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第百十八話「りんご べびぃ」

「なんで誰もいないんだよ、神隠しか?」


 あれだな、千と千尋の不思議の町みたいな。だとすると、昼だけ誰もいないとかか。ありえそうで怖い。


「もうすこし、奥までいってみましょう」

「あ、ああそうだな」


 ロボの台詞に安心する。

 というのも、この街にはまるで音がない。普通に話す俺たちの声が、路地裏にまで響きそうなのだ。

 一人で来たらとんでもなく寂しいだろうなここ。


 タイルか何かで床は舗装されていて、それなりに文明はありそう。階段もへたな地球よりはずっと整っている。


「つか、ほとんど人の通った跡がないんだなここ」

「いえ、僅かですが営みがあります。犬のときほど匂いを感じませんが、なにやら人が皆無というわけではなさそうです」

「どっかにいるのか」


 道の端に流れる水流も、泥一つなく綺麗に澄んでいる。そのまま飲んでも大丈夫な気までする。飲まないけど。


「音のない街ですね……穏やかですが寂しく、物悲しいものを感じます」

「でも困ったなこれ」


 人が見つからない。

 結局俺たちは、今どこにいるのかすらわからない。


 ふと、またオープンしたままの商店が眼に止まる。値段も書いていない果物がいくつも並んでいて、おいしそうです。

 あの戦争の最中、食ったものなんて携帯用非常食くらいだからな。もう手元にはないし、それなりに腹も減った。


「でもなぁ」

「アオ殿?」


 こういうのって、食うと絶対危ないと思うんだ。それこそ豚になりそう。

 ロボは俺の視線の先を理解したのか、優雅な足取りでその果物屋に向かって歩く。そして、とくに気兼ねすることなく、そこにあったリンゴを手に取った。


「ロボなにしてるよ、勝手に取ったらあかんぞ」

「いえ、少し気になりまして」


 ロボは、篭手の付いたほうの手でリンゴを持ち、なにやら眺め続ける。

 そして、そのまま口に入れた。


「おい! 駄目だってぺっぺしろ!」

「ご安心ください。お代はこの場所に置いておきます。味も普通です」


 そうじゃないって。

 俺はこれから風呂で働かせてもらうのか。女の子のロボが犬じゃなくてこんどは豚になるとか。

 嫌な不安ばかりが募る中で、テレサの篭手が光った。


「……その篭手」

「はい。魔原構造そのものから、何か不純物がないかも調べられます。もちろん呪術魔法の類もです。セイブーン以上に正確で、ワタシにもわかりやすく情報が手に入ります」


 ロボはそういうと、その篭手で俺に触れる。


「アオ殿、少々空腹を感じていますね。あと肩の調子も少し悪いようで……お待ちを」


 ロボが大きく息を吸うと、それに呼応して篭手が輝く。

 そして出現した光は触れていた俺の体にも届き。


「か、肩こりが!」

「はい、このようなことも出来ます。テレサのレジストそのものを受け継いでいますね」

「すげぇよ、湿布いらずだ」


 いや、本当にすごいよこれ。もし地球に帰らないといけないのなら持ち帰りたいものナンバーワンかもしれない。


「湿布とは……とにかく、アオ殿、テレサが大丈夫といっているのです。彼女を信じてくれないでしょうか」

「そこまで言われると、信じるか」


 ロボを治してくれた借りもあるし。

 思えばテレサには助けられてばっかりだったな。学校に行くのだって、むしろ俺にばっかり利益があったし。

 そういえば食堂おばちゃんとかどうしてるんだろうな。爽やか教師はたぶん生きてる。


「手にとって、かじる」


 ガブリと。

 リンゴってやっぱり皮ごと食べるのがベストだよな。まあ知らないところのリンゴをかわごと食べると寄生虫とか怖いけれど。テレサに悪意があったら死ぬな。


「どうでしょうアオ殿」

「普通じゃね」


 リンゴらしい甘みがある。嫌いじゃない。そこまで好きでもない。リンゴって元々はすごい苦いんだよな、この世界でも品種改良されてるのかも。

 でも、誰もいないこの店に何故生ものが自然と置いてあって、食べることが出来るのか。


「この街、ほんと不気味だな」

「個人的な意見ですと、雰囲気はよろしいのですが」


 ロボは辺りを見渡しながら、ちょっとだけ穏やかな表情をしている。

 確かに、神秘的な感じといえばいいか、誰もいないからこそ出来上がった聖域みたいな、そんな印象はある。


「まあ、それなりに回ってみるか、食い物には困らないし。脅威は感じないし」


 なんにしても、探索と情報収集は必須だ。

 俺は左手に持ったリンゴを右手に持ち替えようとして、


「あ」


 ぽとりとリンゴを落としてしまった。

