第百二十七話「いたみ いかん」
蒼炎竜王。
たしか、龍動乱で人類を滅ぼそうとした龍の二つ名だっけか。
いや、おかしいだろ。
竜王って、龍だぞ。なんでそんな奴がここに着ているんだ。しかも俺の体を乗っ取って女の姿で現れている。何がなんだかわからん!
「愚かよのぉ」
その言葉は俺にいったのか、それとも目の前に聳える混沌龍帝に向かって囁いたのか。
「両方に決まっておろう」
ホムラは俺の思考を読み取るように、ことばを返す。
「ように、ではない。耳に届く故」
最悪だ!
この女、一体化しているからって俺の考えを読み取れるんだ。どうして一体化してるんだよ! それってなんのことよ!
「五月蝿いの。この体はもとよりわらわの……」
「――ォ!」
「うるさいのが、もう一体おったか」
ホムラは口元に指を当てて微笑む。
……指?
なんで右手が。俺の体だよなこれ。
「よしなに」
ホムラの声がスタートの合図だったのか、フメイは咆哮をあげて俺たちに迫った。
「あ、危ない!」
「いらぬ」
ロボは咄嗟にホムラを守ろうとするが、ホムラはそれを拒否して前に出る。
ホムラはそのまま、フメイの巨大な懐にもぐりこんだ。泥が六面を覆う津波のように、殺しにかかる。
「去ね」
ぶわっと、逆巻く蒼炎がホムラの体から迸った。
まて、こいつに魔法は効かない。確かに火は流体だがそれで守れるほど甘くはないはずだ。
「――――ォ!」
なのに、それなのになぜか、泥が解けていた。
何故だ。
「火は痛み」
ホムラは楽しそうに、両手を広げ、蒼炎を増していく。
「火が熱いなどと誰が決めた。熱いなどという感情は人の作り出したまやかし。火とは痛いものじゃ、もっとも純粋で末永い痛みを、火は与えてくれたもう」
泥は押され後退している。それはまるで恐れるように、ホムラから離れていくようだった。
「痛みを知らぬものはいない。痛覚でも心でもない、純粋な痛みそのもの」
なんだこれは、ホムラの使う火は普通の魔法と違うのか。
あっという間に、ホムラの体はフメイの瞳にまで到達する。
「もう幾年か、忘れてしもうたな」
ホムラは泥に手を入れて、フメイの瞳を愛しそうに撫でた。
「おいたわしい」
そして躊躇なく、その手で握りつぶす。
「――――ォ!」
声音が一緒でも、フメイが悲鳴を発していることは明らかだった。
「だからこそ、せめてもと、おもうてな」
握りつぶした手から、ぽっと、小さな蒼い火が灯った。
それは瞬く間に広がって、フメイの全身を包んでいく。
まるで巨大なたいまつだ。
だが高熱の影響か、火はすぐに小さくなっていき、地面に帰るように消えていった。
その場所に残ったのは、はじき出されて効力のなくなった泥と、溶け残った瓦礫のみだった。
死んだ?
「はて、かようなほどに脆いかの」
ホムラは首をかしげて、その去っていった炎の先を見つめる。
戦闘は、驚くほどあっさりと終わった。
「あ、あなた様は一体!」
そこでロボが起き上がりホムラに詰め寄った。
すでに戦闘はないと悟ったのか、犬状態だ。
いや、どうみてもこいつ怪しいし味方かどうかもわからないだろ。
「先ほど申したであろう」
「し、失礼いたした。ホムラ殿でしたね、初にお目にかかる。ワタシの名はロボ、アオ殿の忠実なる犬であります」
自己紹介してる場合じゃないだろ。
「お主よりは賢そうではないか。礼儀を知っておる」
そういう意味じゃねぇ!
とりあえず俺はアオだ。これでいいか。とにかく教えてくれ。俺はどうなった。そしてあんたは本当に、龍動乱で有名な蒼炎竜王なのか?
