第百十三話「らんすう たすう」
「く、クソガキがぁあああっ!」
グリテの悪態がクロウズを包んだ。
ベクターも見たことのない敵の来訪に、歯を食いしばる。
「な、何故そなたが!」
ロボが台等して、カエンに叫ぶ。そうだ、何でこの精霊がイノレードにいる。
「別にどこにいようと関係ねぇじゃん。前にもいったけど俺っちは留まるとか、待ってるってのが一番嫌いなんよ」
「きゃ!」
「ベリーちゃん!」
ベリーを片手で振り回し、軽くこちらに投げ飛ばす。
ラミィが飛んでくるベリーを受け止める。ちりちりと、魔法による熱の残りがラミィの体を焼いた。
「あちちっ」
「それにぃ! 今世界が変わろうとしてるんだぜ。そんなクソ楽しそうな秩序の崩壊に、ただ見てるってのはちょっと寂しすぎるんじゃね」
そうか、カエンもあの伝のレアカードの映像を見たのか。それで都合の悪いことに、タスク側についてしまったわけだ。
燃え盛る無限の炎は、タスクやハツ、ジャンヌを包み込む。今までのからめ手とは違う、熱量によるごり押しだ。
タスクはそんな暑苦しい中でも、涼しい顔をして笑っていた。安全を手に入れた顔だ。
「運命とはやはり、気まぐれなんだね」
「ま、俺っちの場合は赤のカードをあんたに渡せなかった後ろめたさもあったりなんだけど」
「ありがとう。ボクの武器はあまり守りに向かないんだ。戦闘用の精霊なのに、戦闘は生まれつき得意じゃない。破壊なら簡単なのだけれどね」
タスクは困ったように首を振って、次に俺達を見た。
「さて、形勢が逆転したわけだが、まだやるかい?」
「ハァ? 決まってんだろ」
「問答無用!」
グリテとベクターはやる気満々だ。互いに思考を凝らして、この状況への打開策を練っているのだろう。
タスクはそんな二人をほほえましく眺めて、ふと、後ろを見た。
「はは……いいことは重なるものだ」
「ぅ……」
「アルトが月の精霊を、殺したようだね」
月の精霊? 殺した?
タスクは俺たちにわからない用語をつらつらと並べては、嬉しそうに微笑む。
「あ、あぁ、ごめんごめん、君たちにも説明しておこう」
タスクは俺たちの表情に気づいて、謝った。
「ボクたちがイノレードで遣り残したことは一つ、冥の精霊を手に入れることだ。その条件の一つに、月の精霊を殺す必要があったんだ。ただ冥の精霊を復活しても、ボクたちの目的には使えないからね」
グリテとベクターはまだ動かない。どうすればいいのか、まだ掴みきれないのだろう。
俺だって考えているが、この状況でどうすればいいのかなんて思いつかなかった。
相手は二体の精霊。攻撃のほとんどは炎で弾かれるだろう。防御しても、タスクの対応力には追いつけない。元々それがあったから、タスクには攻撃を畳み掛けたのだ。
「まず封印解放のための、陽空海地月の原初サインレアを探すのにも手間取ったよ。他の五体はボクの探知武具で見つけられたけど、陽の精霊だけはどうしても見つからなかった。精霊なのに、世界から消えたようにいなくなってね。まあそれも、そこにいる彼等から奪って何とかしたけれど」
タスクは、そんな俺たちもお構い無しに、喋り続ける。考えを散らすことと、時間稼ぎもかねているのだろう。
「封印の魔法陣をアレンジして、精霊を兵器にする。イノレード政府で行われていた研究だ。彼等もどうやらこの研究には熱心だったようでね、思っていた以上に研究されていたよ。いい副産物も手に入った」
「貴様、何の話をている」
「完成したんだよ。冥の精霊を悪用する考えは、イノレードの間で大昔からあったんだ。それでも、イノレードには月の精霊がいたから、それを防がれていた。陣をいじくれないようにね」
タスクがハツを、正確にはハツの下にある魔法陣を見ていた。
「だからボクは、冥の精霊の封印を解いたあとで、月だけは別のもう一枚のサインレアに差し替えるつもりだった。もちろん妨害されたから、月の精霊を殺したんだ」
「精霊を殺すなんてっ、そんなことっ!」
「可能なんだよ、二十年前の戦争を止めた英雄、アルトは知っていた。あの戦乱の中で知ってしまった。精霊の殺し方を」
アルト、この場にたまたまいなかった、タスク一味最後の一人。
「タスク、これはなんだ」
「帰ったようだね。急いでくれてありがとう」
そいつまで、クロウズに来てしまった。
たぶん何か特別な武具を使用したのかもしれない。なんにしても、状況は最悪の一途をたどっている気がする。
