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第百二十三話「きずな ぎり」

「お前、バッツの親戚だっての嘘だろ」


 俺はぐいと、ラクの肩を押した。

 ラクは不思議そうに目をぱちくりさせて、首をかしげる。


「何のことですか?」

「親戚って言わないと困るもんな。あそこにいる数少ない女性の役割なんてバレれば」


 たぶんこいつ、バッツの愛人兼スパイ要因だ。

 そうだよな、女性を使う上で一番の利点を、あのバッツが活かさないわけないもんな。


 ラクは、だんだんと表情に影を落としていく。隠し切れないと踏んだのだろう。


「……不思議ですね、一番簡単そうな人だと思ったのに」

「そりゃ、もう三ヶ月は前に仕掛けてくれないとな」


 もし俺が童貞だったら、確実にしとめられていた。もう必中だったろう。

 たとえ罠だとわかっていても、かかる自身があった。男とは、そういうサガに生きる生き物なのだ。

 だからこそ、ハニートラップは強い。


「つか一番簡単って、比べる対象がおありなんですか」

「当たり前ですよ、バッツさんの配下なんですから」


 ラクの、今までの人懐っこい笑いとは違った、乾いた笑い。

 イノレード政府ってマジでろくでもないな。こんなやり口が当たり前に存在するなんて。


「同情してます?」

「しゃあないだろ」


 この女の子は、不二子ちゃんみたいな自ら進んで行く系じゃない。あいうタイプはもっと妖艶に笑う……と思う。


「なんで、バッツの部隊にいるんだよ」

「仕方ないじゃないですか、私、元は孤児だったんですよ。イノレードは孤児の受け入れ先が多いんです。その代わり、政府からはこういう利益を求められるわけで」


 ラクの、何かを諦めてしまったような乾いた笑いが響く。

 もちろん、俺は笑えない。こういう利益は、これまでも見てきたからだ。


 たぶん、俺が知らないだけであの国は人体実験とか普通にやってそうだな、マリアを殺した研究所があるくらいなんだし。そう考えれば、生きているのはマシなのかもしれない。


「ごめんなさい。暗い話になっちゃいましたね」

「俺は元々暗い」

「ははっ、そんなことありませんよ。アオさんでしたっけ、実は私、内心あなたに正体がばれてよかったと思ってます」

「俺と裸にならなかったからか? 傷つくぞ」

「そうじゃありませんよ。もっと汚い人なんていっぱいいましたから。アオさんも綺麗って言うものではありませんけど、その分しっかりとしたものがあるって言えばいいのかな。とにかく、目先の欲よりも大切なものをもっている人は、尊敬できます」

「目先の欲にも弱いよ」


 ただ、プライドが無駄に高いだけで。いいことばかりじゃない。

 意地張ってろくでもないことになったりとかもするんだよ。自分が悪くないからって、姉との喧嘩に折れずにいると、親父に飯抜きにされたりとか。


 ただ、バッツはその点で言えば保身の次には、目先の欲に忠実なタイプだろう。


「信じてません?」

「もちろん」

「ひどいですね~。じゃあ、もう一個だけ、私について本当のことを教えてあげます」


 ラクは人差し指を立てて、いらずらをする子供のように、俺に向ける。


「私も、この生き方に絶望しているわけじゃないんですよ。こんな生き方でも、まだ私、希望があるんです」

「希望?」

「はい。あ、信じてくれてますね」


 俺の表情から、嘘と本当を見破る辺り、流石である。

 たぶん、俺なんか比じゃないほどに壮絶な人生を送っているのだろう。人に相対する経験値が馬鹿じゃないのだ。

 年下の女の子なのに、俺に対してすらしっかりと軽蔑せず接してくれているのだから。


「実は私、生き別れの兄がいるんです」

「生き別れって、またありきたりな」

「でも本当ですよ。孤児にいるときはずっと一緒にいました。両親の顔も覚えていない私にとっての、たった一人の家族です。バッツさんに引き取られてからは、一度も会ってませんけど」


