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第百三十八話「いばしょ もとねた」


 夜。また誰とも知れないアパートの一室に、ホムラといた。


 今日もやはり、何の成果も上がらなかった。

 そう、やはりなのだ。

 俺はここに来て、何の手がかりもヒントも思いつかなかった。


 思わず、自分の不甲斐なさにのた打ち回った。


「っああっ!」

「喧しい」


 ホムラはこの部屋に備え付けられていたテレビ一式を使って買ったDVDを鑑賞している。

 食い入るように見るとはこのことだろう。画面からめちゃくちゃ近くで見ているけれど、目が悪くなることなんて無いんだろうな。


「のう、近う」

「いや、俺は見なくていいよ」

「左様か」


 ホムラはテレビから目を離さないまま、じりじりと身体を引き摺って俺の隣にまで来た。

 しかも、寄りかかってくる!


「ま、また愛を知るための行動か」

「よしなに」


 ホムラの頭が肩に乗るが、気にしたら負けだ。

 俺は自分の顔が真っ赤になっていることを自覚してしまう。その気分を反らそうと、テレビに釘付けになる。

 沈黙が数秒の間を作る。その跡で、ホムラは口を開いた。


「聞いて、よろしいかえ」

「なんだ、別に前置きしなくても、いくらでも聞けばいいだろ」

「何故、主は異世界に帰りたいのかえ」

「そりゃ、ここが俺の居場所じゃないからだ」

「居場所とは」


 ホムラはテレビを見続ける。今ちょうど、デート中に主人公が拗ねて男のもとを去ってしまうシーンだ。


「居場所とは、主にとってなんじゃ。生まれた場所のことかえ? 違うの、生まれたのは地球。なら居場所とは」

「……」

「主が、ここにいてもいいと思える場所ではないのかえ」

「一理ある」


 自分がここにいるべきではないと思うとき、それは自分じゃなくてもいいと考えてしまうような状況こそそうなのだ。


 思い出す。

 クラスで飯ごう炊飯をするとき、グループを組めなくてクラスで一人余り、適当なところに例外で一人多めに割りいれられたときだ。そのせいで俺の役割そのものが分担されなくて、文字通りサボり状態になってしまう。やること無いから仕方ないとはいえ、なら何故俺はここにいるかというアイデンティティばかりを考えてしまう、不思議で嫌な時間だった。


 俺が俺じゃなきゃいけないような空間にいたい。

 そういう意味では、この世界は俺なんていなくても平気で回転している。両親ですら、俺の存在を知らないのだから。


「一理? 主のそれは道理であろう」


 ホムラはなまじ俺の記憶を持っている分、俺の理解力が凄まじいな。


「主は本当に、甘いの」

「なにがだよ」

「芯が通っているようでひ弱、わらわの指で撫でればへし折れてしまいそうなほどに脆い」


 ホムラは右手の人差し指を俺の頬に当てて、つぅっと肩のまでなぞっていく。


「折っても、よいかの?」


 ホムラの突き刺すような瞳に、俺はぞくりとした。慈悲の瞳なんて謳っているが、やはり氷の剣のルーツなだけはある。

 俺は苦笑いをするしかなかった。


「よ、よしなにってか」

「わらわが、主を必要としよう」


 ホムラはいつの間にか、テレビから目をそらして、俺に顔を近づけてくる。


「どうかえ?」

「俺は愛情ごっこみたいなので選ばれるのは、不満だ」


 まるで、女の子が罰ゲームで俺に告白したみたいじゃないか。


「ごっこ、とは、甘く見られたものよ」

「違うのか?」

「わらわは、主の理解者ぞ。主がそういうとわかって、わらわが口にするとでも?」


 ホムラはぐいぐいと身体を近づけてくる。

 俺は距離を取ろうと仰け反るが、背中を押さえつけられた。


「俺の恋人になんて、なれるのかよ」

「簡単じゃ、主を必要として、生きればよい」


 ホムラは堂々と、俺に依存することを宣言する。

 わかっている。俺は共同依存体であることが、恋愛にとって一種の完成ととっている節がある。

 互いに距離を置くのも愛だというが、別に二十四時間一緒にいたいというわけでもない。が、重いと言われる。


 ホムラの言葉は俺からしてみれば俺を理解してなおかつ理想的な告白だろう。

 だからこそ、俺は疑う。


「なんでそこまでするんだよ。ホムラは愛を知りたいだけだろ」

「主のことを、知ってしまったからさの。愛着も湧こうて」

「本当か?」

「それは、主が決めること」


 ホムラは、俺の言葉を待っている。

 もしかしたら本当に、ホムラは俺を必要としてくれているのかもしれない。どことも知れない土地に送り込まれ、右も左もわからないまま俺についていく彼女の心境はどんなものなのだろう。


