第百二十話「むかんしん つれだって」
この街の裏路地のさらに迷路のような家々を渡って、どんどんと奥へ進んでいった。
前に、トーネルで奴隷商人のいる場所を探した以上に手間のかかる移動だ。というより、この街は奥へ行けば行くほど入り組んでいて、一度通れば二度と同じ道に来ることはないんじゃなかろうか。
「ロボ、大丈夫か? 置いてかないでくれよ」
「問題ありません。万が一はぐれても、ワタシが見つけましょう」
自信満々に、ロボは歩いていく。
「も、もしはぐれるのが心配なのでしたら……手を繋ぎましょう」
ロボが恥らいながら手を差し伸べる。
俺は普通にその手を握り返した。確かにこれならはぐれないな。
「……アオ殿」
「なに感動してんの?」
この手フワフワして気持ちいいな。肉球あるし、ふにふにしたくなる。ふにふにしよう。
「あの、アオ殿。その」
「ん、ああ、到着か」
奥へ進んで、勘の悪い俺もやっと気づき始めた。
人がいる。
「……なんでだ」
「アオ殿?」
「なんで、こんなところばっかに」
路地裏には、いくつかの窓が、カーテンによって外の景色を映さないよう締め切られていた。
人がいるのは、その閉まったカーテンの中に限られる。
たぶん、一部屋に一人だろう。生活観みたいなものがわかっても、会話がない。動く物音も、一人分だ。
「人がいるのはわかった。でもみんなして隠れるように、しかも一人で暮してる。さらに言えば、どうしてかその一人からかなりの距離を置いて、他の場所に人がいる」
「わざと離れているように見えます」
わざと離れる。
まあ、マンションとかでも騒音を避けるために隣同士にならないよう間を空けたりするから、そこまで変じゃないのかこれは。でも、それでもやっぱりおかしい。
「なんというかこれは、俺みたいな」
「……っ! アオ殿!」
ロボに言われると同時に、敵の気配に気づく。
俺はこの狭い路地でバックステップをする。横に飛べば壁にぶつかりそうだ。
俺とロボの前に、人影が下りた。
そいつは全身をターバン付きマントみたいなので隠して、俺たちに目で威嚇する。
「誰だ貴様」
「いや、お前こそ誰だよ」
俺たちへ攻撃の気配があった。それだけは確かだ。
もしかしたら、取り押さえてから言うつもりだった台詞なのかも。
「……土」
「アオ殿、ワタシの後ろに」
「盾なのに後衛」
「何だこの犬は……喋るのか」
人影の口調からして、こいつは男だろう。でかいチャクラムを手でぐるんぐるん振り回している。
「火円」
そのチャクラムが火を帯びる。チャクラムからいくつもの炎の輪が飛び出してきた。
「地獄車みたいだな」
「なんでしょうそれは」
「な、効かないだと!」
ロボのが左手で一度弾く。何も特殊能力はなさそうだ。その後も連続して飛んできたが、ロボの体を焼くことすらできない。
まあ、そうだよな、普通に考えれば。
「縛って」
俺は盾にお願いをして、足元に杭を当てる。出てきたのは地下水だろうか、水の鞭が男の体を絡め取った。
「くそ、なんだこれは!」
男は慌てて逃げ出すも、俺の触手はこの路地を埋め尽くす。あっけなく、簡単に捕まえた。
戦闘は、危険という危険もなく、敵を拘束して終了した。
「さて、どうするか」
「……妙ですね」
「はなせ!」
ロボは男を無視して、辺りを見渡す。特に見ていたのは、人がいると思っていたあの窓だ。
「まるで、反応しません」
「そういえばそうだな、結構大惨事だろ」
特に、男の出した火のリングは建物にぼやを出したぞ。そこまで燃え広がらなかったけど。あれはこの男の特殊能力かこの街の不思議要素かもしれない。
「火円!」
男は頭を振り回して、また火の輪を繰り出す。
ロボはそこまで気にせずてで払おうとするが、その手が拘束される。
「む、これは」
見ると、建物にも火の輪が当たっている。それとロボを、手錠のように繋ぎとめていたのだ。
熱があっても燃えないのは特殊能力だったか。
「アオ殿、これは曲者と見えます」
「まあ、最後っ屁だがな」
拘束された男は、ぐったりとして動かなくなる。盾の触手で締め付けすぎて、弱らせすぎたかもしれない。
最後の攻撃でターバンが外れて顔が見える。とくに印象もない、結構気が強そうな男の顔だ。
「……ちく……しょう」
「おい、まだ起きてるよな。ちょっと聞きたいことがある」
