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第百三十話「ゆき わふく」


 たぶん、文献や歴史を調べる人間だったら常識的な知識だったのかもしれない。

 ただわたしたちみたいな、ただ龍の王という認識でしか蒼炎竜王を知らない人にとっては、意外な事実だろう。

 この世界に人と龍が恋をするという事例はこれ以外にないそうだ。元々種族そのものが違うから当然だ。龍がたまたま人間の子を産めるように作られていただけ。


 不思議な話だ。龍はそれこそ月の二体だって有名だけれど、彼等がどういう龍なんて文献にも残っていない。

 人間にとって最も印象深い蒼炎竜王は、龍であって龍じゃないのだ。


「でも、そんなのわかっても、ホムラには勝てない」


 わたしは二人の考えをバッサリと否定して、思考を切り替えた。

 必要なのは、どうやってホムラに対抗するかだ。

 仮に倒せたとしても、殺してしまったらアオも一緒に死んでしまうかもしれない。屈服させるか、何かの条件を開け渡して交渉するかの二択だ。


「でもさっ、ホムラさんは確か愛を知りたいって言ってたよね」

「確かに、申していました」

「なら、愛がどういうものか教えればアオくんを解放してくれるかも」

「でも口約束だけだったら、破られる」


 与えた後に報酬を求める形はとりたくない。交渉においてこちらが不利だからだ。

 とりあえず、今できることはこの吹雪を抜けて、コゴエの村にたどり着くこと。


「雪……止まない」


 わたしは、透明な熱魔法の防護壁の向こうを見る。いきなり振り出した吹雪は一向に止む気配がなく、むしろ勢いを増していた。


「ちょ、ちょっと寒くなってきたねっ」

「フラン殿、ラミィ殿、よろしければこちらに」


 ロボが自らの毛皮でわたしたちを包んでくれる。

 たしかに、ちょっと寒くなってきた。集中しているせいか、気づくのが遅れてしまう。よくパパもこうやって風をひいていた。


「ふわふわ」


 ロボの毛皮に包まれて寝るのは久しぶりだ。アオもこのもふもふが大好きで、野宿のときは川の字になって寝ていた。ラミィが仲間になってからは、寝相の関係でアオだけ追い出されていた。


