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第百十九話「いちばん いぬ」

「……アオ殿、デートの続きをしても、よろしいでしょうか?」

「続き?」


 ロボはうずめた顔をさらに俺の腹に押し付けて、ぐりぐりする。


「逢引の最後とは、伽にて締めるものと、聞いたことがあります」

「……」


 ああ、そういえば、イノレードの時もそんなこと言ってたな。


「だ、駄目でしょうか?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 まさか、まさか俺が。

 初めて人から、そんなことを告白されるとは。

 いつも以上に動揺していた。


「わかってるんだよな? 言っている意味は」

「承知です! 存知です!」


 またぐりぐりと頭を押し付けられる。照れ隠しだったのか。


「冷静になれよ、俺には一応、ラミィがいる」


 操を立てるというわけじゃない。元々あいつは奴隷と主人の関係だ。完全に俺にとって自由権がある絆ではある。

 そういう理不尽な関係だからこそ、奴隷なのだ。

 でもだからといって、二人目を作るということは。


「わかるか? 俺はラミィもロボもどっちも好きだ。愛してる。だが恋とかそういうのになると話が違う。俺は確かに、お前にそういうことを言われるのはとても嬉しい。でもな、どれだけ俺が二人を一緒に愛していたって、かならずどっかで差が出るんだぞ」


 恋に絶対な平等なんて、ありえない。

 風に揺れる振り子のように、吐息一つで比重が傾いてしまう。


 俺だったら、愛してもらうのなら誰よりも一番に愛してほしいのだ。

 ラミィが他に好きな人が出来たとか言い出したら、俺は速攻奴隷解除して二度と会わない自信だってある。いや、下手すれば死ねとか命令するだろうな。


 そんな、一番に愛してくれないかもしれないという不安を抱えて、奴隷でないロボはこの状況を受け入れられるのか。

 ロボがゆっくりと起き上がる。俺を押し倒したまま、俺を逃がさないように、両腕だけ立てて、見下ろすように俺と睨みあった。


「構いません、ワタシは末席でも、ラミィ殿とフラン殿の次で、構いません」

「そんな嘘」

「嘘です。わかっております。それでもワタシは、アオ殿に、愛してほしい」


 ロボは俺を押し倒したまま、俺の瞳を覗き込むようにじっと見つめた。心の底まで照らしてしまいそうなほど、真っ直ぐな瞳だった。


「ワタシは、一度死んだも同然の女です。マリアは一生のうちに、一度も恋をすることなく逝ってしまった。でも、アオ殿に会い、時に衝突し、支えあう二人の関係を知り、始めて、恋がなんであるかを教えてくれました」


