第百七話「ちょう はい」
『シュート』
フランの呟きが、トゥルルによって届いた。
安心した瞬間を狙う。なんでもそうだ。
人間、手に入ったと思った一瞬こそ一番の油断を誘う。
完璧な、はずだった。
「っ!」
ジャンヌの反応は早かった。ラミィで攻撃の気配すらごまかしたのに、すぐに背後へ振り返った。
目を見開いたジャンヌの、眉間にふれるか触れないかの場所で、フランの放った弾頭は空中で静止する。
「……ふふ」
ジャンヌは最初こそ目を剥いたが、笑顔が戻ってくる。
「……学習しないな」
安心した瞬間を、狙う。
なんども轍を踏んで、何度も裏切られて、俺みたいになる。
横から見ている俺にはわかった。
ジャンヌの目の前にある一発目の銃弾と、全く同じ弾道を通ってくる二発目の存在こそ、俺達の本命だ。
最初の一発は、ジャンヌの攻撃魔法を合図に、もう一発は、さっきの呟き。
ジャンヌはその一瞬、一発目に注視しすぎて、その影に隠れる二発目に気づかない。
二発目が、一発目に追いつき、一発目のケツに衝突する。
その瞬間、
「チェックだ」
パァンと、小気味のいい音を立てて、二発目が、ジャンヌの額に当たった。
初めて、ジャンヌの体にヒットを当てた。
ゆっくりと、スローモーションみたいに、ジャンヌの体が地面に倒れた。
「あ……あれ?」
「あんたを捕獲するために、二発目は二重のスピーを当てた」
もちろん、普通じゃそれでも眠れはしないが、フランの増大した魔力なら可能だ。
俺たちは動かないジャンヌの死角に移動した。
ジルは手早くジャンヌのカードケースを見えないところに取り払ってから、両腕を押さえ、頭を床に、視界をゼロにする。
ジャンヌは今必死になって意識を保とうとしているだろう。でも、魔法も無しにやれることは限られている。
「最初の一発目は、チョトブだ。ジルの瞬間移動ですら止められる以上、一発目はどうやっても直前で止まるのくらいわかりきってた。だから、フランの魔法そのものの効力を飛ばす力を直前で止めて、その効力で二発目をサポートする」
ジルの攻撃が通ればよし。通らないのなら、それを押し通すだけの策を練る。
直前で止まったチョトブは発動と同時に霧散する。霧散した頃には、一発目によって隠され、加速した二発目が当たっているという寸法だ。
「お前を殺すわけにはいかない。ロ……マリアについて、色々聞きたいことがあるからな」
下手に傷をつければ、目覚める可能性もあった。俺はそのまま、ジャンヌが眠るのをただ待った。
でも、もしそれでも駄目なら――
「よぃ……や……」
無駄だ、干渉出来る視界が無い。ジャンヌの目には真っ暗な地面しか映らないのだから。眠気でろれつも回らないだろう。
「アオくん」
「大丈夫だよ、な? ジル、一応彼女の口を押さえて」
「ワタシを殺しでぐだざいな」
ぞくりと、寒気がした。喉から絞り出すような声が、ジャンヌの口から漏れる。
『アオ!』
「っつ、なんでこいつ、まだ喋れるんだよ!」
今できる最善を尽くしたはずだ。すぐに眠りに付くはずだったジャンヌがどうして。
ふと、ジャンヌの口元が眼に止まる。唇を赤く滴たらせながら、ぽとりと何かを落とした。
落ちていたものは、小さな肉片……!
