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第百十六話「いらない じゅうぶん」

「させっかよ」


 カエンが、そんな俺を邪魔するように、炎を纏った体で向かってくる。


「こっちの台詞だっつってんだろ! 炎上しろ、荒蜘蛛ォ!」


 だが、辛うじて糸を命綱にすることで船に留まっていたグリテが、荒蜘蛛を向ける。

 荒蜘蛛はカエンの熱量をも取り入れて、強引に向かおうとするカエンの身体を若干だが塞き止める。

 その隙を突いて、俺はあそこへ向かうための、体勢を整えた。

 走るのは、間に合わない。何故なら、


「さぁ、君はここで」


 タスクがくる。俺を引きとめようと、ずっとマークしていたのだろう。

 そんなのわかっていた。

 だから移動よりも優先して、俺はこのポーズを取る。


「ほんとおまえ、精霊の中でもダントツできらいだわ」

「……御互い様だね」


 すでに俺は、自身の胸に手のない右腕をおしつけて、ハープを弾いた。

 自分の体を、あの黒い塊に向かって吹っ飛ばしたのだ。


「だからさ、嫌がることでも平気でできるわけよ。クソ喰らえ」


 タスクの手を逃れ、対応されるよりも先に、俺の体は黒い泥の中へと消えていく。



 外から見たルツボの黒い泥は、たしかジャンヌとロボの二人分くらいだった。


「なんだ……」


 それなのに、この空間はその程度の大きさではなかった。端っこも見えないほどの暗闇に被われた、黒い空間だった。

 歩くたびに、足元に水面のような波紋が広がる。真っ黒な空間の中で唯一の特徴だった。


 とても静かで、何もない。そのせいで、ただそこにいる人間が歩むだけでも、世界全てに波紋が広がる。

 たぶんここは、沢山の人間は存在できない。波紋が多くなりすぎれば、ぶつかり合って壊れてしまう。

 ひたすらに不毛で、寂しい、そんな場所だ。


 そんな世界だから、銀色の頭髪であるロボを探すのは容易だった。


「ロボ」

「……」


 返事はない。

 俺の存在に気づいてすらいないのかもしれない。

 ロボの視線はずっと、前を見つめて動かなかった。そのせいで、次の声をかけることが躊躇われる。


「ジャンヌ」


 ロボの目の前には、膝を抱えてしゃがんでいたジャンヌがいた。

 俺たちが知っているジャンヌよりも、幼い。記憶の中で見たことある、子供のジャンヌだった。


「……」


 ジャンヌは応えない。目を合わせない。ただ不快そうに眉をひそめて、一人佇んでいる。

 ここがどこなのかも、どうしてこんな状況になったのかもわからない。俺はどうするべきか悩んだ。

 でも、ロボが攻撃の気配を見せないのなら、それに従おうと思った。

 俺は、待った。


「ジャンヌ」

「……こないでよ」


 何度目かの声かけに、ジャンヌが口を開いた。


「うるさいの、あなた」


 これが、今まで戦っていたジャンヌなのかと疑いたくなる。

 ただ誰も受け入れずに、一人夢の中に逃げ込んでいるような、小さな子供だ。


「ワタシをひとりにして」

「ジャンヌ、あなたはどうして、一人の殻に閉じこもる。マリアが、テレサが、ジルがいたのに、何故そこまでして、自身にこだわるのだ」

「あなたには、わからない」

「教えてもらえなければ、わからない。ジャンヌ、マリアはずっと疑問だった。たとえ人と違っても、いつかは受け入れられるはずだ。何故その架け橋に、一歩でも前に進め――」

