第百三十九話「ぐるぐる ひとり」
「まさかーみつかるなんてね」
「お、おおい!」
俺はビクビクしながらも、舐められないよう前に出た。
「どうして紅があんたなのかとか、とりあえず聞きたいことは山ほどあるが、最初に」
「サイショニ! 場所を変えましょー!」
「賛成さの」
「え、まてよお前ら」
俺が気合を入れて詰め寄ろうとしたら、二人にいなされてしまう。
ホムラと影ハツは、気の合う二人のように横に並んで、さっさと歩き出してしまった。
「ほれ、どうした」
「本当に場所を変えるのか」
「いさむでないわ。わらわとてこんなちんけな場所で話しとうない。もしきゃつが逃げるのなら、このような場所にいなかろうて」
「……一理ある」
俺はホムラの言葉に諭され、自分をなだめようと試みた。
そう、慌てたら負けだ。緊急事態だからこそ、しっかりと対処すべきなんだ。
「あわてんぼねー」
影ハツはそんな俺をみてケラケラと笑う。平常心を保たねば。
たどり着いたのは近場のファミレスだ。こいつら二体そろって異世界勢なのに、やたらとこっちの世情に慣れてきてるな。
まだ昼には早いこともあってか、人はまばら。
「サテサテ、どうするかね」
そして、影ハツはまるで談笑でもするように、手をひらひらさせて俺たちの質問を待った。
「気楽なんだな」
「ま、ボクはそこまで君たちに思いいれないし。あ、店員さんとりあえずドリンクバーだけ三つねー」
「逃げる気は無いのか?」
「前にもいったでしょしょ、君はハツの敵。ボクは君たちの敵でも味方でもない」
「お前とハツは、別物なのか?」
「一緒で別、別なのに一緒」
「どういう意味だ? ……いや、質問を変えよう」
俺が質問してばかりだが、この影ハツの言葉が要領を得ないせいだ。
どうにもはぐらかされているような気がしてならない。
「ここは、どこだ」
「地球」
「んなもんわかってる。俺が聞きたいのは、どうしてここは地球なのに、俺の知っている地球と全然違うのかだ。恐怖の怪物が表れて、地球人は滅んだんじゃないのか?」
「滅んでるよ、滅んでないともいえるケド。滅んだと言えば滅んだ」
「ふざけないでくれ」
「地球なんて星、元々無いのヨ」
「だから……ならここはどこだっっってっ!」
俺はイライラを懸命に抑える。
本当にこいつは、俺と話す気はあるのか。
「コノ世界は、地球であって地球でない。簡単に言うのなら、ボクが作った」
「作った?」
「魂の精霊。それは原初六精霊に次ぐほどの歴史を持つ古い精霊なんだ。これは世界に残った残留思念を、誰かに見てもらいたいという、コノ星に残された僅かな願いが七十億者人口によって増幅され、生まれた精霊。生きていない人間たちだけが、魔力を持たない人間が作り出した、たった一つの精霊の例外」
「待て、じゃあつまりこの地球はもしかして……」
「実際には存在しとらんのかえ」
ホムラが、俺の言いにくいことを代弁してくれた。
影ハツは、その言葉に頷く。
「そう、魂の精霊によって叶えられた願いは、生き延びたいという彼等の心。ボクはこの星に残った昔の記憶、魂を補完する精霊。あーあー、色々面倒だから、はぐらかしてアオクゥンに気づいてもらおうって思ったのに」
俺は頭を抱えたくなった。それをこらえて、テーブルの上にある水を口の中に運ぶ。
この影ハツの言葉通りなら、俺はすでに死んでいるということだ。
「ったく、ファミレスで話すようなことじゃねぇよ……」
「ショックかねぇ?」
「ああショックだよ。聴いた瞬間ガクッと来た」
「それにしては、案外口は減らないネ」
「ショックだが、考えてみればどうってこと無いからな……」
俺がすでに死んだ人間である。
だから、どうしたというのだ。
「死ぬことで一番怖いのは、自分の意識も記憶も、全部消えちまうことだ。俺はしっかりと自我があって、今まで生きてきた記憶もある」
「うん、ボクの言葉を信じてくれてタスカルヨ。大体は嘘だって叫んでボクから逃げるんだよね。だからキミから言ってほしかった」
