第百五十九話「ひねれ なにそれ」
フランの家は、西方に在るマジェスよりさらに西に向かった森の奥地にひっそりと佇んでいる。
今俺とフランは、準備を終えてその森の中を散策中だ。
ここに来たのはフランと俺だけ。フランの提案のあとにリアスもついて行くと言っていたが、どうやら無理だったらしい。その時のゲノムがリアスを見る顔はなんとも味があった。
「ふ~ふ~ふ~」
フランが久しぶりに下手な鼻歌で先導していた。機嫌がいいのか悪いのかはわからない。
「ふ~」
「ブッチャァアアアッ!」
俺じゃない、ブットブの鳴き声が森の中に木霊する。
森の中を駆け抜けてここまで来たようだ。目の前で身体を獅子舞みたく振り回し、攻撃の気配をこちらに漂わせている。
「ふー!」
フランがちょっとブットブの台詞に対抗するように、ブットブの鳴き声で聞こえなくならないように鼻歌を大きくした。
ブットブはそんなことも構わず、馬鹿正直にこちらに攻撃してくる。
「ブッチャアァアアア!」
鳴き声のようでもあるけれど、これは悲鳴だろう。
ブットブは全身を焼き尽くしながら、火柱と共に消えていく。
残ったのは、ブットブのカードだ。
「多芸だなぁ」
「ふふん」
フランが得意気にこちらを見ている。俺の微妙に感心した表情に満足したのか、機嫌はいい。
「すごいでしょ」
「うんすごい」
フランが無い胸を張っていると、その周りで音がした。
キュルキュルと何かが回転している音だ。フランを中心に惑星のような起動を描いている円盤が、二つあった。
「これが一番の、成果」
「火と水のファンネルな」
これはフランの火と水のレアカードコンボだ。
元は二丁拳銃だったものがさらに強化され、フランの手から離れても活動できる円盤タイプに進化しているのだ。フランの周り二メートル以内を飛行して、攻撃と守りをサポートする。
「スノウに、格闘術習ったらできた」
おそらくだが、フラン自身の戦闘力の強化が精神に影響し、自らの身体を生かせる形態に変わったのだろう。
両手を自由に、カードを投げて装填も可能だ。
「勝手に守ってくれるから便利」
フランが手を掲げると、どちらか片方がブットブのカードを回収し、掌の上までやってきて変形して銃に変わる。従来の使い方ももちろんできるのだろう。
強化といえば大幅強化だろう。今後の戦闘にどれだけいかせるかはわからない。
俺としてみれば、今後というよりも、過去に目が行く。
「ほんと、変わったなぁ」
ブットブなど、もう目を向けるまでも無いのだ。無防備になればこそ脅威だが、そんなの考慮すれば何でも危険だ。
今のフランだったら、片手間でコウカサスだって倒せるだろう。
「アオ、もうちょっと奥かも、行ってみよ」
フランが先導している。この森に詳しいのはフランだから当然だろう。
久しぶりなせいか、進行速度は思っていたよりも遅い。まあ悪い事ではないが。
「……どっち、だろ」
フランは歩いては眉をひそめ、気づくを繰りかしえていた。なんというか、レスポンスが悪い。違和感を覚えていると言えばいいか。
まあ、急いでいるわけじゃないし……あ。
「フラン、あっちじゃないか?」
「え、どうして?」
「ほら、あの木見覚えがある。あれだよ、ひねれ」
俺が指差したのは、ちょっと特徴的な形をしている木だ。フランはひねれって呼んでた。
なんだかんだで一ヶ月はここをうろついていたのだ。まだ記憶にある部分も多い。
「え、あれ……ひねれだ」
フランは一度眉をひそめて首をかしげる。可愛い。
その後に何とか納得したようだ。やっぱなんか反応遅いな。
「アオあれ、なんか……小さい」
「ちいさ?」
フランは木に近づいてぺたぺたと触っている。ああ、なるほど。
「ひねれって、こんなに小さかったんだ」
フランは、無くしてしまったものを思い出すように、寂しげに呟いた。
「フランさ、背伸びたろ」
「なんで?」
「いや、理由はないと思う」
「アオはどっちのほうが好き?」
「俺はどっちのフランも好きだぞ」
ちょっとからかってやる。
「なにそれ」
すごく残念そうな顔をされた。
ま、まああれだ、小さい子は可愛いな。
「アオ行こ」
「あ、ああ」
フランが早足に先導する。
「あれ? アオこっち? あっち? むこう」
「いや、たぶんむこう」
