第百二十六話「なぐる わらわ」
「アオ殿……」
流石のロボも、それに気づいたみたいだ。
もちろん、気づくことで、馬鹿なことをする奴が現れる。
「アオ」
イルだ。俺に向かって、何かをかみ締めるように呟いた。
「ラクを、頼む」
「いや、待てよお前。本当にそれでいいのか?」
「いい、かまわない」
イルの考えは変わらない。好きな人だからって、ここまで盲目的に愛せるなんて、俺からしたら理解不能だ。
でも完全にわからないわけじゃない。自己犠牲はまだしも、イルの性格自体は、嫌いになれるようなものではなかった。
「アオさん!」
ラクは突然、俺に擦り寄ってきた。
たぶん、彼女の中で、生きられる最後の糸が、俺になったのだ。
「あなたの喜ぶことなら何でもします。これからは奴隷紋章がない奴隷として扱ってくれても構いません。だから、私は、私は」
生きたい。
何でもするなんて言葉は怪しくて仕方がない。だが、生きたいという、言葉で言わなかった本音は本物だろう。
彼女のことを汚いと、ビッチだと罵るべきだろうか。
でも、俺だって死に掛けたら何でもするって言うかもしれない。
生きる目的のある彼女は、まだ死ねない。
多数の意志は、俺、ロボ、ラクを生き残らせるという考えで固まっていた。
そして最後に、イルの強い視線が、俺に向かって突き刺さった。
「アオ、ラクを……助けてくれ」
そんなことを言われたら。もう話は決まったようなもんだ。
俺は、そのイルの願いに対して、
「えっ」
反抗するように、ラクの頬を叩いた。
突然の攻撃に対して、ラクは地面に倒れる。気配を感じたかもしれないが、彼女はよけられなかったみたいだ。
「アオ、おまえ!」
「いやな、やっぱ駄目だわ」
激昂したイルを茶化すように、俺は笑う。
「自分のためにほいほい人を裏切るような奴は俺にはあわねぇわな」
「じゃあどうするんだ! この脱出に俺の分はない! お前に頼むしかないじゃないか!」
「お前が助ければいい。脱出もお前がしろ」
やっぱ、こういう面倒なのは俺の性分じゃない。今の仲間だって、三人もいるのは多すぎるのだ。
面倒だから、泡の二つは、イルとラクに渡そう。
「俺は女だって平気で殴れるんだよ。そんな奴に、彼女は助けられねぇ」
俺はいいながら、どこかへ去った海の精霊に向かってつばを吐く。こういうときぐらい、俺だってこんな台詞をはく。
イルとラクは、俺が何を言っているのか最初は理解しきれなかっただろう。当然だ、俺みたいな奴が、見ず知らずの二人のために犠牲になるなんてありえない。
「おいロボ」
「なんでしょう」
「すまないが一緒に、あきらめてくれや」
俺は入ってきた洞窟の入口を指差す。
もうひと枠余っているから、普通の奴ならあそこにロボを押し込んだりするかもしれない。
でも俺は屑だ。
どうせ危険に晒されるなら仲間と一緒がいい。俺だけが生き残るのも、俺だけ死ぬのもいやなのだ。
「謝らないでくださいアオ殿。いつも申しておりますのに」
ロボは俺にハグしたと思ったら、走り出した。
「ワタシは地獄であろうとアオ殿のお供をします。単に命令してくださればよろしいのです。さて、共に身を投げましょう」
「うぉっと」
ロボはそのまま泥の中へと身をもぐりこませた。
ラクやイルと口論をする暇もなく、あの場所に取り残した。まああの二人なら説得しなくても乗ってくれるだろう。
「ですが、これでよろしかったのですか?」
「ああ、俺は元々何かの思いどおりってのが嫌いだ。そして三人乗りはもっと嫌いなんだ」
俺は四人家族だったからな。一人残される三人乗りは憂鬱になる。
「失礼ですが、さわさわします」
「やめい」
ロボは俺のネガティブを受け取ったのか、すぐにスキンシップを計ってくる。美女モードの時はちょっと勝てない。
「しかしアオ殿、これからどうする御つもりで」
ロボはたぶん、この先のことを案じている。
たしかに、あのルツボの本体みたいな龍に対して、俺たちは勝てるかどうかもわからない。
俺の氷の剣は、たぶん魔力の斥力で押されて凍結させられない。風のハープじゃ、押し寄せる泥の津波を避けるのにも限度がある。土の盾も、触手じゃ期待はできないだろう。
ロボの人間モードには時間制限がある。