「大体って、俺と紅意外にもこの事実をつげるようなやつはいるのか?」
「いたよ」
ふふと、影ハツは幼い顔で含みのある微笑をする。
俺はそんな彼女の表情に、初めて薄ら寒いものを覚えた。
「ま、まあ俺だってあんたの台詞を信じたわけじゃないぞ」
「それで構わないヨ。どうやらキミははぐらかす必要が無いみたいだ」
からんと、氷しかなくなったグラスが音を立てる。
ドリンクバーはセルフだが、ここで席を立てるほど、俺は心臓に毛が生えていない。
影ハツは笑みを消して、窓の外を眺めながら話し始めた。
「昔あった実物の地球はね、この世界の年数からあと十三年経った時に、崩壊するんだ」
「十三年? 今のこの地球の年代から十三年でか?」
「うん。龍星。日本人の誰だったかが最初に発見して、そんな名前になった。地球の半分の体積もある惑星が、地球と衝突するんだ。本物の月もそのとき壊れるヨ」
「それ本当かよ」
俺は、自分が死んでいるという事実よりも、こっちの方が胡散臭かった。
「まあ、証拠と言う証拠はないね~。強いて言うなら、その龍星が後の魔原を生み出すパンデミックだったわけさ。そこから龍が生まれるなんて、ほんと偶然だよね。あとはそうだ、ボクが、キミのいた地球を崩壊させた時期を考えてみるといい。あと十三年なんて、地球全体から見れば終盤だろ、その辺りにボクの出現を合わせたんだ」
「どうしてだ」
「この世界のズレを出来るだけ解消するためにね。キミはもう大体わかっていると思うケド、この魂の世界は元の地球とはできるだけ平行世界を作らないように進行しているのさ」
影ハツは当然のように言っているが、俺からしたら壮大すぎる。
ただまあ、全部疑ってかかると話も進まない。
その沈黙を了承と受け取ったのか、影ハツは続ける。
「そうしてあの異世界のもとになる惑星が出来たってワケ。だからあの世界は、ぶっちゃけ言えば惑星地球ファイナルミックス版っていえばいいのかな」
「リメイクか」
「そ、だからやけ~にあの世界、地球とにてるトコ無い? あれはごくたまボクがちょくちょく地球の記憶を外に吐き出しているからなんだ」
やけに地球と似た文化があったのは覚えている。医療技術とかマカロンとか。
「吐き出すってのは何だ」
「キミみたいな人のことサ。ボクは時々この世界を観測しながら、ランダムに選ばれた人間を異世界の表層に送り出すのが使命。ただ表層に送り出すだけだから、どうやって異世界に出現するのかはランダムだけど」
「俺の場合は、偶然練成された人間に乗り移ったってことか」
「元はわらわであろう」
ということは、記憶を持ったまま赤ん坊から産まれ変わるとかもあるんだろうな。
「これでわかってもらえた? 異世界に送られたキミに起こった衝撃の真実ぅ!」
「じゃあ、今の地球は何だ」
「簡単だよ、一度滅んで、地球が一巡したんだ」
「一巡?」
「ボクはあくまでそのものの魂を補完するだけだ。記憶や人格。それを残したいという願いから生まれたからね。生き返らせたわけじゃない。死んだ人間は生き返らない。同じ時をグルグル!」
「じゃあ俺は何だ」
「キミはもとの人格とは別人ダヨ。ただ同じ記憶を持って同じ性格ってダケ」
影ハツは自分のグラスから一個の氷を取り出して、テーブルの上に置いた。
「これがキミ。グラスからこぼれたただの欠片。自分じゃ器にも戻れず、溶けていくだけ。だからキミはこの世界に馴染みにくいと思うヨ。実際のところ、キミはこの世界から分離してしまった。だから家族の誰も、キミのことを覚えていない」
俺はその上に置かれた氷を、じっと見つめる。
店内にクーラーがついているとはいえ、季節は夏だ。じわじわと体積を少なくして、瞬きをした瞬間にも水になってしまいそうだった。
「これは、わらわの」
その氷をひょいと拾って、口に入れた。
「お前ばっちいだろ」
「照れるでないわ」
「仲がいいねネ!」
ホムラが舌で転がして俺をからかっている。すっごいむかつく!