なんだかんだで動揺している辺り可愛いものである。足踏みばっかりして近くをぐるぐるしていた。
俺は自分が嫌われていないことに内心安心してしまう。
「ふ~」
「また歌うのか……」
「このときが一番、火水が動きやすいから。スノウに教えてもらった」
フランの心の問題なのだろう。歌をそのまま精神の高揚に使ったのか。
修行といってもわざわざ暴走させたり、心の興奮がそのまま力になるっていう感じなのだろうか。
フランに求められているのは、冷静に動くことよりも前に出ることと、暗に言われている気がした。
「……ついた」
フランの歌が止まった。
言葉通り、到着してしまったのだ。
「……」
「防御魔法陣は、壊されたんだっけか」
久しぶりに見る、森の中で不自然に開けた場所。
その中心で、骨組みだけ残り真っ黒になったフランの家の破片が、俺達を迎えてくれた。
あれからまだ一年も経っていない。風化して消えたりはしないと思っていたし、誰も片付けたりはしないだろうとも考えていた。
「ほんとうに、このまま残ってるんだな……」
俺たちがいなくなってから、誰にも見られず、ひっそりと佇んでいたのだろう。
前にここに来たのが、昨日のような錯覚さえある。
まるで、まだ駆け寄ればそこに倒れた博士でもいるかのように、その家の時間は止まっていた。
「……」
「フラン?」
フランは力なく一歩二歩と踏み出してから、駆け出した。
たぶん、俺と同じ事を考えたのだろう。そう思ったらいられなくなって、一刻も早く駆けつけたくなったのだ。
俺もフランに追いつこうと駆け足になる。
フランは、その黒こげた瓦礫の前に立ち尽くしてから、その木片を手と火水の円盤でどかしていく。
ただしばらくすれば、その手は止まった。
「……何も見つからないのなんて、わかってた」
フランはうつむいたまま、自分を納得させるように一人呟いた。
俺は気まずそうに頭をかくが、黙っているのもよくないだろう。
「あの、な。別に悪いことじゃないだろ。気持ちの整理が早くつけばいいってもんじゃない。納得ってのは、自分がしっかりと向き合えるようになってからでいいんだよ」
「でも」
「フランは大丈夫。ここに来たいって言ったのは。そういう意味もあるんだからさ」
フランの拳が強く握り締められる。どうにもならない感情に、もどかしさを感じているのだろう。
「アオがいなかったら……これなかった」
「なら俺がいればいい。遠慮すんなや」
感情を抑えられないのは悪いことばかりではない。しっかりと、人に弱さを見せられる証拠でもあるのだ。
「もうちょっとくらいは、頼りにしてもいいはずだ」
大切な人に頼られるのは、誇りだ。
自身のアイデンティティを確認できるから。もちつもたれつ。
順番だ。
「ちょっとさ、こんな時で悪いけど、話したいことがあるんだ」
「……」
フランは無言で振り返り、俺と向かい合う。
「俺が、蒼炎竜王の力を手に入れたのは知ってるだろ」
「……うん、知ってる」
「それのせいでな、今俺の体がちょっと変わってきてるんだ」
「どういうこと?」
フランはへこんでいた表情を引き締めた。警戒している。俺が何を話すのか、まだわからないのだろう。
「俺はあの強い体になれた副作用でさ、同化現象ってのが起きてるんだ。ホムラと融合しようとしている。体と、精神が」
「どうかしたら、どうなるの」
「俺が、死ぬ。俺の記憶と人格をちょっとは引き継いでくれるけど、ホムラと融合した意識から産まれるのは全く別の新しい命なんだ。だから」
「死ぬの?」
フランが、俺に結果だけを聞き返して来る。
そう、死ぬのだ。
現に俺の意識は、あの変身時にほとんど消えかかっていた。俺じゃない意識がひとりでに動いて、あたかも俺の意識のように動いていた。
ああやって、いつの間にか自分の人格があいつに溶け込んでいくのだと思う。
「だから俺はさ、今生きている分で頑張っていきたいと思ってる。当面は、美しいものを見るってことだが」
ラミィはこの事実を受け止めて、俺に何かを残そうとしてくれた。
「パアットを探さないの?」
「これは病気とかじゃないんだ。ゴオウと一緒で、体が適切な形に戻ろうとしているだけで、だからパアットは効かないと思う」
ロボは、俺の言い分を肯定して、自分にできる最善を目指した。