 俺はホムラをどう思っているのかと言えば、嫌いではない。

 武器や魔法だけだが、あの異世界での日々の中で、彼女の力には多いに助けられたし、愛着もあった。その好感はすべてホムラに向けていたようなものでもある。

 ただ、好きかどうかと言われたら、わからない。


「顔は好みだ。可愛いからな」

「主はこういうところばかり、正直さの」


 ホムラは俺の酷い言葉に、イラつきも責めもしない。


「なら、それでもよいではないか。例えわらわが本当に主を好いていなくとも、必要とし、される関係は本物ゆえ、何も迷う必要はなかろう」

「でもな」

「主は、この地球から出る理由がなくなったのではないか」


 ホムラのなんでもない言葉は、まるで呪いのように俺を縛り付けた。


「もう一度聞こう、主は、また異世界に行く必要はあるのかえ?」

「異世界ね……あ、そうだ! そうだよ異世界だ!」


 俺はホムラの言葉に反論するよりも先に、一つの事実に思い至った。思わず立ち上がって、ガッツポーズまでとってしまう。


「この世界でおかしいところは、全部異世界に関係している。前いた地球とのズレは俺自身のことだけだった。つまりだな、異世界に関係しているものこそがこの地球にとっての抜け穴なんだ」

「そんなの、決まっておろう。今更言うことでもないわさ」

「ところがそうでもないんだよ、考えてみろ。俺が当てにするべきは異世界と地球に関係する出来事だ。まず俺はこの中に入る。地球から異世界に飛ばされたから」

「……ほほ」


 ホムラも合点がいったようだ。

 そう、地球と異世界の二つを知識に持っている奴は、異世界にいった地球人は、俺だけじゃない。


「紅だ。あいつも俺と同じ異世界人だが、この地球にいない以上はどっかで確実に矛盾を抱えた痕が残っている」

「主のように、家族から記憶が消されておるかも知れんぞ」

「それでも、影響力は完全には消せないんだよ。俺が何故か学校に在籍して、アパートに住まわせてもらって、ホムラにまで学生証があった理由を考えるとだ」


 どっかのSFにもあったよな、平行世界ってのは別のものを取り込んだとき、それを帳消しにするために何らかの異変を起こすって。


「ハツが地球に来たわらわたちのために用意したかもしれんぞえ」

「だったら入学なんてさせないで金だけよこしてくれるだろ。いなくても違和感の無い程度に、矛盾を抑えてるんだ」


 俺は気分が高揚してきた。なにせ、今まで行き詰っていたパズルに大きなヒントが眠っていることに気づけたんだ。

 これでもしかしたら、俺は元の世界に……


「……」

「主、察しが悪くとも気づいておろう。わらわならば、その程度の発想は容易い」

「お前、最初から気づいてたのか?」

「ふむ。ある程度はの。そしてこの突破口には、重大な欠点があることも」

「…………紅が、どこにいるのかわからない」


 俺はまた膝をついた。

 そう、紅がどこにいるのかわからない。これは簡単に思い至り、一番の難題だった。


「たぶん紅は日本人だ。日本語も喋ってたし、紅なんて名前は外国にはそうそういない」

「日本で絞り込めるのかえ?」

「……もしかしたら、外国にいるかもしれないな。確か紅は、俺の半分目の被害者だったし」


 俺は確か、六十億と二人目の被害者だ。紅はその半分だったからよく覚えている。


「なら、前いた世界で魂の精霊の出現位置から俺のところの間の場所を探して……いや、駄目だ。あいつは何人にも増えて、一人で殺しまわったわけじゃないから、順番どおり殺したとは限らないし」


 俺は頭が痒くなってきた。考えれば考えるほど、どつぼに嵌っていく感覚がある。


「確率が高いのはやっぱり日本だ……でも、日本にだって一億二千万人の人間がいて、プライバシーのある中市役所からは情報を引き出せるわけもないし……」

「下の名前しか知らぬな」


 たしか、下の名前だけじゃ探偵雇ったとしても、探すのは困難だっけか。


「あ~も! どうしようもねぇ!」


 俺は仰向けになって倒れた。万事休すだ。

 アイドル活動しているから、その辺で調査してみれば見つかるか? いや、売れ行きのいいアイドルだったら変な替え歌なんか作らないだろ。持ち歌があるはずだ。


「やっぱり、駄目なのかな」


 俺は珍しく、どん詰まりになったと思う。


「主にしては、珍しいの」

「強がりは得意なんだけどな、とくに俺としては、魔法が無いってのが弱気の原因だ」


 俺は異世界に行って魔法を習ったとき、すごく嬉しかった。

 今でこそ何もないし、手に入ったのはホムラの才能だったが、俺にしかない能力みたいなものを手に入れる幸福は、そうそう味わえないだろう。


 自分でしか出来ないことがあった。

 それが突然、地球に帰った途端になくなってしまったのだ。


「もしかしたら、優越感みたいなのがほしいから、俺は地球にいたくないのかもな」


 俺は寝転がったまま、窓の外を見る。

 夏の夜風は涼しくて好きだ。でも、日が落ちるのが遅いせいで、外は眩しすぎる。


「アオ、主は空かぬのか?」

「いや、腹減ったな……なにか、食べるか」


 俺は力なく立ち上がって、冷蔵庫を開ける。

 中には、何も入っていない。


「……買いに行くか」

「お、わらわも付き添おうではないか」


 ホムラはいつの間にか俺の隣にいて、当然のように引っ付く。

 なんというかホムラって、なついているようでそうでもない感じなんだよな。ドライなんだけど、なんだかんだで気づいたら一緒にいるみたいな、自分勝手だし、猫に似ている気がする。


