第百二十四話「なお はんりょ」
「イルさ、どうしてそんなこと知ってんの」
「バッツ様に周辺調査を依頼された。境遇やその音楽を聴けたのは、たまたまだ」
「たまたまでも、その気難しい男の音楽が聞けたんだろうが」
俺には無理だ。
たぶんイルって、話すだけで気難しい商人とかに「気に入った!」とか言われるタイプなんだろうな。
俺なんて話すだけで「お前むかつくわ」とか言われるからな。
イルは正直すぎるところがある、だがそれを補って有り余るほどの人徳があるのだ。
「アオ、俺は君のことを、信用している」
「はい?」
「最初に俺が思っていたよりも、君にはしっかりとした優しさを感じるんだ。人の痛みをしっかりと理解して、どう行動するか選んでいる。良いほうにも、悪いほうにも」
「だ、だからどうしたんだよ」
他人に褒められるのなんて、いつ以来だろうか。ちょっと怖気づいてしまう。
イルといえば、姿勢を正し屋根に手をついて、俺に頭を下げた。
「頼む、ラクを、救ってくれ」
たぶん、嘘でもハッタリでもない、正直なお願いだろう。
でも、どうしてこのイルがそこまでするのか。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「好きな人を、守りたいから」
言われた俺の方が赤面してしまいそうなほどの、正直な告白だった。
「彼女は俺の好意など受け入れないだろう。それで構わない。俺は彼女ほど一途に行動する人を見たことがない。その真っ直ぐさを、俺が支えてやりたい」
「ま、まてよ」
俺はここで惚気なんて聞かされても、上手いことを返せない。
「か、仮に俺がその言葉を受け入れるとして、何の意味がある?」
「……俺は、バッツ様から脱出の方法を聞いている」
顔を上げたイルは、冷や汗をかいていた。
俺たちに、この町の脱出方法を教える。
それはイルが、バッツを裏切ることに他ならないからだ。
*
あれから少しして、俺とイルは解散した。
ロボのいる寝室で、あの会話について一人悩み続けていた。
正直言って、俺はラクを助けたい。
命の恩人であるあのジルの妹なのだ。見殺しにして、明日の飯が美味いはずがない。
でも、俺には優先して助けるべき対象がいる。それを蔑ろにしてしまう可能性だってある。
「どうすりゃいいんだよ」
ラクの境遇は、知らないほうが幸せだったのかと問われれば、否だ。
俺はなにも知らないまま事態が終わることを良しとしない。どれだけ後味が悪くても、俺は知りたい。
今回ばかりは、それが仇になった。
「……アオ殿」
ふと、ベッドで寝ていたロボがもぞもぞと体を動かす。
「起きていたのですね」
「ん、ああ」
「なにか、御悩みでは?」
ロボの嗅覚は、こういうときにも役立ってしまう。
いや、俺の顔に出ていただけかもしれない。
話すべきかどうか。
「嫌なこと、聞いていいか?」
「かまいません」
「ジャンヌは、生きていたほうが幸せだったと思うか?」
即答するロボに、俺は容赦ない質問をぶつけた。
ジャンヌは散り際に、自らの人生を全て否定して、自らのからに閉じこもった。最後の幸せな記憶だけを頼りに、死へと向かっていった。
あのあと、仮にジャンヌが生きていたとして、幸せでいられただろうか。
俺は、あの最後こそジャンヌの出来る最良のあがきだと思っていた。苦しみしかなかった世界に対する反逆だ。
生きていても、死刑を待つだけだろう。それこそ、そんな舞台へロボをたち合わせたくもない。
「生きるべきです」
「生きているのがどんなに苦しくてもか? 絶対に、待ったところで最後は一緒だ。いい結果にはならないぞ」
数ヶ月の寿命で、目が見えなくても、そんな絶望の中で、生きていくべきなのか。
俺はこの状況に、ラクを重ねていた。
ラクを助けたところで、彼女の目指す幸せはもうない。
それでも、危険を冒してまで助けるべきか。
「少しよろしいでしょうか、地」
ロボは俺と篭手の両方に囁きかけて、地のカードを使う。
「おいまて、お前寝るときは毛のために服着てな――」
それで何をするかと思えば、素肌で俺に抱きついてきたのだ。
柔らかい感触と、人肌の温かみが伝わってくる。
「アオ殿、ワタシには、難しいことなどわかりません。それでも、生きるべきだと、言い切ります」
「どうしてだ?」
「死んだら、何も感じることが出来ません」
