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第百三十五話「へいわ じっか」


 まどろみの中で、俺はゆさゆさと揺れていた。

 もしかしたら、誰かに起こされているのかもしれない。

 でも、俺はいつ眠ったのだろう。


「アオ……アオ」


 アオ。そうやって俺を呼び捨てにする声は誰だ。

 俺を呼び捨てにする奴なんて、親父と、姉と、そして……


「アオ、おきんか」

「……あ、え?」


 目が覚める。

 俺をゆさっているのは、家族ではなかった。


「おきんかアオ。わらわは退屈ぞ」

「ホムラ!」


 あの、蒼炎竜王のホムラが、寝ている俺の身体を揺すっていたのだ。

 俺は飛び起きる。布団が一気にまって、埃がちょっと飛ぶ。


「まて! どうなった!」

「何の話をしておる?」


 ホムラは俺が起きたのを境に立ち上がって、締めきった窓の方へ歩く。


「……窓?」


 つかどこだここ。

 布団のある部屋だというのはわかった。辺りを見渡してみると、結構大きい本棚もある。ちょっと落ち着いた色調の、普通の部屋だ。

 俺の心の部屋に似てなくもないが、違う。ここは違う場所だ。


「アオ、主は考えすぎじゃ」

「何がだよ」

「わらわとて、今はわからぬが」


 窓の先を隠したカーテンを取り払って、外の光がこの部屋に届く。

 俺は眩しくて一度目を瞑り、ゆっくりと開いた。


「わらわですら、ここがどこなのかわかる。主の記憶があるからの」


 まず見えたのは夕焼けに染まる赤い空。その光景に斜線を引くように、幾重にも並ぶ電線と電柱が、そこから見えた。

 建物の屋根はどれも統一感がなくまばらで、総合的な街の景観は悪い。

 でも、そんなの気にならない。電柱があるのも、統一感のない家も、俺が生まれたときから知っていて、そこにあるからだ。


「嘘だよな……ここって、地球?」

「じゃろう。過程を省いた一番簡単な答えじゃ」


 ホムラは振り返る。夕焼けに照らされた蒼髪が、光を滑らせる。この場所に違和感バリバリなのに、どうしてか絵になる。見惚れてしまう。


「主は帰ってきてしまったわけさの。全てを投げ出されて、この場所へ」


 その美しい姿から発せられた声は、どうにも現実味を得なくて、そして受け入れがたくて、俺は反応することを躊躇ってしまう。



 とりあえず俺は、この場所に会った本棚を探った。まだ外には出ない。


「つまらぬ」

「黙ってくれ。あとお願いだから勝手に出ないでな、お願いだから」


 俺はしつこく念を押してから、適当に本を選ぶ。

 ここにあるのは参考書とか、地図とか、俺にとってはどれもつまらなそうな文献ばかりだ。ちゃんと日本語で書かれているし、読んでも違和感はない。


「いやじゃ、出る」

「ああまて待てって! 俺も一緒に行くから!」


 ホムラはすぐに痺れを切らして、窓の外から出て行こうとする。

 まず窓から出るのは良くない。異世界だってドアはあったろうに。

 あとついでに言うと、和服はあんま……まあいいか。


「和服でいいのかそれ」

「何か不服かえ? 主の記憶にもこれに似た服装で劣種どもが散策しておろうに」

「あういうのはおばあちゃんだから許されてるようなもんだからな。あとは手伝いさんや撫子だけだ」


 しかも割烹着だしあれは、和服とはまったくもって違うぞ。


「ほれ、なんといったかえ、縁日」

「そっちかよ」


 そりゃいっぱいいるけどさ。

 俺がぐだぐだ言っていると、またすぐにホムラは外に出ようとする。今度はちゃんと玄関のドアに手を掛けた。


「わかってるじゃねぇか」

「無論。アオの記憶を見ておるからの」

「窓から出ようとした癖に」

「うだうだと、喧しい」


 むすっとしながら、部屋の扉を開いて、外に出た。

 ここはどこかのアパートの二階だったようだ。ベランダのような廊下には、同じような扉に番号が振ってある。俺のところは二○三。


 さっきの窓はあれかな、ちょっとはしゃいじゃったとか。


「燃やすかえ」

「やめてください」


 理由はわからないが、俺とホムラは一身同体から解除された。へたしたら殺される恐れもあるんだよな。


「戯れよ。主がいなければ、今後が色々と面倒であろう」

「さいですか」

「ほれ、これがその意表というものゆえ」


 ホムラは蒼い頭髪を燃えるように輝かせた。それに連動するように、ホムラが着ている大仰な和服が、糸の一本一本まで解かれていく。


「ああ、なるほど、普通の服に着替え……」


 俺は、ちょっとホムラの全裸を見るのに恥じらいがあって、ちょっと首を右に曲げる。

 その右に曲げた先に、知らないおっさん……たぶん隣の部屋の人だろうか、扉を開けた動作を止めて、こっちを見ていることに気づいた。

 表情を変えずその姿勢のまま、扉を、閉められた。


「うぉぉ……」

「ほれ、どうさの」


 ホムラは全く気にしてない。どうせホムラにとっちゃハエが見ているようなもんなんだろうけど、和服ならもうちょっと恥じらいがほしいよ。

 あと、服装が変わったというけれど、ちょっと歩きやすくなった感じにしか見えない。全裸になってまで変えるほどなのだろうか。


「アオ、付き添うとくれ」


 ホムラが勝手に歩き始めるので、俺はそのまま付いていく。

 ここはどこだろうか、俺のいた家はアパートとかじゃなくて普通の一軒家だし、景色にあまり見覚えがない。


 夕方なこともあってか、人通りはそれなりだ。帰りの学生がホムラを見かけては一度目に留め、立ち止まっている。


「にしても、今回は人のいる街か……」


 俺はまた、忘れられた都みたいな特殊な街を想像していたんだが、そうでもないらしい。


「でも、仮にここが地球だったとして……平和すぎる」


 俺が未だにここを地球だと思えないのは、その点だった。

 俺がいた地球は、恐怖の怪物によって人類の半分以上が死に絶えた。あの魂の精霊ハツによって、ほぼ壊滅状態にあったわけだ。

 異世界に行く数日前の事だってちゃんと覚えている。世界中の治安がとんでもなく悪化して、割かしそうでもない日本でもお通夜ムードが漂っていた。なにせ、学校に教師も含めて数人しか登校しなかったせいで休みになったりとか。