条件は、どれも厳しい。
どうする。そう、どうするべきかもう決まっている。
「あの龍に、勝つぞ」
「御意に!」
開けた場所に出て行く。あの神殿に戻ってきたのだ。
神殿はほぼ泥の中に浮かび上がって、形を成していない。
形を成しているのは、そこでただ流れ出る泥を眺める、巨大な龍一体だった。
「おい!」
耳があるかもわからないが、どうせなら挑発してやる。
混沌龍帝フメイは、俺のどうでもいい願いをかなえて、こちらに浮かんでいる眼球を向ける。
「好き勝手垂れ流しやがって便所龍が、少しはケツの穴を締めやがれってんだ」
俺は精一杯の強がりを言ってやる。
われながらに、結構いいこと言えたと思う。
*
「――――ォ!」
龍が大口らしきものを開く。らしきものというのは、判別しにくい全身のせいだ。
「ロボ!」
俺は、龍の眼球を指差した。
ロボはその意図を汲んで、俺を脇に抱えて飛び出す。
が、弾かれる。
「あ、アオ殿!」
「やっぱり密度があるか」
龍の全身は泥だが、その体にも密度がある。
つまりは、まだ肉体が形を残しているのだ。全身が泥でも、生命活動を続けるための内臓がある。
「風!」
「アオ殿ここに!」
ロボの指示する場所に向かって腕を突き立てて、弦を引く。
すると、龍は文字通り吹き飛んだ。
体に纏った、泥を幾つか振り払って。
「よし!」
ああやって、剥がせるだけ体から泥をはがしていく。
「ロボ、頼むぞ」
「……かしこまりました」
俺は一秒、二秒と頭の中で数えて、連射限界を過ぎたあとで風のハープを解いた。
ひさしぶりだが、頼りにしている。
「土!」
俺は土の盾を解放した。
ルツボの怖いところは、あの無尽蔵に再生する泥の質量だ。
「今日は、どうやら仕事してくれるんだな」
ぶるぶると、土の盾が蠢いていた。
あの、炎の精霊と戦ったときのあれだ。理由はわからないが、条件が整っていたのだ。
これに気づいたのは、あのフメイに遭遇してから。炎の精霊と混沌龍帝。あの二体に関わりがあるのだろうか。
とにかく、動くのなら使う。だから俺は、イルとラクを助けたのだ。
「開けよ……ごま開け!」
土の盾に瞼が生まれ、大きく振動を起こした。
持ち手が茨のように尖り、俺の左手は拘束される。
本来ならやばいことこの上ない能力だが、今回は助っ人がいる。
「拘束させていだだきます!」
後ろから、ロボが抱きついてきた。体を物理法則ではかれない何かで守られる。
これが、今できる一番の攻撃方法。
土の盾の過剰回復、安全バージョンだ。
「――――ォ!」
フメイが俺たちに向かって突貫してくる。
意識を失い、限りなく俺たちに近づいてきたのだ。
俺はあえて吹っ飛ばして、本体の形を把握して、逃げられないであろう場所を模索する。
「我慢比べだ!」
ロボの制限時間が限界を迎えるか。
フメイの肉体が腐り落ちるかの賭けに出たのだ。
過剰回復は一応回復の体があるせいか、攻撃の気配はない。フメイは予定通りに俺に肉薄して、過剰回復に拘束される。
「アオ殿!」
「いける! いけるぞ!」
やはりルツボと一緒で、再生能力が凄まじい。
その分だけ、土の盾の過剰回復は効力を発揮する。フメイの体は徐々に腐敗していった。
俺はロボの魔法のおかげで、過剰回復の影響は受けない。
ある意味、最強戦法だ。攻撃じゃないのに、相手を一方的に虐殺できる兵器なんて。
ふと、視界にはまだ生き残っていたバッツたちの姿も見えた。まだ生きてたのか、しぶとい。
このまま倒せば、不本意にもこいつらを助けたことになるのか。
「ったく、ほんとしぶと――」
「好機!」
「……いまなんて?」
「アオ殿、どうかいたしましたか?」
なんか今、声が聞こえた。ロボじゃない。
俺はもしかしてと、フメイを見上げるが。
「――――ォ!」
断末魔に近い悲鳴をあげているだけの、理性のないバケモノだ。声を発した感じもない。
そんなときだ、また、別の何かが――
「纏え蒼炎! 昇火!」
「なん……うぉおおおおおおっ!」
次の瞬間、ぐわんと世界が歪んだ。
視界が曲がりくねって、追い出されるようにはじき出されたのだ。
『あ~あ』
そして辿りついたのは、なんと俺の心の部屋だった。
証の文字から、諦めに似たを感じる。