ロボの体温は、俺よりもずっと暖かかった。
俺は知らずのうちに体から力が抜けて、心が穏やかになってしまう。
「生きていても、五感がなくなったらどうする」
「言葉でも伝わらないことがありましょう。言葉でなくとも、伝わるものがあるではありませんか」
「……」
俺は正直、ロボの意見には同意できない。
たとえば、俺は植物人間になっても、生きていたいとは思えないからだ。
知性があってこその人だ。考え、それを相手に与えてこと意味がある。
だが、それはあくまで俺の主観だ。
「生きていれば、人と人は伝わります」
生きるか死ぬかの選択肢を与えられて、難しいのは生きる方だ。
どうせならば、どっちも選択できる立場に、いさせてあげたい。
当たり前の話だ。
そんなのを、ロボから教えられた。
でもと、俺の怖気が顔を見せる。
「でもさ、そこまでして、生きてなんになるんだ」
「それこそ、その人の思うがままでしょう」
ロボは優しく、まるで聖母のような微笑で、こんな屑の俺を迎えてくれる。
「ワタシはただ、あなたについていくだけです」
ロボの言葉は的をいない。理屈ではないのだ。ただ純粋な思いは図りきれない。
純粋に、考えるなら、俺は――
「ついていくって、あれか、死が二人を分かつまでか?」
「死してもなお、お供いたします」
小難しくなるのが馬鹿らしくなるような、ロボの微笑だった。
俺の答えは、それで固まった。
*
「こっちだ」
早朝にイルは出かけると言った。
バッツに見つからないためだろう。それに行動は早いほうがいい。
「まさか、イルさんがバッツさんを裏切るなんて……」
「ラク殿、ご心配なさらず」
ラクは今も動揺を引き摺っている。
「でも、まさか」
「今だからこそ、裏切るんだろ。絶好のタイミングだからな」
「……アオ、静かにしていてくれないか」
イルも、内心冷や汗を隠せない。
でも、裏切るなら今なのだ。
バッツは性格からして、自分のテリトリーからは絶対に逃れないタイプだ。いざという時に地の利を生かせないことの辛さを、あの男なら理解して用心深く対処する。
つまり、この忘れられた都に来たのは、そうせざる得ないほどの窮地に立たされている証拠だ。
「ほんとうに、やるんですか?」
「ああ」
イルはそれでも強く頷いた。
ラクはそのまま、ずっと眉をひそめている。
「……」
「アオ殿、ご安心ください。ワタシの直感でよろしければ、イル殿は嘘を申しておりません」
「わかってるよ」
イルは嘘を言っていない。たぶん、バッツから得た情報を頼りに、脱出の道を辿っているのだろう。
これは罠だ。
俺はハナからこの話を鵜呑みにしてない。
あのバッツが、イルに話すわけがないのだ。
イルのわかりやすい性格は、バッツのほうが熟知している。今の状況を作り出したバッツは、これを機にイルが裏切る可能性を大いに期待していただろう。
これがイルの盗み聞きだとしても、絶対にそんなヘマをするようなやつじゃない。
なら考えられるのは、イルにうその情報を教えて、都合よく立ち回ること。
俺たちに都合のいい立ち回りをさせて、自分だけが逃げられるルートを確立する気だ。
「……わかりました。私も、皆さんに全力で協力させていただきます」
ラクが、何かを決意したようにガッツポーズをとる。
俺はずっと、いつ言うべきか機会をうかがっている。
たぶん、ラクは本当の脱出方法を知っている。
バッツがこの状況を想定していれば、俺達を監視する密偵がいるはずなのだ。ロボに気づけないほどの密偵の可能性もあるが、それよりもずっと簡単な方法がある。
「……ラク」
「はい? なんでしょう」
「いや、なんでもないわな」
俺は確信していた。
でも、どうすれば対処できるのか、決めかねている。
ただ希望はあるのだ、聞きだせる方法は確かにある。
しかしそれは――
「アオ殿!」
突然ロボが叫ぶ、それと同時に、俺たちに向かって攻撃の気配が放たれた。
「ったぁ、風!」
俺は手のない腕に風のハープを装着し、その攻撃を全部逸らす。
デブラッカに似た岩攻撃はそれでしのぐ。だが、それを弾いたことによってタダでさせ狭い街の通路がふさがれる。
移動できなくなったところに、岩場の隙間から動く水溜りが流れ込んでくる。そいつはその狭い空間で網となって俺たちの上空を覆う。
「御下がりを!」
ロボが岩のひとつを持ち上げて、その水の網に投げ込んだ。水の網はそれを絡め取って縛り付ける。あれなら風のハープでも大丈夫だったか。
