第百六十二話「しげき しんらい」
フランも、光水の魔法でカエンの存在に気づいたのだろう。本部に伝えようとして、しもどろになっている。
氷付けになったらシャンバラが霧散して、その下に隠れていた町の残骸が、この空間に隠し場所をなくしていた。
「俺、餓鬼は嫌いなんだよ」
もちろん隠れる気は無い、氷の剣を構えなおして、カエンを睨む。
カエンは俺とロボをそれぞれ眺めてから、右手を耳の当りに持っていく。
『シュート!』
カエンは高速で放たれたフランの遠距離魔法を事前に気づき、自慢でもするかの様に見もしないまま右手が受け止めた。
フランの放った魔法はおそらく、コゴエを使ったコンボだろう。カエンの右手が凍りつき、パンと音を立てて破裂した。
直接当たれば、氷は効く。
たぶんこれを伝えたかったのだろう。
「変身しねぇの?」
カエンは俺をニヤニヤと眺めながら、何かを待っていた。
おそらくは俺を変身させたいのだろう。
「やだよ、餓鬼に好かれても蹴られるだけだろ。暴れマッチが」
「残念だなぁ。蒼炎ってどんなもんかと期待していたんだが。あ、誤解するなよ、俺っちは戦闘狂とかそんなんじゃねぇから」
カエンは時間稼ぎのつもりなのか、攻撃をしてこない。玩具の話で盛り上がる子供のように、俺達を見てはしゃいでいるだけだった。
「俺っちはさ、刺激が好きなんよ。わかる? だからヤルならもちろん勝ちたいわけ。でもそれなりに楽しめないとつまらないじゃん」
「ならつまらないまま死ねぇやぁああっ!」
上空から、カエンの数倍はあろう質量が迫り来る。
カエンが首を上に持ってきたときには、衝突していた。
「キング、ベクタァアアアアアアアッ!」
ベクターが、キングベクターと共に大きく飛び上がってのしかかる。気楽に浮遊していたカエンを、地面に振り落とした。
「刺激とは待ち人にあらず! 自らの手でひねり出してこそ粋! 貴様等成り者にはわかるまい! この矜持のすべて、我が刺激に変えてやろう!」
「ってて、王様さ、でかいだけってのは個人的に無理だわ」
キングベクターが金属の擦れる音を立てながら、カエンに持ち上げられていた。
カエンはヒートアップしすぎた車のように、関節から炎を噴き出す。
「それに無骨、ナンセンス」
「やはり、貴様が雑用か、当然の配置だな」
ベクターはあくまで挑発する。
カエンはそれにむっとして、キングベクターを放り投げた。
「ふっ……ハハハハハハハハッ! 馬鹿が下郎が!」
ベクターはキングベクターを解除。まあ当然だろう。
キングベクターの内部からはあの謎の戦闘隊長超高速おでぶさんが現れる。なるほど、彼の機動力が加えられていたのか。
「キングベクターって燃費悪いんだろ、よく最初から出すよな」
「最初? 最後はいつだ、そんな未来のことなどわかるまい」
俺たちは早速ベクターの元に向かって、横に並ぶ。相変わらず余裕しゃくしゃくなあたり頼もしい。
カエンは笑われたことに腹が立っている。馬鹿にされるのが癪なのだろう。
「死ね! 王様しね!」
「ガチャル……ふぅ」
カエンの炎は威力が増すが、狙いが定まらなくなる。丁度良く空中へ飛んでいき、被害は無かった。
魔法を唱えたのは、ゲノムだ。カードファイルを胸の前で浮かばせながら、俺たちの前に立つ。
「先に行きすぎだ」
「今に貴様が追いつく。何の問題がある」
ベクターが辺りを見渡す。
俺もそれに倣って見回すと、いつの間にか大勢の冒険者たちが、カエンを囲んでいるのがわかった。
「ベクター、半分以上はシャンバラの討伐に向かわせた。よかったのか?」
「満足! フハハハハハハハハハハハ!」
ベクターは言葉通り満面の笑みを浮かべて、笑う。カエンに向かって大声を向けるその姿は、たぶん煽っているのだろう。
「へぇ、俺っち相手に半分でいいと、おじさん舐めす――」
「けっ」
「グリテ!」
グリテがカエンの全身を縛り付けて、バラバラに分割する。初めて会ったときにやっていたあれだ。
もちろんカエンはこんなことでは死なない。破片は炎に成り代わってまた一つに収束する。
「貴様にあのタスクと同じ事を言ってやろう! 言葉の間合いはとうに過ぎたわぁ!」
「全員、かかれ!」
ゲノムの号令が引き金となって、マジェスの冒険者や兵たちが一斉に魔法を構える。
「戦える、予定外もあったが、いけるぞ! 風!」
俺は遠距離から援護ができる風のハープを選ぶ。大勢ならこれが有利だ。
