けるために、スノウの身体を吹き飛ばされる前に破壊したのだ。
スノウの身体は、ゴオウの隣で再生する。
「スノウ、精霊になってから迂闊になりました? 死なないからって無闇に飛び込んではいけませんよ」
「うっせぇんだよ! わかって――」
「わかってませんね」
アルトは手首を押さえながら、自身の腕の心地を確かめている。痛めないよう、マッサージをしている余裕まであった。
ゴオウはそれを止めようとはしない。先ほどからほとんど身体を動かさないのだ。
おそらく、戦闘中に勝つための動きをすれば、体が光に溶けてしまう病気が進行するからだろう。
「それが、あなたなりの精霊の殺し方ですか?」
「全身を、五感すべてが認識できなくなるまで分割する。たとえ意識があっても、その体が何も感じず届けられなくなればそれは死んだと一緒だ」
「月の精霊にも、それをしましたね」
「ああ、俺がやった」
スノウが肩をびくりとさせる。アルトの言葉に、若干だが恐れを抱いたのだろう。
ポルクスを喰らえば、精霊でも活動を停止する。
知覚できないままただ思考のみが生き残る状態では、精霊は人としての意識をほぼなくしてしまうだろう。スノウはまだそれが残っている方だ、消えるのが恐ろしいのは誰だって……。
「くっ、ははっ!」
スノウは震える自分の両肩を抱きながら、笑っていた。
「そうだよ、これだ、やっぱあたしは性分って奴なんだろうな」
「……」
「こっちの方があたし、楽しい! 生きてるって思える!」
スノウは肩をぶんぶんと振り回して、合図も無しに飛び出した。
「あっはぁ!」
えぐるようにアルトへ肉薄する。
アルトはそれに対応するようにポルクスを構えて、振り上げる。無論これはヒットするが、
「飽き飽きだよ」
スノウはそのポルクスに頭から飛び込んで、大口を開けた。口の中を貫いたポルクスの根元に噛み付いた。
そのまま首をひねって、振り回し、投げる。
その先は、ゴオウのいる方向だ。
「ほんと、荒っぽいです」
「同意だ」
アルトは凍って動けなくなった手を放棄して、もう片方の手を開く。
手にしたのはいつもの剣。たぶんあれは、時間戻し!
「シュート!」
わたしは、ここだと思った。
「っはああぁ!」
スノウもそれにあわせるように、辺りの氷柱を砕いて投げた。
アルトの身体をズタズタにする雨が横から降り注いでいた。攻撃の気配がわかっていても、避けられないはずだ。
わたしの大砲射撃は、確実に目標だけに当てられる。逆にアルトは、迎撃しようにもつぶてが邪魔をしてくれる。
ましてや、アルトは時間戻しをする際に牙のカードを唱えなければならない。
勝てる、そう確信したからこその射撃だ。
アルトは瞳孔を開いた。そう思った次の瞬間に、自らの腕を切り落とした。
「な!」
きりもみ状に回転して、そのまま切り取った腕は飛び上がって、わたしの放った遠距離魔法に命中する。なんと腕を切り取られる寸前にポルクスを投擲、それによって僅かだがつぶての雨に道が生まれ、それに続くようにしてわたしの魔法へ一直線に向かってきた。
スピーの魔法はアルトの切断された腕に命中して、不発に終わる。
「牙!」
そうしてアルトは、残された腕でカード入りの剣を地面に突き刺す。
「命中した対象だけに発揮する効力か、別に飛ばす必要も無かったな」
数秒前のアルトの姿は、腕も元通りになったまま、空を見上げる。
こちらまで見通す視力はないだろう。でも、確実に目があった。こちらにまで攻撃できるはずも無いのに、心臓が緊張でバクバクと音を立てた。
「珍しいですか?」
「……いや」
ゴオウがその目を反らしてくれる。心なしか、その笑顔は自慢げだった。
アルトは自分持っていた剣のほうを掲げる。
時間戻しの力で数秒前に戻ったはずなのに、元々傷一つなかった剣は割れ、カードが破けていた。
ゴオウは移動していた。その体の無理を省みず、アルトの戻るであろう数秒前の位置で構えていたのだ。
拳一つ動かすだけで、これだけの戦果を上げられる。やっぱりゴオウはすごい。
「時間戻し、万能のように見えますが、その時間を戻すアイテムだけは例外なんですね」
「第一関門クリアァ! よっしゃぁ!」
スノウもゴオウも、剣の中にあった牙のサインレアは知っていた。
今回はポルクスのことばかり台頭して、うっかりと忘れてしまいそうな中、二人はしっかりとその脅威を念頭に置いていたのだ。
アルトだけじゃない。英雄は、スノウとゴオウで二人いる。
「訂正しよう、三人とも流石だ」
アルトは敬意を払うようにポルクスを真上に立てて、例をとる。
「英雄は死なない。鋼鉄は錆びようともその芯は強固に、幾度となく再生する」
「いいでしょう? これが仲間だったのですよ」
「あんたはそんだけのもんを裏切ったんだよ、フランクじいを殺しやがって」
ゴオウとスノウは、肩を並べて構えなおした。まだ戦いは終わらない。
かつての英雄が、アルトの全てを否定しようと命をかけている。
わたしも、じっとしてはいられない。
「っ!」
「フラン何してるの!」
お母さんが思わず叫んでいた。
わたしは窓ガラスを蹴破り、風の吹き荒れる窓の外へ足を踏み入れる。
壁面はドッカベだが、窓は違う。わたしは光水の遠距離砲台を引き摺って、いっこ下の階にある窓へアンカーをかけた。
「この隙間じゃ、限界がある!」
わたしは射角を広げるために、アンカーに足を掛けて壁面にへばりついた。バランスを崩せば、トリガーから手を離せば、まっさかさまに落ちてしまいそうだった。
「トゥルルを切る、お母さん、あとはお願い!」
連射数を上げ、選択肢を広げる。
あの英雄たちの戦いは、並の冒険者じゃ入り込めない。わたしみたいに遠距離で無理矢理入り込める人間が必要だ。アオとの連携ならほかの人でもできる。
わたしはわたしに出来ることを全力で挑むしかないのだ。