「アオ殿はいずこに」
「ここに」
ホムラは自らの胸元に指を当てて、ロボに見せ付ける。
「わらわの内部に寄生しておる」
「き、寄生とは!」
「もとよりこの体はわらわのものじゃ。それを横から足蹴にし、不埒に踏み込んできたのはその男よ」
「や、やはりか」
俺が心にはてなマークを浮かべていると。横槍が入ってきた。
しぶとく生き残ったバッツが物陰から姿を現したのだ。息切れをした体を瓦礫に寄りかからせて、俺たちの会話に割りこむ。
「やはりフランク博士も、ベースを用意して彼を召喚したみたいだな。その影響を少なからず受けることで、アオという男はその身不相応な力を持っていた、だがまさかその元がはっ!」
「ぎゃあああああああっ!」
「五月蝿い」
いきなり、目の前にいた男が燃えた。
詳しく言うと、ホムラの攻撃の気配に、バッツが咄嗟に気配に気づいたのだろう。倒れていた部下を盾にして、その部下を燃やしたのだ。
会話の途中で容赦なく人燃やしたぞこの女。
「誰が口を出していいと言った」
「いえ、これはし――」
「口を開けるな、と申したのだ下郎。言葉がわからぬのか」
バッツの右手が、無くなっていた。
喋っている途中に、何かに吹き飛ばされるように無くなっていた。
悲鳴をあげなかったのは流石だと思う。バッツは一言でも口を開ければ殺されると実感したのだ。
ロボでさえ、驚きから何も言えずにいる。
「よかろう、去ね」
いねって、おいまて、こいつ見逃すのか!
俺がそう考えると、それに応えるように、ホムラは口の端を歪める。
あ、燃えた。
ふっと、マッチの火が消えるみたいに、バッツが一瞬にして燃え吹き飛んだ。
悲鳴の断末魔を聞くこともなく、完璧なまでに灰も残らない。
「ふふ」
ホムラはその歪めた口元のとおりに、笑う。
いねって、死ねってことかよ!
「わらわはきゃつが嫌いでな。他者の後ろで微笑む劣種ほど見苦しいものはない」
ホムラは両手指を合わせて、ほっとするように息を吐く。吐息がダイレクトに伝わるせいか、とても色っぽい。
「よきかな」
ただやってることは外道だ。有無を言わさず殺したからな。
「な、なにを」
ロボは驚愕の視線を、そのホムラに向けている。
「どうしたのかえ。おぬしの礼儀正しさには敬意を評そう。わらわとの会話を許す」
「何故殺したのですか!」
「はて」
「彼は確かに褒められるような人格ではありません。ですが! 殺める必要はありませんでした! 生きている限りは罪を償い、その身を粛すことも……」
びくりと、ロボの犬耳が尖った。銀毛が総毛立ち、言葉がでない。
ホムラはただ、ロボの反論にイラッとしただけなのにだ。
「わらわに、口答えをするか」
まるで、子供がやくざのおじさんに喧嘩を売ったような、どうしようもない状況だった。
そこまで、この二人の間には差がある。
だが、最悪なことに、ロボはそんなことじゃ引かない。
ロボは勇気を振り絞って、奥歯をかみ締めてから閉じた口を無理矢理開く。
「口答えではありません! ただ、無為に死という罰を下すことはなかった。あなたはただその場の鬱憤を晴らすためだけに、殺したように見えます!」
やめろ、やめたほうがいい。
個人的にいえば、あれでいいのだ。容赦する必要なんてさらさらない。
ただそう思っても、ロボには届かない。
「まだあなたが何者かはワタシにも諮りかねます。しかし、仮にもアオ殿の肉体から現れたその身を省みず――」
「この肉体は、わらわのものじゃ」
俺の肉体。
その言葉がホムラの癇に障ったのか、攻撃の気配が、現れた。
この辺り一体を一瞬で消し飛ばしそうな、あの火とは思えない蒼炎が、放たれようとしている。
やめろ!
俺が出来ることはこの頭の中で騒ぎ立てることだけだった。
ホムラはそんなことまるで気にすることなく、左手を、ロボに掲げた。
「あ……ぁあああああああああああああああああああっ!」
燃え上がった。そして悲鳴も聞こえた。
全て、ホムラの体からだった。
「いかんいかん、危ないところであった」
なんとホムラは、自らの左手を右手で押さえ込み、その反動で右手を燃やし尽くしたのだ。
悲鳴は、痛みからじゃない。ついかっとなった自分を恥じるような、誤魔化しの叫びだった。
「はっ、はっ……これだからかっかするといかんな、こればかりはどうにもならん」
ホムラは自らの攻撃に冷や汗をかきながら、傷口をまじまじと見ている。
この女は、衝動を抑えるために、自分の手を落としたのだ。
「ははっ、おおおおおっ!」
ホムラは自らの傷口を握り締めて、火で癒着した部分を握りつぶす。その勢いで、血飛沫が舞い上がった。
なんだこいつ! マジでやばいじゃないか!