逆に、今回は火を使えない。
精神的なものではなく、意味がないのだ。
火のレアカードを使えば精霊と戦うことは出来る。それなりに有利でもある。
だが、それじゃあ精霊は倒せないのだ。
今回は合同戦線。スノウとの戦いでもわかるが、火の姿で精霊と戦えば他のやつらが援護も何もできなくなる。
いかにして、精霊対策の決め手を相手に与えるか。それが重要になる。
「雑魚どもがよ」
「あなたが笑うその雑兵、甘く見てもらっては困ります!」
ロボが叫ぶ、両手を広げて、敵に向かう近距離型の仲間から先にバリアーをはっていった。
遠距離は俺のサポートに、近距離はロボのバリアー。炎をいなし、カエンの猛火を完全に防いでいる。
「戦える! いけるぞ!」
「うぉおおおおおおおおおおっ!」
冒険者たちが血気溢れる咆哮をあげる。
グリテ、ベクター、ゲノム、超高速デブ。そしてロボと上級冒険者の布陣だ。早々やられたりはしない。
これで、悔杭を上手くカエンに与えられれば。
「甘く見るってさぁ、俺っちがそんな馬鹿に見える?」
カエンは、その騒がしい群衆の中で、何故かロボの言葉に対する話を始めた。
「ちゃんとわかってるんよ、どこをどうすれば、俺っちが気持ちよく勝てるか」
カエンは笑う。その視線は俺と目が会う。
いや、おそらくだが、これはロボに向かって、
「……?」
そんな時だ。ふっと、隣をロボが横切った。とてもゆっくりで、緩慢な動作だった。
ロボは、頭から血を流して、倒れた。
「ろ……ぼ……?」
まるで毛布が床に落ちるみたいに、音はしなかった。
ただ頭部から、滲むように赤い液体が広がっていく。
「ロボ……おいロボ!」
俺はようやく身体を動かして、倒れたロボに駆け寄った。
そして、様態を確認するように身体を起こして、頭に人差し指ほどの穴が開いていることに気が付いた。
戦いの喧騒は鳴り止まず、俺たちだけが取り残されたように、真っ白だった。
「まて……まてよ」
ロボの能力は絶対防御だ。意識外からでも敵の攻撃を完全に守れる。物理法則だって関係ないはずだ。それなのに、どうしてロボは怪我をしている。
「まぁ、これが最善ってことで」
「クソアオォうごけぇ!」
グリテの大声に、はっとなって顔を上げる。
カエンは歯を見せて笑い、中指を突き立てる。
次の瞬間には、視界が紅蓮の炎で埋め尽くされた。
***
わたしがいたのは、マジェスで最も高い場所に位置する中央ビルの最上階、セレモニールームの窓際だった。
「アオ!」
わたしはそこから、光水の魔法にてマジェス全体を見渡すことができる。
アオの様子がおかしい。
光水の遠距離魔法もそれなりに進化をしていた。特に索敵能力は飛躍的な向上をして、半径数キロを視野に納めることができる。もちろんでメリットもあり、引き摺ればギリギリ持ち歩けそうな大きさにまでなった。
他の状況を把握するためにカエンの周囲を覗き込んでいた。アオの様子がおかしいことに気づいたときには、カエンからとてつもない量の炎が燃え上がって、目視できなくなってしまった。
「アオくんがどうなったのっ!」
「……わかんない」
ラミィもこの会場にいる。ここが演説用に用意された場所だからだ。装飾もされていて、伝の魔法で背景が映ったときに見栄えをよくしている。
「リアスさんっ、演説を早められないんですかっ!」
「それはわたしたちの目的に相反します。敵が来たから急いで行った。そんな演説で世界を動かすことができるかと、ベクター様はおっしゃっていました」
「演説そのものが中止になっちゃうよっ!」
ラミィは慌てていた。それも仕方ないと思う。この場所にはマジェスの戦況が逐一報告されているのだ。
状況は、悪い。
「リアスさま! シャンバラの侵食率が三十パーセントを上回りました! これ以上侵略を許した場合、起動すら危うくなる恐れが」
状況を報告する連絡員が、この部屋にも入ってくる。隣の部屋が通信の司令塔であり、お母さんもその一員だ。
お母さんは、焦りの拭えないラミィに近づいて、その手を繋いだ。
「お願いです。わたしたちを信じてください。全力を尽くします」
手は震えていた。
たぶんあれは、お母さんの震えだ。
ラミィはどれだけ焦っても働きに支障をきたすような人間じゃない。逆に、頼もしくお母さんの震えを止める始末だ。
「……」
でもそれが、ラミィの何かに届いたのか。それ以上何も文句を言わなくなった。
たぶん、お母さんなりの勇気に感化されたのだと思う。
