第百十五話「きょうふ し」
「やっぱりあなたも、屈しないのね。怖くないの?」
「ただの恐怖だ。いつかは慣れ、消える」
ロボには、今の状況を打開できる策はないだろう。おそらく、この中で一番、打開策を期待されていなかった仲間だった。
それでもロボは、策がなくとも、動く。自らに出来ることを、常に邁進する。
ただ一人だけ、何かしようと動いたのだ。
「だが、それでも消してはいけない恐怖がある。人を傷つける恐怖だ」
ジャンヌに立ち向かうこと、それが今のロボに出来る最善だった。
頭でっかちの俺には、出来ない真似だった。
「人を傷つけることを恐れなくなったことを、ワタシは成長とは捉えない。それはつまり、他者を傷つけてはいけないという感情を、放棄していることに過ぎないからだ」
「だから、どうしたのよ」
「ジャンヌ、何もかもを捨てて新しい場所に行ったところで、何も変わらない事くらい、わかるのではないか? ワタシの目の前にいるジャンヌは、昔と変わらない」
「あなたに、昔なんてないわ」
ジャンヌの冷ややかな態度が、ロボを通り抜けて俺たちにも伝わる。
「あなたはマリアじゃないもの。どれだけ同じ記憶を持って、感情が似ていようとも、ワタシにはわかる。あなたは、マリアじゃない。マリアに似た、モンスターよ」
ジャンヌは、ロボに残酷な事実を告げていた。
やはり、あの実験室でマリアは死んでいたのだ。
死んだ人間は生き返らない。結局生き返ったとしても、それは別の人間だ。
ジャンヌはその違和感に耐えられなかった。どこか本質的に別人なのだと悟り、見捨てたのだ。
「マリアじゃないあなたが、口を開かないで」
ジャンヌがあれだけ執心していたマリアが、ハジルドの森で見つかったのは、そういう理由だろう。
「それが、どうしたのだ」
ロボが、搾り出すように口を開いた。
たぶん、ショックを隠しきれないだろう。それでもロボは、ジャンヌからも、その事実からも目をそらさない。
「ワタシはマリアじゃない。そんなこと、ずっと前からわかっていた。それでも、ワタシの内に眠るマリアの心が、ジャンヌに対する愛が、この口を開く。この言葉は、マリアから受け取った想いだ」
ああ、これがロボの強さなのだ。
自分の正しさに一直線で、融通の利かない俺たちの仲間。一番熱く、他のやつなんか目じゃないほどに彼女は強い。俺の大好きな姿。
ロボのその真っ直ぐさに、ジャンヌが顔を逸らした。
「だからどうしたのよ! マリアじゃないなら消えてよ! あなたみたいなのがワタシとマリアの間に入らないで! だったら最初から何もしないで消えちゃってよ! あなたなんて、何者でもないくせに!」
ジャンヌの叫びと共に、ルツボの泥が活動を早める。
泥の中に残っていたクロウズの破片が、どんどんと溶けて消えていく。
「ワタシは、ロボだ。ジャンヌ、あなたを止めるためにマリアの残した。たったひとつの心だ」
そのクロウズの瓦礫の泥に、光るものが一つだけ残っていた。
ルツボに溶けず、泥の中を彷徨う何か。
ロボはそれを見つけ、走り出した。
「おいロボ!」
ロボが突如泥の中に身を投げる。もちろん、銀色の体毛といえど、その体はどんどんと取り込まれていく。
俺は若干のパニックを起こしながら、その光景を目の当たりにして、
「どけ蛮族!」
ベクターが俺の首根っこを掴んで、転ばせる。
「ロボさんっ!」
キングベクターが、ロボに向かって風を起こしたのだ。
僅かながらだが、ロボの周りから泥が撥ねられ、追い風でより前へと前進する。
「王様ぁ!」
「うろたえるなデブ! 命をとした行動なればその意味はまた必然、元より策もないのであればこれも酔狂! フハハハハハハハハ!」
ベクターが笑いながら、ロボの謎の行動をサポートする。
もちろんそんなことをすれば、俺たちの周りに風はなくなり、泥の進行速度が上がっていってしまう。
「あれがマリアさん、ねぇ……」
グリテは意外にも、その状況下でも冷静だった。マリアさん?
