第百四十一話「いちにち ばか」
「ワァオ! ブッチュ!」
後ろから影ハツの野次が飛んでくる。もしかしたこれが俺の最後に聞いた言葉になるかもしれない。
ホムラは目を見開いて、ちょっと驚いたみたいだ。だがすぐに目をすわらせて、俺の唇をかんだ。痛い。
ホムラの噛んだ場所から、煙が上がる。たぶん、蒼炎を発動していたのだ。
やっぱり、駄目だったか。
俺は、ホムラが愛を知りたいという答えに、応じたつもりで口づけをした。
ホムラは俺の記憶をそれなりに受け継いで、感情移入をしてくれているはずだ。下手をすれば、家族よりも理解者だろう。
恋を知らないホムラが、一番肩入れできる人間は、恋をしてくれる人が、俺かもしれない。
そんな風に、自惚れた。
俺の体は焼かれている。ならもう、それは勘違いだったのかもしれない。
悪意には敏感でも、人の好意なんて俺にはよくわからない。それこそ、鈍感だ。
あぁ……。
「主は、いけずよの」
ホムラは俺から唇を離して、微笑んだ。
俺は炎の渦から解放されて、地面に倒れる。
「……あ、え」
「よきかな」
ホムラが、人差し指で唇をなぞった。艶のある表情で、頬を染めている。
助かったの、かな?
「わらわが反対した理由、わかったであろう」
「……俺と一緒になっちまうからか?」
ホムラはやはり、俺のことを好きでいてくれた。
そう思えば、今回の地球崩壊に反対する理由はしっくり来た。
愛の完成形は一つになることというけれど、本当に一つになったら終わりなのだ。恋ではなくなってしまう。
その寂しさを、ホムラはしっかりと理解していた。愛を知らないはずのホムラは、いつの間にか模索する必要が無いほどに愛が溢れていた。
これも全部、俺の記憶を知ってしまったからだろう。
「だかやはり、ままならないものよの。主は縛れば死に、妥協しても死ぬ。そんな主を奪えるのは、今を置いて他にないのであろう」
ホムラは空を見上げて俺に表情を見せないようにしている。
俺に恋をしてしまった時点で、ホムラはどうしようもなくなっていたのだ。
もし俺をこの地球に残せば、ホムラの意見を貫いたら、それはホムラの恋をした人間がこの世からいなくなってしまうとわかっていたのだ。
「だから、わらわは行動した」
ホムラはなんというか、俺ほどじゃないがひねくれている。
たぶん、自分でこんなこと言いたくなかったのだろう。
「ホムラ、俺はお前のこと、好きだぞ」
そういう自分をしっかり持っている奴は、大好きだ。
「顔?」
「いや、顔もそうだが、好きだ」
「本当かえ?」
「ああ、本当だ」
「嘘を申したら、殺す」
「なら俺は死なない」
ホムラは上を向くことをやめて、俺の目を見た。
本当に嬉しそうで、可愛い笑顔だと思う。龍はみんな、女の子だったんだな。
俺は久しぶりに、自分の口元が緩んだのを受け入れた。
「ホムラ、ありがとう」
「なんじゃいきなり」
「子供の頃から、俺にこんな勇気無かった」
自分から好意を示して、相手にそれをぶつけていく。もし命を賭けられなければ、一生やることの出来なかったことだ。
今までだって、絶対に拒否されない状況でなら動けた。でも今回は、拒否される可能性だって十分にあった。
俺はそういう時、賭けに頼れない。
いつからだろう、自分のやることに確信を持てないと、動けなくなったのは。
「主は浮気ものよの、あちらの世界に戻れば、愛するものが沢山おる」
「幸せだよ」
地球にだって大切な人はいた。この地球には、いないだけだ。
「オハナシ、終わりましたかぁ?」
影ハツが、ひょこひょこと俺たちのもとにやってきた。
地球にいた頃は恐怖の怪物だったこいつも、すっかり馴染みやすくなっちまった。
「おうおう。話は決まった」
「ジャ、この世界を壊して、元の世界に戻るの?」
「そうしたいのはやまやまなんだが」
本来なら、すぐにでも戻るべきなのだろう。
でも俺は、俺の隣にいるホムラを見てしまう。
「あと一日だけ、ここにいてもいいか?」
「一日でいいの? まあ、そのくらいじゃ現実だと一秒にもならないケド」
「ホムラ」
「十分じゃて」
この世界の時間の流れは速い。だからせめて俺の一秒を、ホムラに渡してもいいだろう。
「桜が美しいのは、何故か知っておるか?」
「いや……」
「枯れる前に、散るからじゃ」
本当に、ホムラには感謝しきれない。
俺は一生かかってもかなうことのない奴がいることを、この目で確信する。
*
翌朝。俺たちはあのアパートに帰ってきた。
「起きて、おきんか」
ホムラの声が聞こえる。
ベッドの上、俺はまどろみの中から目を覚まして、薄目を開ける。
「……おはよう。寝る」
「寝るでないわ!」
ホムラに足蹴にされた。暴力はいけない。
俺は腹をけられたことで、おなかを押さえながら起き上がる。
