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第百四十話「かえる これしか」

 影ハツは笑顔のままそっぽを向いて、ごまかすように頬を書く。


「まあいいケド。デモさ、キミまたこっちに返されるよ。ハツちゃんがいるんだから」

「……そうか、それが問題か」


 結局のところ、戻ったところでまた同じように返されてしまえば意味がない。

 でも俺は、考えるよりもまず影ハツの目を見た。

 影ハツはずっとニヤニヤした表情のままだが、何かを待っているようにも見えた。


「抜け道……方法は、あるんだな」

「あるよ。簡単簡単、逆転の発想さ」


 影ハツは両手を開いて、


「この世界をパーッと壊しちゃえばいい」


 愉快そうに笑った。

 この世界を壊す。確かにそうすれば俺の帰る場所が無くなる。魂を補完できないのなら、精霊の能力で俺を破壊できないことになる。


「できんのか?」

「即答だね」

「迷うわけ無いだろ」


 本来ならここで、俺は地球の人を犠牲にするかどうか悩むべきなんだろう。

 俺は、犠牲にする。


「魂の精霊は、使命を全うするために過去のものを犠牲にだって出来る。でもね、壊したらもう生き返らないよ?」

「生きてないだろ」


 俺は影ハツに真実を告げられたことによって、この世界を薄ら寒いものに感じてしまうようになった。


「何度も同じような世界を回って何の意味がある。生きているってのは変化だ。永遠なんて無いんだよ」

「でも、人の記憶だよ」

「ちゃんちゃらおかしいな」


 俺は影ハツを真似るように、愉快に笑ってやる。


「俺のことを知らない人間が七十億いてなんになる。俺からしてみれば、俺が死んだ後の世界なんて要らないんだよ」


 俺の言葉は、人によっては狂言になるだろう。

 でも俺に博愛精神なんて無い。もちろん人殺しなんて嫌いだ。でも俺は自分が幸せになるためならなんだって犠牲にする。


 もし百人の他人と自分の命を天秤にかけられば、俺は迷わず自分を選ぶ。

 ハツが俺をここに呼んだ最大の失敗は、俺のことを知っている人間を無くしたことだろう。


「決定だな、あんたとの交渉は成立だ」

「待ちに」


 ずっと静観していたホムラが、これを拍子に口を開いた。


「ホムラ、どうしたんだ?」

「わらわは、断る」

「え?」


 俺はつい、口から変な声が燃えれてしまう。

 あのホムラが、断った。

 意外だった。ホムラだって多数を犠牲にしても我を優先するタイプだと思ったから、俺の提案に反対するとは考えていなかった。


「おいまて、ホムラは」

「わらわは、ここにいる有象無象などどうでもよい」


 じゃあ何だというのだ。

 ホムラだってこの世界に好感なんてないはずだろう。

 俺はホムラの真意を探ろうと、目を合わせる。

 ホムラは微動だにせず、俺の目を睨み返す。


「どうするかえ? わらわの反対を押し切って、主は魂と共に帰るかえ?」

「そんなの、駄目に決まってる」


 俺がもし、ホムラの反対を押し切ってもとの世界に帰れば、待つのは死だろう。

 何故なら俺自身には何の力も無いからだ。結局、今まで使っていた最強の力もホムラの借り物でしかなく、俺だけ帰っても魔法一つ使えない無能が現れるだけ。

 へたをすれば、魔力を持たない、魔原の無い俺はあの世界じゃ存在できない可能性だってある。


「一緒に帰らないか? 俺はなんだって協力するぞ。お前が愛を知りたいって言うんだったら」

「わらわは、断るといったのじゃ」


 有無を言わささない、ホムラの断言だった。

 わかっている。ほんの少しの期間触れただけだが、ホムラはこうと言ったら聞かない。

 もしその考えを曲げるとすれば、俺は方法をひとつしか知らない。


 だが、どうすればいい。俺には何の力も無いんだ。


「……主、わらわに対してどうすればいいか、心得ておるの」

「……」

「でも、無理じゃな。主では」


 ホムラはわざとらしく、俺に聞こえるように溜息を吐く。


「わらわを屈服できまい」


 ホムラを説得する材料は、勝利だ。

 龍動乱の時も、フランたちが俺を救出してくれた時も、ホムラは一度負けたからこそ、自分をまげてその理念に敬意を払った。

 俺には、力が無かった。


「もし、主がわらわに歯向かおうと言うのなら、全力で相手をしようぞ。その肉体、骨も残らず焼き尽くしてたもう」


 ホムラは、鈴を転がすように笑う。掌の上で弄ばれているようだ。

 俺を、完全に馬鹿にしていた。

