第十三話「あめ ひきわけ」
気がついたときには、もう夕方だった。
雨の冷たさが俺の頬を叩き、地面に横たわった体を起こす。
「いっ、つぅ」
体の節々が痛い。暴走した魔法の余波が、体中に残っている。
「ここは」
見渡すと、そこは廃屋の塊だった。元は小さな家々が立ち並んでいたのだろうか、そこかしこの壁や屋根が壊され、人気は全く無い。
どこだここは、廃墟だが今までいた家じゃない事は、
「あ、フラン! どこだ」
そこで、フランのことを思い出した。
どうして俺がここにいるのかはよくわからない。もしかしたら、あの博士が最後に使った魔法が関係しているのかもしれない。
その予想があっていれば、フランもどこかにいるはずだ。
「ふらーん!」
返事が無い。雨も止む気配が無い。
もしいるなら、暗くなる前に見つけないと、
「ア……オ?」
そのとき、かすかに声が聞こえた。フランの声だ。
俺は慌ててその声がした先へ急ぐ、すると簡単にフランは見つかった。無事なことに安堵して、溜息が漏れる。
「ったく、ビックショックじゃねえんだぞ」
意識はある。ただ、雨の中、濡れた地面に横たわって動かない。
俺は倒れたフランの体を起こしてやる。思っていたより軽いが、けっこうしんどい。
「ほら、雨宿りするぞ」
フランは返事をしない。
たぶん、目が覚めて思い出しただろう。
「ねぇ、パパは?」
「……」
フランは顔を上げない。背負った大砲も体から零れ落ちそうで、濡れた髪は泥がついている。
俺は、どう返事すべきか悩んだ。
「……わからない」
「嘘よ、嘘つき」
なら、どういえばいい。死んだと、本当のことを告げればいいのか。
フランは常識を知らなくても、生死には聡い。今まで狩を続けてきた経験が、彼女自身に嘘をつけなくしている。
俺は辛うじて雨をしのげる、半分だけ屋根の残った小屋に入っていく。
「寒いな」
小屋の中を適当にあさると、雨に濡れていない毛布を見つけた。汚いが、あるだけありがたい。
「ほら、かぶっとけ」
「……」
フランは抵抗もしないが、頷きもしない。
こういうとき、本当に何をすればいいのか解らなかった。心配しても、下手に声を掛けても何も変わらない。
元々、俺が悲しんでいる人間に対してする事は放置だ。
頑張れなどと無理矢理我慢させて、そいつの悲しみを否定したくない。一緒になって悲しんで、我が物顔で知った風な口を言いたくない。
フランが俺に何を望んでいるかはわからない。何も望んでいないのかもしれない。
「どうしてこうなっちまったんだ」
何故、俺たちはここにいるのか。そしてここはどこなのか。
前者はおそらく、博士の魔法だろう。後者はなんともいえない。ここには俺とフランしか居ないからだ。
まるで、滅んだ世界で俺とフランだけが残ったような錯覚に陥る。
ふと、横を見ると、フランが寝ていた。風邪を引くといけないので、適当に水を拭ってやる。
「頼むって言われてもな」
博士なら、何かフランに適切な言葉がいえたのだろうか。いや、博士がいるのなら、フランはこんなに悲しまないはずだ。
なら、もしかして、ありえなくもないが、必要なのは――
「っ!」
気配がした。人の、しかも攻撃の気配だ。
意識すると、この小屋を囲って数人が魔法の気配をこちらに向けている。モンスターよりもねちっこい、嫌な感じだ。
ただ、怖いのは最初だけだった。
「なあ、ほんとうに、やめてくれないか」
俺だって、苛立つときがある。こんなときに出てくる敵ほど、面倒なものは無かった。
「水」
俺は、氷の剣を取り出す。敵は数人、実力で言えば、俺は負けてもおかしくない。
「でも、あんたら運が悪いよ」
俺は、小屋の外に、氷の剣を掲げた。
今は雨だ。雨の中に、俺の氷の剣を掲げたらどうなるか。
「う、うわああぁ……あっ」
外から、男の短い悲鳴が聞こえる。
雨が降る外、辺り一帯が、氷のジャングルになった。水を吸収しなければ、雨は格好の射程延長物だ。
俺が気だるげに外に出ると、数人分の人間オブジェが砕け散った。
初めて、人を殺した。
攻撃の気配をむき出しにしたのだ、やられても仕方あるまい。ただ、本当に簡単に死んでしまって、実感が湧かない。
簡単に、死んでしまう。
ちょっとだけ、博士のことを思い出した。
*
夜明け、徹夜越しの朝日が目にしみる。
俺の目は光に弱い。屋上駐車場の床が白いと、目も開けられないくらいだ。だから朝は嫌いだ。何故眠たいのに学校行かねばならないのか。
どうして、敵は来るのか。
「……水」
氷の剣を取り出す。戦闘準備だ。
徹夜したのに、夜の間に敵が来る気配は無かった。もしかして、眠らなかったのはマイナスだったかもしれない。
今度の敵は、不意打ちをしないようだ。外に出ると、正面で出くわした。
いたのはちょっと筋肉質なおっさんだ。鞄を下ろして、剣を取り出す。
「何の用だよ……」
「仇だ」
徹夜明けのくらくらする頭に、ドスの効いた声が響く。
「ムッキー」
おっさんが何かの呪文を唱えて。走り出した!