龍って人格も完璧な生命じゃなかったのか。話が違う。
つか、また右手がなくなった。
「安心せい」
ホムラは言いながら、無くした手をなんと再生させた。
木の枝が育つように欠損部分から手が生え、元通り。
「すぐなくすような劣種どもと一緒にするではないわ」
ホムラは俺に向かってだろう、馬鹿にするように笑った。
「……」
もうロボは、この一連のでたらめに言葉を失うどころか、恐怖までしている。足がすくんで動かない感じだ。
あのロボが、ここまでなるとは。
俺も普通にこの場所にいたらやばかったかもな。漏らしてたかもしれん。
まだ辛うじて冷静でいられた俺の思考は、この異常な再生能力に見当をつけていた。
土の盾だ。
過剰回復のときから思ってたけど、まさか制御できるようになるとここまでバケモノ回復に変わるのか。
「逆鱗ゆえ」
げきりん?
そういう台詞を、どっかで聞いたことが。
「さて、そろそろここから出るかえ」
出る。今出るっていったよな。
ホムラの変化はすぐに起こった。頭髪が火を宿したように蒼く光り、夜叉のようにうごめく。
一本一本が意思を持つようにゆらめき、空中でぴんと張り詰め、ふたつの骨格を背中に生み出し、髪は突如蒼炎を纏う。
それはホムラの背中に火の翼を生やしたようにも映った。
「飛膜」
ふと見ると、動かなかったロボの背中にも生えていた。伸縮自在の頭髪が、ロボの体に寄生していた。
二人の飛膜は、一度大きく広がり、万歳をするように真上に伸ばしたあと、
「飛べ」
地面に叩きつけるように振り下ろされ、一瞬にして文字通り飛んだ。
たしか、生き物の翼じゃ理論上三十キロ以上の生命は飛べないんだよな、三十キロ以上のものを筋肉で飛ばせるだけの羽を作ると、その羽の重みで結局飛べなくなるとか。まあ、この世界でこの理論が通用するかは怪しいが。
たぶんこの羽は、鳥のように飛んでいるわけじゃない。
翼がはためく時に、音がした。
俺の知っている、風のハープの音だった。
「ははははは!」
「アオ殿ォオ!」
ロボが涙目で俺を呼んでいる。もちろん出て来れないよ。
そのまま天井、つまりはこの忘れられた都の海に到達する。水面に衝突してしまえば、体が吹っ飛ぶんじゃなかろうか。
「除け! 道をあけよ!」
ホムラが叫ぶ。それと同時に飛膜が一度はためいて音を鳴らす。
ロボとホムラの背中に付いた飛膜は一度二人を包むように前へ伸びる。ぱっと見盾になったように見えるが、違うだろう。
海面に到達し、その羽先が空の海に触れた瞬間、飛膜は翼を広げる。
海はホムラとロボの目の前だけ、道を開けるようにふっとんだ。
接触と音だし、つまりは風のハープの吹き飛ばしが発動したのだ。
「いい子じゃ。正直な子はきらいではないぞえ」
そのまま滑空を続け、空へと脱出した。
街と水面をはるか後方へ置き去りにして、太陽の輝く空を独り占めにした。
なんといえばいいか、あれだ。ジュバッていうドラゴンボールで空を飛んだような効果音が聞こえそうなほどの、一瞬の出来事だった。
「太陽よ、わらわは戻ったぞ!」
「うぉおおおっ!」
ロボが目を回している。あのロボを翻弄するってすごいよな。
ホムラは満干の想いを胸に、太陽の光を全身で浴びていた。
「やはり、血肉とはよきものよ」
「あ、あなたは一体」
「ホムラ」
名前じゃねぇよ!
俺たちにもわかるように説明してくれ。
いったい俺はどうなった。
俺の体にどうしてホムラがいたのだとか、龍って言うくせには普通に人間っぽい見た目とか、どうして入れ替わったのだとか、知りたい情報が山ほどあった。
『アオ……じゃない! 誰!』
「ほう」
いきなり、フランからの通信が届いた。
たぶん、あの街から脱出したことで圏内に入ったのだろう。外に出た瞬間に通信が届くとは流石である。
『あなた誰! なんでアオの回線に』
「さて、どうするかの」
ホムラが顎に手を当てて考え込んでいた。これからどうするか悩んでいるのだろう。
行け! いや行って下さい! フランに会いたいんです。
「じゃあ嫌じゃ」
「ホムラ殿!」
ロボは何が起きているかもわかっていない。通信の声は届いてすらいないのだから。
それでも、ここで口を出す辺り本当にタイミングがいい。
「ワタシはホムラ殿がどのような人、龍なのかもわかりません! しかし、その旨にワタシの友の心を憂えてはくれないでしょうか!」
「よかろう」
心変わり早。
たぶん、結構気まぐれで気分屋な所があるのだろう。さっきだってちょっとしたことでロボを殺そうとしていたし。
ただどうにも、このホムラはロボに敬意を払っているみたいだけれど。