少しでも飛び出せば泥にまみれる最中で、グリテは、
「守ってやれ、荒蜘蛛」
なんと、ロボの援護をするように、螺旋状の炎を生み出す。自身を省みることなく、謎の行動を手伝う。
理屈じゃないのだろう。ロボと一緒だ。
この二人は、今なにをするべきなのか本能的に察していたのだ。生き残るために必要な最後の命綱を、ロボに託したのだ。
「……っ、ロボ!」
俺に出来る事は何もなかった。でも、待つのは性分じゃない。
「俺も、愛してる!」
「ありがとうございます!」
いつだったか、お慕いしてますとか言われたのを思い出す。
こんな時にばかり、俺は場違いなことばかり思い浮かんで、どうしようもないことばかり口に出す。
それでもロボは、しっかりと俺に返してくれた。
そして、泥の中に身を潜らせる。
「正気なの?」
ジャンヌは眉をひそめて、ロボのことを蔑む。
ロボの体は煙を上げて、すでに侵食されつつある。次第に体そのものをルツボに取り込まれて、全身が黒く染まっていく。
イェーガーのときと一緒だ。生きた物を取り込む場合、体を溶かさずにそのまま自らの体の一部にする。
生命であるロボは、そのほとんど動かなくなった体をジャンヌに向ける。そうして、右手をジャンヌに見せ付けた。
そこにあるのは、泥に残っていた、もう一つの生きる物。
ジャンヌは、光のない目を剥いて叫んた。
「嘘でしょ、その音、その気配!」
「あ、あれは」
「……テレサぁあああっ!」
テレサ、イノレード襲撃事件にてタスクに殺され、牙の能力にて篭手に変わったその生きた武器が今、ロボの手に装着されている。
――とくにボクの場合、人の意思だからね、統括は不可能だ。そして思いは強い、ときには武器が人を選ぶ。
タスクが囁いた言葉の意味を、理解する。
ジャンヌが命を糧として、俺たちの一手先を行くのであれば。
テレサの命そのものを武器に変えた篭手はまさに同等の意思を持つ。
ロボが篭手にカードを装着して、呪文を唱えた。
「囲え! 大地の巨兵!」
泥の中に、光が生まれた。
*
泥は俺たちの体を段々と侵食していく、このままだと、ルツボに吸収されるだけだろう。
「いたっ!」
ラミィが、キングベクターから吐き出されて落ちてきた。たぶん、放出する力が限界を迎えたからだ。
「ロボ、おいロボ!」
ロボから放たれた銀色の光はまだ収まることなく、俺たちはロボを視認できない。
体が段々と重く、鉛のように黒ずんでいく。このままいけば本当に、ルツボの一部になってしまう。
いやもう、ルツボに触れた以上は手遅れなのかも。
「アオくん目を開けてっ! 普通に大丈夫だよっ!」
ぱっと、ラミィの高音に目を覚ます。
「アオくんアオくん!」
「ううっさい!」
ラミィがぐらぐらと俺の体を揺らすので、その手を押さえて……押さえて?
「体が、動く」
「うんっそれになんだか暖かいよっ!」
俺は周りをきょろきょろする。
ベクターとグリテ、ベリーにおデブさん全員が、健在なままそこにいた。
泥は、弾かれることなく俺たちに触れているのに、全く痛くないのだ。
「ありえねぇ……本物だ」
「ぎ、銀色」
全員が例外なく、淡い銀色の輝きを放っていた。
よくよく考えればラミィなんて、さっきまで体力の限界だったくせに何でピンピンしてるんだ。
「っと、そうだロボ!」
一番の銀色を示しているロボの居場所を睨む。段々と光は収束されて、そこにいた人間が姿を現した。
ジャンヌは一番近くにいるせいか、その正体に気づいたようだ。
「……あなた! あなたがその気配を、その匂いを!」
「なつかしいものだ。とうの昔に、戻らないと諦めていたのに」
そこには、長い銀色の髪をなびかせる、女の姿があった。
身長は女性にしては高い方だろうか、モデルのような体型だが、細すぎるわけでもない。表情は凛と引き締まっていて、ひ弱なイメージを抱かせない。剣のような美しさを印象付ける。
「ろ、ロボなのか?」
「御意に」
「ああ、ロボだなお前!」
そうだ、あの証の精霊オボエに見せてもらった、子供の頃のマリアにそっくりじゃないか。
つまり、ロボは人間に戻れたのだ。
よかった……戻れた。何度も諦めかけたけど、ここまで嬉しいことはなかった。
「テレサのおかげです……この篭手が、ワタシの心を御してくれました」
「あなた、マリアみたいな姿をして!」
「これがワタシ、元はマリアの能力だ。世界に命を吹き込み、活性化させる能力」
