第百四十七話「たび しゅだん」
「ハツは魂の精霊だ。死にたくないって言う執念から魂の精霊によって保存されてきた人間の意識なんだよ。俺が殺しちまったから、みんな怨んでるんだ」
「それ、さっきも聞いた。でも、おかしい」
フランが俺を指差して、周りの影を見渡す。
「死にたくないって言っても、みんな、死んだ」
「あ」
そうだよ、俺自身がその一部だったから、ずっと誤解していた。
「みんな、一度死んだんだよな」
「生きたいって、おかしい」
「いや、それを言うなら俺も死んでるんだけどな。あいや、元の俺と記憶を共有しただけで、実質俺はきったない新生児か」
ということは、俺はまだ産まれて一年も経ってないんだよな。ホムラと一体化してからの時間を言えばまだ一時間も無い。
「アオ殿が何を言っているのか、ワタシにはサッパリなのですが」
「俺はまだ赤ちゃんだってことだ」
「な!」
ロボが俺の身体をぺたぺたと触って何か確認している。結局抱きつくので追い払った。
「お前変身してもあんま意味なかっただろ」
「あ、いえ。申し訳も立たず」
「とりあえずだ。死にたくないってのは、たしかにおかしい」
全員、元々死んでるんだ。
俺はこいつらが誰なのかすらわからない。ロボの言う本当の意味での死んだ人間たちだ。
姿も形も、性格すらも判別の付かなくなった彼等は、もう死んでいる。
「でもさ、だからどうするんだよ。死んだことを認めさせるのか? そんなの無理だろ」
俺は辺りを指差しながら、この話に意味があるのか問う。
死にたくないという奴に、もう死んでいるとか言っても信じたりしない。
「だったら、結局は全員相手取ってやるしかないんじゃないのか?」
「ううん、アオくんっ。倒すだけが、説得じゃないんだよ。さっきもいったけど、それじゃあタスクと変わらない」
「どうするんだよ」
「私が、頑張るっ」
ラミィがどうしてか、前に出てきた。まるで、ここが自分の持ち場だと言わんばかりに。
「ここは、私に任せてっ!」
戦闘力の一番低いラミィが、先陣を切った。
でもどうするというのだ。ラミィじゃ人類の半分を殺す前に体力が尽きるはずだ。
「ラミィ、死人ってのは説得の聞くような奴じゃないぞ」
「……うん。わかってる」
「ならいいや。ラミィ、頼む」
俺は前に出るのを待った。
ラミィだって、俺の考えている状況くらいわかっている。それでもなおやるというのなら、本人の意思を尊重するべきだ。
アオはなんでもやろうと出しゃばるべきじゃない。
「俺は元来、人に頼るほうが好きだ」
「ふふっ、知ってるよっ」
ラミィが、いつもの笑顔で俺を確認する。その顔からは緊張と、これからすることへの不安に満ちていた。それでも、両足はしっかりとラミィを支えている。
どうしたのだろう、ラミィからはいつも以上に、安心を感じる。彼女の中でなにがあったというのだ。
「聞こえてますか!」
ラミィの掛声が、ハツの空間に響き渡る。ドームほどの広さなのに、不思議と隅々まで行き届いたような錯覚すら起こす。
「私の名前はラミィですっ。始めまして! あなたは死ぬのが怖いと思ったことはありませんか?」
何を言い出すのかと思えば、ラミィは死ぬのが怖いかと来た。
怖いに決まってる。だから今必死になるその執念を利用されているわけで。
ラミィは一体、何の話をしようとしているのか。
「私はあります。死んだ後どうなるのか、誰からも忘れられて、私がいたことを誰も覚えてくれない世界を想像したこともありますっ。こんな話をするのも、さっきちょっとだけ、死に掛けちゃったんですっ」
「え!」
「アオ殿静かに」
ロボに口を押さえられて、俺の抗議を止められる。いや、死に掛けたってどういうことだよ。
俺たちはラミィに人だったものが近づかないよう、彼女を中心に輪になって敵を追い払い続ける。
「でも、ずっと生き続けたいと聞かれたら、私も嫌です。だって、私の好きだった人たちと一緒の時間を過ごせないのって、とっても悲しいと思うから。だけど死にたくないって、とっても自分勝手ですよねっ」
ラミィはなんだか、誰かと談笑するように気さくに、悪く言えば生意気に口を開き続ける。
なんというか、返事を待っているみたいだ。
