第百十二話「まんぞく たいみんぐ」
「ぷっ……くくっ……ご、ごめん。ちょっとおかしくて……はははっ!」
顔を上げると、そこにはタスクの笑顔が見える。
まるで邪気のない、子供が遊んで笑うような、屈託のない純粋な表情だった。おなかを押さえて、必死に笑いをこらえようとしている。
「何がおかしい」
ベクターは、もちろん面白くもない。
タスクは右手で顔を覆い、数秒たってやっと、元の表情に戻った。
「いや、動揺したのは本当だよ。でも拳が痛かったわけじゃないんだ、ごめんね」
タスクは手をまっすぐにしてベクターに謝った跡で、何故か俺を、キングベクターを見上げた。
「そうか、そういうことか」
何か納得したような表情で、タスクは何度も頷いている。
「どうやら、長生きのしすぎで、ボクの頭がどうにかしていたらしい。こんなことに気づけなかったなんて。世界は、狭いね」
「?」
「ボクも相当……イッちゃってたみたいだ」
タスクは一度深呼吸をして、
「だから、この選定はもうやめよう」
今までとは比にならないくらいの敵意を、俺に向けてきた。
ビリビリと痺れるような気迫が俺の全身を撫でた。攻撃の気配もないのに、まるで全身を針で刺されたような痛みを感じた。
もちろんそれは、俺以外にも伝わる。
「貴様ァ!」
「アオくんっ!」
「アオ殿御下がりを!」
「関係ないよ」
タスクは、どこからか一本の剣を取り出した。
「みんな、消えちゃうからね」
その剣は大きいわけじゃない。むしろ剣と呼べるほどの装飾もない。ただ木刀が鉄になっただけの、無骨な黒い剣だった。なぜか、剣先が折れている。
先折の剣からは、常に攻撃の気配が漂う。
俺達を含む、この辺り一体全てを包む気配だった。
あの、ジャンヌの範囲攻撃に似ている。
でも俺は、これにもっと似たものを知っている。
「アルトの、あの時の攻撃」
チリョウの街で、アルトが使おうとしていた技と、気配がそっくりなのだ。
俺たちはあの時と同じように、体が動けない。
「やっぱり、痛いね。ボクが使う分は」
ただ、それはタスクも例外ではなかった。持っている手が煙を上げて、土気色に黒ずんでいく。
「今のうちだ! 今のうちだといっている!」
ベクターが叫ぶ。もちろん、誰も動けない。
タスクのすわった目が、完全に無駄だとわからせていた。
だがその一瞬の後に、状況は一変する。
「なっ!」
タスクはいきなり、後ろを振り返ったのだ。
俺たちもつられて、そちらに振り返ると。
クロウズの屋根が、爆発していた。
「あ、あれは」
「何奴……アオ殿!」
目のいいロボが、瞳を凝らして何かを捕らえたようだ。
「荒蜘蛛です! クロウズに、荒蜘蛛が出没した模様です! 狼煙を上げています!」
「荒蜘蛛!」
荒蜘蛛、つまりはグリテが現れた。
タスクが俺達に意識を集中している隙を突いて、一歩先に目的地にたどり着いたのだ。
*
「待て!」
ベクターが叫ぶ。
気がついたときには、タスクはクロウズに飛んで逃げてしまった。
キングベクターの風の音色がタスクを止めようとするが、見たこともないマントを振りかざして、タスクは消えてしまった。
「追うぞ!」
「ベクター様、モンスターがまだ!」
「かまわん! 怖気づいた者は雑魚の足止めに回れ!」
ベクターはそういいながらクロウズへと駆け出した。
もちろん、俺は選択の余地もなくキングベクターごと連れていかれる。
「アオくん大丈夫! 熱くないっ?」
移動力のあるラミィは、敵の目を掻い潜ってキングベクターの肩に乗った。
「お供いたします!」
ロボは、敵の攻撃に構わずごり押しして、キングベクターの腰に掴まる。
あと付いてきたのは、飛翔能力のやけに高いデブが一人。
ベクターもあわせると、五人か。
「満足!」
ベクターはその数を見て、満面の笑みを浮かべる。ついて来れただけ良しって事か。
他の人達が弱いわけじゃない。機動力の関係で、モンスターを相手取る方が貢献できると考えた結果だろう。
キングベクターは突進する大型戦車のように、道行くモンスターたちを吹き飛ばしていく。風の音色も相まって、邁進は止まらない。
「あの男、相当慌てていると見える」
「すぐに行ったもんな」