ただ、変な気分が晴れてくれた。気を使ってくれたのかもしれない。
気を取り直して、俺は影ハツに向き直った。
「一巡ってあれだよな、ループってことだよな」
「そう、十三年後にまた地球は崩壊して、魂の持つ人類が生まれる時代からまたこの世界は始まっていく。ほぼ寸分違わない歴史を、幾度と無く辿ってね。ちなみに、ちゃんと数えてはいないけどキミがここに戻るまで三回くらいは歴史が巡回したよ。魂と記憶にとって、時間の概念はとても希薄ダカラネ」
「じゃあ、俺のいた世界は」
「とっくの昔に無くなってるよ」
もうほとんど驚かなくなってきた。慣れってやっぱり怖い。
「まあキミもそんなに悲しむことジャないさ。キミなんて実際の歴史だとあれだよ、二年後の就職活動中に、五件目のお祈りメールにへこんで夜海に行ったら、誰もいない道路を猛スピードで走る無免許運転車に轢かれるんだ。犯人は発覚を恐れてキミの遺体を重石入りで海に投げ捨てられる」
「それ、冗談じゃないよな」
「マジ。犯人は運よく目撃者がいなくて、キミの家族も就職難による蒸発と判断。真相は魂のナカってね」
影ハツは俺の本当の歴史を飄々と言ってのける。
俺はたぶん、こいつに向かってとんでもなく苦い顔をしていると思う。
「ラプラスの悪魔はこの地球にて何度でも同じ数式を解き、全く同じ歴史を行っていると考えれば、今回のキミはまだいいほうだと思うヨ」
「……ああ、そうなんだろうな」
無知は罪。俺はこの定理を覆すつもりはない。
知っていれば、その数式に当てはまることはほぼ無いだろう。
「だからどうした」
「キミは、この地球に居座るつもりはないのかい?」
来た。本題だ。
俺はどう交渉すべきか、敵を出し抜くために表情を引き締める。
「ああ誤解しないで、ボクは別に、キミの再誕を止めないヨ」
「り?」
と思った瞬間に、俺は拍子抜けして椅子から滑った。
ふざけるなと、叫ぶ代わりに椅子から立ち上がった。
「おいまて! 嘘だろそれ!」
「ホント♪」
「ならなんで俺をこの世界に戻した!」
他の客がいるのにも構わず、俺は影ハツを指差して問い詰めた。
こいつは、俺が不都合だからこの世界に戻した。これは確かだ。なのになぜ、すぐ戻すようなことをする。
「キミは、誤解してるよ。さっきもいったジャン。ボクはハツであってハツで無い。キミを邪魔に感じて追い出したのは、あっちのボクさ」
「あっちのって、あの喋りの苦手そうな方か」
「そうそう。長くなるっていったデショヨ~。この状況には深いワケがあるのヨ」
グラスの氷はすでに溶けている。だが、まだ注ぎなおす余裕はなさそうだった。
*
「ハツは、精霊の中でも特殊なのはいったよね」
「ああ」
「特殊なことはまだあるんだ。それは彼女が、人だと言うこと」
「……人? 精霊は元々人だろ」
「人の心を保つしかないと、言うべきカナ」
影ハツは辺りにいる普通の人々に目を向ける。
「魂の精霊は、文字通り人間の魂、記憶や心を保持している。それはつまりね、常に人の心に接している状態なんだ。精霊は人と自分が違うことを自覚し、人からはなれることで徐々に心と体が人間じゃなくなっていく。魂の精霊だけは、それができない。そうなると、どうなると思う?」
「……」
「ずっと、一人なんだ。永遠に近い生命を得てしまったハツは、ずっと友達のいない世界に居続けるしかない。人間何千年も生きるとね、時間の流れがとっても早くなる。五十年が一日だって感じられるくらいにサ。だから彼女は大切な友達ができても二日もすれば死んでしまうような世界で、死ねないんだヨ」
魂の精霊の使命と、永遠の命によって産まれた、弊害。
たとえ知覚出来ても、知り合いのいない世界で何千年も一人で暮していたら、どうなってしまうのだろうか。俺にはわからない。
たぶん精霊は、それを避けるために、人をやめるのだろう。
「ハツは次第に狂っていった。人並みの感情を持ったまま、どんどんと意識が壊れていく。最初に憎んだのはこの精霊の肉体。だからいつの間にか、ボクみたいな精霊の使命だけを背負った意識体が生まれたのサ」
「だからお前は、一つの精霊なのに二人の人格が備わっていると」
「そそ、つってもボクは生まれが人ジャないから。この生活に慣れてるケド。結局ハツは人に近づいたけど、結局人にはなれない。マ、そのせいでタスクちゃんに誑かされたってワケ」
「あいつらの目的は何だ」
「それはボクでも話せなーい。権限があってネ。ボクは分離して産まれた使命を全うする機械みたいなの。だから使命からは逃れらないし、そのせいで開いた穴の修正を続けているってワケ」
影ハツはポケットに入っていた身分証明を見せる。もちろんハツではなく、紅と記載されていた。
「これでわかったデショデショ。ボクは精霊だから、キミたちの完全なる協力者ジャないんだ。だからハツちゃんのやったことには文句を言わないよ。でもね、キミが望むのなら、魂の精霊として、元の世界にまた送ってあげる」
「じゃあ早速だが、俺を元の世界に戻してくれ」
悩む必要もなかった。
こいつは精霊だ。俺の敵でも味方でもない。でも、今は俺の願いと使命が一致している。なら利用しないほかはない。
「キミはせっかちだねぇ。今までの話ちゃんと聞いた?」
「ああ聞いた。じゃあなんてお前は俺にこんな話をする。それに、俺を異世界に送り込んだときなんで美しいものを探させた。それはなんでだ?」
あえてハツにかかわりそうな要因ばかりを、この影ハツは押し付けてきている気がする。