フランは、どうなのだろう。
「ねぇ」
フランは、怪訝な表情をしたまま、俺に近づいてくる。
「なにそれ」
フランの口から出た台詞は、否定だった。
*
「アオ、同化現象が起きてるんだよね」
「ああ」
「なんで、止めようとしないの?」
「さっき言ったろ、止めようが無いんだ。もう始まってる」
「止める方法が、あるかもしれない」
フランは真っ当に、俺の言葉に対抗する。ぐいっと前に出て、俺の目を覗きこむ。
俺は目を反らすことなく、フランの言葉を受け止めた。
「探すのか?」
「うん」
「やめとけよ、わかってるだろ。手がかりもないんだぞ」
「……ミライさんとか、方法を見つける予言を聞けばいい」
「ミライさんが、ゴオウの治療をしないのは何故だ。できないからだ」
精霊が何とかできるのなら、とっくにやっている。
俺は証の精霊の眷属だ。ありとあらゆる記憶を辿って前例を探したが、類似するのは辛うじてゴオウという結論に至ったのを覚えている。
もし仮に、そんな方法があったとして、どれくらいの時間で見つかるのか。
「それにさ、タスクを放っておくのか?」
「アオはどうして、そんなにタスクと戦うことに、こだわるの?」
「それは……ここまで来たんだ、俺は、自分が探してきたものの結果を見たい」
言葉が濁る。
ホムラに言われてから、この理由が本当に自分の人生に賭けられるものなのか、怪しくなっていた。
「それに、俺たちがいなくなって、世界は大丈夫なのか? あれだけの犠牲を払って、俺達を守ってくれたジルやテレサたちに申し訳が立たないだろ」
「義理なんて守らなくてもいい。わたしは、アオに生きてほしい」
フランの真っ直ぐな言葉が、俺の胸をつく。
たしかに、全てを捨てて、自分の命を守る事を優先してはどうだ。
ラミィとロボにこれを言えば、付いて来てはくれるだろう。でもそれは彼女たちへの侮辱だ。行くのなら、フランと二人だけがいい。
俺は初めて、自分を捨てるかもしれない考えが浮かんできたことに戸惑いを覚えた。
「わたしは誰に嫌われてもいい。アオのためなら、お母さんだって裏切れるよ」
「なんで、だよ」
「わたしが一番悩んでいた時、困ったときに、アオがいたから」
フランの言葉は、とても甘美な囁きだった。
あれだけ、ホムラの力で自分が死ぬ代償を知らず、都合よく力を手に入れて生き残ってきたのに、リスクを払うことなく今までを生き延びてきたのに。
全てを捨てれば、生きることだけを選べるかもしれない。
「確証はないんだぞ……無駄足で死ぬ可能性だってある」
「それがどうしたの。わたしは、アオが死ぬ事を認めたくないだけ」
俺は、どうすればいい。
呆然としたまま、フランから目を離せなくなった。
『ふふ……』
「……」
ホムラが、俺をあざ笑うためか、わざわざ思考の中に入り込んでくる。
なんだよ。
『わらわは構わぬ。例えどのような結果になっても、主導権は主に譲ろう』
ホムラは俺の悩みなど些細なことのように一蹴する。
『して、そろそろ察してもよいのではないかえ?』
「察す? なにをいって――」
そのホムラの叱責で、やっと気づいた。
「誰だ」
俺とフラン以外に、誰かいる。
フランも集中しすぎて気づけなかったのだろう。突然の部外者に慌てて振り返る。
攻撃の気配が無い辺り、そこまで危惧する必要はない。
そう思った瞬間には、カードケースに手を掛けていた。
「そのほうが、適切だな。肝が据わることと鈍感であることは違う」
「アルト……!」
フランの声音も、震えている。
いつの間にか森の開けた場所に、アルトが立っていたのだ。
「なんであんたがここにいる!」
「理由はない」
「嘘! ここにこないで!」
「嘘か、たしかにそうかもしれない」
アルトは以前よりも痩せた気がする。前髪も伸びきっていて、表情が見えにくくなっていた。
俺はカードケースのなかから、意識せずとも取り出してしまった火のカードを見つめる。ここで、使うしかないのだろうか。
「どうしてだろうな、ふと思い至ってここに来ただけなんだが。偶然にも鉢合わせしたか」
「偶然にも程があるだろ!」
俺たちがたまたまこの家を訪れた、この少ない時間に、たまたまアルトが訪れるなんて、どんな確立だと思う。