「うるさい!」


 ジャンヌは拒絶し続ける。

 ロボはただひたすらに、ジャンヌを立ち上がらせようとして、説得を続ける。


 不毛だ。

 俺の印象はだた不毛の一つだった。

 普通なら、ロボの言葉が正しいと頷くべきだろうか、俺は違う。

 ロボとジャンヌは、まるで違う価値観をぶつけ合っているだけだ。どっちが正しいなんてない。どっちも、本人の中では正しいのだ。


 ロボは回りを受け入れているようで、所詮は自分を隠しているだけなのだ。それは本当に、すべての人間が、自らの幸せに繋がるのだろうか。

 ジャンヌは自分を貫く限り、周りから受け入れられない。周りから見れば幸せには見えないだろう。でも、自分を折れば、それは幸せなんだろうか。


 俺は、この二人に対してどうするべきなのかはわかっていた。

 たとえそれが、二人を傷つけることになっても。

 やっぱりというべきか、俺の役割なのだろう。構わない。それがこの二人の過去を覗いてしまった、知ってしまった罰だというのなら、受け入れよう。


「ふ――」

「アオ、やっぱりあなたって、ワタシに似ているわ」


 突然のことで、びくりと肩が強張る。

 隣からの、声の不意打ちだった。


 ロボとジャンヌも、俺の隣にいる来訪者に、釘付けになる。とくにロボと俺は、驚きを隠せなかった。


「じゃ……ジャンヌ?」

「ええ、ワタシもジャンヌ」


 そこに居たのは、紛れもないジャンヌだった。

 正面でうずくまる子供のジャンヌと、張り付いた微笑を絶やさない、見た目は現在のジャンヌの二人が、この世界にはいたのだ。


「なんで、あなたがいるの」


 子供のジャンヌは、不快そうな顔を隠すことなく、現在のジャンヌを睨む。

 今のジャンヌは、その子供らしい悪意を受けて止めても、感情の無い微笑を浮かべる。


「ここはあなたの世界よ、あなたがワタシを作ったのに、それを言うのね。鳥篭に収めた鳥のことを忘れて、あなたはこの家を捨ててしまったの?」


 たぶん、いや間違いなく、このジャンヌは最初に出会った頃のジャンヌだ。あの、電波みたいなことを言ってはぐらかす、ジャンヌのペルソナだ。

 ジャンヌが自発的にそういうキャラを作っていると俺は思いこんでいたが、そうでもないらしい。


 本当の意味での、二重人格だったのか。

 この不思議な空間はもしかしたら、発動したルツボ、つまりはジャンヌ自身の内部なのかもしれない。俺たちはその中に混ざった不純物なのだろう。


「そんなことだから、あなたが作った厳重な網にも、御犬さんたちが入ってしまうのね」


 今のジャンヌは俺達を見ながら、気楽に手を振る。


「ふざけないでよ!」


 本物の人格である、子供のジャンヌは、耐えかねるように口を開いた。


「みんな出て行って! あなたも、結局ワタシを守れもしなかったくせに!」

「……」

「いらない! あなたたちなんて、ワタシはいらない!」


 子供のジャンヌが、我武者羅に手を振り回して、俺達を追い払おうとする。


「そうね」


 その手を、今のジャンヌが掴んだ。


「一番にいらなかったのは、あなたよ」


 今のジャンヌはその掴んだ手を、まるで握りつぶすように、爪を食い込ませる。


「あなたが世界を要らないのじゃなくて、あなたが、世界に要らない子なの」


 そして、張り付いた微笑を解いて、無表情のまま呟き始めた。


「あなたの人間性はとてもじゃないけど、人とはかけ離れているわ。誰にも理解されない魔法の目、それによって培われたあなたの常識は、世界に受け入れられない」


 子供のジャンヌは、その言葉から逃げるように顔を背ける。

 だが、今のジャンヌはそれを許さない。


「賢いあなたはわかっていたはずよ、この世界で生きていくことなんて不可能だって。一人寂しく、あなたは死ぬべきだった」

「ジャンヌ! 人には全て、生まれた意味がある! 生まれてはいけない命など、無い!」


 ロボはそのもの言いに耐えかねて、今のジャンヌの肩をつかむ。子供のジャンヌを、守ろうとする。

 今のジャンヌはそんなロボを見て、困ったように微笑んだ。これまで見たことの無い、張り付いたものじゃない、人間の笑顔だった。


「ほんとうは、死ぬべきだったのよ。でも……マリアがいた」


 今のジャンヌは、ロボの手をそっと包み、その手をどかす。


「たとえかりそめでも、ガラス越しでも、世界の美しさを知ってしまった。だから、縋ってしまったの。せめて一度でもいいから、生きていいと勘違いしてしまったの」

「勘違いなどではない!」

「勘違いだよ」


 俺はその三人の中に、部外者として、客観視として、入り込んだ。


「この世に生まれちゃいけない命は、いくらだって存在する」

「アオ殿!」

「この世には、なんでも絶対存在しないなんてのが、ありえないんだよ」


 世界に唯一存在する絶対は、絶対が存在しないことだけだ。

 どれだけ完璧にこなしても、どこかで必ず不備があるように、世界にだって不備は生まれる。

 今のジャンヌは、それがわかっているのだろう。


「そうね、絶対なんて存在しない。ワタシの存在はいるだけで他者を破滅させるわ。周りの人生を歪めて、巻き込んでしまう」

「じゃあ、じゃあワタシは!」


 子供のジャンヌは何かにすがるように、最後のひとつを差し出すように、今のジャンヌに叫んだ。