 俺なんかはやることがなくて学校に行ったけれど、そのおかげでクラスの人間と初めて会話みたいなことをした覚えがある。


「細かいことはよいではないか、わらわは知識でしか知りえないことを体験しとうぞ」

「ならまず京に従えな」

「日本の正装と聞くが?」

「まあ、間違っちゃいないし……いいのかこれ?」


 法律的には問題ないし、まあいいか。

 特異な視線だってすぐに霧散するし、日本人って結構見て見ぬふりも時には利点だよな。


 俺はふと、腰に手を当てて慣れ親しんだあるものがないことに気が付いた。


「カードは、ないのか……」


 あれがないと魔法が唱えられない。いざという時に対応できないのは辛いな。


「ホムラの腰に付いてたりとかしてないよな。ほら、体が分岐したってことは元がホムラなわけだし」

「ありんせん」


 ホムラの腰のラインは美しい曲線で、ケースのような角ばったものはなかった。


「じゃあ、俺のカードどこにいったんだ。……というかあれだ、あのハツの使ってた魔法陣がなんなのか解明できればなぁ」

「あれは、逆式さの」

「さかしき?」

「そのまま、逆に魔法陣を書いてあるものじゃ」


 逆ってことはあれか、普通に考えるなら、元の効果を巻き戻す感じか。

 だとするとますますここは地球説が濃厚になるな、あれ、でも俺が異世界に来たのは召喚魔法じゃないんだよな。なんだったっけ。


「どちらかえ」


 しばらく歩くと、大通りに出たようだ。たぶんホムラは人の波みたいなのに乗ったのだろう。

 ここまで人混みがあればホムラの和服もそこまで気にされていない。まあ人波が俺たちのところだけモーゼ状態になってるけど。


「というか、ここ俺知ってるな」

「なに」


 見渡してみると、ここは近所の駅前だった。ジャスコが目の前に設置されているのだから、そうに違いない。

 案外近所、というか近すぎる。住宅街を回ったことはないけれど、ここまで気づかないものなのか。


「いや、俺が間抜けだった」

「主、一人で喋ってないで案内せい」

「ああ……おいまて、お前も知ってるだろここ。俺の記憶見てるんだから」

「主が、案内せいといっておるのじゃ。わらわが、じきじきに頼んでおる」


 ホムラは俺の胸に指を突き当てながら、はっきりと聞こえるように喋る。

 俺がこんなことやったら絶対ぶん殴られるぞ。


「わかった。じゃあ、行く場所は俺が決めるぞ」

「よかろう」


 うだうだ言っても、たぶん結果は変わらない。だったら、それなりに自分の意見を通して受け取るのが正解だ。

 俺は先行しようと前に出ると、ホムラも同じように前に出る。


「隣にいさせたもう」

「いや、俺が案内するんだから後ろについてこいよ」

「わかっておらんのぉ」


 ホムラは一度不満げな表情を見せるが、なぜか次の瞬間にはせせら笑う。


「まあ、主ではそんなものかて」

「なんかすごい馬鹿にされた気がする」


 立ち止まっていてもホムラは変に目立つので、とにかく歩き出す。

 向かう場所は、もう決めた。

 ホムラは結局、俺の隣をずっと歩いていた。



「おろろ」


 目的地に着いたとき、ホムラは口を丸くする。ちょっとだけ驚いたのだろう。


「俺の記憶を持ってるんだから、どこに来たのか位はわかるだろ」

「わかっておったが……主は存外、繊細よの」

「ほっとけ」


 ホムラは口を和服の袖で隠しながら、鈴を転がすように笑う。

 まあ、無理もないだろう。笑ってくれ。


 俺は今、実家の前にいる。


 生きている間の半分以上を過ごしてきたあの場所だ。ここ数ヶ月見ることのかなわなかった我が家に、俺は戻ってきたのだ。


「でもな、俺はセンチになるためだけにここに来たわけじゃないんだぞ。決してな」

「わかっとるわかっとる」


 ホムラは俺の言葉をまるで信じていない。絵になるから可愛いけれど、まだ笑ってるし。


「仮にここが地球だとして、そうしたら俺はどうなってるか、そりゃ気になる」