「でも……おかしい」


 ただ、感慨にふけっていられるのは一瞬だった。

 わたしは、この状況に何か別の要因を感じたのだ。


「グツグッツはアンコモンなのに、寒い」


 アンコモンの作り出す障壁や現象は、普通の魔法とは桁違いの威力がある。

 たとえば、人一人に限定されて効果時間の短いシャクトラは、精霊の作り出す熱量でもない限りは熱を遮断できる。コウカサスの守りは、アルトの一撃だって防げる。

 グツグッツが継続型の魔法にしても、冷気がここまで届くのは異常だった。


 なにより、この魔法を唱えたのは増幅効果のあるわたしなのだ。


「なにかが、おかしい」

「……フラン殿、その考え、杞憂ではございません」


 ロボが顔を強張らせて、吹雪の向こうを睨みつけた。

 ラミィもわたしも、その先に何があるのかも分からない。


「雪の匂いに紛れて、気づくのが遅れてしまいました……敵襲です!」


 ロボが立ち上がり、わたしたちの前に出る。

 そのすぐ後に、吹雪の中から人……敵が飛び出してきた。


 ロボの両腕が敵の攻撃を受け止める。

 敵は刀のような形状をした細長い刃物を振り回していた。ロボの体毛は切ることができずに、外へ滑る。


「貴殿は何者か!」


 ロボは問い詰めながらその大きな腕を伸ばすが、敵はすぐに反転する。

 敵は足払いで雪をロボの目もとに向けて放ちながら、すぐさま視界ゼロの雪の中に入っていく。

 見失った。だが、


「風っ、逃げてない! しかも複数っ!」


 ラミィは風の魔法を唱えながら、見えない敵に焦る。

 わたしも遅れてランチャーを準備するが、読めない。


 気配が分散していた。いや、雪そのものが攻撃の気配を放っている。

 おそらく敵も味方も攻撃の気配が全く読めていない。


「くっ!」

「シルフィード、スプ……きゃ!」


 それなのに、敵は正確にこちらを追撃してくる。

 おそらく敵は、この状況で戦うことに慣れていた。

 連携も上手い。ロボとラミィの素早い守りじゃないとすぐに突破されそうな勢いだ。


 そして何より、グツグッツの範囲内から出られないわたし達は、格好の的になっている。


「火の弾!」


 わたしは火の魔法によって、辺りを暖めることを考えた。そうすれば戦闘の間だけでも、吹雪を収められるはず。


「――!」

「――!」


 敵も魔法を放ってきた。吹雪が強すぎて声が聞こえない。

 だが効果はすぐにわかった。わたしのはなった火の魔法を、数多くの冷気で囲んでいたのだ。


「……総勢七人! どのものもつわもの揃いです!」


 ロボは瞬時に敵の総数を確認、わたしたちに向かって叫ぶ。分散した冷気がこの状況を作り出せた。

 敵はわたしの魔法を押さえきれていない。当然だ、わたしの魔法は桁が違う。


 でも、それでも敵の適切な判断には驚かされる。


 魔法はほぼ守りだけに使用している。


「フラン殿! わたしの後ろへ!」

「み、みなさんっ! あなた達は一体!」


 攻撃は、吹雪の中から颯爽と現れては消えるヒットアンドアウェイだ。相手は吹雪をまるで苦にしない。

 こちらなんて、足元にたまってきた雪のせいで、動きが鈍りつつある。


 こうなったら。コンボしかない。


「ラミィ! グツグッツを変わって!」

「グツグ……っ!」


 敵はわたしたちの思惑を把握するように、ラミィを集中的に狙う。

 吹雪で五月蝿くて声もほとんど聞こえないのに、敵の攻撃は連携が的確すぎる。


 コンボは一度全部の魔法を解かないと発動できない。

 せめてあと一人味方が、アオがいてくれれば。


「きゃ!」

「フラン殿!」


 敵はわたしたちの適性を把握し始めている。ロボを無視して、わたしたちを止めにかかった。

 でもそれは命取りだ。ロボにだって魔法がある。


「やむおえません! 使わせて――」

「じじい共が苦戦していると思ったら案外、女ばっかじゃねぇか」


 野暮ったい、女性の声が聞こえた。

 それと同時に、ロボの声が途切れた。


「ロボ!」


 視線を送ると、なんとロボは魔法を唱える前に倒されたのだ。あの体毛を供えた犬の体を、一瞬にしていなした奴がい……。


「い……」


 わたしが視線をそらした一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。

 意識が……途切れていく。


「いや、あんたらすげぇよ。誇っていい。普通ならアンコモンだろうとあたしの吹雪で倒れちまうから」


 倒れて回る視界の中に、ラミィの姿が映る。すでに気絶して、雪の中に倒れてしまっていた。

 起きなきゃ……そうしないと、このままじゃ、わたしたちは……

 誰かの影が、倒れたラミィの顔を覗きこむ。このままじゃ……このままじゃ!


「や……め!」

「まあ、運が悪かったってことでひと……つぅ!」


 わたしは気力を振り絞って立ち上がろうとするが、押さえつけられて動けない。


「あ、え、もしかして……あー!」


 アオだって今も苦しんでいるはずだ。戦っているはずだ。

 ホムラは残酷で無慈悲な蒼炎竜王。そんな奴と一緒にいるんだ。

 なのに、悠長に寝ていたら!


***


「ほぉれ、ほぉれ……どれどれ」

「かえせよ! 俺のだ!」


 俺は今、とてつもなく苦しんでいた。

 それに対抗するために、戦っていた。


「十年前のデパート迷子センター事件……寂しくて受付のお姉さんに近づいたら思わず肘鉄を喰らって……」

「やめて、ほんとやめて!」


 今ホムラは、俺の心の部屋にいた。

 どうやら証のサインレアを持っていなくても、こいつはいくらでもこの場所を行き来できるらしい。

 来るなよ!


