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第百十四話「もさく いって」

「ジャンヌ! 下がるんだ、その目は聞いていた」


 アルトがすかさず、ジャンヌの歩みを遮った。それは戦力云々ではなく、仲間同士の持つ絆だっただろう。

 あいつは、この状況で倒れた仲間も、全てを守って悪を成そうとしているのだ。


「パアットは必ず見つける。ジャンヌ、君がやろうとしていることは――」


 アルトが何かしようとするジャンヌを止めようとしていた。

 ジャンヌは、その口を、自らの唇で塞いだのだ。


 俺は思わず、その光景に見惚れてしまう。

 戦場に、最悪の敵に、この緊迫した状況に不釣合いな、暖かい空間だった。

 ジャンヌは音を頼りにそれを行ったのだろう、とてもつたなく、不器用だ。それでも、俺たちでもわかるほどの想いを感じられた。


「あなたは優しいわ。あなたが世界を救った英雄でよかった。こんなワタシにも、愛するものが出来たのだもの」


 ジャンヌは唇を離すと、アルトの口に指を当てる。


「でも、その優しさが、あなたの弱さよ。あなたは誰よりも強いのに、そのせいで誰かに負けてしまうかもしれない」


 アルトは指を当てられたせいで、何も言えなくなってしまった。

 ジャンヌはそのあとで、ハツのいる場所に笑いかける。


「ごめんね、もうちょっとワタシが女の子らしかったら。もっとたくさん、お姉さんで来たのだけれど」

「ぅ……あ!」


 返事を待たずに、ジャンヌは最後、タスクを見た。


「ああ、頼む……すまない」

「おやすいごよう」


 タスクとジャンヌはそれだけ、そのやり取りだけで十分だといわんばかりの、硬く強固な絆があるのだろう。


「ふん、茶番はそれくらいか? 時間稼ぎなら我としても愉快だが」

「いいえ、もうおしまい」


 ジャンヌは、目を瞑ったまま、笑顔で両手を開いた。


「さぁ、あなたたちとも御話しましょう。この世界はワタシに優しくはないけれど、せめてあなたたちは、この残酷な世界を知らずに運命を終えましょう」

「ジャンヌ! まだこの不毛な戦いをやるつもりなのか!」


 ロボが叫んだ。当然だろう、降伏勧告だって、ジャンヌのことを思って口に出したのかもしれない。

 ジャンヌとロボ……マリアの絆は、生まれてから十年来の付き合いなのだから。


「あなたに、それを言う資格はないわ」


 だが、ジャンヌはロボを拒絶した。

 その声音は旧友を思うものではなく、もう戻らなくなった、無くしたものから目をそらすような言動だった。

 それは仮にも、誰よりも大切だった人に向けるものじゃない。


「それに、不毛じゃない。ワタシのやることには、意味がある。ワタシのような子がこの世界にまた生まれても、どうか、最後には幸せな思い出を」


 ジャンヌの言葉とともに、攻撃の気配とも取れぬ何かが、この空間を支配した。

 タスクは誰よりも早くハツの元へ駆け寄り、アルトもそれに巻き込む。


「おいぃ……俺っちも守ってくれるんだよなぁ?」

「心配しなくてもいいさ、君じゃあ死ねない」


 タスクはいいながら、極薄の透明な羽衣を取り出すと、アルトとハツを包んだ。おそらくあれは、魔法陣を守るためのもの。


「カエン、君は外の氷を頼みたい」

「おうよ!」

「クソがさせて――」

「コンボ」


 ジャンヌの一言が、クロウズに波紋を広げる。

 今更、闇の魔法を使ってもこの状況は覆せない。ましてや、目の見えない彼女には何も出来ないはずだ。

 ……なんだ。

 似たような状況を、前にも味わった気がする。

 そう、あれは――


 ジャンヌは、手で空に弧を描き、カードケースにあったカードを全てばら撒いた。


「ルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボルツボ」


 ジャンヌを中心にして、泥が広がった。

 ルツボの魔法が、最悪の悪魔を産みだす。



「ルツボだと!」


 ベクターが叫び、一目散にジャンヌたちから距離をとった。どうやら、効力を知っているらしい。


「ベクター、あんたあれの知識があるのか」

「知らん! だが貴様等がギルドに寄付した一枚は、我がマジェスにて研究を行った」

「ふっざけんな!」


 グリテもすぐに脅威を察したのだろう。前に出ようとしたベリーの首根っこを引っ張って、糸でターザンして俺たちのもとに逃げてきた。

 ジャンヌのルツボは、グリテが張り巡らせた糸を片っ端から吸い込んでいった。クロウズの装飾や瓦礫をも取り込み、どんどんと体積を増やしていく。


 しかも今回は、まるで俺たちを閉じ込めるように、クロウズの壁を伝っていく。速さもイェーガーのときの比ではなかった。


「ベクターさん! 私をキングベクターに!」


 ラミィが提案する。そうか、風で吹き飛ばすのはある程度できるのか。


「土解除! 水存続!」


 ベクターは返事をするよりも先に、キングベクターから俺の体を吐き出して、ラミィを飲み込む。


「シルフィードォ……キングバリア!」


 キングベクターの目が輝き、俺達を台風の目とする風が出現した。

 これでしばらくは、体は守られるが。


「さて、行くか」

「こえぇんだけど」

「まて!」


 タスクとカエンは、ルツボに触れても吸収されない。いや、厳密には体が煙を上げているが、その中を泳いで脱出しようとしていた。


「彼女が命を賭けるんだ。君たちの要望は聞けない」

「泳げるんだなこれ、超ビックリだわ」

「……」

「どしたん?」

「いや、要望を聞かないで思い出してね」


 タスクは、クロウズから出て行く途中、俺と、ロボを注視した。

 何かを探しているようだったが、見つからなかったのか、首を降った。


「君も精霊だからわかるだろうけど、使命とはままならないものだ」

「は?」

「とくにボクの場合、人の意思だからね、統括は不可能だ。そして思いは強い、ときには武器が人を選ぶ」

「よくわかんね」

「そんな小さな波を、ボクは全て御しきれない。ままならないさ」


 タスクは捨て台詞を残して、俺たちの視界から消えていった。俺の氷の剣を探しにいくのだろう。


 アルトとハツといえば……消えていた。

 残された魔法陣にはタスクの置いていった羽衣だけが残っている。ルツボの中にあるのに、あそこだけどうしてか溶けたり侵食されていない。タスクがこのルツボの特性を理解しているから、適切な武器を使用しているのだろう。


