第百五十話「いけめん ひっし」
『おひさー』
夜、ふと思い立って、証のカードを唱えてみた。
『聞いてる? ねぇね』
そういえば、他のコモンアンコモンカードは全部消滅したのに、証は残ってたんだよな。四枚のレアカードはホムラ関連だからって理由があるけど、このサインレアもやっぱり、俺の一部になっているのだろうか。
とりあえず、俺はいつも通り自分の心の部屋に入ることが出来た。
『ねーーーーーー』
ねーーーと書かれた紙が大量にばら撒かれる。新聞紙のようにあまり素材のよろしくない紙吹雪が、俺の足元をほぼ埋め尽くしていた。
「人の心を紙だらけにしやがって」
『つれないなぁ! 君と僕の仲だろぉ!』
「お前とは仕事以外に何の感情も無い。あくまでビジネスライクな関係だ」
『ひどー!』
俺はずっと難しい顔をしたまま、正面だけをじっと睨んでいた。
オボエなんてどうだったいい。うざったいのはいつも通りだ。
いつも通りじゃないのが、いる。
「わらわのことを見つめて、そこまで愛しゅうかえ?」
心の部屋に、ホムラがいた。
座布団を並べて仰向けに寝て、天井を眺めながら横にあるパイの実を一つずつ食べている。
「こぼすなよ……人の心の中に……なんでこぼれるの食べるんだよ」
「ただ順番に食しているゆえ、気にすることもなきに」
「なんで、お菓子があるんだ……そこら中に空袋が」
「片付けてたもう」
「片付けはするが、違う。疑問はそこじゃない」
俺は足元の紙を払って、寝ているホムラの上にかぶさる。
『いやん』
「わらわの上に乗るとは、ぬしもえらくなったの」
「ホムラが上しか見てないからだろ」
「わらわの視線を独占しようとは、いけずよのう」
「違う、しっかりと応えてくれ。ホムラはまだ、意識が残っているのか? ならなんで今まで、俺に話しかけてこなかったんだ」
俺たちが地球に戻る際、ホムラに何かあったのかと心配になってしまった。俺だけが地球に帰ってきて、ホムラは消えてしまったのかと。
「でも安心した、意識が消えたわけじゃないんだな」
「まだ、きえとらん」
「まだ?」
「ぬしも、まだであろう」
ホムラは俺の胸に指を当て、のの字をなぞる。
「どういうことだよ」
「そのままの意味ゆえ……なんじゃ、なんもわかっておらぬのか」
ホムラはゆっくりと両手を俺の背中に回して、俺の体にぶらさがる。話をしているのにこういうことするか。
結構心配してたんだぞ。
「あの姿、覚えておるかえ」
「ああ、火でイケメンの姿に変わった奴だな」
「あれが、わらわじゃ」
「ん?」
何を言っているのか。よくわからない。俺でも首をかしげる。
あれは俺が火によって代わった姿だ。イケメンモードとでも呼べばいいか。
いや、考えろ。一応ホムラはこんな時に冗談を言うほどふざけちゃいないだろう。ホムラは動きで遊んでいるときは結構正直に話をしてくれる。
だとすると、あのイケメンモードがホムラ。
「もしかして、同化してたのか!」
「なんじゃ、わかっておるではないか」
ホムラは俺の頭を撫でてくれる。ごほうびのつもりだろうか。
「左様。わらわとアオが一つになった姿こそ、あのイケメンモードよ。新たな体に二人の意識を入れたことで、同化現象が起きておる」
同化現象。
なるほど、そう言われて見ると、思いつくことは節々にある。
俺の性格がやけに荒っぽくなってたり、考え方まで違っていた。あれはホムラの精神性に影響された結果なのか。
「察しが悪いの」
「な、なんだよ」
「ぬし、同化がどういうものだか、わからぬのか?」
「どういうことだよ」
ホムラは俺の体に抱きつきながら、耳元で囁く。
「あれは、わらわであってわらわでなく、アオであってアオではない。二人が死んだ結果にて生まれたものじゃ」
「し、死んだ?」
「どうやら、あのハツめも予想していなかった結果であろう。二つの精神を一つの体にはめ込むことじたい、存外の範疇ゆえに。こういう不測の事態も起こりえる」
「な、なぁ。あのイケメンモードは本当に俺じゃないのか?」
「ぬしとわらわの記憶を持った別人よ。意識がどうかして気づかんかったか? あの時ぬしは、確かに死にかけておった」
「死に掛けてって……あ」
そういえばあの時、まさに俺じゃない行動ばかり取ってたんだよな。