「それは、こっちの……台詞だ」
拘束されて今も苦しいだろうに、男は強気に出ている。女の子だったら騎士だな。
たぶん、この男から情報を聞き出すよりも。
「ロボ」
「御意に! そこにいる伏兵に告げる! この者の命を保障させたくば、この場にて行った狼藉の理由を述べてもらう!」
「駄目だ出るな!」
拘束された男が叫ぶ。
敵は一人じゃなかった。ずっとこちらに敵意をぶつけていたせいか、ちょっと気配が漏れていたのだ。
たぶんロボは、そんなことより前に匂いで気づいただろうけど。
もうひとりの敵は、案外裏をかくことなく、両手を上げて俺たちの前に現れた。ロボもいるし、さらなる伏兵はいないと思う。
拘束された男と同じように、全容が隠れるマントを身に着けている。
「よし。じゃあまず出てきたあんたに聞く。何故襲ってきた」
「……ここに居るには、不自然だったから」
「不自然?」
何を言っているんだ。あれか。
「もしかして、巨大な犬のことを言っているのか?」
「違います。連れ立って歩いていることが、誰であれすでに怪しいのです」
「話が見えませんな」
ロボの意見には同意する。どういう意味だろう。この場所って言ってるし、この街に関係ありそうだけれど。
どう応えるべきか。下手に無知を晒すと後々痛い目を見そうな感じが。
「ワタシたちは、この場所がどこかもわかっていません。偶発的な事件からこの場に降り立った次第。願わくば、事情を説明いただきたい!」
俺がそんな思案にふけっているうちに、ロボが無知を晒していく。
もういいや、なるようになるだろ。
「……それは、本当ですか?」
「真である!」
新手のマントは顎に手を当てて、何か考え込んでいる。
次には耳に手を当ててぼそぼそと喋り始めた。たぶんあれはトゥルルの魔法かも。
しばらく待つこと、通信魔法を切った新手のマントは、俺たちに向き直る。
「信じましょう」
そして次には、頭に付いたフードを取り払って、俺たちに頭を下げた。
現れた新手マントの容姿は、女の子だった。綺麗にパーツを揃えた容姿はそれなりに可愛い。でも、表情はどこか諦めに似た落ち着きを感じる。
「私たちの主は、あなた達が何らかの事故でここにたどり着いたのなら、情報を提供すべきとのことです。ただその前に、まず彼を放していただけないでしょうか」
「攻撃してこないのよな?」
「ええ……イル、彼は攻撃しないようにと」
「……了解した」
拘束されていた男は、どうやらイルという名前らしい。とりあえず距離をとってから拘束を解く。
イルは俺達を睨みながらも、礼儀正しくお辞儀をした。たぶん、いきなり襲ったことへの謝罪か何かだろうか。
「主って誰だ?」
「よろしければ、それも兼ねて彼に会っていただけないでしょうか。無理にとは言いません」
突然現れた情報提供者。とっても怪しい。
しかし、まあ。
「行きましょうアオ殿」
「だな、このまま無駄に歩くよりはマシかもしれない」
「ありがとうございます」
女の子が笑う。どうにも、社交辞令とも本当の笑顔とも取れない、不思議な微笑だった。
「私の名前はラクシュミー、ラクとお呼びください。そちらにいる彼は」
「イルだ」
ぼそりと、イルが呟く。まだ警戒を解いていないのが丸わかりだな。
わかりやすいイルと、なんだかわかりにくいラク。対照的な二人にどこかアンバランスさを感じて、苦笑いがこぼれる。
「では、付いてきてください。私の主は、かなりの奥地に居を構えているので」
ラクはそんな俺の表情に眉をぴくりともせず、その笑顔のまま俺達をエスコートしてくれた。
*
入り組んだこの街の、さらに難しそうな路地を通っていく。もう迷宮と呼んでもいいくらいだ。
「なあ、この入り組んだ道、どうやって覚えてるんだ?」
「何度か行き来すれば、覚えますよ」
さらっと、ラクはそんなことを言ってみせる。
「……」
イルはといえば、なにやらしんどそうな顔をしている。たぶん、ラクとは違い道を覚えていないのだろう。
ある程度一緒に歩いているせいか、いつのまにか緊張がほぐれてしまったみたいだ。
「ご安心を、アオ殿はたとえ道に迷おうともはぐれようとも、ワタシが見つけてみせます」
「ははっ、愛されてるんですね」
いや、たぶんラクの人懐っこさが、俺たち全員の緊張を解いたのだ。