「私も、全力を尽くしますっ」
「それを守るのが我々です。全てのシャンバラを討伐する必要はありません。戦力を集中して、最低ラインでも維持するように指示をしたはずです」
「そ、それが……通信が途絶え」
お母さんは難しい顔を崩せない。ほとんどの戦力をカエン討伐に費やす以上は、こうななることも案にはあったはずだ。
「……アオ」
思わず、どこにも見えないアオの名前を呟いてしまう。
「フランちゃんっ、心配?」
「……ちが……う」
「心配なんだねっ、ほんと」
ラミィは先ほどの焦りを隠そうとしているのか、わたしに軽口を向けてくる。集中の邪魔になるからやめてほしい。
わたしは無理矢理にスコープとレーダーに視線を向けて、あたりをただ索敵する。炎に包まれた空間から、アオのこともちょっとだけ探す。
「正直じゃないなぁ……アオくんにそういうとこそっくりだよねっ」
「うるさい」
「でぇも、大丈夫だよっ」
「……なんでよ」
「アオくんってさ、ほんといっつも酷いことばっかりするし、どうしようもないけど。いざ! やるってときになるとねっ、本当に何とかしちゃうんだよねっ」
わたしはおもわず、怪訝な表情をラミィに向けてしまう。ラミィはアオに期待しすぎだと思う。
でも、ラミィは期待している表情というよりも、どうしようもない誰かを思い浮かべているみたいだった。苦笑いなのに、とても嬉しそうな顔だ。
ちょっとその表情が、わたしには悔しかった。
「なんでそんなに、信頼できるの」
「信頼とかそういうのじゃないかなぁ……あと理由とかはないよっ」
「なにそれ」
「だいたいわかるって感じかなっ。アオくんってひねくれてるのにわかりやすいし」
ラミィはアオと仲がいい。そんなのはわかっている。
それはもしかしたら、わたしよりも――
「でもね、フランちゃんはそれでいいと思う」
「安心しろっていったのは、ラミィ」
「ごめんごめんっ。私も言ってて気づいちゃったんだ。フランちゃんはフランちゃんなりにアオくんの事を考えればいいって。だからアオくんも――」
ラミィはいいかけて、窓の外に目を向けた。
誰でも、一度は経験したことのある虫の知らせだ。気配も予兆もないのに、どうしてか感づいてしまう。
わたしはラミィの勘を信じて、セレモニールームの窓へ向かう。景観の為に透明なガラスを壁一面に張られたそこは、眼下を一望できる。わたしがここで光水の遠慮理魔法を打っているのもそのためだ。
「照準!」
わたしは言わなくてもいいのに、わざわざ口で唱えてしまう。光水の遠距離射撃をサポートする顔に付けられた眼鏡が、このビルの一番下へズームする。
「アルト目視! もうここまで来てる!」
アルトが現れた。不自然なまでに誰もいないこのビルの入口で一人、空を見上げている。
わたしは思わず、身体を引いてしまう。こちらを見上げるアルトと目が合った気がしたのだ。あちらは肉眼だ。そこまでわかるはずはない。たぶん、この辺りにラミィがいるという情報を持っているくらいだろう。
だから、この震えはただの臆病なんだ。
『カメラに今まで映っていなかったのに、どうしていきなり!』
『こちらでも姿を確認しました! 対抗戦力をただちに……昇ってきています! ビルの側面を足場に、演説会場へ飛んできています!』
通信から届いた言葉通りの出来事が、わたしにも見えていた。
アルトは身体を一度かがめたと思ったら、バネのように大きく飛び立った。そして一度ビルの壁面に触れたと思ったら、またそこから加速していく。
その触れた場所には、丁度手を掛けられるくらいの穴が開いていた。ビルに穴を開けて、そこに手を掛けて登ったのだ。
「嘘でしょ!」
あれは人のできる動きなのだろうか。魔法で強化したに決まっている。でも、あんな動きどんなコンボしたらできるのだ。カードを取り出した形跡もなく、制限も見えない。
わたしを含めたほとんどが混乱する中、アルトは着実にこちらに向かってきている。
もう、肉眼でも捕らえられるほど。
「拡張展望台!」
「っは、はい! はい!」
皆をはっとさせるほどの大声が、響いた。
お母さんはその言葉に反論する間もなく慌てて従う。この状況で、思いがけないほど対応が素早かった。
アルトはビルの異変に気づいたようだ。一度止まって、飛び出た展望台をじっと眺めていた。
「ほらのんなよ、あたしとあんたの仲じゃねぇか」
「……スノウ」