「ラク!」
イルが突然叫びだした。
ラクが、俺たちの前から消えていたのだ。たぶん、何かの合図で攻撃と同時に逃げられた。
気配読みも万能じゃない。逃げるだけの相手を察知できないからだ。
「っちぃ!」
「アオ殿、まだ匂いで追えます!」
「まて! あれ絶対に罠だろ!」
もう見るからにわかる。あれを追ったら俺たちは潰される。
だがもちろん、はいそうですかといえるような面子じゃないわけで。
「アオ、向かってはくれないか」
「おまえまでなぁ」
「ラクが逃げた方向は、俺たちの目的地と同じ方向だ」
「……いやだからって」
「頼む、ここで彼女とバッツが合流してしまえば、それこそラクを助けられなくなる」
イルは、ラクなしでこの脱出作戦が成功しても意味がないという。
それは俺だって同じ意見だ。ラクがいなくちゃ、本当の脱出経路はわからない。
「もう少し待ってくれ、ラクが今になって逃げた意図を考えるんだ。あいつは、俺たちが追ってくることを前提で逃げてる」
逃げるだけなら、俺たちが寝ている間にも出来たはずだ。
朝方、体力が万全な状況を狙って俺達を誘っている。完全に何かあるはずだ。
「だったら…………何の音だ」
いま、ベトベトって。
沼を救い上げて地面に落としたような、そんなくごもった音が響いた。
「あ、アオ殿、これは」
「おいイル、その脱出方法のある場所って、まだ先だよな」
「あ、ああ。この先、忘れられた人間の力を試すために、混沌龍帝がその場に立ち会ってその人の心を見極める場所があると聞いている」
「この泥みたいなのは何だ?」
「それは……わからない」
「あの、でかい怪物みたいなのは、龍なのか?」
俺達を覆っていた岩を溶かしながら、黒い泥の触手がゆっくりとこちらに迫っていた。
「アオ殿これは……もしや……」
「ルツボじゃねぇか!」
明らかに、俺の見知った泥、ルツボだった。
イルは顔を真っ青にして、足を震わせながら後退していた。
「あ、あれは俺たちの目的地である脱出口に近づくと現れる謎の生命だ。物はおろか、どんなに強い人間だろうと一瞬にして取り込んでしまう」
「おいまて、あれは誰かが唱えたんじゃないのか?」
「悠長なことを言っている場合じゃない! ここから離れるんだ! あいつらは追ってくる! 俺たちは囮に使われたんだ!」
イルが踵を返す。
俺はイルの服にある首根っこを掴んでそれを止めた。
「慌てるなよ」
「アオはあれの恐ろしさがわからないんだ! あいつらは逃げるか死ぬかしない限りどんどんと出てくるんだ! バッツ様の考えならたぶん囲まれてる! 一度遭遇した時あれから逃げるためにどれだけの犠牲を」
「見えてきた。この街の秘密」
俺はこの状況を、多いに楽しんだ。
おそらくバッツは、俺たちがトーネルでルツボを倒したことを知っているのだろう。それを利用して、際限なく出てくるルツボみたいなものを間引きして、そいつが守っているであろう脱出口へ飛び込む。
ルツボみたいなものと表現したのは、このルツボに本体の人間がいないからだ。
強いて言えば、弱点のないルツボ。
「ロボ」
「御意に……囲え! 大地の後塵」
計算外だったのは、弱点の無いルツボを完封できるバケモノがいたこと。
ロボ、美少女形態だ。
「な、なんだその乙女は……」
「アオ殿の伴侶です!」
ロボは一秒一秒を優雅な歩みで飾り、とんちんかんなことを言い出して台無しにする。
だが、ロボがキッとにらみつけるだけで、ルツボの泥は消滅する。
「な、あの泥を一瞬で!」
「よく落ちるでしょう、うちのロボ。最高だ」
「アオ殿!」
ロボは仕事を終えると、何故か俺のもとに飛び込んでくる。結構背が高いから俺倒されそう。
ほんと、この形態のときは犬に触る俺みたいにべたべたと近寄ってくる。いや、嬉しいんだけど。
「さぁ、行きましょう! ラク殿のもとに」
「とっても恥ずかしい」
「あなたは本当にロボさんなのか? 見た目が」
「イル殿も付いてきてください! 走ります!」
ロボは俺のことをお姫様抱っこして走り出す。
イルもそれに続いて、おそるおそるだがルツボの中を駆けていく。どうやらロボの防御幕みたいなもので守られているらしい。
なんにしても、バッツの見解が甘くて助かった。まあ、ロボが完全復活するなんて流石に想定外かもしれないが。