 これは、ホムラの挑発だ。


「わかった。やる」

「やはり、主はアオよのお」


 ここで断れば、たぶん一生チャンスは来ないだろう。保留にしても、逃げたと一緒だ。

 ホムラは俺を試していたのだ。ここで引くようなら、たぶんホムラと俺にはどうしようもない格差が生まれただろう。俺はホムラに敵わないと。

 今だって、敵うはずはない。


「気づくのが遅れるだけぞえ」

「それでも、俺は口だけは嫌なんだよ」


 ホムラと俺が、戦う。

 状況からしてみれば圧倒的に不利だ。勝ち目なんて微塵も見えちゃいない。


「では早速、はじめるかえ」


 ホムラはもちろん、俺に作戦も準備もさせる気は無い。

 彼女にとって勝負なんて、ルールが無いようなものなのだろう。

 ルール……


「なあ、とりあえずは場所くらい変えようぜ」


 俺は時間稼ぎのつもりで、ホムラに提案する。

 流石のホムラも、このファミレスで命を賭けようなんて思ってないだろう。


「よかろう、場所を変える」


 よかった、ホムラも俺の提案に乗ってくれた。

 俺は椅子から立ち上がり、ファミレスの入口を見つめる。


「じゃあ――」

「これで、よろしゅうか?」


 ホムラがそう言った瞬間に、ファミレスの入口がなくなった。

 いや、ファミレスどころの騒ぎではない。

 この辺り一帯が、ただの荒野に成り代わっていた。まるで、俺たちが座っていた座席だけが、どこかの知らない土地へワープしたみたいだった。

 でもこれは、ワープなんかじゃない。


「ほれ、変わった」


 ホムラは涼しい顔をして、たった一つのテーブルに頬杖をつく。

 俺は見ていた。

 蒼い炎が床からせり上がり、焼け爛れる暇も無く蒸発していく人たちの姿が脳裏から離れない。

 蒼炎が全てを燃やした。


「……おまえ、ドリンクバーまだ一回しか飲んでないんだぞ」

「声が上擦っておるわ。主は人、無理をするでない」


 ホムラは飲み終えたグラスを放り投げて、荒野に投げ捨てる。


「じゃが拍子抜けさの。この世界全てを壊すと言ってのけた主が、この程度の人殺しに心揺さぶられるとは」

「そりゃ、俺だって外道じゃない」


 ホムラはあえて、俺に見せるためにこの場所を燃やし尽くしたのだろう。

 俺がこれからやろうとしていることの凄惨さを、わかりやすく説明してくれたのだ。


「でもな、そんなんで俺がやめると思ってないだろ」

「しかと」


 たった数分の説教や説得で気が変わるほど、俺は甘っちょろくない。

 動揺はする。ショックだって受ける。でも、やめない。

 人間なら、苦しくても自分のための努力はするもんだ。


「……ハツ、こうなっちまうと世界ってどうなるんだ?」

「さぁ? 適当に投げた賽がどうなるかなんて予想不可能だヨ。でもま、あと一時間くらいはここも静かジャない?」


 たぶん人類はここがどうなったかすぐには把握できないだろう。爆弾か自然災害にでもなるんかな。


「まぁ、そんな場合じゃないか……」


 俺が立ち上がり、座席から離れる。

 ホムラも席を離れ、荒野の上に足を乗せる。

 机に残った影ハツは、観戦者として俺達をニヤニヤと眺めていた。


「ではゆこう、この世界の命運を賭け、まぐわおうではないか」


 ホムラから攻撃の気配が来た。

 幸か不幸か、まだ魔法を読み取る力だけは残っていた。

 俺は横に飛んで、その視線から逃れる。


「わらわから目を逸らすでないわ」

「死ぬだろうが!」


 どうやら、ホムラは手加減している。

 本気を出せば、ホムラは世界を荒野に出来るのだ。それこそ、場所を変えるときに俺を消す事だって出来た。


「やっぱ、愛は偉大だな!」

「やはり、忌々しいの」

「それが情って言うんだよ!」


 ホムラは、単純に俺を消そうとは思っていない。

 いやむしろ、俺を殺さずに屈服させる気かもしれない。

 フランと戦ったときと、立場が逆転したわけだ。


「はっ、これなら――」

「今、わらわを驕ったな」


 俺は一瞬バランスを崩して、地面に倒れた。

 何が起こったのかと足元を見ると、右足がごっそり無くなっていた。


「主とて、それだけは許さぬ」

「つぅ……」


 熱した鉄を当てられたように、右足が痛み始める。


「がぁっ!」


 俺は吐いた。想像を絶する痛みがストレスになって、胃を逆流させる。

 異世界にいた時だって切り傷とか怪我もしてきた。それなのにこの痛みはその尋常さすら越えていた。