 その結果、俺の心の部屋で勝手に俺の思い出を干渉している始末だ。

 俺は必死の思いで、ホムラを捕まえて手に持った記憶の本を取り返そうとした。


「ばなぜ!」

「離さぬぞ!」

『仲いいねぇ』


 心の部屋では魔法も力の行使も無意味らしい。あくまで証の精霊が見せている心だからだ。

 なのでこの中でいくら乱闘しようとも限度があり、心が強くある限りは両手両足も千切れない。


「よいではないか! わらわは人を知りたいのじゃ! ならば人の記憶が丸々見れるここは便利ぞ!」

「俺の記憶にもプライバシーがあるんだよ」


 美人は三日でなれるというのは嘘だ。今だって俺はラミィにおっかなびっくりな時もあるくらいだし。

 でも、恐怖の竜王は三日で慣れた。生活環境を見せられれば威厳もクソもない。風呂もトイレも一緒だからな。


「だいたいな、俺一人の情報じゃなくて普通に人里降りろ」

「聞くのが面倒ぞえ。そもそも、なぜわらわが頼みごとをするように聞かねばならぬ」


 ホムラは龍の王らしくプライドが高いのか、人里に下りようと言った三歩後には、やめたといって森の中をまた彷徨った。

 そうして三日ものんびりしていると、俺の記憶まで漁り始めたというわけだ。


「のう、主は何故見られるのを嫌う。わらわは主に裸も局部も全て見せたのじゃぞ」

「俺も局部なら見せられる」

「雅じゃありんせん」


 ホムラはそういうと、俺の記憶の本をぽいっと捨てて、部屋にあるベッドに倒れた。

 飽きっぽいというか、気まぐれなんだと思う。自分のしたいことだけを一直線に行動して、行き止まりになったら別の道を探すタイプだな。


「やはり、人はわからぬ」


 ホムラは俺のベッドでくつろぎながら、天井を見上げる。


「なにゆえ、ただ恋をしたいと考えるのか。かと思えば子を成そうとする本能を潜め、ただひたすらに生きようとするものもおる」

「俺に聞くかそれ」

「主だから聞いておる」


 いつからだろう。

 ホムラ自身も、俺に対して失礼と言うか、壁がほとんどない。

 まあ元々心が物理的に通じているから、距離なんてものはなかったけど。


 たぶん、この三日間ホムラは俺の記憶を読み続けたからだろう。いつの間にか感情移入してしまったというところか。

 へたすれば一方通行の幼馴染状態なんだよなこれ。


「別に何をすると決めなくていいだろ。勝手にすればいい。どうせ人はいつか死ぬんだ」

「人は脆いからの、数十年も生きられぬ。何のために生を受けたのかの」

「まあ、だから一生懸命生きるんだろ」

「わからぬ」

「だったら哲学的なこと聞かないでくれよ」


 どうして人が生きているなんて、それこそ生きている間に考えることだし。答えなんて最初からないだろ。

 この三日間はこんな他愛のない話でほぼつぶれていた。だいたい、愛を理屈で理解しようってのが間違ってる。


「やっぱさ、人里下りたほうがいいんじゃねぇの」

『君って人畜有害だよね』


 俺は、ホムラに対してそれなりに警戒心を解いていた。

 確かにこいつは危ない。機嫌一つで人殺しをするし、自分勝手でわがままだ。

 でもまあ、俺は今のところ絶対に殺されないし。暇な屑からしたら変化がほしい。


 ふと、ベッドにいるホムラを見ようとしたら、いなくなっていた。

 俺はすぐに察して、意識を外の世界に戻す。


「よかろう」


 目を覚ましたときは、川の中にいた。

 なんでも、ホムラたち龍は寝るときは大体水の中にいるそうだ。もともと息を吸うのが体の補助器官に過ぎず、呼吸をしなくてもほぼ完全活動できるとか。

 でもそれなら陸で寝てもいいんじゃないのか。


「龍は水面を見上げて目覚める。劣種と同じにしてもらっては困る」


 なんかゴジラみたいだよな。

 水面から飛び出したホムラの体には、何一つ装飾するものがなかった。マッパである。

 太陽に照らされた素肌は傷一つなく、思いのほか白い。驚くほど静かで上品な足取り。水際まで歩くその姿は天女といっても差し支えないだろう。

 ただ、羽衣は自前だからどこにも下げてない。


「あの話かえ。天女といいながらも迂闊よの」


 ホムラは一度、自らの長い蒼髪をかきあげる。

 すると、髪の毛がふわりと生きたように動き出した。作り途中のさなぎのように全身を髪の毛で包み、一つ一つ丁寧に服を編んでいった。

 数秒もたたないうちに、俺のよく知るホムラの和服が完成する。

 着付けしなくていいから便利だなこれ。あと和服の意味はあるのか。


「なきに。して、和服と一緒にされては困るかの。これは龍の正装ぞ」


 違いがわからない。

 ホムラの体がふわりと浮く。服そのものが飛膜なため、ゆっくり空を飛ぶだけなら羽を作る必要もないのだ。


 ホムラは目を瞑りながら、耳を済ませる。

 たぶん、あたりの音を聞き取っている。

 とうとう、人を探す気になったのか。


「あっちかえ」


 俺にも聞こえた。人の声だ。

 ホムラはそこに向かって泳ぐように空を飛ぶ。


 あっという間に、人のいる場所にたどり着いた。

 そこは村というよりも集落とか……隠れ家って感じだ。なんか急ごしらえのテントがいっぱいある。

 なんか、物騒なおっさんがいっぱいいるし。


「あ……うぉあ!」


 見回りでぼおっとしていた男が、空を飛んでいるホムラに気づいた。

 ホムラは集落に近づくと、自然と高度を下げて地面に降りる。


「……空から女が来るたぁ」


 男が口を開けたままホムラを見るが、徐々に気を戻したのだろう。無用で近づくホムラの前に立った。


「……」

「よ、よぉ嬢さん、森で迷ったのか?」


 ホムラは無視して、集落の中に入ろうとする。

 男は慌ててホムラの肩をつかみ、彼女を止める。


「ま、まてって、道に迷ったんなら俺たちが」

「下郎」

「え、あぎゃああああああああああああっ!」


 ホムラは有無を言わさず、男を燃やし尽くした。

 灰も残らないって、おい!

 殺しやがったぞ。


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