「ぐぉぉ……」
「ほれ、わらわの手を煩わすでないわ」
「いや、煩うのも楽しみのうちだろ……」
時計はないが、まだ早朝だと思われる。
ホムラはせっかちだ。まあ、一緒に一度しかない恋人との一日だ。俺がおきないのが悪い。
「さも、朝ごはん作ろうではないか」
「歯を磨いてからな」
「歯を磨いたらすぐじゃぞ」
「はいはい」
俺は今日、ホムラの望む行動を受け入れる。
それがたった一日だけの、恋人との約束だった。
最初の約束は、一緒に朝ごはんを作ること。
「卵とってくりゃれ」
「ホットケーキなんだよな」
「ほかになにがおる」
ホムラは下手糞な鼻息で材料を混ぜていく。この世界にはホットケーキミックスがあるので、作るのは容易だ。
普通なら一人で作るものだろう。むしろホムラ一人で作るほうが恋人としての鉄板かもしれないが、ホムラが一緒にやりたいというのならそれでいい。
「アオは要領が悪いの」
「二人でやるのが慣れてないんだよ」
ただでさえ狭い台所に二人いる。窮屈でならない。
それでいてホムラが和服なため、さらに邪魔臭い。
そうしていつも通りのホットケーキが出来上がる。もちろん、味に違いはない。
「いただきます」
「いただきます」
これもまた狭い机の上で二つ並べて食べる。
「体がホットケーキになりそうだ」
「そうしたらわらわが食して進ぜよう」
「……なあホムラ、本当にいいのか?」
俺は食事をしながら、今日のことについて問いただした。
予定は全部ホムラの希望を通した。
「なにがかえ?」
「学校に行くのが、ホムラの望んだ一日で」
「デートは一昨日にすませたもう」
ホムラは箸で器用にホットケーキを分けてつまみながら、そう応えた。
「わらわは、一度いったことはそうそう取り下げん」
学校で一日を過ごすのが、ホムラの望みだった。
とはいえ、今日は祝日。あるのは夏休み前の補習授業くらいだ。
まあクラスも違うし、補修なら一緒の教室で受けられるから、都合がいいといえばそうかもしれない。
俺は今日で見納めになる地球の朝日を浴びながら、窓の外を眺める。
「晴れたんだな」
「そうさの」
外は快晴だ。影ハツが気を使ってくれたのかどうかはわからない。
地球最後の日なのに、どこも変なところは無かった。朝早くに散歩するおっさんもいる。
変わったことといえば、昨日影ハツのいた事務所の周りで、巨大な爆発が起きて消滅したくらいだ。結構大きなニュースになっているが、ここからはちょっと離れているためそこまで日常に支障をきたす事態にはなっていない。
「さてアオよ、いざゆかん」
食べ終わってすぐに立ち上がり、ホムラは学校へと急かす。まあ化粧も服装もあの飛膜が準備してくれるから、支度はすぐに終わってしまう。
行ってもまだ校門が開いているかも怪しいのだが。
「わかった」
俺も着替えるだけなので、時間はかからない。
「はよせい」
ホムラはすでに玄関先で俺を待ち構えている。そわそわと、足踏みをしているが、
「あ、そうさの」
何かに気づいたのか、一人で先に外に出てしまう。
まあ先に行ったりはしないだろう。俺も慌てずに準備してから、遅れて玄関のドアを開ける。
「あ」
「あ」
すると、偶然にも隣の住民と鉢合わせしてしまった。
一昨日、ホムラの裸を見てそっとドアを閉じた人だ。めがねをかけた大学生って見た目をしている。たぶん大学生。
「おはようございます」
「おはようございます」
二人そろって丁寧に挨拶してしまう。結構性格が似通っているのかもしれない。
でもそうなると俺は嫌われているかもしれない。女随伴みたいな。
「あの……」
「は、はい」
話しかけてきたのは隣人のほうだ。
こういうとき、俺はハイくらいしか言えない。
「引っ越してきたのって、昨日からですか?」
「あ、はいそうです」
「そうですか。この辺りは近くに商店もないので大変だと思いますが、これからよろしくお願いしますね」
……いい人だ。
いや、断定はできないけれど。入居の挨拶もせず、初日に裸の女を連れてくるような男に対してこの丁重なる態度は尊敬に値する。
「ごみの日とかわからないことあったら、いくらでも聞いてください。その代わり、深夜十一時以降は出来るだけ静かにお願いします。深夜の勉強に集中したくて」
「わ、わかりました」
俺はへこへこと頭を下げるだけだ。
ホムラは騒がしいが、近所に迷惑をかけるほどじゃない。たぶん今後の人間関係を円滑にするための配慮だろう。
気の弱そうなお兄さんだが、この人にはこの人なりの決意や苦労があってここにいる。
この世界は今日までなのを知らずに、変わらない日常を過ごしていた。
「よろしく、お願いしますね」
隣人は、俺に握手を求める。
「よろしく……おねがいします」