 銀色の髪が俺の頬にかかる。うっとおしくは感じない、何か胸を揺さぶるような、蠱惑的な肌触りだった。


「だから、行き過ぎたこととは承知しています。でもどうか、この一度死んだ身に、女としての幸せを、教えていただけないでしょうか」

「……」

「今日だけ、ワタシを、一番にしてください」


 とても艶やかなのに、気品を感じるほどの告白だった。

 もし、人としての良識があるのであれば、断るべきなのだろう。


 でも残念なことに、俺は屑だった。


「後悔するなよ」

「……ありがとう」

「ただ一つ修正させてくれ。俺はなし崩し的にとか、言われて同情とかじゃ、絶対ない」


 本当に、俺は自分で言ってて恥ずかしくて、口だって震えている。


「ロボ、お前が好きだ。愛してる。一緒になってくれ」


 やっぱり、こういうときに上手いことは全然言えなかった。



 知らない人の家でごめんなさい。

 俺は夜を終えたこの知らない民家の一室で、夜の前に適当に敷いたシーツの上で寝転がっていた。

 すまない、フラン。


「アオ……殿?」


 隣から、ロボの声が聞こえた。まだ夜は明けていないので、ちょっとうとうと声だ。


「大丈夫だよ、俺も少ししたら寝る」


 あ、こういうときは起こしちゃったかとかクールに言わないといけなかったかも。

 もぞもぞと、シーツの中でロボが動く。なんというか、夜布団に入ってくる猫みたいだな。


「アオ殿、ありがとうございました」

「……御粗末さまです」

「いえ、ワタシのほうがです。ジルとジャンヌが死に、ワタシはずっとそのことから逃げる理由に、アオ殿を使ったにすぎません」


 ロボが、俺の真横からひょっこりと顔を出す。


「そんなワタシに、ここまでやさしくしてくれたのは、ほかならぬアオ殿です」

「いえいえ」

「情事とはここまで素晴らしいものでしたのですね。まるで愛で満たされるような、充足感を覚えます」

「あー」


 ロボ、そいうのはな、実戦経験の賜物なんだよ。

 どれだけ才能なくて下手糞で上達が遅くて、アオくんってすぐだよねとか言われても、実戦をこなしていけばそれなりになるんだよ。


 もちろん、下の口が裂けてもいえません。

 まあいい思い出になったのならいいじゃないか。

 ラミィに感謝しろよ。他の女の話題出すわけにはいかないので、心の中だけで呟く。


「……あ」

「アオ殿?」

「思い出した。ちょっと待ってろ」


 俺は脱いだ服の中からカードケースを取り出す。

 ふると、からからと音が鳴った。よし、まだある。

 ケースを開いて、その中にあったちっちゃな鉄片を取り出した。


「ほら、プレゼントだ。カードケースにでもぶらさげとくといい」

「……これは? 如何物でしょう」

「魔法陣四つの破片の一つだ」


 マジェスを出る数時間前にこさえたものだ。フランの壊れた大砲の破片に魔法陣を書き込んで四つに割り、ストラップに変えたものだ。


「俺、フラン、ラミィ、そんでロボの合計四つだけの逸品だよ。いや、見栄えが悪いからただのガラクタといえばそれまでだけど」

「ワタシたちだけの、装飾品」

「ああ、この破片にはフラン特製の魔法陣が書き込んである。世界に一つしかない魔法陣だ。俺たち四人が集まった時だけこいつの形がわかる。陣に効力は何もないけど、俺たちのき、絆の……な、証みたいなもんだ」


 なんか言っててすごい恥ずかしくなってきた。すっごい臭いアイテムだなこれ。

 ラミィとかだったら、もっと上手く言えて、こんな感じじゃないんだろうな。


「……ありがとうございます」


 目の前にいるロボは、そんな俺のつたない台詞にも感動し、破片を持った俺の左手を握ってくれる。

 それなら、いいか。


「明日も早いからな」


 ただ、こんな綺麗な夜でも不安は付きまとう。

 あれから、イノレードはどうなったのだろう。

 たぶん、あの戦いはタスク一味の勝利だ。一時撤退したとして、他のやつらは大丈夫なのだろうか。

 もしかしたら、俺たちのこの場所以外は、消滅なんてしていたら。


「また……明日」


 ロボの夢うつつな言葉が、そんな思考を着付けてくれる。

 ……やめよう。所詮は予想の域を出ない。

 俺は寝返りを打って、もう何も見ないよう目を瞑る。



 後悔とは常に、朝にやってくる。

 これは誰の言葉だっただろうか、なんかのAVかもしれない。

 朝の光が、誰とも知れない部屋の中に灯を差し込む。丁度、俺の顔に日が当たった。


「う~ん」


 まだ眠たい体はその光を避けようと、本能的に寝返りを打つ。

 ぽふっと、何かに顔が当たる。


「さらさら……ふわふわ」


 口からこぼれるほど、さらさらでふわふわな感触だった。服に柔軟剤でも使ったような感触だ。

 いや、これはもっとこう、生命的なもの。そう、俺の家にいた犬のような。


「ぶ!」


 俺は飛び起きる。

 これは、毛皮! 


「ロボ!」

「……うどの~」

「違う!」


 まだロボはまどろみの中にいた。

 ごろんと体を俺に向けて、抱きしめてくれる。


 犬の体で。


「お前! 犬に戻ってるぞ!」

「我が身はすでに畜生でございます……」

「うぉおっ!」


 俺は自由な左手で、ロボの鼻っ柱をつつく。

 すると不思議なことに、目をパッと開いて、いつものロボに戻る。


「むっ!」

「ロボ、大変だ」

「いかがいたしましたか」

「犬の姿に戻ってる」


 ロボは俺の体から手を離して立ち上がる。自身の体を一通り眺めてから、視線は俺のもとに戻ってくる。


「どうしましょう」

「俺に聞くな」


 つか、完全にもとに戻れたわけじゃないのかよ。

 戦闘後も全然変わらなかったから、もうあの美女形態がデフォルトだと思ってたのに。

 ロボは傍らにおいてあった篭手をつけながら、なにやらうんうんと頷いている。


「篭手と会話?」

「いえ、なんとなくですが……どうやら、ある程度の時間制限がありそうですね」

「ある程度ってどの程度だよ。かなりの間人間だっただろ」

「おそらく、その時々によって変わると思われます。今回長時間の変身を遂げられたのも、ジャンヌとの決着という意が強かったからだと」

「じゃあ、そのときのテンションによって変身時間に制限がかかるのか」


 まあ、あれで元通りなんて上手い話もないよな。


「ロボが人間の時の能力はかなり強いから期待していたが、欠点が出来ちまったな」

「いえ、あの呪文そのものにも弱点はあります。たとえば時間制限が最たるものでしょう。どれだけ無限の質量を生み出そうと、それを介するワタシ自身の不甲斐なさがあります」

