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第百十七話「さわる はん」

 俺が目を覚ますと、空には透き通った青が広がっていた。


「喉が……」


 ここはどこ。

 最初に感じたのはそれだ。

 壁も何もない平地だった。向こう側には岩肌のようなものも見えるが、ここにはなにもない。届かぬほど高い天井は、空色ではなく、流れる水のような青色をしていた。とてつもなく広いドームの中みたいな場所だった。


 そして次に、今までの経緯を思い出す。


 たしか、タスク一味相手に戦争を仕掛けて、途中まで上手くいったんだけれど失敗して、それで……あ!


「うぉあ!」


 俺は飛び起きた。

 今までの流れを考えれば、俺はいまだタスク一味の船に乗っていることになる。

 あれからどうなった。たぶん俺が無事ならロボも無事だろう。ということはあのあとジャンヌは死んでしまったのか?

 仮にジャンヌが死んでしまったとして、そうなれば俺たちが吐き出されあの場所に残るわけだ。それを見たタスクは、どうするか。


「俺、死んだ?」


 最初に行き着いた答えはそれだ。

 でもよくよく考えると、馬鹿らしくなってきて、否定した。


「もっと現実的に……」


 もし俺が生きていたとしたら、どういう状況なのか。

 一番考えたいのはベクターたちが戦艦を落としたことだが、そうそう上手くはいかないだろうなぁ。


「アオ殿!」

「うぉほい!」


 後ろから大声をかけられて、肩がびくりと揺れる。びっくりしたぁ。

 俺は後ろを振り返る。


「アオ殿!」

「いや、驚いただろうが」


 ロボがいたのだ。しかも美女モードのままだし。

 俺が起き上がったことを我がことのように喜んで、俺の前に跪く。


「アオ殿……よかった、あまりに起床が遅いため、いらぬ事態ばかりを想定していました」

「いや、俺は寝起き遅いからな」


 ロボの畏まる姿は、まるで王国に使える女騎士みたいだった。端正な顔立ちが銀の前髪からチラリと覗くその色っぽさは、なんとも。

 俺はちょっと照れくさくなってそっぽを向いてから、尋ねた。


「ここはどこだ」

「おそらく、天国かと」

「……ロボだ、やっぱりお前はロボだ」


 ロボが自信満々に述べるのをみて、確信した。

 見た目が変わっていても、ちょっとアホっぽいのは変わらないんだな。つかこの世界にも天国と地獄かは地球と変わらないんだな。ほんと似てる。


 だいたい、ここが死後の世界だったら俺たちだけじゃなくてジャンヌも……いや、やめておこう。


「ここは天国じゃねぇよ、死んでねぇ」

「だとすると、我々は」

「もし死後なんてあったら、俺は天国になんていけねぇよ、地獄いきだ」


 自分が綺麗さっぱりな人間だとは到底思えない。

 餓鬼のころはこういうのにびくびくしてたよな。天国にいきたいからって無駄に空き缶拾ったりとか。


「なら、ここは地獄でしょうか」

「まず死んだことから離れろ。あと俺は死後とかあんまり期待してない」

「そうでしたか、申し訳ございません」


 すっと、ロボが立ち上がる。

 丁度目線が横に合う。俺より身長あるんじゃないのかこいつ。あとその顔でじっと見つめないでくれ。


「しかし、たとえどこであろうとも、アオ殿と共にいられるのでしたら、ワタシはそれに準じましょう」


 ロボは穏やかに表情を緩めて、笑いかけてくる。

 表情が眩しすぎる!