俺も、それに応える。
ちくりと心の中に罪悪感が湧いた。
それだけのやり取りをして、俺はアパートの階段を降りると、ホムラが待っていた。
「遅い」
すごく不機嫌そうだ。
いや、時間にして数分も経ってないが……まあこれは俺が悪いか。
「ごめんなさい」
「跪けい」
ホムラはどうどうと地面を指差す。
ここで跪くのか。
こういう時こそ、昨日手に入れた勇気を使うべきだろう。
「ホムラ……愛してるぞ」
「関係ないわ」
駄目だった。
抱きつこうとして、蹴落とされる。
素足で踏まれるなんて初めての体験だよ。靴じゃないのは優しさだ。
「よかろう」
「ありがとうございます」
「待ち合わせは遅れてはならぬ。主の記憶でも鉄板であったろうに」
あぁ、待ち合わせだったのかこれ。通りでホムラが先に外へ出たと思った。
そうだよな、恋人同士といって鉄板のひとつは待ち合わせだ。
「やはり、待ちはわらわの性に合わぬ。行くぞ」
「ほら、散らかすなって」
新品の制服を翻して、ホムラはアパートの駐輪場を漁る。そんなに沢山止まっているわけじゃないのに、邪魔な自転車を払いのけていた。
そうして、目的の物を引っ張り出してくれる。
「これじゃな」
昨日ドンキで買ってきた俺たちの自転車だ。結構いい奴で六万位した。即興で二台にマットを敷いて、犯罪行為である二人乗りが出来るように改造してある。
ホムラが提案したことだ。一緒に学校に行く、自転車二人乗りで。
たぶん俺のよくやってたコテコテなギャルゲーの影響なんだと思う。
もちろん、俺も買ったときは結構ノリノリだった。
「高いんだから大事にな」
「どうせ今日しか使いやせん。だから豪奢にしたのであろう」
もちろん前は俺、後ろにホムラが横座りでこちらに寄りかかってくる。ロマンだ。俺外国にバイオリンの修行行っちゃいそう。
「お、重っ!」
「ほら回せい!」
現実は、予想以上に重いペダルの自転車に四苦八苦する。異世界でそれなりに鍛えたといっても、まだ一年も経ってないからな。
どうせ貯金いらないんだし、電動にしておけばよかった。
「あのネコじゃ、猫を抜かせ! 轢けい!」
ただホムラは案外楽しんでいる。
だから俺も、何とかして学校まで持つようにしよう。
肩に当てられたホムラの手は、なんだかぞくぞくとした。
*
学校について、指定された補修教室に向かう。すると教師が来たのは最初だけで、プリントだけ配って職員室に帰ってしまった。
補修教室にいたのは数人もいない。たぶんテストを風邪で休んだりとか、入院とかした人たちだろう。元々この学校はそれなりに成績がいいのだ。
俺がこの高校を選んだのも、それなりの学力になれば変な不良がいないことを知っているからだ。勉強をするのはそういう利点がある。
「つまらぬな」
「そりゃ、ホムラじゃな」
開始五分くらいだろうか、ホムラが補修に飽きた。
まあ、想定していた事態だけど。
俺とホムラは机を向かい合って勉強しているけれど、周りはそこまで気にしない。他にも囲っているグループがいるし。
「覚えるだけなら、一度見ればよかろう」
「みんなホムラみたいに記憶力よくないんだよ」
「だいたい、この紙は何じゃ、文でごまかし意味があるように書いてはおるが、ただの記号ではないか」
「学校全否定しないでくれよ。意味がないわけじゃないだろ、そこまでして覚える必要が無いだけで……」
俺が何とか勉強させようと説得させるが。
ホムラは口では文句を言うものの、手はしっかり動かしていた。
「主、そこは間違っておるぞ」
「え?」
俺も意識半分に書いているため、あまり正解率は期待していないが、どうやらホムラは完璧にわかるらしい。
もしかしたこの文句も、ホムラなりの楽しみ方だったりするのだろうか。
学校で勉強する時、一番楽しいのはその合間に友人とサボって話すことだ、と思う。俺には経験が無いからわからない。
ここがそれなりに成績の良い学校だとしても、授業中にお喋りは聞こえるし、そういうものなのだろう。
「……」
「何をしておる、わらわの手ばかり見ても始まらんぞ」
「いや、ホムラの手って綺麗だよな」
「たわけが」
俺の言葉に、ホムラが笑って悪態をつく。
ホムラって、照れたりしないんだよな。純粋に、自分の感情をむき出しにする。楽しいことがあれば、すぐ顔に出てくるのだ。
自分に絶対の自信と誇りがあるんだろう。
「うらやましいよ……」
「贅沢を言うでないわ、主はすでに、わらわと同じ場所におる」
ホムラは机に頬杖をついて、もう片方の手を俺の頬に当てる。頬を撫でるその手は暖かくて、安心させてくれる。
バカップルってのは、こういうのを言うんだろう。授業中にここまでイチャイチャしていても、他の景色が眼に止まらない。