「それだけではない。あやつ、あの確実にしとめられる先折の剣を収めてまであちらに向かったのだ。その攻撃動作自体がまだ数秒かかるとしても、それが致命傷に繋がると確信したからこその行動だ」
ベクターは歯を見せて笑う。
先ほど言っていた、時間稼ぎが正解だったことが嬉しいのだろう。さらにいれば、その敵の考えている大本が、クロウズにあると判明した。
これだけの材料が揃えば、敵の野望を砕けるかもしれない。
「……そろそろ、フランにも働いてもらうか」
*
「突貫!」
ベクターの叫びと共に、クロウズの大きな扉が、開かれる。
「きちゃったか」
クロウズ大広間の内部は酷い荒れようでも、前に来たときの景観を残していた。天井に敷き詰められたステンドグラスは半分以上が割られ、風晒しになっている。彫刻には雪が積もり、どれも芸術品あるまじき補完方法だ。
それなのに、まだこの空間は神秘的だった。まるで芸術が自然の中に溶け込むような錯覚すらある。伊達に世界クラスの芸術を名乗っていないということか。
タスクはその世界に違和感なく、広場に立っている。
中央にはハツもいた。ジャンヌと一緒に、タスクによって守られている。
「よぉ」
そして、彫刻を踏み台にして、行儀悪くグリテが胡坐をかいていた。荒蜘蛛もすでに召喚され、クロウズの内部を荒らしている。
「どうやら、立場が逆転したみてぇだな」
グリテは維持の悪い笑みを浮かべて、タスクに話しかける。
「ハツ、あとどれくらい?」
「ぅ……」
「そうか……」
ハツはなにやら、作業に集中しているみたいだ。息切れを抑えつつ、魔法陣のある地面に手を当てている。
魔法陣には見慣れない五枚のカードが均等に並べられていた。そのうちの一枚には陽のカードも含まれる。
「やはりな」
「ベクター?」
「陽、空、海、地、月。原初精霊のサインレアだ。おそらくあの五枚のカードが、冥の精霊の封印をとく鍵なのだろう」
ベクターは拳を握り締めて、攻撃の気配を漂わせる。
「そして、それだけの要素がありながら解放に一ヶ月以上もかかっている。あの魔法陣、なにか弄っているな」
「関係ねぇよ」
グリテが、人差し指をちょいちょいと動かす。
すると荒蜘蛛が叫び、その口から炎の糸を撒き散らした。
「うぉおおおおっ! キングベクター!」
ベクターとキングベクターが、その糸の後を追うように突進を始めた。
タスクはまた武器を取り出す。現れたのは一個の球体、ゴルフボールほどの大きさのそれを、取り出したと思った次の瞬間には、落とした。
もちろん、攻撃には何の支障もない。そのまま攻撃を続け。
地面に、球が落ちる。
「なっ!」
するといつの間にか、俺たちが元の場所に帰っていた。
これは、俺にも見覚えがある。
「アオくんあれっ! 時間戻し!」
「知ってるよ!」
やっぱり持ってたか。どの程度か把握できないが、時間を戻せる能力。
「十二秒……クソが」
グリテの把握能力が異常すぎるんだよ。
十二秒、かなりの間が空くな。
タスクはその間にも、球に見えない糸が付いているのかまた手に球体を持ってくる。そして、俺達に見せ付けてきた。
「これでもボクは精霊だからね、人間相手に負けるわけにはいかないんだ。立場的にも、信念的にも」
「立場だと、くだらん」
ベクターは俺達の前に出て、誰よりも偉そうに踏ん反りがえる。
「富も、名声も、所詮はその場しのぎの薬にしかならん。勝利とは純粋にこの戦場を楽しんだものこそに相応しい。滾る、滾るぞ!」
「君、国王やめた方がいいんじゃないのかな」
「なら我を殺せぇ!」
あの演説の時も思ったけど、ベクターって戦闘狂なのか。
俺達の行動も待たずに、合図もなしに単独でベクターは走り出してしまう。
「貴様等! 我に続けぇ!」
「ふっざけんな!」
グリテはそう言いながらもベクターに続いて荒蜘蛛を動かす。
超高速デブも、遅れて俺たちに追いついてきた。準備は完了したみたいだ。人事は尽くした。
「アオくんっ!」
「アオ殿!」
「決まってらぁ! 動けない奴狙いだ!」
畳み掛ける準備だ。
タスクにはあの三人が駆けつけるだろう。一度に一人に向かっていける人数は限られている。
だったら俺たちは、ハツを狙う。
「アルト……駄目か」
「ぁ!」
「ああ、こちらにはこれないだろうね」
タスクは手の内から、あの重力小槌を持ってきた。あれなら対応できる!