「さて、君たちはどうする?」
タスクはその状況を完全に理解した上で、俺たちに問いかけてきた。完全に悪趣味で、意地の悪い質問だ。
クロウズ全体が揺れ始めた。
どうやら、敵の用意した陣が完成してしまったようだ。
「イノレード政府は冥の精霊が封印されている地下施設にその建造物を作り上げていた。クロウズとそれを合体させて、陣そのものを持ち出せるよう、二つを合わせて飛行戦艦にしたんだ」
「くだらん、前もって知っていた情報に何の意味がある」
「おや、知っていたのかい?」
「無論だ。イノレードにいたレジスタンスに、それなりの諜報員がいたようでな」
俺たちも、クロウズの真下に戦艦が眠っている事は知っていた。推察では冥の精霊を運ぶためか逃亡のための乗り物だと踏んでいたが、まさか冥の精霊と合体させるなんて。
「でも、知っていたところで何も変わらないよ、運命の女神は、ボクたちに微笑んだ」
『……アオ』
今までずっと黙っていたフランの通信が、復活した。ついに、フランの作業が終わったのだ。
「運命の女神? ちゃんちゃらおかしいぜ」
俺は笑みのこぼれた顔を隠すように、タスクを笑ってやる。
「俺はそういうの、全然興味ないね。なんで媚売って女神なんかに笑われなきゃいけないんだ。俺はずっと、幸運の女神は信じちゃいねぇ」
いつだって、そんな運には見放されてきた。だから俺は、やり方を変えた。
タスクが俺たちに話しかけて意識を反らしたように、俺もまた、タスクたちを笑ってやる。
「俺が信じるのは、度重なる乱数調整と、それを成功させるための試行回数だ」
「何を、言っているのかな?」
タスクは、俺の言葉にわかりかねているようだ。無知は恐怖といらつきを呼ぶ。
「観察不足だって言ってんだよ。あんたはさっき、このキングベクターと戦っておいて、何も気づけなかった」
あの戦闘で、キングベクターは一度、投げ飛ばしてきた重力の槌を喰らった。
風のハープなら、そんなもの避けることは容易いのに。
案外、敵の弱点ってのは深く考えないことが多い。そこに意味を見出そうとしない。
そういうのが、一番危ないのだ。
キングベクターが、風のハープ以外の何かを発動したと、勘ぐるべきだったのだ。
ぽつ、ぽつと、クロウズの風穴から、水滴がこぼれた。
「……雨?」
「そりゃ、太陽が低くなれば、雲の無いところまで見えるからな。忘れたのか? あんたたちが上空のグルングルを隠すために、雲を残しておいてくれて助かった」
雲は、イノレードの上空にだけ、集まっていた。
もちろん、雲が集中したところで雨なんてそうそう降らない。
「フランが、遠距離射撃を覚えてくれて助かった」
フランは今まで、俺との通信を捨てて、連射数を稼いでいた。あの異常なまでの威力を持った魔法で、冷気をクロウズの上空に溜めていた。
ヒヤリと呼ばれるコモンカードがあった。まあそこまで珍しくもない、冷気を飛ばすカード。
おそらくいろんな要素が集まっただろう。
たとえば、クロウズに荒蜘蛛とカエンが現れたことで、クロウズ周辺だけ異様に暖かかったりとか。
『アオ、成功した! 雨が降るよ!』
「さんきゅ! 愛してるぜ!」
雨が、降り始めた。
*
震えていた地面が、ガタガタと引っかかるような音を立てていた。
「な、なんだ!」
今度は、アルトたちが状況を理解する番だ。
「キングベクターは氷の剣をその体相応の大きさにまでしてくれた。そのあとで、そのおでぶさんに配らせたんだ」
超高速デブが遅れてきたのは、幾つかに割った氷の剣をばら撒くため。
俺たち全員でやるほどの作業でもないし、あまり遅いと怪しまれる。一番作業の早そうな彼に頼んでおいた。
「アルト、あんたは仲間のためだからって慌てすぎだ。真っ先に向かうよりも、やるべきことがあったな。まあ、真っ先に駆けつけないとどうなっていたかもわからんけど」
カエンもアルトも、ここに駆けつけることばかりを考えていた。
万が一気づかれてもいいように分けておいたけど、あんまり意味はなかったようだ。
雨は降り続ける。氷の檻が、より強く、冥の戦艦を縛る。
「ふん、あくまで退路を断つためのものだったが、どうやら必勝策になったようだな」
ベクターは周りを見ながら、面白くもなさそうに鼻息を漏らす。いや勝ってるんだよ。
「クソが」
「お前ら褒めろよ……」