「……」

「……」


 とくに会話も無いが、それはそれで気楽な空気だった。

 俺は案外、この状況に心地よさも覚えていた。


 俺とホムラは、人通りの多くなっていく通りを抜けて、スーパーを目指す。


 昔いた地球には、俺はこんなに気兼ねなく一緒にいれる女の子なんていなかった。

 地球にいて一番窮屈に感じるのは、大勢の中で、一人でいるときだ。

 俺は一人が嫌いじゃない。むしろ一人が好きな部類だ。ただ、そう思っていても、大勢の中で孤独を感じると、どうしても劣等感に苛まれる。そういうものだ。


 ホムラが、俺を必要としてくれるのなら。俺はこの地球でも幸せに暮せるかもしれない。


「わん!」


 そんな時だ。ふと、犬の鳴き声がした。


「ブランカか……」


 俺はその鳴き声に振り返って、姉とブランカの姿を見つけた。

 たぶん、どちらも俺を見ても振り返ったり、声をかけてはくれないだろう。もうあの一人と一匹は、俺とは違うテリトリーの人間だ。


「寂しいのかえ」

「いや、ちょっと気になったんだよ」


 俺も、ちょっと目を向けただけで、もう見ようとは思わなかった。


「ブランカはな、俺が名づけたんだ。そのとき好きだった本のキャラクターを真似てさ。この世界だと、誰があの名前にしたんだろう。いや、もしかしたらブランカじゃない可能性もあるのか」


 ブランカといえば、ロボは今どうなっているのだろう。もうあれから二日も経っているけれど、上手く逃げられただろうか。

 ブランカ……ロボ……


「ブランカ、ロボ…………」

「主のそれは、あの本が元種であろう」

「……あ、ああっ!」


 俺は人混みの中にもかかわらず、大声を上げてしまう。

 気づいた。気づいてしまった。


「シートンプロダクション」

「?」


 ホムラはわかっていない。たぶん記憶の中にはあるのだろうけど、それがなんなのかはわからなかったのだろう。


「ホムラ! すまないが買い物は中止だ!」」

「はえ?」


 俺は意気揚々とホムラの手を繋いで、そのくもの糸よりも細い手がかりを離さぬよう、駆け出した。



 紅は、自称アイドルだ。

 そして出会ったときに一度だけ、シートンプロダクション所属と言っていた。

 今まで思いだすことも無かった。当たり前だ。あんな会話の中にちょこっと入ってきた情報なんて誰も覚えるはずが無い。

 シートンという、俺に馴染みやすい名前で無かったら、一生思い出せなかったであろう。


 俺はすぐさまネットカフェで会員登録を済ませて、ネットでこの名前のプロダクションがある場所を検索し、運よく一軒だけ見つかった。


「着いたぞ、長かった!」

「あちこちと忙しいやつのよ」


 電車で揺られること数時間。俺たちはそのHPに書かれていた住所を頼りに、ここまでたどり着いた。


「また学び舎を休みおった」

「二日なら大丈夫!」

「君たち、もうちょっと静かにして待ってもらえないかね」


 受付のおっさんが、愛想悪く俺達をなだめる。

 俺たちはすでに交渉を済ませて、この地球に存在しないはずの紅とコンタクトをとることに成功した。事務所の入口で待つように伝えられて、手持ち無沙汰にフラフラしている。


 どうやら、この地球には紅が存在しているみたいなのだ。それが本物かどうかはわからない。

 会うためにはどうするか、変なファンだと思われて門前払いされる可能性もあった。ある意味じゃ一番の難題だったが、これもクリアした。

 貸した金を返してもらうなんていう、嘘っぱちの口実だ。

 もちろん物騒じゃない方面に説得した。この点はホムラがいてくれて助かった。


「ただ、あんまり期待はするなよ」

「わらわはもとより、今後の憂いなどせんなきこと」

「ヤァヤァ! 本当にキタね!」


 俺はその期待を上回る予想外の声に、肩を強張らせた。

 ホムラも、このかなきり声には目をしかめる。

 二人で、声のした方向へ振り返った。


「ウ~ン君たち早いね~」

「……あんた、ハツでいいんだよな?」

「おっけー!」


 見た目は、まんまハツだった。ただいつもと違って、あの幼く暗い感じからはかけ離れた声と表情をしている。

 影のほうの人格だ。


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