第百二十一話「くらえ ひとじち」
「教えろ」
「ここは、忘れられた都だ」
「忘れられた都?」
「そう、誰からも忘れられた人が来る最後の楽園。海の精霊たちが死に行くだけの人間に与える最後の慈悲。それがここさ」
忘れられた都……たしか、俺の持ってた地図にそんな名前の街があったな。海の中にあった町だった気がする。
「不思議な場所でね。誰からも忘れられたい、ただ一人になりたい。そう思った人間は、いつの間にかこの町に迷い込むのだそうだ。もっとも、私達は正規じゃない方法でこの場所に入り込んだわけだが」
「……」
俺は考えていた。
このバッツの言うことが本当だとしたら。俺はどうしてこの街に着いたのか。まるで理由が繋がる気がしない。まだ情報が足りないか。
「特殊な方法ってなんだよ」
「この場所を知っていればいい。入る分には簡単だからね」
「何故ここにいるんだ」
「簡単さ、あのタスクから逃げるためだよ」
バッツは肩をすくめて、苦笑いになる。
「彼の目的は、イノレードに攻め込む数日前に察知していた。色々対策を練ったり、タスク一味に取り入ろうとしたけれど、そのどれもが無駄になってね。おめおめとこの場所に逃げてきたわけさ」
「お待ちください」
ロボが、そのはなしに割って入った。ちょっと怖い顔してる。
「タスク一味が、数日前からイノレードに来ると、知っていたのですね」
「ああ、知っていたよ」
「なぜ、それをイノレードの人々に伝えなかったのですか」
「情報を開示すれば、私が逃げにくくなるだろう。ここに来たのだって、トーネルへの外交を名目に動いたんだ」
ロボが一歩前に出る。わかりやすすぎてなんとも。
俺はロボを手で制する。暴力はまだいかん。
「もし仮に情報提示し、他の政府関係者まで逃げてしまえば、タスクはまた別の策を練るだろう。策とは常に、敵の動きをある程度流すべき時もある」
「あんたが生き残るためにか」
「私はまだ、死にたくないのでね」
「あの惨状を、自らのためだけに見逃したのですか!」
ロボの言葉に、辺りの護衛マントたちもざわつく。
ただバッツだけは、護衛を前に置くだけで、いたって落ち着いていた。
「あいにく、私には信念も矜持もない。ただこの世界で裕福に生きたい、それだけだ。兄さんという、反面教師がいるせいでね」
「兄さん?」
「ああ、君は知らないか。私はね、二十年前までダマスって言う兄がいたんだ。二十年前の戦争で、冥の精霊を蘇らせようとしていた黒幕の兄がね」
ダマス。曖昧だが覚えている。
冥の精霊に産まれ付き操られて、マジェスとトーネルを戦争にまで発展させた男だ。
「そんな奴の弟が、イノレード牛耳ってんのかよ」
「私の家系は元々そういう役割を担っていたからね。だから兄は冥の精霊と接触してしまった。そしてそんな危険な役割を、不祥事を起こしたからといって誰も代わってはくれない。必然的に、私の家系は地位をそれなりに保てたわけさ」
バッツはさも当たり前のように、自分の地位を述べる。たぶん産まれついた帝王学みたいな思想があるのだろう。
「もっとも、再度封印されてあと百年以上は安心だろうけどね。まあそれでもやりたいなんて権力者はいないよ」
バッツはチラリと、ロボに視線を送って、笑う。
「安心してくれほしい。イノレード再興の際には、私も協力しよう」
「あんただから安心できないんだろうが」
「だが私が上に立つことは、イノレードが長年残してきた呪いだ。古くからの体勢をいきなりは変えられない」
バッツの当然といった言葉に、俺も嫌気がさした。
こいつは、自分ひとりだけ安全な場所にいながら、堂々とイノレードで裕福に暮らすつもりなのだ。たぶん、そのための材料や財源も、自分の分だけ残しているのだろう。
ロボは一応抑えている。策が練れなくとも、感情を抑えられるのはロボの良い所だ。
「さて、ここで本題だ」
バッツはもちろん歯牙にもかけない。
「君たちに、この場所からの脱出に協力してほしいんだ」
「……脱出?」
「ああ、この場所は、普通には出られない」
バッツは窓の外を指差す。
その先には、幾つかの建物が並ぶ隙間を縫って、青色の揺らめく空が見えた。
「忘れられた都は水中にあると先ほどいったね。忘れられた人間が最後に行きつく場所とも」
「ああ」
「ただね、ここは普通の人間にもそれなりに生きやすい場所なんだ。食べ物も土地も、余るほどある。だから海の精霊たちはこの場所に管理者と制約を作った。目的以外の人間がここに居座らないように」