「ワタシは、存在しちゃいけなかったの?」

「そうよ」


 今のジャンヌは躊躇いもなく言い放った。

 子供のジャンヌはその言葉に一瞬固まり、そしてゆっくりと、表情を緩めた。


「なんでもっと、早く、誰かが言ってくれなかったんだろう。ここまで気づくのに、たくさん、たくさん悲しいことばっかりだったのに」

「そうね」

「ほんと、あなたも嫌い」

「ええ、ワタシも、あなたが嫌い」


 今のジャンヌと子供のジャンヌは、互いに同じ表情をして、見詰め合う。鏡写しのようだった。

 ロボはそんな二人のやり取りを見ながら、悔しそうに顔をゆがめる。

 わかってる。わかってるよ。


「絶対は存在しないって、さっき言ったよな。それはつまり、ジャンヌが存在しちゃいけない存在だってのも、変わるかもしれないんだぞ」


 俺はそんなロボの感情を代弁するように、前に出た。

 ジャンヌはたぶん、俺の思ったとおりの言葉を返してくるだろう。


「もう、遅いのよ」

「……」


 遅い。なにもかもだ。

 おそらくこの空間は、ルツボの生み出した虚像か何かだ。命を賭けた最後の魔法、つまりそれは、逃れられない死をもってしてかなえた力。

 もうすでに、ジャンヌの寿命は少ない。


 でもなら、ジャンヌはどうすればよかったのだろう。

 ロボが入院した時に、後先を考えずに逃げればよかったのか。孤児院なんかに入らず、根無し草のまま一人でどこかに旅でもすればよかったのか。産まれた時に、目を潰せばよかったのか。


 この世でやり直しなんてきかない。過去改変などもってのほかだ。

 もしやり直せたとして、そうして産まれた自分は自分じゃない。今まで生きてきた選択と積み重ねが、自分を培ったからだ。

 なら、このジャンヌは――


「ジャンヌ!」


 ロボの、慟哭にも似た叫び。二人のジャンヌに、躊躇いもなく抱きついた。


「存在してはいけないなんて、間違っても、自らが言っては駄目だ! ジャンヌはワタシが認める、罪は消えたりしない。贖罪も許されないかもしれない。それでもワタシは、ジャンヌ――」

「もう、いいのよ」


 それを言ったのは、どちらのジャンヌだろうか。

 ロボはとめどない涙を流し続ける目を見開いて、自らの胸中に二人のジャンヌがいないことに気づいた。


「それだけで、もう十分だから」


 ロボの手を離れた、一人だけになったジャンヌが、悲しそうに微笑んだ。

 黒い空間が乾く、水面は黒い灰に変わり、この世界を覆い始めた。

 それはまるで、誰かの家が燃え上がるような、もう消えることのない火が全てを壊してしまうような、退廃的な光景だった。


 ジャンヌの目から、次第に光が消えていく。


「あはっ」


 ジャンヌは何かに気づいたのか、ロボの手を離れて両手で天を仰ぐ。


「ジャンヌ! ジャンヌ!」


 ロボが叫ぶ、ジャンヌにもう一度だけ手を伸ばす。だが、ロボの叫びは彼女の耳に届かず、伸ばした手は踊る彼女の動きに空を切った。


「ねぇマリア、そこにいるのね。ワタシずっと、待ってたのよ!」


 ジャンヌはとても嬉しそうに呟いた。マリア、近くにいるロボのことじゃないだろう。

 彼女の目は、この世界でも光を失う。虚ろに宙を見ては、ただただ微笑んでいた。


「なら一緒に遊びましょう! あの頃のように」


 ジャンヌはその灰の舞う、消えゆく世界で踊り続けた。

 その手には、誰もいないはずなのに、まるでパートナーがいるかのように空と繋ぐ。


 俺はその光景に、かつてみた記憶の世界を重ねてしまう。

 二人以外に誰も入らない小さな部屋。イノレードの寒風は窓に遮られ、ドアをノックする子供なんていない。二人だけに用意されたおもちゃは、彼女たちの宝物だった。

 たった一人のフォークダンスが、ジャンヌの数少ない幸せの記憶を呼び戻す。それはジャンヌにとっての、最後の救いだったのかもしれない。


 ――それでもせめて、普通の幸せを望むことの何が悪い。


 ふいに、いつだったかアルトの言っていた台詞を思い出す。


「あははっ」


 ジャンヌの満面の微笑は、ずっとロボと俺の瞳に焼きついた。火の無い灰は、俺たちの目の前を燃やしていった。

 次第に黒い灰は視界を遮るほどに広がり、黒い桜吹雪のように、ジャンヌの姿を隠していく。

 現在の所持カード


 アオ レベル四十 

SR 証

 R 火 風 水 土

AC ポッキリ コウカサス*2

C チョトブ*5 ポチャン*3 コーナシ*3 ツバツケ*2 イクウ*2 マネスル*7 キラン*3 パカラ*3 ヘッチャラ*5


 フラン レベル三十一

 R 火 水 光

 AC ブットブ ミズモグ モスキィー シャクトラ

 C ムッキー*3 ボボン*4 ポチャン*2 ガブリ*4 ガチャル*1  ツバツケ*8 パカラ*3


 ロボ レベル四十三

 SR 地

AC ポッキリ*3 コウカサス*4


 ラミィ レベル三十五

 R 風

AC シャクトラ コウカサス グルングル

 C ビュン*3 カチコ*2 キラン*9 ポチャン*2 サッパリ*5 ツバツケ*7 マネスル*6 ヘッチャラ*5

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