「それでいいんです。だから、私はあなたの考えも否定しない。でもね、彼等をそのダシに利用するのは、あなたにとって、一番酷いことなんじゃないのかなっ。死にたくないという苦しみを彼等に与えて、終わりの見えない戦いをさせるなんて、私は間違っていると思う」
ラミィの声は、人だったものに向けられてはいなかった。見上げた黒い影そのもの、ハツに対して、直接訴えていたのだ。
勘や察しがいいからなのか、それとも奴隷だから俺の意識を把握したのかはわからない。ラミィはハツの悩みを見抜き、いましていることに対しての信義を説いている。
正義だとか性善じゃない。人は追い詰められれば何でもする。ただハツはこのことを納得できているのか、時間が経った今こそ彼女にそれを問うのだ。
「……あ……なたね」
「ハツさんだねっ!」
返事が、返ってきた。
ラミィの言葉が、彼女を呼び起こしたのだ。
「かってな、ことを!」
もちろん、こんな説得でハツがこの行動を辞めることはしない。当たり前だ。
「わたしは、ずっと、ずっと! 生き続ける。あなた達が死んだ後も、人類がいなくなった後も、この地球に、生き物がいなくなった後も、死んだ魂のために、唯一、人の感情を持ったまま、生き続ける。永遠に!」
ハツの悲鳴は、寿命のある俺たちには理解できない感情だ。いくら綺麗事を並べても、彼女と同じ時間は生きられない。
そんなことじゃ、この状況は打開できない。
「永遠なんて、ないんです」
ラミィは、そんな自分の数千倍も生きた怪物に、笑いかける。
「そんなの、ハツさんだってわかっているでしょ。わかってても、今の状況、タスクに味方をしている。でも、それだけのことをやっても、結局人は一人なんですよっ。わたしだって、死ぬときは一人です」
「タスクは、わたしの寂しさを、紛らわしてくれる」
「そう、寂しさは紛らわすことが出来ます。タスクの言ったことは、その紛らわしの一つなんでしょ。永遠は無理でも、出来る限り、一人でいたくないから、あなたは戦っている」
ラミィは一度目を瞑って、決意を固めるように大きく息を吸って、吐き出した。
「だから私もっ、あなたに紛らわすぬくもりを提供しますっ!」
「なに、を」
「私には夢があります。どんな人でも、笑って過ごせるような場所を作ること。今まで色々な場所を回ってきて、とてもいい場所は沢山あった。でもやっぱり、一つの場所に人が留まれば、それは集団になって、輪の中だけを守ろうとしてしまう。そんなの当たり前だと思う。人は産まれた場所や時間、いろんな要素に縛られて生きることになるから」
いろんな要素、それは人が人である以上絶対に縛られるものだ。産まれは絶対に変えられないし、家族はそうそう裏切れない。
「だから私は、この旅を一生続けていこうと思っています。私自身が国を渡り歩き、彼等に居場所を作って旅立つ。時には私が誰かを受け止め、居場所になるかもしれません。でも彼等はいつか私の元を離れさせます。そうやって、私は誰かの居場所を作るだけの、出来事になろうと考えているんです」
ラミィには夢があった。俺も知っていた話だ。
だた、俺たちと旅を続けていくことでその考えは徐々に変わり、国を作るのではなく、国と国の橋渡しとして生きることを選んでいた。
たしかに、一箇所に国を作れば結局はその中で人の心は完結する。閉鎖的ではないが、ラミィの言っていた絵空事とは程遠い話になるだろう。
「私の作ったこの生き方は、いろんな人を巻き込んでいこうと思っているんですっ。それこそ、旅をする一つの国みたいに。もちろん、人だけじゃない、ハツさんみたいな精霊にも、私は手を差し伸べます」
「……」
「この世界で、あなたの居場所を探すために、一緒に旅しませんか?」
ラミィは手を伸ばす。どこにいるともわからないハツに向かって、人殺しの精霊にも救いを提供する。
たぶん、これは駄目だろうな。
「あたし、は、タスクの、味方。だから、裏切らない」
当たり前のことだ。
同じ条件を出したところで、味方を裏切るわけが無いのだ。たぶん、どれだけ条件がよくてもハツはこちらには傾かない。
タスクの提供する救いだって、それこそ時間制限アリのものだろうが、ラミィみたいに漠然としているわけじゃない。あいつはほぼその成果を上げられる根拠がある。
この交渉は、ラミィにとって勝てるものじゃない。
でも、でもだ。
「あなたの言葉は、嘘じゃない。彼等は、苦しめるべきじゃない」