 まず考えられるのは、ここが平行世界の地球説だ。異世界あるんだしありえそう。

 そうなれば俺がこの世界にもう一人いるわけになる。

 もうひとつは、ここが過去の世界だということ。

 これは日付をコンビニで調べてくればよかった。ただ、あの怪物が俺のもとに来たのは夏だった。今俺がいるこの世界も、セミがないているから季節はほぼ一緒だろう。


 俺は自分の家の前で、どうすればいいのか迷っていた。当然のように進入して、警察の厄介にはなりたくない。


「確かめる方法はないもんか……魔法があればなぁ、不法侵入なんのそのだが」

「笑止。仮にカードがあったとしても、主に魔法は使えぬわ。もとよりわらわの力を間借りしていたその身、分離した今となっては適性もありなん」

「……まじかよ」


 俺本体って、マジで無力なんだな。

 まあ昔から才能のある人間じゃなかったし、ショックもクソもないんだけど。異世界から戻ったら普通の人間と何も変わらないとか。ちょっとは成長してほしかった。


「暇じゃ」

「もうちょっとまてって、どうすべきかこれは」

「わらわが燃やそうか?」

「仮にも俺の親類の人生壊すなよ」

「あぁ!」


 そのときだ。ガラの悪いだみ声が聞こえた。

 知っている。俺はこの声の主を知っている。これは――


「姉貴だっ!」

「なっ、おめぇ!」


 俺の姉、藤木なごみだった。突然出会い頭に俺に拳を向けてきた。

 攻撃の気配はなかったけれど、なんとかパンチを掌で受け止めた。身体能力というか、反射神経とかそういうのは若干引き継いでるのか。

 姉貴はパンチを受け止めた俺にビビッたのか、若干距離をとった。


 そうだよこれだよ、俺の姉って、すぐ人に殴りかかるような暴力女なんだ。まごうことなき本物だと確信する。


「家の前で何してんだよ!」

「……知らない?」

「はぁ?」


 姉貴は俺のことを見て、とことん警戒している。

 これは、俺のことを知らないっぽいな。

 よくやる冗談とかでも、俺を家族ののけ者にしたりする姉貴だが、パンチを受け止められなんかすればまずはあおの癖に生意気だとか逆ギレするからな。そんで骨折られる。


 どうするか、変な沈黙が生まれた。

 そんなとき、偶然にも家のドアが開いた。


「あら、なごみちゃんどうしたの?」

「……」


 俺の、母さんだ。

 ちょっと気弱だけど、めっぽうな美人。この美人成分は全部姉が持っていってしまったため、顔は俺に全然似ていない。

 姉貴に母さん。数ヶ月ぶりに見た、ほんとうの家族の姿だった。


「母さん警察!」

「まままってください! 違います!」

「嘘――」

「ラミィ教に入信しませんか!」


 姉貴に説得は通じない。

 守りよりも、攻撃の口を出す。

 母さんはその台詞に、すごく困った顔になる。


「すみません、うち、無信教なんです……」

「そうですか」

「帰れ!」


 二人とも、あからさまに俺を警戒している。

 俺のことは、どうやら二人とも知らないらしい。

 たぶん、これ以上会話を続けても姉貴がいるから情報は手に入らないだろう。とっとと撤退するか。


「ホムラ」

「ふむ」


 俺は、やけに静かだったホムラの手を引いて、この場所を離れようとする。


「わん!」


 そのときだ。ふと、犬の鳴き声がした。

 俺が振り返るとそこには、地球で飼っていた犬、ブランカがそこにいた。ずっと俺に向かって吠え続ける。あいつって確か、泥棒が来ようとも吠えない犬だったんだが。

 不思議なこともあるもんだな、この地球では俺が育てなかったからだろうか。


「いくぞ」

「主の足が止まっておろう」


 とりあえず、俺は一度も振り返らないように、我が家を離れた。

 犬の鳴き声は、背中にずっと届いていた。


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