 右手がないのだから、当たり前だ。


「は、情けない」


 乾いた笑いがこぼれた。

 戦闘も終わって、それなりに食料も手に入れて、安全が確保された途端にこれだ。人間、ほんとうに終わった瞬間こそ感情が緩む。


 右手がなくなった。


 今更になって、この事実にガッカリしてしまった自分がいる。あの時はこれしかないと思っていたし、正しかったとも思っている。

 それでも、もっと上手くやれたんじゃないかと、考えてしまう。ジルだって――


「アオ殿!」

「うぉ!」


 ロボが、いきなり俺の後ろから抱きついてきた。

 俺はたたらを踏んで、前のめりにならないよう踏ん張る。いきなり飛びついてくるとか、ほんと犬みたいなことをする。


「デートをいたしましょう!」

「へぁ?」


 唐突に、ロボにデートの提案をされた。


「なにそれ」

「アオ殿とワタシはすでに一蓮托生の身、そして互いに愛し合っていると見ています。それならば、二人で逢引をするのが道理」

「いや、わけかわんねぇよ」

「約束をお忘れですか!」


 息がかかるほどの耳元で叫ぶので、耳がキンキンする。あと首をぐいぐいされるのでなんか伸びそう。

 俺も、犬ロボ相手だったらよくやってた気がする。


「約束って?」

「はい! イノレードでの約束です」

「ああ、そんなのもあったな」

「……もしかして、本当にお忘れでしたか? もしや、口約束だけなどと」

「覚えてたよ! 口約束だけじゃないって」


 ロボのペースに飲まれている。

 というか、俺が女ロボにたじたじなのかもしれない。見た目ってやっぱり大切。


「なら今一度、デートをしましょう!」

「別にかまわないけど、いいのか? デートもなにも、俺はここの楽しみ方なんてなんも下調べしてないし、デートじゃなくても二人で回るんだぞ」

「よろしいのです」


 ロボが俺の目の前に回りこんで、えっへんと胸を張る。何で偉そうなんだろ。

 ふと、俺自身の視線が、心が、いつの間にかロボの滑稽さに惹かれていた。笑いが、伝染する。

 右手がなくなったこととか、そんな悲しいことに浸る暇を与えさせず、ただひたすらに俺と何かしようとする。


 もしかして、ロボは俺を励ましてくれたのかもしれない。

 ロボが、一番辛いかもしれないのに。


「さ、アオ殿行きましょう!」

「あ、え」


 ロボが、満面の笑みで手を引いてくれる。俺の心を引っ張るように、明るい場所へ引き出すように、どんどんと前に進んでいった。

 まぶしいなぁ。


「おいロボ、どこに行くんだ?」

「わかりません! だから、一緒に探しましょう、楽しい場所を!」


 わかりませんと、はっきりものを言う。

 それなのに、俺にどうすればいいのか、行動で示してくれる。

 たぶん、俺は今日だけなら、この世で一番の幸せものに思えただろう。



 最初に向かった大通りを抜けると、噴水があった。

 誰もみていないのに、クソ真面目に綺麗な水が延々と流れ続ける。俺とロボは近づく。

 俺は気晴らしに十円玉代わりの石を投げ入れる。ロボにちょっと怒られた。

 ロボは気兼ね無しに噴水の水を飲み始める。いや、そういう飲むものじゃないと思うんだ噴水は。


 住宅街の細い路地裏に、服屋があった。

 俺の洋服もボロボロで、ロボなんかぼろにも等しいので、勝手に着替えさせてもらった。

 俺が動きやすそうな服を選ぶと、ロボはそれを投げ捨てて、この身の服を選んだ。これがいいのかどうかはわからない。

 ロボは、せっかくなのに犬のときとあまり変わらない感じの、露出の少ない服を選ぶ。

 このファッションセンス皆無なコンビである。


 夕方近くになると、変な空も赤みを帯びていく。


 夕飯をどうしようか悩んだ。

 俺はリンゴでもいいと思っていたが、ロボがあまり納得しない。デートなのはあるけれど、こればっかりは仕方ないと思う。

 でも結局何かしようと、二人ででかいホットケーキを作った。

 卵や小麦粉まで放置してあったんだから、やはりこの場所は奇妙だ。

 あと、この街を出られなかったら当分HOTCAKEなんだろうと、少し憂鬱になる。


 そうしていつの間にか、日が暮れる。


「なにもなかった!」


 本当に、この街には人っ子一人いなかった。

 どうなっているのだろう、あれだけいろんな商品やら食材やらが綺麗に並んでいるのに、まったく人がいないのはおかしい。


 俺たちは適当な家を拝借して、一泊を過ごすことにした。

 ロボの提案で、結構高い、見渡しのいい場所の建物を選ぶ。やはり煙は高いところ。


「ここでなら、誰が通ろうとも我々で察知することが出来ます」

「誰かが通ればな」