「目的外の人間って、まさに俺たちじゃないか。普通に追い出されるのか?」
「普通はそうなんだ。私もそれを期待してここに来た。だが状況は変わっていた」
バッツは目を細めて、難しい顔で話す。
「管理者が、仕事をしなくなっていた」
「仕事をしなくなっていた?」
「本来なら、私たちは追い出されるべき人間だ。管理者が私のもとに出向き、二度と来ないよう忠告を重ね、どこかの海岸にでも連れ出されるというのがシナリオだ。だがその管理者が、一ヶ月以上ここにいてもこないのだよ」
「まあ、来てたらこの場所にはいないわな」
すげぇ、この世界にもニートみたいなのがいるのか。いや、これはボイコットといえばいいか。
「つか、管理者って誰だよ」
「わからない。私も聞いていただけだからね。とにかく、彼が来ない以上は、本来招かれた人間が元の場所に戻る方法を使う必要がある」
「本来招かれた人間……忘れられた人って奴か?」
「そうだ」
バッツは嬉しそうに俺を指差す。
「忘れられた人間でも、ふとたまにやる気を取り戻して、現世に帰ろうとする者がいる。そういった人が、挫折せず現世で生きていられるかどうかを試す場所があるんだ。そこを通過できれば、管理者がいなくても元の世界に帰れる」
バッツは両手を広げて、俺達を迎え入れるように笑った。
「そのためには、君たちのような強いものの力の協力が不可欠だった。だから歓迎するよ、私たちの脱出に、協力してくれ」
「おいまて、なんで忘れられた人の試練に、俺たちみたいな強さが必要なんだ」
バッツの話は大体わかった。
だが、おかしい点が多々ある。
「聞く分には、忘れられた人が挫折しないように試すものであって、力を試すようにはどうしても見えない」
「もし、私に協力するのなら、理由を教えよう」
俺の険しい表情に、バッツはびくともしない。
「君たちだけ脱出されても困るからね、情報は制限させてもらう。もちろん、協力すれば持ちえる情報の全てを君に与えよう」
「あんたがどうして、俺とロボの強さを知っているかもか?」
「そんなの、冒険者ギルドで報告のあったネッタの記録だよ」
だから、なんでお前はそのネッタの情報から、俺たちに目をつけたんだ。
イレギュラーとはいえ、一般市民でしかない俺の詳細にまで目をつけたのはどうしてだ。冒険者ギルドだって、レベル二十程度にしか評価していなかったんだぞ。
こいつは怪しい。
なにか、俺たちの裏を掴んでいる。
「……」
「ふっ」
バッツは俺が疑わしい目で見ているのをわかりきっている。それでも、笑みを隠したりしなかった。
「君に選択肢はないんじゃないのかな。いっておくがこの辺りにいる人間は、この都市に本来いるべき人たちだ。彼等と会話をし、聞き出すのにも、相当な時間がかかる」
「……俺たちには、そこまで悠長な時間がない」
「そうだ。タスクは待ってくれない」
バッツの言い分はもっともだ。
俺は一度、ロボを見た。
「アオ殿が、決めてください。どんな結果であれ、ワタシはあなたに順じます」
「……そうだな、たとえ、最悪な選択肢といっても、最低限必要なものはある」
「じゃあ、決まりかな」
「ああ」
俺は一度、諦めたように目を瞑って、
「くそくらえだ」
ゆっくりと目を開いて、バッツを睨みつけた。
バッツはそんな言葉に、怪訝な表情を向ける。
「どういうことだい?」
「俺は、あんたに協力しない」
俺は行儀悪く机の上に足を乗せた。出来るだけ舐められないよう、エリマキトカゲ程度の威嚇だ。
「たとえ、あんたに付くのが最善だとしてもだ。曲がりなりにも仲間を殺そうとしたような奴の下に付くのだけは、俺のプライドが許せないんだよ」
「……なにをいっているんだ、君は報告によれば、グリテと協力関係にだってあったはずだ。彼だって、君や仲間を殺そうとしてたじゃないか」
「わかってないなお前」
俺は目の前にいるバッツを見て、違うと確信する。
「グリテも……あのイェーガーですら、あんたとは決定的な差がある。それはな、自分の手を汚さないことだ。あの二人はクソ野郎っていいくらいの悪党だが、絶対に、最後の最後は自分で手を下すんだよ」
目の前にいるバッツは、ネッタを襲撃した時も、マリアを殺した時も、タスク一味の襲撃にも、自分だけ安全な場所を譲らなかった。
そもそも、俺はグリテと協力したつもりはない。あいつが勝手についてきただけだし。