 ラクの頬が緩む。初めて見せた、純粋な女の子らしい顔だ。


「推測ですけど、兄も私みたいに、孤児のために働いていると思うんです。私が、兄のためにこの道を選んだみたいに。いつか兄に出会って、バッツさんと別れて、二人で一緒に暮らすのが、夢なんですよ」

「兄と暮らすって……お兄ちゃんそんなに好きなのか?」

「もう私には、新しい家族なんて無理だと思うんです……とっても、汚いですから。だからせめて、一人残った家族だけは、大切にしたいんですよ」

「兄ちゃんが、結婚してたら?」

「悲しいこと言うんですね……でも、それならそれでいいです。兄さんが私の分まで幸せになってくれるのでしたら。それを邪魔したくありませんし」


 純粋なまでの家族愛だった。

 ただ血の繋がった、昔の思い出を頼りにラクは生き続けている。


「……見つかるといいな」

「はい!」


 これがもし嘘だったら、ラクはとんでもない策士だろう。

 本当だったら、俺は酷いやつだ。彼女にただ同情している。

 同情だけで、何もしない。


 どうせなら、ラクには幸せになってほしいとは思う。でも、俺はそんなラクを手助けする義理がない。

 俺の交友関係は狭く深く。それ以外のものを抱え込んだ時に、必ず近しい人間に被害が及ぶからだ。

 だから俺は、これ以上踏み込まない。


「アオ殿! 一緒に寝ましょう!」


 ロボが窓からひょっこり顔を出して、静かな雰囲気をぶち壊した。


「ロボさん、よくここがわかりましたね」

「ええ、アオ殿の匂いでしたら、千里先までかぎ分けましょう」

「へ、へぇー」

「ワタシとアオ殿は、それほどの強い絆で結び合っているのです」


 ロボがこちらにウインクしてきた。いや、犬の姿で言われてもなぁ。

 ラクはそんなアイコンタクトを微妙な表情で眺めている。


「アオさんもしかして、罠にかからなかったのって」

「断じて違う。俺は、可愛い女の子が好きだ……まあ、ロボは例外だ」

「やっぱりそういう」


 とりあえず、今日はもう遅い。

 俺は近づいてきたロボのもふもふを撫でながら、夜風の寒さをごまかした。



『やぁお』

「やぁおじゃねぇよ」


 証の精霊オボエから、お呼びがかかった。

 いつも通り、俺の心の部屋にまでやってくる。たぶん犬型抱き枕のロボと一緒に寝ているから、体は大丈夫だろう。


『君は僕に冷たいねー』

「当たり前じゃ、人の記憶さんざん見やがって」


 今日はあまり散らかっていない。

 この部屋の外観って、俺の心なのに全く変化がないな。外ではいろいろあったのに。


「そういえばよ、もうちょっと都合のいいときに会えたりしないのか?」

『都合?』

「今回みたいに、知らない場所に着いたとき、あんたと情報交換できると助かるんだが」


 もし、バッツに出会う前にこの空間に来れたらと思う。

 マジェス到着前に垂れ幕作ったくらいだし。たぶんこのオボエは、俺の居場所がわかるのだ。


『できるよ』


 あっさりと、そんな文字が届く。


「え、できんの?」

『うん、呼ばれてないときに唱えるといい』

「いや、それはカードもらって結構すぐにやったけど」

『あのころは僕もごたごたしてたからね、マジェス到達前の、初めて唱えられるようになってからは、この空間、好きな時に入れるんだよ』


 俺は手に持った紙を、くしゃりと握りつぶす。


「最初に言えよ!」

『タイミングがつかめなかったさー。まあそういうこともあるってことでひとつ』


 オボエほんと嫌い。精霊の中でも特にきらい。


『さて、また外のがきても困るし、仕事だけは済ませようか』

「必要な記憶って奴か」

『うん、さんにーいち』


 オボエのフランクな文字と共に、俺の部屋が様変わりする。