ハツの言葉がこの場所に波紋を広げて、俺たちの耳に降り注ぐ。
人だったもの全員にいきわたったその音波は、まるで液状化を誘発するように固体を揺らめかせて、人だったものを水に帰していく。
ハツは、自分が苦しいことを受け入れたラミィの言葉を、否定することが出来なくなったのだろう。
彼女は魂の精霊だが、人の意思が強い。その点が揺さぶられた。たぶん、ラミィは素でハツを説得するつもりだったのだろうけれど。
「ごめんなさい」
彼女の世界が壊れていく。
俺がハツを脅して彼女を壊したのだとすれば、
ラミィはハツを諭すことで壊してしまった。
どちらにせよ、やることは変わらない。
「手段ね……」
俺はラミィにちょっと追い抜かれたことを感じながら、背中合わせだった身体を振り返る。
「ごめんなさい」
「別にかまわないさ」
そうして帰ってきたのは、また雪の世界だ。
タスクが場違いなほど穏やかな顔で、俺達を迎えてくれる。
「君がそうしたいのならそうすればいい。仮にハツ、君がボクを裏切ったところで、責めたりはしないよ」
ハツの身体はもとの人の形に戻り、泣きそうな顔をしている。体中に雪をつけていて、あの不完全な肉体が何度も転んだのだとわかる。
タスクはハツの体に触れ、残っていた雪を払ってやる。そうして最期に、ハツの頭を撫でた。
「でも、タスクは、味方」
「うん、それが変わらないのなら、ボクはとても嬉しいよ」
タスクの子供のあやすような微笑を浮かべ、
「だから、約束どおりだ」
ハツの身体を、手に持った球体らしき物で貫いた。
「うん」
「死ぬのが怖かった君に与えられる、ボクの最期の手向けだ。君自身は生を恐怖しながら、死ぬことも同時に恐れていた。だから、時間を与えた」
タスクは淡々と、いつもの優しい声のままハツの身体を抉る。
「今が、そのときなんだね」
そうしていくうちに、ハツの身体はその球体に収束していく。光が閉じる頃には、肉体が一個の立方体に変わっていた。
「なんだよ、それ」
「ハツとの約束さ。彼女自身を自我から解放するために、彼女を武器に変えた」
「そういう意味じゃねぇ」
「ああ、どうして精霊を武器に出来るかかい? 精霊は元々生き物じゃない。まあ使命に縛られている以上、君を出会ってすぐ殺せなかったように、死ぬことも出来ない。君のせいで弱っていたからね、今なら武器に――
「そうじゃねぇって」
俺はタスクと、そのハツのキューブを指差す。
「お前、仲間を殺したんだぞ」
「君がそう言うのは意外だね。てっきり、一緒ならどんな形であれ大切に出来るという人かと思ったけれど」
「俺は、自我を殺すことだけはしない、したくない」
俺は俺であることにプライドがある。だから、他の奴等がその自分を捨てられないという意見に同意できる。
捨てたいという意見には、同意できない。
「彼女の望みだ。どんな形であれ、叶えてあげるのが仲間だろう」
「俺は嫌だね。俺が殺したいならまだしも、死んでも叶えたい目的があるならまだしも、それはただ自我の放棄だ」
「……やれやれ、君とは相変わらず、仲良くなれなさそうだ」
タスクは肩をすくめて、自重した微笑を浮かべる。
俺はたぶん、タスクと初めて意見があったかもしれない。まあ、どうでもいい。
「じゃあ、基本的に仲悪く行こうじゃねぇか」
「そうしたいのはやまやまだが、ボクはもう帰りたいんだよね」
「帰さねぇよ」
とりあえず、始末するなら今がいい。
ハツは無力化し、タスクは今一人で俺たちに立ち向かっている。
「今の俺なら勝てるだろ」
「そうだね、ちょっと君はやっかいだ」
「アオ」
フランが、服の袖を引っ張りながら俺に声をかける。
俺はタスクから目をそらすことを躊躇って、そのまま会話を続けた。
「なんだ」
「スノウが、いない」
「……そういえば」
フランに言われて、やっと周りの状況を読み取り始めた。視野が広くても、俺の意識の狭さが浮き彫りになった形だ。
空が、青かった。
常に雪に被われているこの山中で、空を見たことは一度も無い。
「アオくんっ、この辺りの雪は確か、スノウさんの結界も含まれてるって」
「彼女なら、ここだよ」
タスクが、何故か片足を上げる。
すると、足元にあった鎖のようなものが雪の中からせり上がる。その鎖は絶え間なく雪から這い出して、遠くの何かを繋いでいた。