予想以上に素早い。いつの間にか正面まで迫ったおっさんが、剣を斜め下段に振り上げる。
俺にチョトブとの戦闘経験が無ければここで切り落とされただろう。俺はおっさんの剣を剣で受け止める。このままつばせり会いに、
「なっ! 重!」
俺は目を見開いて、歯を食いしばった。敵の攻撃が、予想以上に重い。
下段からの攻撃なのに、俺が吹っ飛びそうだ。眠そうなまま気だるげに、片手で受けたのも悪い。剣が軽いことからくる、片手で持つクセがあだになった。
このままじゃやられ、ない!
「おらぁ! ぎっちょん!」
俺の掛声とともに、カンと、小気味のいい音が鳴り響いた。
おっさんの剣が、割れる音だ。
氷の剣は、若干だがおっさんの剣に傷をつけたのだ。それがきっかけに凍結して、脆くなった。本当に氷の剣は強い。
おっさんは、信じられない顔をして自身の折れた剣を見る。
「おい、おっさん」
俺は氷の剣を差し向けて、実際期限の悪い声で言い放った。冷や汗をかいていたが、おっさんの動揺はそれ以上だろう。
「幕引きだ。あんたの仲間は盗賊だろ、やられたくらいで文句言うなよ」
「ま、まて、どういうことだ!」
おっさんが、いきなり必死になって叫びだした。命乞いか。
「うっさい。人のもん盗もうとして、自分が盗られるのが嫌な――」
「おれは盗賊じゃない!」
「死ぬ前に嘘つくの良くない」
「本当だ、信じてくれ!」
「おっさん信じても楽しくないだろ」
「おれはこの町周辺を縄張りにしている商人だ! 謝罪ならいくらでもする!」
おっさんが土下座までしてきた。これってあれだよな、馬鹿めって言われて隠しナイフで刺される展開だよな。
俺は信じないぞ。
「……あ」
でも、ここで飯にありつける可能性がある。毒とかはこいつに一口食わせればいいし。
ここに来てから、何も食べていないのだ。
このままあのフランとともに立ち往しているよりかは、こいつのアジトで飯にありつく方が無難だ。
「じゃあ一つ聞く、なんでおれを盗賊だと思った。襲ったのはあんたからだろ」
「すまない! あれだけ眼つきと品の無い顔をしていたから、てっきり」
切ってやろうか。いや、飯食ってから切ろう。
あれだよ、目つきが悪いのは徹夜のせいだからな。
「まあいいや、ちょっと仲間を呼んでくる。手を出せ」
「あ、ああ……つめたっ! いたいっ、痛いぞあんちゃん!」
両手を凍傷させておけば、暫く拳も握れないだろ、後遺症は知らん。
俺はおっさんを前に歩かせながら、フランの元に歩く。食料は俺がとってくるが、一応それを言っておいた方がいいだろう。
「フラ……ん?」
穴のあいた壁から、フランの寝ていた場所を見る。
そこには、おきたばかりでぼーっとしたフランと、
フランを袋につめる、複数人の男の姿が見えた。
「お、おまえらぁあああっ!」
やばい、このおっさんは囮だったのだ。
あいつら、やっぱこっちを狙ってやがった。しかも人攫い。
手馴れているのか、抵抗のないフランが簡単だったのか、フランの入った袋を肩に抱えて、二人の男が逃げ出した。
「クソがああっ!」
慌てて追いかけるが、俺の脚は遅い。一ヶ月程度の特訓では、この世界の住人の速力に勝てなかった。
数メートルほど先を越されて、敵の馬車が見える。
「畜生!」
馬車は、すぐに走り出した。
もう、俺の脚じゃ追いつかない。フランを攫われてしまう。
「……本当はやなんだけどな」
俺は歯軋りしながら、カードケースに手を触れる。
あるのは、チョトブのカード。
***
わたしの世界には、パパしかいなかった。
物心ついたときから、ずっとパパの背中を見てきたのだ。
パパはおいしいご飯を作ることはできないけれど、わたしのしらないワクワクをたくさん持っていた。魔法の知識、世界の摂理、わたしの頭の中は、パパの頭の中にあることだけだ。
わたしもいつか、パパみたいな大人になりたい。