「当然の働きであろう。そのためにキングベクターにずっと乗せておいたのだ。貴様は一つの魔法で攻撃と防御の両立が出来んからな」
クロウズの地下に戦艦があると知っていたからこそ、この策に乗り切った。
「へへぇ! こんなん俺っちからしてみれば」
「炎上だ、荒蜘蛛」
グリテの、糸の結界がカエンの動きを止めた。
「オレの思い通りじゃねぇのが気にくわねぇが、貴様が動くのはもっと気にくわねぇ」
「だからどうしたってんだよグリテの兄ちゃん!」
「そのとおりだね」
タスクは、悩ましそうに眉間に指を当てながら、口を開いた。
「たしかに、冥の戦艦を足止めするのは驚いたよ。でもね、今の戦況を鑑みるんだ。ボク、カエン、それに続いてアルトまでいる。君たちを倒してから、ゆっくりとその氷を解除、アオを殺せばいい」
「ゆっくりとで、本当にいいのか?」
「ん? どういうことだい」
『アオ! 第一波の戦線がそっちに向かってる! もう少しだから!』
第一波の大群が、俺達を援護するために向かっていた。
「あんたに援軍がいるように、俺達にだっているんだよ、あんたの大嫌いな多数がな」
「何を言って、あれだけのモンスターの大群を相手にしている彼等が、こちらに迎えるはずがないだろう!」
アルトが、俺の言葉に反論する。
たしかに、常識じゃそうだろうな。
「イノレードには、常識はずれな四人の天才がいるのを知ってるか?」
「……まさか」
『紅さんが第一波のしんがりを勤めながら、順調に進行中。すごく調子に乗ってる!』
紅が加わった事は、予想以上の戦果を上げている。
たった一人が一騎当千の力を持つこの世界で、天才の加入はとても大きい。
タスクもどうやら、その事実に至ったらしい。
「まずいな」
「まずくなきゃ困るんだよ、あんたが空に出られたらそれこそ追えなくなる」
上空にはグルングルの大群がいる。冥の戦艦が空に出れば、俺たちはタスクを見失う。
地上に降りてきたところで、モンスター程度ではこの氷の檻は壊せない。
「さて、まあ後どれくらいかわからないが、こっちには援軍が来る事は確実だ。それまでは、持ちこたえる自信があるよ」
仮にもグリテとベクターがいるのだ。そうそう簡単にやられるつもりはない。
たとえタスクに、俺たち全員を倒せる武器があったとしても、使うわけがないのだ。
ここはクロウズの中、あの改良魔法陣や仲間を巻き込まずに、俺たちだけを消滅する武器なんて、そんなものがあれば最初から使っている。
「一騎当千のあんたらでも、万の人間相手は辛いんじゃないのか」
戦略ゲームで一番大事な事は、自分たちの手札をどれだけ蓄え、目論見を最後まで気づかれないかが鍵なのだ。もちろんそれは、実戦にも当てはまる。
たとえ戦力があちら側有利でも、情報戦を勝ち抜いた俺たちのアドバンテージが、今の状況を作り上げた。
「おいおい、俺っち何のためにきたんだっての、お前ら何とかしろよこいつら」
「喚くんじゃねぇよクソガキ」
「……がき!」
グリテは、カエンのことを視界から外さない。この氷を溶かせる筆頭を、グリテが逃すわけがない。
ベリーも意図は違えど行動は変わらない。カエンには個人的に恨みがあるようだ。
「……タスク、このままでは」
「ほう、英雄様ともあろうものが、精霊頼みとは片腹痛い」
アルトは俺たち全員を相手取っても負けはしないだろう。それでも、時間というどうしようもない要素は、彼を焦らせる。
ベクターは隣に部下のデブを立たせて、その眼光でアルトを挑発する。
「……」
「睨むなよ、鳥肌が立っちまうや」
タスクは、その矛先をキングベクターの中にいる俺に向ける。まあ、俺を殺せば氷は溶けるだろうけど、そのためにキングベクターに乗っているわけで。
「……ぅぅ」
「アオくんっ! あとちょっとガンバっ!」
ハツは明らかに動揺している。持ち場を離れられない、動けないことがまた焦りにつながっているのだろう。
ラミィは逆に高揚する気分を隠すことなく、俺に発破をかける。おせっかいだ。
この場にいる誰もが、下手な動きを見せることが出来なかった。それは俺たちにとって、安全で好都合な状況だった。
「観念するのだな、ワタシ達を雑兵と思えば痛い目を見る」
「……仕方ないわねぇ」
ロボがタスク一味に降伏を訴えた。
しかし、それをものともしない、最後の一人が声を発した。
ジャンヌが、目を失い戦力にならなくなったその体で、前へと歩みを進める。