「どこだここ」


 今回ばかりは、本当に見覚えのない部屋の中に連れて行かれた。

 結構ボロボロな建物内部に、どたどたと秩序のない揺れが起こっている。たぶん廊下で複数の人間が走り回っているのだろう。


「お兄ちゃん!」


 後ろから、笑顔で飛びついてくる女の子が現れる。もちろん、俺じゃなく記憶本人に抱きついて来たのだろうけど。

 にしても、お兄ちゃんって、しかも飛び込むって、すげぇラブだな。俺が姉にこんなことやったらワンダの巨像みたいに体揺らされて振り落とされるわ。


 当然だが、このお兄ちゃんなる人物はそんなことしない。いつも通り、記憶と共に感情が伝わってくるのだ。どっちかといえば、緩やかに微笑んでいる感じだ。


「はは、よさないかラク」

「いいじゃない、兄妹なんだし!」


 ラク。

 その名詞はまだ記憶に新しい。

 俺は振り返ると、太陽みたいな微笑で記憶の人とじゃれあっている、ラクの幼い姿が見えた。


『この記憶は、十年くらい前だね』

「だろうなぁ」


 今のラクからは想像できない無邪気さだった。

 満面の笑顔は決して綺麗じゃない。人に見せるためではなく、純粋に嬉しいから笑っているのだろう。

 そうだよ、ラクの一番の違和感はそれだ。人に綺麗に見せるために笑うのだ。


「ラクのあの話、嘘じゃなかったんだな」


 俺は、あのラクが言っていた兄の話を思い出す。

 たった一人しかいないラクの家族。今の絶望的な状況の中で、彼女の支えであるただ一つの希望。

 ということはここは孤児院か、両親もいないって言ってたし、このあと何年かして、バッツに目をつけられる。


「記憶に手を出せれば、出したいもんだな」

『それは誰にも犯せない禁忌だよ。記憶は何もしない。何もできない。過去って言うのは、人間が勝手に定義した行動の結果だよ』

「まあ、それなら仕方ないわな」


 俺には、同情以上の想いでラクを助ける気にはならない。


 記憶の中の兄妹は、今もずっとじゃれあっている。ほほえましい光景だが、俺はこの記憶で、何を知ればいいのだろう。


「はは、やめろって、僕はこれから園長さんに手伝いを」

「これからでしょ! なら行くまでいっしょ!」


 ラクは、記憶の人にしがみついたまま、大きく揺れる。

 記憶の人は、まるで苦にせず、むしろ穏やかだ。


 ラクの兄は、ラクを楽しませるためか、ラクが落ちないように体を支えてから、部屋の中でぐるぐると踊り始める。


「……なぁ」


 俺は、そんな光景に目を回すことはなかった。

 それどころじゃない真実に、この記憶を見せた何者かの意思を、汲み取ってしまった。


 ラクの兄が部屋を見渡した時、そこにあるひとつの家具に気づいた。

 鏡だ。


「この記憶って、本当に誰が見せてるんだろうな」

『それは僕にもわからないかな、それこそ、神様になるんじゃないの?』


 記憶の世界でも記憶者本人を見ることの出来る例外はある。それが鏡だ。

 俺は、ラクの兄が誰なのかを知った。


「神様ねぇ、ほんと、ぶんなぐりたくなるよ」

『恐れ多い』

「俺はな、女だって本気で殴れるよ」

『それは最悪』

「ほんと、最悪だよ」


 鏡の中に映っていた本人を見ていると、心の底から、どうしてもやるせない感情が浮かび上がってくる。


「俺にどうしろって言うんだよ、ジル」


 俺は悲しみを飲んで、ジルの姿を睨んだ。

 ジルが、ラクの兄だった。



 ――もし、ラクが死ぬことになれば、君は絶対に後悔するよ。


 バッツの台詞が、今になって重たくなる。

 ああ、そのとおりだよ。

 同情以上の義理が、俺の心を包み込む。


「でも、どうしようもないじゃねぇか」


 あれから記憶の部屋を出て、逃げるように街の中に戻ってきた。