 考えてみれば、直接的に身体を壊されるのは、これが初めてか。そうだよな、ジャンヌの時は、痛みも無く灰になったんだ。


 俺は口をぬぐうことも出来ずに、地面に涎をたらす。


「どうじゃ? まだやるかえ」


 ホムラがこちらにまで歩いてくる。


「まだやるというのなら、次は左腕をもいでくれよう」


 ホムラの歩みはゆっくりだ。わざとなのかもしれない。

 俺は戦慄していた。

 また、この痛みを味わわされる。


 今までだってこうなる危険性はいくつもあった。それなのに偶然上手くいって、ホムラの能力や仲間たちに助けられてこんな醜態を晒さずに済んだんだ。

 だがどうだ。仲間もいない。俺には力も無い。


 考えれば考えるほど、ネガティブなことばかりが浮かぶ。

 はやく、楽になりたい。


「ほれ、手をとりゃれ」


 ホムラが、笑顔で俺に手を差し伸べる。

 俺にとってそれは、天国の迎えにも見えた。この手を取れば、苦しみから救われ……。


 俺は、左腕を差し伸べて、その手を取った。


「お願いだ……」

「なにかえ」

「戦わせてくれ」


 俺がそう言うと、ホムラの体が反応した。

 いや、ホムラの逆鱗が反応したと言うべきだろう。ホムラの体は淡い光に包まれ、その光は、俺の元にまで集まっていった。

 消えた足の感覚が戻っていく。冷や汗が体から去り、痛みも引いていく。


「……」

「そういえば、ここは魂の世界だっけか」


 予想してやったわけじゃない。本当にたまたまだった。

 ただ、何の根拠も無く行ったわけじゃない。


「ワォ。そういえば君たちは本来、一身同体だったネ」


 影ハツが観客席から野次を飛ばす。一心同体。

 ここは魂の世界だ。たぶん、俺とホムラはまだどこかで繋がっている。その影響で、俺にも逆鱗の能力を受け取ることが出来るらしい。


「こんな賭けみたいなこと、俺は嫌いなんだがな」


 俺からしてみれば、愚の愚作だ。楽観視から来る選択など、俺は絶対に選ばない。

 いつだってそうだ。俺にはなんでも五分五分で勝てたことが一度も無い。それにそんなの作戦じゃなくて、ただのギャンブルだ。

 俺の知っているヒーローはどいつも可能性が一パーセントでも戦う。あれは狂ってる。


「絶対にやりたくないって、思ってたんだけどなぁ」


 俺はそんなものに頼るくらいなら、反則をする。

 こんなこと、俺がするような行動じゃない。


「ほう、それで、主は賭けに勝ったのえ?」

「まだだよ……っあつ!」

「次は、左腕と申したであろう」


 ホムラと繋いでいた左腕が、蒼炎によって解かされた。例の如く全身に回らず、ホムラが無理矢理に引き裂いてから燃やした。

 俺はその行動をわかっていた。激痛で動けなくなるよりも先に、飛んでいた。


「似合わぬの」

「あんたが言うか」


 俺はホムラに逃げられまいと、抱きついた。

 ホムラは避けることなく、その抱擁を受け止める。こんなもの飛膜を使えば、いくらでも避けられたであろう。


 避けなかった。この事実を俺は、どう考えるか。

 ……こんなもの、予想にしかならない。


「これでは足りぬ、許せぬ。次行えばその全身、消し炭にしてしもう」


 ホムラが、俺の耳元で囁いた。

 たとえ今まで俺を殺さなかったとしても、ホムラならやるだろう。こいつはそうやって、衝動的に積み上げてきたものを壊してしまうタイプだ。


「一度だけ、許してくれたのは、うれしかったよ」


 俺はまだ、ホムラに寄りかかった身体を離さない。傷が癒え、失った左腕が帰ってくる。

 不思議と、失った右手は帰ってこない。

 たぶんそれは俺が自分で決めたことだからだ。俺はこの右腕はなくてもいいと決意した行動を、しっかりと納得しているから。


 いまからすることは、失敗したら後悔するだろうなぁ。


「でもな、俺にはもう、これしかないんだ」


 似合わない事だって、人間やらなくちゃいけないときがある。

 いくら回避しても、いつかはやってくる試練だ。


 ホムラが俺を突き飛ばす。

 俺はまたホムラに触れようと前に出た。左手でホムラを引き寄せて、離さないように抱きつく。


「次はないと、言ったであろう」


 俺の全身が熱くなる。尻に火が付くとはこのことだろう。実際は、全身が燃えているが。


「知ってる」


 俺は足が動かなくなる前に、汗もすぐ蒸発してしまうこの身体をさらに前に。

 ホムラの唇に、顔を近づけた。

 なんのひねりもない、接吻だ。


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