 ロボはその結構高い階層の部屋のベランダで、夜空を眺めていた。人通っても気づけないのではなかろうか。

 夜風をあびて、ロボの銀髪が揺らめく。薄布のカーテンみたいになびき、星空のように光を反射して輝く。犬ではありえないような香りを、俺の鼻に届ける。

 俺は、ロボの横顔に見惚れてしまう。昔から惚れっぽい性格だけれど、こいつは反則だろう。


 イノレードの天才は、生まれつき神にでも愛されていたのだろうか。あれだけの能力を持ちながら、これだけの容姿もかね揃えている。

 でも彼女は、マリアは幸運とは言いがたい人生だったことも知っている。


「ロボ」

「なんでしょう?」

「今日は楽しかったよ、ロボのおかげだ。ありがとう」


 俺は今日も、ロボに救われた。

 これだけは言うべきだった。恥ずかしげもなく自然と、口から出てきた。


 そう、俺は救われた。だから、順番だ。


「……アオ殿、マリアの話をしても、構いませんか?」

「好きにすればいい」


 ロボは、マリアについて口を開く。


「マリアには、大切な人がいました。それはテレサであれジャンヌであれ……ジルでもあります。こんな酷く歪んだワタシを受け入れてくれた数少ない人々でした。テレサがワタシを引き取ってくれなければ、もし幼少にジャンヌがいなければ、死を覚悟した時に、ジルが助けに来てくれなければ。思い出しては、震える夜もありました」


 ロボは夜空から視線を離さない。青く歪んだ夜空からは星が見えない。そんなつまらない空を、ずっと見ている。


「マリアは彼等に報いるため、そのためだけにここまで生きてきたのです。多くの人を助けたいなどという大儀を振りまきながら、所詮は数少ない大切な人を守りたかっただけなのです」


 数少ない大切な人。そんなの当たり前だ。

 誰だって見知らぬ人のために命をかけられない。何かの大儀を背負って、理由があって、初めて人は動ける。

 他人を助けるのに理由は必要だ。納得できないことに何も考えずに飛び込むのは、狂人のやることだ。

 マリアの考えは、ごく当然の、天才じゃなくても思いつく人の感情だ。


「しかし……マリアを覚えていてくれる人は、本当の彼女を知る人は、もうみんな、この世界にいないのです」


 テレサ、ジャンヌ、ジル。みんな、死んでしまった。


「ワタシはマリアではありません。でもそれなら、この感情の根源はなんなのでしょう。大切な何かが抜け落ちたような、そんな思いを」

「お前が、覚えてるだろ」


 ロボはマリアじゃない。ならロボが、マリアを支えればいい。

 ロボは言っていた。人に忘れられた時に、人は死ぬんだと。


「俺にも、マリアのことを話してくれないか?」


 だからせめて、俺もマリアのことを、遠まわしでいいから知っておこう。


「……あ……アオ……ど」


 やっぱり、ロボは泣いていた。

 当然だ。人として当たり前の感情を、隠す必要などないのだ。


 ロボは言葉を止めて、口を力強く閉じる。そして弾けるように、俺に向かって飛び込んできた。

 俺はもちろん、受け止めるほどの腕力も気概もなくて、押し倒されてしまう。


「いっっ」

「ワタシは怖かった。皆がワタシを見て、マリアじゃないと言い放つのが。ジルに再開した時、ワタシは否定されるのが怖くて、心を閉ざしてしまった。その事実が出てくるのを、先延ばしにしてしまいました」


 小さい俺の胸を借りて、ロボは顔をうずめる。新品の服が濡れるけれど、そこまで気にするようなことじゃなかった。


「ジャンヌにそれを言われた時も、ワタシは怖くてたまらなかった。でも、それでもワタシがあの場所にいられたのは、アオ殿、あなたのおかげです」


 俺は最初から、ロボでありながらも受け入れていた人間。

 ただの偶然から産まれた関係が、ロボの心を救っていた。まだ数ヶ月もたっていない俺たちの仲間関係が、ロボに新しい立脚点を作り上げた。


「そんなあなたが、マリアも、そして両方のワタシを受け入れてくれる。それが今、嬉しくてたまらないのです。ジャンヌを失い、生きながらえる理由すら失ったワタシの、最後の希望なのです」


 ロボの抱きしめる力が、段々と強くなっていく。


「だから、やましいワタシで申し訳ございません。あなたを、ワタシの生きる理由にさせてくれませんか?」

「当然だ」


 俺は泣いている人間にどうすればいいのかわからないけれど、ここで迷うようなことはなかった。

 ここで、何か上手いことでもいえればいいが。


「ほんと、俺以上にヘヴィだよ、愛が」


 やっぱり、滑ったと思う。

 ロボは俺の胸に顔をうずめているから、反応はわからない。


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