もしかして、無意識のうちに精神が占領されてるってことか。
「わらわの意識も、あの中にあったのじゃ。でもアオ、ぬしはわらわの声が聞こえたかえ?」
「……いや」
「あの刻、わらわの意識も確かにあった。見て、考え、行動しているつもりであった。それなのに、まるでアオのようなこともしよる」
ホムラもホムラで、俺がいないことを疑問に思ってたってことか。
俺たちは、どうかしたことも気づかずに、全く新しい思考を当たり前のように受け入れていた。
つまりそれは、自我の消失に他ならない。
「危なかった……俺たち、死ぬところだったのかよ」
「まさか、わらわとぬしの愛の結晶に殺されようとは、思いも寄らぬ」
「愛の結晶?」
ともかく、俺は自分がしにかけたことを自覚した瞬間に、冷や汗がにじみ出てきた。
知らないうちに、自分の意識が飲まれていくって、あんな感じなのか。
「死ぬって、そんなことなのか」
「ぬしは死んだらどこかにいけるとでも思うたのか? デトロイトも生易しいのう」
ホムラは抱きついた身体に震え一つ無い。この状況を受け入れている。
「ホムラは怖くないのかよ」
「龍に信仰はなきに。文化として尊敬してはおる。なに、死したところで結晶が残るのじゃ、かまわぬであろう」
俺はホムラほど安心できなかった。
自分じゃない奴に、俺を譲る。それこそ将来結婚して子供を持てば、そんな気分になれるのかもしれない。
でも俺は俺だ。そのアイデンティティを、完全に消さなければならないなんて。
「俺たちの意識が完全に死んで、あのイケメンモードの奴が最終的に俺とホムラになるのか」
「理解したかえ」
「ああ、わかった」
なんにせよ、死ななかっただけマシだ。
これからは火のカードを使わなければ……。
「なあ、もう使っちゃ駄目なのか?」
そうくると、最初に来る疑問はこれだ。
あれだけの戦力を手に入れておいて、制限をかけられるのが一番困る。
「かまわぬ、好きにせい」
「そうじゃない。使っても、前みたいに俺でいられる保障はあるのか?」
「そんなもの、ありんせん」
ホムラは抱きついていた身体を離す。眉をひそめ、察しの悪いかわいそうな子を見るように俺を見た。
いや、わかってる。でもその事実を受け入れたくなくてだ。
「で、でもさ、戻れるんだろ?」
「一回」
「一回?」
「あと一回だけなら、あの姿になっても戻れよう」
「その根拠は?」
「まだ、わらわのことが見えよう」
ホムラは自らの胸に指を当てて、その存在が確かなのを示していた。
まだ見える。俺が、ホムラをしっかり認識できている。
「同化現象はぬしとわらわが一つになることは言ったの。まだわらわとアオが別人であると、確かにわかるのじゃから、まだ一回は戻れる」
「じゃあこの部屋に来て、俺がホムラに、ホムラが俺に出会えなくなったら」
「そのときは、後がなきに。すでにほぼ同化しておる。唱えなくとも時間の問題。唱えれば一瞬にして変わりはてる」
ホムラは俺の手を持ち上げて、指を絡めるように握る。
まだ、別の温度を感じる。
俺はあまった手で頭をかきながら、息を吐いた。
「まぁ、仕方ないか」
「どうしようもありゃせん」
どうしようもない。俺はある意味、この事実に諦めの境地を感じていた。ホムラに影響されたのかもしれない。
だいたい、都合よくもとの世界に帰れたのがおかしかったのだ。そんな簡単に戻って、しかも龍の力を手に入れるなんて。
力を得るために努力をしたわけじゃない。
ならば、どこかで帳尻合わせがくるのは決まりきっていた。
「ホムラはそれでいいんだよな?」
「わらわは、龍と人のハーフとしてこの世に堕ちた。人としても龍としても中途半端であった。同属がいない。その戒めがわらわの人生を苦しめてきたのじゃ。なれば、たった一人でなくなることに、なんの迷いがあろう」
「あのイケメンモードは、また一人になるんじゃないのか?」
「両の親が心に住まうのであれば、それは一人じゃありんせん。共に子を見守ろうではないか。そう思えば、あの子もそう理解しよう」
俺たちがそう思えば、必然的にあのイケメンモードもそう思うってことか。
つか、ハーフなんて初めて知ったわ。確かに龍って割には人間臭いもんな。
「それよりもアオ。ぬしの方こそ心残りがあろうて。人の人生は短い。故にその死は悲壮と聞く」