ロボは輝く銀色の体で、ルツボの泥を弾き飛ばした。しかも、視線を俺たちに向けるだけで、俺の周りでも同じようなことをしてみせる。
ベクターは光る全身を見つめて、感心したように腕を組む。
「ほぅ、これがかの名高い王者の盾か」
「王者の盾?」
「世界の魔原すべてを御する力だ。物理法則ですらあの乙女にとっては敵ではない。全ての質量が魔原から産まれるのであれば、世界を手に入れたも同然」
ロボが、マリアに向かって走り出した。
「もっとも、あの乙女の精神性では、活性化と防衛機能しか使いこなせないようだが。この体の防壁も、世界にある無限の魔原を収束、活性することで我らを泥からはじき出している」
魔原そのものを操って、守る力。
それってつまり、認識できるものなら何でも守れるってことだ。どんな物理攻撃でも、元を正せば概念に行き着く。
概念そのものに干渉できるのが、ロボの能力というわけか。
たぶん、ロボの意識の中で、本当の自分をイメージできるからこそ、あの姿に戻れたのだろう。
「物ども! あの乙女に続け! 此度の好機を逃すことはない。魔法陣を破壊せよ!」
「クソが、仕切るんじゃねぇ!」
ベクターが偉そうに先陣を切る。
グリテもなんだかんだいいながら、行動は早い。
遅れて俺たちも、それに続いた。
「ロボ、ジャンヌを頼む!」
「任せられた!」
まだ間に合う。俺たちが魔法陣さえ破壊すれば。
「やっぱ俺っちは、こっちの方が性分だわ」
そう思ったが甘くはなかった。時を同じくして、あのクソガキカエンが戻ってきていた。
「ちまちまってのがさぁ、俺っちには無理なわけよ」
「どけよクソがぁ!」
「まあ、ちょっとこっちもしょっぺぇが、な!」
グリテが肉弾でカエンに挑んだ。
カエンも炎を出すことなく、格闘で応じてきた。
この泥の中では、魔法は使えないのだ。精霊もそれは同じ。流体が発生する前に、発動そのものが吸収されてしまう。
「偽者のクセに、死んだ人間の残りカスなのに! なんでワタシの邪魔ばかりするの!」
「死んでいない。意思は残っている。マリアの想いも、テレサの想いも」
ジャンヌは見えない目で必死にロボを退けようとする。
だが、ロボはそれを臆することなく、全て弾き飛ばし、一歩一歩前進する。
「たとえその身が滅びようとも、人は死なない。人が本当に死ぬときは、その世界に、彼女たちを知る誰かがいなくなったときだ」
俺は覚えている。テレサとの約束を。もし証の精霊に出会えて、事件の真相を知れたら、ロボの体をもとに戻す。
テレサとの約束は、遠まわしだが叶ったのだ。
「ワタシは忘れない。マリア、テレサ、ジル……そしてジャンヌ!」
「うわぁああああっ!」
ジャンヌが叫ぶ、泥がドス黒く濁り、ロボの全身に這い拠る。
ロボはその攻撃に対し、右手を撫で、黒い泥を全て薙ぎ払い、
「来ないで、来ないでぇえええええっ!」
ロボの左手は、ジャンヌの体を捕まえる。
ジャンヌからにじみ出る黒い泥は一層強くなって、ロボの体を包んでいく。
「ロボ!」
泥が、ジャンヌとロボに収束していった。俺達を囲んでいたルツボが、中和されていっているのか、それともジャンヌが死んだのか。
ごうんと、不意をつくような機会音が響いた。
「カエン、君はどうする?」
「っきさぁまあああああっ! タスク!」
ベクターがあらん限りに叫んだ。
「起動成功だ。どうやら、ぎりぎりで間に合ったみたいだ」
間に合わなかった。すでに起動用の魔法陣は消滅し、クロウズの下からくごもった駆動音が聞こえる。
震える地面は段々と高度を上げて、俺達を巻き込んで空を漂う。
「……グルングル」
タスクが呟く、呪文ではない。
空を飛んでいたモンスター達が、タスクの言葉に集結したのだ。
グルングルは、俺の氷の剣の範囲外をすでに漂っていたのだ、今は雨にも構わず、俺たちに向かって突風を放った。
「うぉおおっ!」
「きゃ!」
足場のもたつく空中で、それは痛恨の不意打ちになる。
体を簡単に吹き飛ばす突風が、俺たち全員を襲った。
「風!」
俺だけは、風のハープでその範囲外に逃れる。手のなくなった右腕にハープは引っ付いている。左手を残して正解だった。
「アオくんっ!」
「ロボを救出する!」
まだロボはあの場所に留まっているのだ。生きていたとしても、ここに一人残されればどうなるかわからない。
ラミィたちはロボから離れすぎたのか、銀色の光が消えていく。
まだ、俺の体には光が残っている。それなら、まだロボはあの中に。