「時間制限、そんなのがあったのか」

「はい、連続使用の限界を超過すれば、ワタシ自身の体にその反動が現れる仕組みです。昔の話になりますが、その影響で一度、ワタシの体はほぼ再起不能な状態にまで陥ったことがあります」


 ロボがちょっと気まずそうな顔でそのことを説明する。

 ああ、知ってるよ。

 あの過去の話で、ロボがああなった原因か。そうだよな、あれだけ無敵の力を誇っていたのに、何故ああまで怪我をしたのか全然わからなかったもんな。

 マジェス軍に対して、かなり長い間魔法を使ったからああなったと。


「おそらく、あの体を保つのにも魔法が必要となりましょう。少しずつですがその力を消耗し、限界を迎える前にテレサの篭手が発動を停止させる。といったところでしょうか」

「じゃあ、女状態のときは常に魔法を使っているのか」

「それでもあれだけの時間は、マリアだった頃にはなかったものです。テレサの篭手と、土ではなく地のサインレアによる影響でしょう」


 物理法則を気軽に超えられるのは、やっぱ二つの伝説があってこそか。


「じゃあ、再起不能になる前にロボは犬に戻っちまうわけか」

「その推察どおりでしょう。もどかしい限りですが」

「何言ってんだよ、リミッターのない力なんて欠陥もいいとこだ。人間だってそれがあるから関節を壊さずに生活できるわけだし」


 なにより、ロボがまたあの状態にならないことは素直に安心できる。

 テレサの篭手なりの気遣いだろう。

 生きていても、あの状態じゃ辛いだろうからな。


「でも、ちょっとがっかりだな」


 あの美少女状態のロボになつかれるのは、まんざらでもなかったんだが。


「で、でしたら。なれる間は常に唱えることも可能で……す」


 ロボは俺の言葉に恥じらいを覚えつつも、提案する。もう全然萌えない。


「却下だ」

「なぜです!」

「俺が必要だと思ったときだけ、開放するようにしろ。戦闘でも、夜でも」

「アオ殿は……この畜生の方がこのみでしょうか?」

「違う! どっちも好きだが、愛してるのはって聞かれたら人間の方だ」


 俺ははっきりという。必要だと思ったときだけ。


「そのほうが、ロボにも負担かからないし。何より……何より」


 どういえばいいか、こういうとき。

 そう思って、少女漫画の台詞を思い出す。


「その姿は、二人だけの秘密にしたい」

「……はっ! かしこまりました」


 ロボが景気よく畏まった。よし、成功だ。

 この姿でいろという命令は、ロボのためでもある。だが一番の理由は俺の独占欲から来るものだ。


 よくラブコメで眼鏡を外すと可愛いクラスメイトの子ってのがいる。そういう子って何故か中盤で垢抜け始めてコンタクトに変えてクラスの人気者になったりする。

 違う、そうじゃないんだ。

 そのヒロインの可愛さを、主人公だけが知っているからこそ、いいのだ。

 たとえ周りがなんであのブスと一緒にいるんだと罵っていても、主人公だけは本当のかわいさを知っている。そんなのが好きなんだよ。

 美人だと周りに自慢したいのはわかる。でもヒロインはモブ達の見せ物じゃない

 秘密の共有って、男女問わず華だよな。


「それではアオ殿、これからも探索を?」

「おうおう、とりあえず前とは違う場所でもかな」

「ワタシに提案があります」

「提案?」


 そう聞くと、ロボはなにやら鼻をぴくぴくさせて、外に視線を送る。


「なにやら、人の匂いがします。それも複数」

「まじか」


 犬の能力もデメリットばかりじゃないな。それに魔法なしであの毛皮はかなり強いだろうし。使い分けか。


「斥候に向かいましょうか?」

「いや、一緒に行こう。その前に歯を磨こうな」


 街にいるわけだし、それくらいはするべきだろう。朝起きたら歯を磨く。この異世界でも常識だ。


「一応なにか口に入れたほうがいいし、どうせなら着替えた方も」


 なんだかこの街って、やけに充実してるよな、設備とか。

 たぶん、ひとりでも生活していけるだけのライフラインが整っている。何のためかは知らないけれど。


 とにかく、使えるだけの身だしなみを揃えることは大切だ。


「初対面の、人に会うんだからな」

「さすがアオ殿。第一印象を大切にしております」

「いやいや、常識だろ」


 ロボは犬になったせいで頭まで野生に帰ったみたいな感じだ。いや、人間の時もこれくらい言いそうだから怖い。


「と、当然ですがワタシも身だしなみは気をつけます! アオ殿によく見られたいのは、畜生のときであろうと変わりません。ただ、最近は物騒な戦場が多くて」

「わかってるよ」


 思えば、イノレードでずっと戦ってたもんな。野生が染み付いてもおかしくない。

 慌てるロボを見ていると、主が家に帰ってきてはしゃぐ犬を思い出す。


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