 誰もいない屋根の上で俺は、悩んだ。


 俺は、ラクを救ってやりたい。特にバッツの呪縛から。

 でも、それをしてどうなる。

 ラクの希望であるジルは、すでに死んだ。

 俺のせいで。


 どうしようもなくなってから、どうにかしたい女の子が見つかった。


「……」


 頭を抱える。


「どうした、お前」


 そんな時だ。

 俺の前に、イルの声がかかった。


「お前こそ……なんで屋根の上にきたんだ。寝てたろ」

「アオ、あんたが起きたからだ。もしかしたら、ラクのもとに向かうかもと思って」

「いやなぁ……信用ねぇの?」


 俺は先ほどの悩みをはぐらかすように、苦笑いをする。


「だいたいイル、お前じゃ俺を止めらんないぞ」

「わかってる」

「言っちゃ悪いが、ラクはイルの思っているような人じゃない。言い方を変えれば――」

「わかってる」

「……知ってたのか」

「これでも俺はバッツ様の部隊だ。彼女が何をしているのかくらい、察しもつく」


 イルは気まずくなったのか、俺にそっぽを向く。

 まあ、あの状況でわからないほど鈍感じゃないか。


「じゃあわかっていってんのか?」

「やりたくないことを、無理にさせたくない」

「止められないだろ」

「……あそこを見てくれないか」


 ん、UFOとか言うのかこれ。隙なんて出来ないぞ。

 とりあえず俺は、イルの指差す方向を辿る。


 するとそこは、薄ぼんやりだが明かりが灯っていた。


「あの場所がどうした? 人がいるのはわかる」

「あの場所にいるのはサレ。昔はイノレードでそれなりの才能を持ち合わせた音楽家だった。ただ彼は性格がとても気難しく、自信家だった。そのせいで周りからの圧力も大きくなり、そのストレスから、薬に溺れ、音楽業界から去っていった人だ」

「気難しい性格で、薬に溺れるとか、自業自得じゃねぇか」

「でも彼は、純粋に音楽を好きでいた。今ではおじいさんで、もう彼の曲を知っている人は世界にいないだろう。楽譜も残っているか怪しい」


 イルは目を閉じて、耳を済ませたまま息をゆっくりと吸い込む。


「でも、俺は彼の音楽が好きだ。どれだけの汚名に隠れても、それだけは確かにわかる」


 イルの正直な感想は、俺の心にはないものだった。

 俺だって、作者がどんな人間だろうとその作品そのものを評価したい。だが、そこからその人の本質を、綺麗な部分を見つけることなんて、不可能だ。


 俺は作品と人とを完全に分割し。

 イルは、作品から来るその人の美点をしっかりと捉える。


 それは、ラクが表面上どんな人間だろうと、その本質を見抜き、イルの持つ確かな好意が揺るがないことをものがたっていた。

脇役列伝 その11


忘れ去られた音楽家 サレ


その昔、イノレードなら誰もが知っている音楽があった。

音楽家サレはその類稀なる美的センスを有し

持ちえた全ての才能を音楽だけに集約して、イノレードの町中で音楽を奏でていた


それを耳にするものは、それがどんな楽曲で誰のものなのかも知らず

ただ、イノレードで彼の曲を奏でれば誰もが思いだせるほど、無名で有名だった


あくる日、ある音楽家たちが、彼の才能を嫉妬し両足を落とす事件が起きる

サレには音楽の才能の変わりなのか、まるで交流能力がなく、その悪意をありのままに受け止め、まるで対抗することが出来なかった

悪意しかない噂も、弁明できるわけもなく広まった


音楽をするだけ、それだけで彼は世間から迫害され、名も付けなかった音楽はいつの間にか忘れ去られてしまう

サレの楽曲を覚え、再現できるのは、チリョウに住まう日陰の歌姫だけになった

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