「アルトはどこにきえたんだよ……」

「ふん、十中八九戦艦内部だ。あの魔法陣をこの泥が守れると安心しきって、起動準備にかかったな」


 流石のベクターも、笑みの中に冷や汗を隠せないようだ。


「蛮族ども! あの魔法陣が役目を満了し消え、戦艦本隊に定着するまでがタイムリミットだ! それまでにこのルツボを破壊! 魔法陣の破壊に入る!」

「言うだけなら簡単だけどよ」

「わからないのか? それが出来なければ、我等は全身死ぬぞ」


 死ぬ。どれだけ聞いた言葉だろうか。

 このゆったりとした空間の中では、どうにも自覚しにくい。猶予がありすぎて、実感がわかない。

 でも、ベクターの言っている事は本当だ。俺たちは完全に死に囲われている。



 外に出る方法を模索して、氷の剣を思い出す。


「そういえば、キングベクターから離れたら俺の剣はどうなる」

「規模は下がれど残る。解除すれば貴様のもとに戻ろう。だがおすすめできんな」

「時間稼ぎか?」

「当然だ。貴様の武器だけなら精霊相手にもそれなりの効力がある。少なくなろうとも、あの雨の中でどことも知れぬ本体をたたくのは容易ではなかろう」


 ルツボは今回も泥の液体だから、攻撃すれば凍結できると思ったのだが。


「氷の剣でも、限界があるのか、それとも別の要因か」


 クロウズの窓から侵入していた氷をも、ルツボは飲み込んでいった。

 もしかしたら、魔力のあるものだったら何でも吸収するのかもしれない。氷の剣だって実際に動いているルツボに試したことがないわけだし。


「おい餓鬼、泥に突っ込んでみろ」

「いやまてよ!」


 グリテがベリーにへんな指示をしようとしていたので、慌てて止める。

 魔法抗体なら確かに大丈夫かもしれないが、保証なんてないんだぞ。


「あ、アオくんっ! ごめん、もう体が……」

「え、もうか!」


 ラミィが、体のバテを訴えていた。


「仕方あるまい。キングベクターは燃費が悪い。貴様は土の盾があってのあの活動時間だ」

「気楽に言ってる場合じゃないだろ! 時間がないぞ!」


 このままキングベクターラミィが力尽きれば、俺たちは全滅だ。


「本来ならば、唱えを聴いた瞬間に、クロウズから一刻も早く脱出を試みるのが最善だった。だが報告を含め、当初見積もっていた侵食速度を大きく上回っている」


 ルツボは仮にもひと一人の命を任意で使う魔法だ。死ぬ覚悟で発動する技が、あの魔法をとんでもなくできるジャンヌによって放たれたんだ。

 すでにクロウズは壁も天井もなくなっていた。ただどうしてか消えない芸術品の破片が泥の中を漂い、少しだけ面影を残している。

 濁った泥はそこまで遠くを見通すことは出来ない。辛うじて、中心にいるジャンヌの姿は捉えられた。


「クソが」


 グリテは糸を放って、溶け込んでいく状況を冷静に眺めていた。たぶん、この魔法を把握しているんだろう。


「グリテ」

「あぁ? 話しかけんな」

「いや、それがな」

「……ッチ、固形物はなんであろうと吸収だ。押し切れねぇ。ただ流体はある程度抵抗できる。あの風がここを守れるのはそういうわけだ」


 グリテは俺の言葉を聞くよりも先に考えを察して、俺に説明してくれる。

 やっぱ分析してたか。流体で対抗すればそれなりに効果があると。


「それって、グリテの荒蜘蛛の熱なら」

「馬鹿か? オレの熱でこいつら押し切ったら今いるここはどうなる。アオ、てめぇでもわかるだろ」


 怒られた。まあ確かにそうだ。電子レンジなんかよりも酷い状況になるだろう。

 ベクターもグリテも、考えている。が、なかなか行動には出れない。