「おいまて! どうなってる。俺は魔法を連続使用できないぞ! 俺は気絶したのか!」
ここに来たということは、俺は証の魔法を不本意に唱えたということだ。ならば、元の世界にいる俺は、完全に無防備なままあそこに倒れたことになる。
『あーあ』
「おい起こせ! どうして勝手に発動したんだ! いやあんたがやったのか? なんにしても今はそれどころじゃないんだ」
『まあ、それどころじゃないよね →』
→? いきなり矢印が出てきたぞ。
俺はその矢印どおりの場所を見て、眉をひそめた。
その先は俺の心の部屋の玄関。南京錠がいくつもかけられた、出ることのない外への扉だ。
扉は鍵を全て壊して、開け放たれていた。
『あの時はあれしかなかったかもしれないけれど、無闇に開くものじゃないんだ』
「……はい?」
『君、初めて発動した時、あれ止まらなかったでしょ。記憶じゃ無理矢理魔法抗体の人つかってはがしたらしいけど。今回はそうもいかない』
「もしかして……あれか」
『そう、君に四つある魔法の本質は、この扉の先にあった。君が無事でも、土の盾の発動を助長されれば、いずれはこうなる』
俺は動揺と怒りで、紙を踏み潰した。
「どうして教えなかった! いくらでも機会があっただろ!」
『精霊にそれを期待しちゃ駄目だよ。それにさ、君、全部わかってて今回やめた? やめないよね』
精霊は使命を全うする現象のようなもの。例え感情があるように見えても信用してはいけない。
わかってたよ。そんなの、俺が当り散らしているだけだ。
「……おい、今どうなってる」
それに、今することは喧嘩じゃない。
『なにが?』
「俺の体だよ! ああ悪かったよどんなに危険でも俺はイルを見捨てなかったし結局こういうことしたろうさ! だから教えろ! 今の俺はどうなってる」
『そんなの――』
オボエの文字を書いた紙が、燃えた。
突如現れた炎によって焼かれたのだ。
「そんなもの、己の目で見ればよかろう」
また、あの時と同じ声が聞こえた。
今回は気のせいじゃない。はっきりと耳に響いた。声音そのものは上品なのに、人のことを小ばかにしたようなイントネーションだった。
己の目。つまりは、自身の視界をいつも通りに映せばいいのだろうか。
俺はその声に渋々したがって、自分の目を開くと、そっち側に意識を吸い込まれた。
「ア、オ殿?」
最初に目に映ったのは、俺を見て疑問の表情を浮かべるロボの呆けた顔だ。
俺をビックリ箱かなにかのように見ている。
「わらわに失礼であろう。そのようなものとみたがえるなど」
またあの声。
視界はロボを見下すように段々と上へ昇っていく、そして視線は最後に空の海へ向けられた。
俺とは思えないほどの視力がその空の海に映っていた僅かな像を捉える。
誰だよ、お前は。
「恐れ多いわ、そして知らぬのか? わらわの名を」
知るわけねぇだろ!
海に映っていたのは、ロボの隣にいる、俺じゃない誰かだ。
その姿は、おそらく女性だろう。海の青とは違う輝く蒼色の髪を腰まで伸ばし、何故か和服らしきふりそでを着ている。表情は穏やかで美しいのに、彼女からは燃える炎のような印象を受け取れる。
そして何より驚くべきは、辺りの惨状だろう。
「なんだあの火」
フメイから自身を守るためだろう。当りに火が撒かれていた。その火がまたおかしい。
ルツボ泥を弾く膨大な熱量もそうだが、それ以上に見た目が普通と違う。
「蒼い」
火の色が、蒼いのだ。
透明な青といえばいいか、たしか完全燃焼の炎って言うんだよなあれ。酸素がしっかり供給されてる、よくガスバーナーで出てくるような色だ。
無秩序に揺らめくはずの炎は規律を持って、赤い炎の数倍の熱量を閉じ込めている。
「蒼炎」
ロボがぼそりと、その炎を見て呟いた。
女は感心したようにロボのほうを見て、にこりと笑う。
表情が変わるのが、目で見なくても感じ取れた。
「いかにも」
女が体を翻すと、蒼い火の粉が空に舞い、桜吹雪のように女を彩った。
「蒼炎竜王、名をホムラ」
蒼い火の粉のひとつを、ホムラと名乗った女は手にとって口付けをした。
「遠き者は音に聞け、近しき者は焼き付けよ。世界を踏みまわす劣種どもが」
口付けをしたと同時に、蒼い火は花火のようにふっと消える。