「ベクター! 俺に操縦権を!」
「かまわん!」
キングベクターの体が俺と連動する。その巨体が、ハツを狙うロボとラミィの体を隠した。
たぶん、目に見える範囲内の効果だと、
「甘いよ」
重力小槌を、タスクは俺に向かって投げ飛ばした。
「うぉおお!」
真っ直ぐと、直線に飛んできたその小槌は、重力を真横に飛ばしてきたのだ。
このままだと、ロボとラミィを巻き込んで踏み潰す。
「アオくん、安心して」
ひゅう、と静かな風が吹いた。
次の瞬間には、真横に移動していたはずのキングベクターが、放物線を描いた。
ラミィとロボを避けるように、軌道が逸れたのだ。
「コンボ、ガチャル、ガブリ!」
目の見えないジャンヌの、規格外のガブリの群れが飛んでくる。
「ロボさん! 止まる必要ないからっ!」
いつもと違い、ラミィがロボの前に出る。
ラミィはまだ風を吸っている片腕を前に出して、払うように横へ凪ぐ。
すると、ガブリの群れがラミィとロボを避けるようにして、逸れた。
攻撃を、受け流している。
「ら、ラミィ殿!」
「まっすぐ!」
ラミィの戦いが、いつの間にか進化している。風をそのまま当てるのではなく、最初に攻撃を受け、傷が付く前に流す。
あのジャンヌとの激戦で、ラミィはいつの間にかそんな戦い方を編み出していたのだ。風を消費することもなく、片手であらゆる攻撃をいなす。
「こっちをみろぉ!」
「やばいなこれは」
タスクも、ベクターグリテデブの三人に加え、安全も考えずに糸を吐き出す荒蜘蛛が、ぐいぐいと押していった。
「……」
タスクは無言で、また時間戻しの球体を落とす。
ベクターもそれを承知だろう。動揺はしていない。たぶん、使用後の十二秒の間に仕留める気なのだろう。やれるまで、何度でもやる。そんな気概を感じる。
「おぃい」
だがグリテは、違った。わかっていたとおりの行動をしたタスクを見て、完全に笑っていた。
タスクはそれでも使わざるを得ない。
球が落ちて、俺達全員の位置が元の、十二秒前の状態に戻る。
「ま、賭けだったんだがな」
「タァ……ク!」
ハツの、精一杯の大声。あいつが大声を出すほどの動揺だったのだろう。
タスクの後ろに、新手が出てきたのだから。
「やれ」
「殺す!」
いつの間にか、ベリーがタスクの前にまで肉薄していたのだ。
どうしてそこにいるのか、何故、時間戻しの影響を受けていないのか。
時間を戻したはずの、荒蜘蛛がいつの間にか消えていたことに気がついて、その理由を理解した。
荒蜘蛛の体の中に、魔法抗体であるベリーを隠していたのだ。
時間戻しは、フロア全体の時間を戻すことじゃなかったのか。敵対する奴ら全員を目標に定められ、敵対したことのないベリーが時間戻しの範囲から逃れた。
「これは」
「殺す!」
ベクターとグリテはすでに走り出している。
タスクは対応しきれない。肉薄は数秒にも満たないだろう。
もしベリーが脅威なら。
「大変、でもないかな」
どうする。タスクはベリーなんて素手でも倒せる。
ベリーの格闘術は上手いが、攻撃が通らない。
「なら、無視しろよ」
グリテは、邪悪な笑みを隠さない。面白くてたまらないと、歯を見せて笑う。
ベリーは懐から、一本の杭を取り出した。
タスクは、このとき一番の動揺を見せた。
「それは……」
「証の精霊を封印してた杭だがなぁ、オレがパクっといたんだよ!」
精霊封印の杭が、ベリーの手に握られていた。
そうか、あのイノレード襲撃事件の際に、ジャンヌが使ったと思われる伝説の武器を、グリテはずっと秘蔵していたのだ。
「畳み掛けるぞ!」
「うんっ!」
「御意!」
俺たちもハツに向かって走り出す。
精霊は攻撃が通らないという、その一転が一番の懸念なのだ。とくにタスクは、驚異的な攻撃力を武器に頼っている。
「これで、終わりだ!」
「くっ」
タスクはハツにも気を取られる。
だが、それでベリーをいなすのは甘い。ベリーは体術だけなら、十分に達人なのだ。
あのタスクが、体勢を崩す。
「終わり!」
ベリーが杭を振りかぶり、振り下ろした。
「……な」
しかし、その杭は、タスクには当たらなかった。
突如現れた誰かが、ベリーの右手を押さえている。その体からは、燃え盛る噴煙を上げていた。
「炎だと!」
その噴煙は、俺たちにも降りかかる。
俺たちは炎の壁に遮られ、進行を止められた。
「今の俺っちって、ベストタイミングじゃね」
「カエン!」
年端もいかない少年の姿をした炎の精霊、カエンが現れたのだ。