そう思って、得意な魔法を特訓した。パパよりも才能があるって言われたときは本当に嬉しかった。
誕生日プレゼントに手作りのカードケースを作ったら、はにかむ笑顔でありがとうといってくれた。カードケースは二つも要らないのに、それくらいしか思いつかなかったわたしのために喜んでくれた。
わたしはまだ子供だ、だから外に出してはくれないけれど、それでよかった。
大人になって、いつか一緒に外の世界を旅して、わたしはパパの意志を受け継ぐのだ。
でもパパは、死んでしまった。
わたしにだってわかる、あんな状況でパパが生きていられるわけがない。わたしの頭じゃ理想的な考えなんて出来ない。
パパを追い続けて、いつか隣に立とうと思い描いて、みえない場所にまで行ってしまった。
わたしはこれから何を信じて、誰の隣に立つべきなのだろう。
もう解らない、興味が無い。周りにわたしと同じような子供がたくさんいる。みんなわたしと同じような目をして、馬車の中で揺られている。
これから、どこか遠くへ――
「痛っ、いたたたたたああああああああああっ!」
「……アオ?」
***
痛い、超痛い。
もうコンボなんて絶対にやらない。今回だけだ。
「痛い! いた痛い痛い!」
チョトブのカード二枚分の速度を使って、馬車に乗っかった。丁度屋根の端っこに掴まったので、ギリギリだった。
「も、もういやぁ!」
徹夜の眠気が吹っ飛ぶほどの激痛だよ。
この痛みの中、俺は水のカードを出さなきゃならない。そう考えるだけで憂鬱だ。
「み、みずぅ」
水の剣が、馬車に刺さる。出てくれてよかった。痛みを味わっている間に数十秒たっていたようだ。
やっぱ、限界枚数が二枚なのは痛い。というか常時は一枚なんだから。
馬車が霜を張り、車輪が絡まって横転した。荷馬車からは数人の子供たちが、つかれきった顔をして外に出てくる。
人攫いなのは知っていたが、実際に売られそうになっている子供を見るとぞっとする。
ただそれ以上に、見知った顔がその中にいることに胸糞悪くなった。
倒れた馬の方から、一人の男がうめき声を上げて現れた。痛みに頭を抱えている。
まだ、こちらに気付いていない。何故横転したのかも解っていないかもしれない。
俺はそんな男に、後ろから切りつける。肩口に傷をつければ、一瞬にして凍結して、砕け散る。
あっさりだったが、ここまで直接的に人を殺したと思うと、吐き気がした。屑でもこういうことには小心だ。
「まあ、しゃあないよな」
たしか、もう一人いたはずだ。気配だってする。
警戒しながら、じりじりと見えない敵へと距離をつめる。
「そこのおめぇ、動くな!」
盗賊の男が飛び出してきた。見ると、子供を一人抱えてナイフを向けている。
人質だろうか。
「いや、動くよ」
「動くなって言ってんだろ! こいつがどうなってもいいのか!」
「どうなればいい」
フランならいざ知らず、見ず知らずの子供のためにやるわけ無いだろ。
相手が屑だと俺と口調がかぶる。俺が逆の立場だったら一緒のことを言っていたのではないだろうか。
走ろうかと思ったとき、盗賊の更に後方にいたフランと目が合った。歩みが止まる。
「ちくしょぉおおおお! おめえ俺のこと馬鹿にしやがって! どうせやらないとか思ってんだろ! 一人くらい全然大丈夫なんだよ!」
「うっ、うっ!」
泣くなよ坊主。俺は助ける義理なんてない。
もし、お前が助かるとするなら、フランが動かなければならない。
フランの背中には大砲がある。たぶん、子供の持っている筒を武器だとは思わなかったのかもしれない。フランは抵抗もしなかったし。
どうしてかその事実に気付いたとき、俺は歩みをちょっとだけ遅らせた。
フランの目が、何かを語りかけている気がした。
「やるなら、やれよ」
「やってやるわぁああっ!」
「お前じゃねぇ」
「馬鹿っ!」
フランが、叫んだ。
盗賊が、その叫びに気を取られる。
「火!」