「バッツ、あんたはドブ池に人を敷いて歩くような男だ。そういう奴は一番大事なときに俺を裏切る。そして何より、あんたの思い通りにことが進むのは、俺の気がすまない」
たまに映画の主人公とかが、誰かのために嫌いな奴との契約を、消去法で結ぶ時がある。あういうのは嫌いだ。
俺だったら、嫌いな奴には徹底的に反抗する。イラつかせる。
ほんと、こういうのばっかり得意なんだよなぁ。
「……じゃあ、君はこの街でノロノロと脱出方法を探すのかい?」
「いや、そんなことする必要ない。俺はな、協力するのはいやだが、協力してもらうのはありだと思うんだ」
俺はゆびでっぽうでバッツを指差す。
「情報を、提供してもらう。力づくだ」
周りにいる護衛たちが、たちまち構え始める。
もちろん俺も立ち上がって、ロボも戦闘態勢に入った。
「アオ殿」
「すまないな、俺の趣味だ」
「いえ、構いませんが」
ロボは困惑している。俺がこうするとは思っていなかったのだろう。
でもな、ジャンヌがああなったのだって、こいつのせいなんだ。知らないとはいえ、そんな奴に協力なんてして欲しくなかった。
「さてバッツさんよ、どうする?」
「……」
バッツは、少し冷や汗をかいているようだった。
当然だ。俺たちに協力を依頼するのは、つまり力が足りないということ。ここにいるのは、良くてレベル四十程度の奴が一人二人だろう。
「まさか君たちが、賊まがいの行動に出るとは」
「正義の軍団とでも思ったか? 残念だが俺はそんな高尚なもんじゃない、水」
俺は、あえて殺傷能力の高い水を選んだ。
バッツはこの剣の効力を知っているのだろう。
「だいたいな、イェーガーを討伐したのだって、あの腹黒王子のせいなんだよ」
「……」
「知ってるよなお前、イェーガーの名前出した時、しっかり反応してたからな。あの時の王様誘拐事件、イノレード政府の仕業だったってことか」
「トーネルの国力をそれなりに混乱させ、疲弊を狙うため、仕方なかった」
「陽のカードを狙ったのは?」
「タスク一味との、交渉材料を得るためさ」
「贅沢はするもんじゃなかったな、馬鹿野郎が」
この分だと、こいつはタスクの情報をかなり持っているな。
協力関係じゃ得られないような秘密を、得るべきか迷った。
いや、今は脱出が優先か。
「おいバッツ、どうする。このまま戦闘を開始してもいいが、ここの脱出方法を正直に教えてくれれば、犠牲者は出ないですむぞ」
「そうだね……こうするしかなさそうだ」
バッツは何か手で指示を煽る。
何をする気だ。ロボもいるし、俺だって攻撃の気配には敏感だ。そうそう倒されたりしない。
だが、敵の取った行動は、俺たちへの攻撃じゃなかった。
「……なんのつもりだよ」
「見ての通りさ」
バッツはイルに指示を出して、ラクにナイフを突きつけた。
まるで人質のようだったが、わけがわからないな。
「君たちが下手に動けば、ラクの命はないと思ってくれ」
「いや、わけわかんねぇよ。あんたの仲間だろ。そんなの俺は構わないぞ」
「話は最後まで聞いてほしい。私達は君には勝てない。だから、逃げるまでの間、ラクの命を人質に取ろうというということ」
「だから」
「私たちが逃げることを許可するのなら、そこにいるラクを君たちの捕虜にするといい。彼女はこの街から脱出する情報を持っている。つまり、尋問次第じゃ、ここで戦闘することなく情報を得られるはずだ」
バッツは、わざとらしくロボをみた。
しまった、そういうことか。
今度は俺が、嫌な顔をする番だった。
「もし、関係ないといったら」
「残念だが、ラクは確実に死んでしまうね。私たちもそれなりの抵抗をさせてもらう。彼等は、私を守るためなら命を賭けるよ」
「……アオ殿」
ロボが、俺に話しかけてきた。
そう、バッツの交渉は、上手くいけば犠牲者も出ず、俺の要望も叶い、この街から早く脱出できるという、表から見ればいいことだらけの話なのだ。
そしてロボは性格的に、犠牲者を出さないのであれば、そちらを優先させたくなる。
ロボは、無理を言えば俺の言うとおりに動くだろう。
俺は、ロボの希望を突っぱねるべきかどうか。
バッツは、そんな俺の背中を押すように、口を開いた。
「もし、ラクが死ぬことになれば、君は絶対に後悔するよ」
「どういうことだ?」
「言葉のままの意味さ」
バッツは、いやらしい笑いをこちらに向けて、はぐらかす。
いっそ殺してやろうかと、変な衝動まで芽生えそうだった。
「どうする?」
だがバッツは、そんな思考すらうやむやにするように、悪いタイミングで声をかける。