「まあ、好きではないけど。俺の記憶とか考え方はそれなりに残るんだろ。全く新しい人間にしたって、俺のことをないがしろにした人格ってわけでもないし。いいんじゃないのか?」
俺は開き直って、プラスの部分で考えた。
龍になるってことは、実質不老なわけだし。死の恐怖からは縁のない生活になるのか。
ホムラは孤独じゃないって言ってるし、イケメンモードはあいつなりの生き方を探っていくだろう。それこそ、わが子を見守る父みたいな感じだ。
ただ、俺でいるうちにあの三人にしっかり話さないといけないな。話せるだろうか。
まあそれこそ、勝手に消えるのもありっちゃありか。
「人間いつか死ぬし、それよりはゆるやかなんじゃないの」
「よしなに。でも、それでいいのかえ? ぬしはタスクを打倒するのじゃろ?」
「俺が打倒するって考えてるんだから、その意思を受け継いでくれるんじゃないのか?」
「ないの」
「……え?」
ホムラの即答に、俺は一瞬言葉を失った。
「お、おいまてよ、さっきまでの話から察するに。イケメンモードは俺の意思を残すんだろ」
「然り」
「ならさ、今の俺の考えを――」
「ぬし、本当にタスクを打倒しようと考えておるのか?」
ホムラがいきなり、互いの鼻がくっつきそうなくらい近づいて、俺の目の奥を覗きこむ。
タスクを打倒しようと考えてはいるだろ。
だって、一応今までの旅を最後までやるのなら美しいものが必要で、それを手に入れるためにタスクをどうにかする。なにも間違ってない。
「やはり、本心ではないの。必死さが、必然性が、ぬしからは感じられぬ」
だがホムラは俺の考えを否定するように、はっきりといった。
俺もその言葉に、雷でも受けるような衝撃を受ける。
「い、いやでもさ」
「結局は、流れに身を任せ、なあなあにことを進めているにすぎぬではないのか? 別にぬしがタスクを倒さずとも、よいのではないか?」
俺の抵抗もむなしく、まるで心の奥底を抉るような言葉が迸る。
ホムラの言葉に、若干納得してしまっている俺がいる。
確かに、前ほどの必死さはない。
今までは、ハツに脅迫され、命を守るために行動してきた。それは、やらなければ死ぬという後のなさがしっかりあったからだ。
今はどうだ。
確かに俺がいないと、この世界はタスクによって変えられてしまう。でも強者である俺なら、タスクの選定も構わずに生き残れるのではないか。わざわざ見ず知らずの他人を救うよりも、身近な仲間だけを守る方が、実現可能なことではないのか。
思い出す。
俺は一度だけ、委員選抜の時に欠席をして、学級委員をやったことがある。
その仕事はかなり大変だった。副委員も適当に選ばれた女子なだけあって、放課後は俺一人が残ってやらされたことがほとんどだ。
その頃は責任感もそれなりにあって、必死になってこなした。そのクラスの半分以上は俺がやりくりしたと言ってもいい。
そんな俺は、一番忙しい時に一度夏風を引いて、一週間休んだことがある。
クラスはどうなるのだろうと、その時は焦った。
でも、どうにもならなかった。平常運転だった。
風邪が治って学校にいったとき、それなりに仕事は残っていたが、最低限やらなくちゃ行けないことはしっかり終わっていたのだ。
たぶん、クラスの誰かがやったのだろう。元々俺一人でやるような仕事じゃなかった。
俺はその見知らぬ御手伝いさんに感謝するよりも先に、別のことを考えていた。
俺がいなくても、案外平気なのだと。
自分で思いこんでいるだけで、人にはしっかりとした働く能力がある。
俺がいなくちゃいけないなんて、思い込みなのだ。
「じゃ、じゃあもし俺が二回目に変身したとしたら」
「ぬしの仲間だけを助け、タスクのことなど放っておくかもしれぬぞ」
「そんなこと……」
「ありえるのじゃよ。心の片隅にでもわらわが考えるのであれば、それはあの結晶も同じこと」
ホムラの台詞が、重く俺にのしかかる。
ここまできて、期待できる力にすら制限があるのを把握してしまう。
たしかに、簡単に手に入るものじゃないとはわかっていた。リスクがあるのも承知した。
でも、それだけのことを行っても、俺の目的が果たせない可能性まで出てくるなんて、頭を抱えずにどうしろというのだ。