「はい、ワタシはアオ殿を愛しています」
「……」
ロボが自信満々に、胸を張っていった。
その一瞬だが今ちょっとだけ、ラクの表情が固まった。やっぱあれ、愛想笑いだったか。
裏の見えにくい女の子だな。本当はなに考えているのか気になる。
「おまえらそういう」
「悪いか?」
「いや、人の趣味に口出しはしないが、もちろん、犬の趣味にも口出ししないが」
イルは本当にわかりやすく驚いている。
ここで否定したらロボが悲しむだろうが。
「ここです」
そこで、ラクが俺達の歩みを止めた。どうやら目的地に着いたみたいだ。
別段変わりない、普通の家だ。特に広そうにも見えないし、人が暮している感じも上手く隠している。
いや、もしかしたら、俺たちと会うために新しく用意した場所なのかもしれない。
変に罠とか張られたら困るな。ロボが何でも耐性あるからって油断していると痛い目みるきがする。
「ロボ、一応」
「わかっています。この姿の方が、それなりに鋭いですから」
「どうぞ」
ラクが扉を開いて、俺達を促す。
「一応、先にあんたたちが入ってもらってもいいか?」
「かまいませんよ」
「なら俺が入る」
先にイルが入り、次にラク。何も問題はないようだ。
「アオ殿、警戒しすぎでは?」
「……それもそうか」
あんまりビクビクしてたら、それこそ大切な場面で油断するかもしれない。張り詰めれば張り詰めるほど、それを解いた時に油断するし。
肩をほぐしながら、やっつけ気味にその家の中へ入っていく。
その家には、シンプルに一個の机があるだけで、他には何もないところだった。やはり、俺たちのために緊急で用意した場所なのだろう。
中にはイルとラクを含め、複数の似たような服装をした奴らが数人ひしめいていた。どれもそれなりの警戒心をこちらに向けている。
「最初に、私の個人的なことを言わせてもらおうか」
その中心で、一人だけ椅子に座っている男がいた。
マント集団の中で、ただ一人清潔な黒スーツを着ている。髪も昨日今日切ったばかりみたいな、無駄を省きつつも、それなりに見た目が整っている。
「イレギュラーだが、悪くない」
男は偉そうに肘を突き、俺に着席を促す。
俺はその椅子に座って、遠慮も無しに睨みつけた。
「あんた誰だ? 俺はアオだ」
「私はバッツ。歓迎しよう」
「……バッツ」
後から入ってきたロボが、その名前を復唱する。なにやら、覚えがありそうな雰囲気だ。
「知ってるのか?」
「いえ、失礼ながら。人違いやも知れません」
「人違いじゃない」
バッツはいすにもたれながら、両手を組む。
「私の名前はバッツ。イノレード政府宰相だった男だ。まぁ、一ヶ月くらい前にイノレードそのものが崩壊しただろうけど」
イノレード政府、宰相。
その肩書きを聞いたとたん、俺は背筋に虫でも張り付いたような悪寒を掴む。
*
俺たちが沈黙していると、バッツは軽く息を吐いてから、口を開いた。
「知らなかったかな、これでも私はそれなりの地位にいたつもりだったが」
「知ってるよ、イノレード政府は、よく知ってる」
ロボたち才能のある者を見出して、国力増強を図った狂人集団。それが俺の中にあったイノレード政府の印象だ。
確か宰相って、トップクラスに偉いよな。
というか、イノレード政府はタスクにあらかた殺されたと聞いていたが。
「幽霊じゃないだろうな」
「生きているよ。なるほど、そこが気になっていたか」
バッツはポケットからハンカチを取り出すと、自分の爪を拭き始める。何も変なものに触れてないのに。
つか、気になっていたのわかったなら事情話せよ。
「君たちのことはよく知っている。ネッタ戦争に助力をした、アオとロボだね」
俺たちの疑問をまるで気にすることなく、バッツは自分のしたい話を始めた。
「二人とも、戦闘力だけで言えばあのグリテに近づくほどのものがあるそうじゃないか。君たちが着てくれたのは朗報だろう」
「何の話をしているんだよ、俺の知りたい情報をよこせ」
「知りたい情報、とは?」
バッツは回りくどく、あえて俺に聞いてくる。
たぶん、会話を自分のペースに持ち込むためだ。
「ここはどこだ。俺たちは事故みたいなのでここに迷い込んだんだ」
「事故……ねぇ」
でも、情報は相手のほうが勝っている。まだ相手をかき回す時じゃない。
バッツは何か含むように口元を歪ませた。