フランの大砲が文字通り火を吹いた。すずめの涙みたいな火力だが、相手の顔をジャストヒットした。爆発の衝撃から、人質の子供が解放される。
盗賊は、顔の原形をとどめることなく死んだ。
フランが、殺したのだ。
「あ、あぁ……」
フランは、それで全霊を尽くしたのか、膝を折ってへたり込んだ。
俺はふらふらする体で、フランに近づく。
そこにいた子供たちは、人殺しの俺たちが恐ろしいのか、近づくどころか逃げ出しそうだた。
「助けたかったんだろ」
「……なんで」
このフランの言葉には、いろんな意味があるだろう、俺はあえて、自分の都合で返す。
「俺がフランを助けたのは、博士に言われたからだよ。やれる範囲でやっただけだ」
「じゃあ、もういい、帰ってよ!」
俺の最低な理由に、フランは怒った。当然だ。
「そんな義理でわたしに構わないでよ! 放っておいて! もうパパはいないの!」
「そうだな」
「なら――」
「お前はどうしてほしかったんだよ」
俺は力をこめて、できるだけ強い口調で言った。
「放っておけなんて嘘つくなよ」
人は自暴自棄になると、本当にすべてがどうでもよくなる。
それでも、そんな心の状態だからこそ、どこか心で助けを求めるのだ。探さないでくれと家出しても、心の奥底で誰かが自分を見つけてくれることを望んでいる。
俺みたいに、本当に誰も探してくれないなんてことは、フランにさせたくない。
フランは下唇をかみ締めて、涙をこらえている。
「どうしようもなくて、何も出来なくて、いつの間にか一人になって」
そんなフランが、言葉を搾り出す。
「わかってるわよ……助けてほしかった、慰めてほしかった」
屈辱だろう、自分の弱みを相手に見せるのだ。
だからこそ、やっと会話が成立する。
「やっと、ぶちまけてくれた」
俺はこのとき、徹夜疲れも、コンボの痛みも、人殺しの罪も全部忘れて、不覚にも笑ってしまう。嫌がるかもしれないが、フランの頭をなでてやる。
「何かあったら、いつでも言えよ」
「……え」
「フランが助けてほしいときは、俺がなんとかしてやるからさ」
黙ってばかりじゃなにもわからないけど、話してくれれば力になれる。
俺は、フランを助けるポディションとして相応しくないかもしれない。
でも、今は俺しかいないのだから、妥協してほしい。
「俺もさ、けっこう心配したんだよ」
気持ち悪いかもしれないが、抱きついても怒らないでほしい。
フランは、少なくとも一ヶ月は一緒にいた仲間なのだ。不甲斐ない俺を見捨てたりもせずに、魔法の特訓にずっと付き合ってくれた。
心配しないわけが無い。
だから、俺にはいつでも言ってほしい。フランから助けを求められたいのだ。
ああ、最低野郎だ。
「えっ、えっ」
動揺するフランをちょっとの間だけ無視して、俺は抱き続けた。人に抱きつくなんて、もう十年ぶりくらいだろう。
「おお! あんちゃん生きてたか! うわっ、何やってるんだよ!」
唐突に、おっさんの声が聞こえる。
せっかく女の子に抱きつけたのに、もう終わりだ。今のうちに匂いを嗅ぎ溜めておこう。
「すー……おい、まだ俺たちに歯向かう気かよ」
「だから、俺は商人だって!」
「お、おじちゃぁああああん!」
近くにいた子供たちが、突然泣き出しておっさんに群がった。なんだこれ。
「な、俺は商人だって。この辺りじゃ有名なんだぜ」
おっさんが得意気に、子供たちを抱きとめながら言ってみせる。
……ああ、なるほど、本当に商人だったのか。餓鬼に慕われてるってのは盗賊じゃできないだろうし。
「ね、ねぇアオ」
「ん」
照れくさいのか、フランが俺から離れる。いや、もうちょっと近づこうよ。
「なんで離れるんだよ」
「だ、だって……」
まだ恥じらう歳でもないだろうに、あれか、俺が嫌いなんか。
おっさんの周りには、わんわん泣いている子供たちがいる。
俺の周りには、ちょっとだけもじもじしているフランが一人。
「これは、引き分けだな」
何度も頷いて、俺は納得する。
*