「ろ、ロボ。そういえば服は」

「畜生の身と同じ召し物です。少々大きめですが、動く分には支障はございません」

「そうか」


 犬だった頃のぼろをそのまま着ているので、露出がなくとも服の隙間が多く、結構肌色がちらつくのだ。目のやり場に困る。


「アオ殿?」

「まあいいや、とりあえず二人そろってここがどこだかわからない。とりあえず現状を分析して、しっかり何が起きているのか、ここがどこなのか把握しよう」


 俺はロボを振り切るようにして、歩き始めた。

 ロボも慌ててついてくる。なびく銀色の髪は、とても軽そうだ。


「アオ殿……」

「ロボ、俺が起きるまでに何をしていた」

「あ、アオ殿! なにを! ワタシはなにもやましいことなど! 嗅ぐなぞと!」

「……何か辺りを探索したりとかだよ」

「いえ、ずっとアオ殿が起きるのを待っておりました」

「待ってたのか。まあ悪い判断でもないか」


 下手に動いてすれ違いになる恐れもあるし。

 ここまで広いと、ちょっと見に行くって言う程度じゃないよな。一応向こうに見える岩肌に向かっているけど。

 空だってなんだあれは、よくよく考えるとおかしいだろ。日の光はくるのに揺らめいてるんだぞ。


「もしかして、水中とか……」

「あ、アオ殿?」

「パカラでも使ってとっとと移動したほうがいいんだろうけど、まだ見える範囲に何かある以上はとっておいたほうがいいよな」

「アオ殿!」


 俺は歩みを止めて、後ろを振り返る。

 ロボだ。いつもと違って美少女なロボだ。そんな彼女が、何故か困ったように、気まずそうに俺を見てもじもじしている。


「トイレか?」

「相違です!」


 なんか、ちょっと怒ってる気がする。

 俺何も悪いことしてないぞ。むしろ刺激しないように振舞っているのだ。

 まあ、一応こいつはロボなんだし、直接聞くか。


「なんだよ、なんか不満でもあんのか?」

「い、いえ……そういうわけでは」

「はっきり言えって」

「……わかりました。仕方ありません、語りましょう」


 なんか、こんな状況前にもあった気がする。

 聞いたほうが悪かったみたいな。


「何故アオ殿は、先ほどからよそよそしいのですか!」

「………………そうでもないだろ」

「いえ! 余所余所しいです! ほら今逃走経路を図りました! 何故ワタシが一歩近づくたびに、合わせて一歩距離を置くのです!」

「き、気のせいだろ」


 いやだってさ、ロボなのに美少女なんだよ。

 今までは犬みたいに思ってたからとくに気兼ねもなかったけど。


「いいえ、確実にワタシに不満を秘匿していますね! いつもならこう、ワタシの耳裏を無駄にさわさわして、苦しめこのやろうとか言い出す頃合です!」

「おいやめろ!」

「知っております。アオ殿は何をしなくてもいつの間にかワタシの体に近づいて体をこすり付けていることを! なんで今日はそれがないのですか!」


 いや、犬って近くにいると無駄にスリスリしたくなるだろ。

 そうだよごめんなさい。完全に犬扱いしていました。


「久しぶりに会ったからだよ、落ち着いたからってそうそうなれなれしくはしない」

「ネッタでのことを思い出します。再開してすぐにアオ殿はぬくもりを求めてくれた」

「知らん!」


 ロボの懐かしむような、思い馳せるような乙女の顔をしている。

 パーフェクトボディの状態でポンコツブレインとかやめてくれよ。ぱっとみすごい知的そうなのに。

 でもやっぱ、見た目が変わったからって、扱いを変えるべきじゃないのかな。ご褒美かもしれないけど、なんかすごくこぱっずかしい気がする。


「そう、あの時、ワタシの太股を嬲りつくすように叩き」

「……そうだな、見た目で変えたらいけない」


 そうだ、思いだす。

 文章でどれだけ頑張って丁寧で綺麗でも、実際にあったらうわぁって顔をされるほど悲しいことはないのだ。

 あの時の悲しみを味あわせたらいけない。

 俺は思いきって、手を伸ばした。


「ロボ、じっとしていろよ」

「かしこまりました」


 ロボは微動だにしない。いや、ちょっと緊張で震えている。

 俺もちょっと震えている。本当に触っていいのか、戸惑っていた。美術館にある壁画に手を触れてしまうような、危なっかしさとかそんなんが。


「触るぞ!」


 すまないフラン!

 俺はロボの耳の裏を、左指先で優しく撫でて、


「はんっ!」


 すぐにそっと、指を離した

 ロボの体がプルプルと震えて、少し怒っている。


「何故離したのです!」

「なぜはぁんとかいった! 犬の頃はそんなの言ったこと一度もないだろうが!」

「は、はぁんとは言っておりません!」

「はんっもはぁんもかわんねぇよ!」


 ちょっと驚いちゃったじゃないか。

 ロボの癖にやけに色っぽく感じるのも、やはり見た目のせいだろうか。


「そ、それは体毛がないせいです。アオ殿のぬくもりを肌で直接感じる機会など、畜生の身では毛頭ありませんでした故に」

「もういい行くぞ」


 俺は構わず早足で歩き出す。

 ロボは明らかに不満そうだが、別に構わないだろう。


 よく考えろ、まずロボの不満の元はなんだ、触ってもらえないことが最初じゃないだろ。そこから来る不安要素だ。


「ロボ」


 俺はロボがちゃんと付いてきていることを確かめながら、できるだけ目を合わせないようにした。たぶん、恥ずかしい。


「俺にとっちゃな、どんな姿をしていてもロボだ」


 歩調が早くなる。

 声も小さいし、もう少し距離をとったらロボには聞こえない声かもしれない。

 それでもロボは、しっかりと俺についてきてくれる。


「仮に、お前がもし今の自分と昔の自分を別人だと思っているんならそれでもいい。俺は、どっちのロボも、好きだからな」


 耳まで真っ赤になる。こういう台詞はホント言いたくない。臭くて死にそうだ。

 俺はもういても立ってもいられなくなって、走り出すが。


「アオ殿―!」


 ロボが背中から抱きついてきたせいで、動けなくなった。

 俺はさらに心臓がバクバクとし始めて、反射的に離れようと試みる。


「わ、腕力強!」


 犬の頃ならまだしも、あの細腕にどんだけのパワーがあるんだよ。

 俺の体はロボの腕にがっちりホールドされて、動けなかった。


「ワタシこそ、アオ殿の疑惑ばかりを押し付けて申し訳ございません。そうです、ワタシがどうなろうとも、アオ殿はアオ殿なのです。変わってしまったのは、単にワタシの見る目だったのですね」