 打開策が思いつかない。通信はルツボに囲まれてからはうんともすんとも言わない。ほぼ外部からの助けは期待できない。

 今あるコモンアンコモンは、どう組み合わせても上等なものは考えられない。それにフランと違ってそういうのは苦手だ。


「アオっ……くん!」

「ラミィすまん、もうすこし無理しろ!」

「だいじょぉ……ぶっ!」


 少しずつだが、俺たちのいる空間が狭まっていた。


「死にたくないぃいいっ!」

「静まれデブ。あの女は奴隷だ。おそらく奴隷紋のブーストでまだ幾許かは持つ。マジェスの者が真っ先に動揺するな」


 ベクターは叱責しながら、腕組みした体を微動だにしない。たぶん、こいつは死ぬ直前だろうとこの姿なのだろう。


「アオ殿、ワタシの体毛でしたら、ある程度は潜れます」

「やめとけ、イェーガーのときとは違うんだ。それに多少何とか出来てなんになる。あいつは再生能力だってあのイェーガーとは比べ物に……」


 一つ。思い出した。


「……再生能力ってことは、逆を言えばあれだよな」

「アオ殿?」

「グリテ、外に出るのと、ジャンヌを叩くの、どっちのほうが簡単だ?」

「ハァ? 外に出るのじゃねぇの。なにつまんねぇこと」

「なら、外に穴を開けるために、協力してくれ。土の盾なら、それなりにこの空間に対抗できると思う」


 土の盾の過剰再生なら、このルツボとの相性は悪くないはずだ。もともとこういう奴に対抗する能力だろうし。


「アオ殿! それは」

「いいたいことはわかる。危険なのを承知だし、今回はそうならないためにグリテとベクターを頼るんだよ」

「駄目だよっ!」


 ラミィにまで反対される。わかってるよ。


「でもこれ以外に何か方法があるのか? ないだろ、なら」

「貴様等、何の話をしている?」

「俺の能力なら何とかなるか持って話だ」

「この状況を打開できるのかそれは? そんな便利な道具、何故今まで使わなかった」

「それは……使えなかったから」

「ならどうして、今使える」

「正直、わからない」


 土の盾を思いついただけで、使えるかどうかはわからない。

 だいたい、あれの発動条件が全くわからないのだ。カエンは発動条件を知っていそうな気がするが、教えてもらえるわけないし。


「くだらん」


 ベクターは、そんな俺のもたつきを一喝する。


「使えるかどうかもわからんもの、御託で皮算用よりも先に発動するべきだ。やるといっている奴ほどなにもできない。口を出す前に手を動かせ」

「わかってる、わかってるよ」


 やるやる言っているやつほど実際にはやらないものだ。

 俺だってこうやって宣言しているのは、あれを使うのが怖いのだろう。たぶん、そんな躊躇いがある限りは、土の盾なんて使えない。

 死ぬかもしれない瀬戸際ですら、俺はその後のことばかり考えてしまうのだ。


「あなたたちって、ほんとうに、くだらない」


 ジャンヌの声が、泥の中から響いた。


「あなた達、考えれば考えるほどどうしようもないのに、それでもまだやるの?」


 どうしようもない。

 そんなの、理解している。

 俺の考えたことをそのまま跳ね返された気分だった。使える手札は、敵の方が多かったのだ。

 いや、手札はこちらの方が勝っていた。彼女達は、自分たちの命を切るのにすら躊躇わなかったからこそ、俺たちの一手先まで進んでゆけた。


「ジャンヌ」


 ロボが、その泥にたった一人、反抗するように声をあげた。

 まだロボは、諦めていなかった。

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