「歩けない」

「そうです。それこそワタシがされるがままというのも、勝手な思い込み。ワタシこそアオ殿に愛を振りまくべきだったのです!」


 俺の手が片方しかないから、敵を引き剥がすのが難しい。

 ロボはそのまま、俺の耳の裏を指で撫で始めた。


「そうです、苦しむべきは彼にあり!」

「クソやめろ! はんっ!」


 抵抗は無意味だ。ああ、あの時と一緒だな。

 もうかなり昔のこと、姉とのプロレスごっこの時だ。完全に技を決められて、動けなくなった俺はもう諦めの境地だった。結構こういうときって、餓鬼でも悟りが開けるんだよな。


 今回は優しさもちゃんとあって、苦しいわけじゃないけれど、とってもくやしい。

 ロボのクセに!


「歩けないだろやめろ」

「いいえご安心を、アオ殿一人を抱えながらの徒歩など造作もありません。幸い人目もありませんゆえに、十分堪能させていただきます!」

「や、らめ」


 俺はその大好きホールドから抜け出そうとする。そんな時に、ふと気づく。

 こんと、ロボの手に装着された篭手が、音を鳴らした。

 別に、どこにもぶつかった形跡はないのに、音がなったのだ。まるで、俺に話しかけるみたいに。


「覚悟!」


 ロボが、今までの辛いことを忘れたみたいに、無邪気にはしゃいでいる。

 女の子らしい、とても人懐っこい微笑と、声だった。

 よく考えれば、ロボは女の子だったんだよな。そんな彼女が、ずっと犬みたいな姿でいたっていう劣等感はどんなものだったのだろうか。


 今のロボは、まるで悲壮感がなかった。ここがどこなのかも判明して無いないし、事態の収集もついていない。ジャンヌの話だって、まだだ。


「覚悟するよ……しばらく好きにしてくれ」

「これは報復といえましょう! アオ殿、天井たる幸福をその身に焼き付ける準備をさせていだきます!」


 ならせめて、今くらいは楽しんでもらおう。

 テレサの篭手は何も言わない。あの音に気づいたのも俺だけだろう。その偶然に、身をゆだねる。


 こんと、また篭手が音を立てる。

 もちろん、悲しいことがあったあとでも、すぐに笑ってもらえるよう無理くらいします。


「アオ殿、大好きです!」

「俺もだよ……」


 俺はぶら下がったネコみたいに、マグロのように、ただされるがままその安らぎを堪能した。



 視界にあった岩場目指して歩き続けて、どれくらいたっただろうか。

 特に問題はなく到着した。


「……街だ」

「これは朗報です」


 ただそこが岩場ではなく、建物の密集した街だった。これを見た瞬間はちょっとやったと思った。

 これで少なくとも、街にいる誰かからこの場所の情報を得られる。カードだって売れればそれで駄賃にはなるわけだし。


「なんにしても、飢え死にすることもなさそうだ」


 想定していた最悪のパターンは、このまま餓えで力尽きて死ぬことだったからな。

 俺は、それなりに安心を得たことに気をよくして、カードケースをいじくり始めた。


「なに売るか……あ」

「どうかいたしましたか? なんならワタシのカードを売ることも厭いませんゆえ」

「そうじゃない」


 俺は、結構当たり前のことを見落としていた。

 それどころじゃなかったというのもあるが、理解した瞬間に違和感が不気味さを呼ぶ。


「このあたりって、全然モンスター見かけないな」

「……そういえば」


 ある意味じゃ幸運だろう。寝ている間に殺されなかったのだから。

 でも、人のいない平地でモンスターがまるっきり出現しないのは少し変だ。人間が意図的に駆除しない限りは、虫と同じくらいそこら中にいるのに。


「まあいいか、とりあえず街だ街」


 結局、色々な疑問も人に聞けばいい。

 ほんと他人って素敵。いないときばっかりこんなこと思う。


 俺たちは街の入口に足を踏み入れて、辺りを見渡す。

 第一印象は、綺麗な街並だ。風化すらしないのだろうか、それなりに大きな建物ばかりなのに、壁に汚れが見当たらない。

 たぶん、最初に着たこの大通りは商店街みたいなものだろう、開け放たれた家々から果物やら野菜が並んでいる。


「妙ですね」

「ああ、すっげぇ妙」


 それなのに、人がいないのだ。

 二回の窓だって開け放たれて、カーテンが風になびいているのに、その中に誰かがいるという感じがしない。


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