「こいつ! 舌をかみきりっ!」
ジャンヌはあの咄嗟の場面で、こいつは舌をかんだのだ。
そうして産まれた僅かな痛覚が、眠気を少し遅らせ、彼女に詩を唱えさせた。舌が回らなくとも、無理矢理喉で空気を出したんだ。
ふわっと、ジャンヌを中心に風がなびいた。まるで、空気ですら彼女から逃げているようだった。
「ジルさんっ! ジャンヌから離れてっ!」
「だが、このまま放せば――っつ!」
ジルの、ジャンヌを抑えていた腕が火花を散らした。たまらず手をどけてしまう。
『逃げて!』
「離れるんだ! もっと距離を!」
フランの、遠くからの冷静な判断が、俺達を助けた。
全員が一斉に、ジャンヌから距離をとる。その一瞬あとに、何かの衝撃が空を切った。
「宵闇さん宵闇さん、ワタシと戯れてくださいな」
ジャンヌは地面から、幽霊みたいに浮くようにして起き上がる。口から血を流し、その血は地面に落ちる前に、ドス黒い灰になっていく。
「宵闇は翼をくれる
宵闇は世界を変えない
だからワタシは、皆を携え、皆を裏切ります。ありがとう、ごめんなさい」
ジャンヌが、舌を黒い何かで埋めて、俺達の知らない呪文を唱える。
『ガブリ、シュート!』
フランの、遠距離射撃が放たれた。
まだ覚醒しきっていない体は、攻撃の気配にすら対応しない。
ジャンヌのだらんとくたびれた頭は、フランの攻撃を見ようともしなかった。
見るまでもなく、銃弾はジャンヌに近づいて、灰になった。
「なっ!」
ジャンヌは、何も反応しない。勝手に、フラン攻撃が灰になった。
「アオくんっ、今のジャンヌはっ!」
「見てなくても、関係ない。全部灰にしやがる!」
ジャンヌの着ている服さえも灰に変えて、ジャンヌは可視化できる黒い何かを体に塗っていく。たぶんあれは、黒い幽霊だ。
そうして、全身の半分を黒く染め上げて、背中からは蝶のような黒い羽を飛び出す。
「見たことないぞ、僕はこんなジャンヌの姿を、見たことない!」
ジルが動揺している。あの黒い幽霊の、存在の不明さに、誰もが恐怖する。
「な、なんだよ、ボディペイントで蝶のものまねか……?」
俺はその恐怖を取り除こうと、冗談で取り繕うが、震えは止まらない。
「……知らないから」
乱れた髪がジャンヌの表情を隠す。黒ずんだ口の中から、声が漏れている。
「あなたたちのせいよ、ワタシを、またここに呼ぶなんて」
徐々にジャンヌの全身に力が戻っていく。そうして、睨み付けるジャンヌの顔からは、笑顔が消えていた。
この世のもの全てを嫌うような、不快を表す顔。
マリアの事件で、狂う前のジャンヌの顔だった。
「ワタシのだいっきらいな、今の世界に、帰らせるなんて!」
「来るよっ!」
「うぉお!」
俺は風のハープで空間を反らそうと試みるが、音が途中で消えた。
ジャンヌの体から出ている黒いりんぷんが、俺の魔法と干渉しあっている。
「く、空間系の魔法が!」
「アオくんっ!」
ラミィが立ち止まった俺を巻き込んで、タックルするように横へ飛んだ。とっさの回避運動だ。
真っ直ぐに飛んできたジャンヌは、俺達のいた場所を通り過ぎて、
「じょ、冗談じゃねぇ!」
「地面が灰に!」
その余波を受けた空間が、全て灰に成り代わった。
ジャンヌは背中の黒い羽を翻らせ、空を飛んだままこちらに向き直る。
回避して倒れた俺とラミィに向かって、飛んでくる。
「全部! 全部! 全部全部全部全部」
「土!」
俺は咄嗟に土の盾を前に掲げて、その衝撃を受ける。盾は灰にならなかった。
ジャンヌは駄々っ子のように、何度も何度も、盾を殴る。
「あんなに嫌だったのに、だから彼女を作ったのに!」
「ラミィ離れろ! そこにいると邪魔だ!」
「アオくんっ!」
「あなたたちのせいだぁあああああああっ!」
ジャンヌは大きく振りかぶり、思いっきり盾を殴る。
盾は壊れたりしなかったが、その余波が波紋を広げて、俺達のいる地面を、足を攻撃する。
「あ、足場がっ!」
「どうしてくれるのよ、こんなに、こんなに!」
「アオ! 送れ!」
ジルは俺の横にまで近寄り、一緒になってワープをする。
間一髪、ジャンヌの次の攻撃を避けきった。先ほどまでいた場所は、半径二メートルほど灰になっている。
「アオくんっ、ツバツケ!」
先に離れていたラミィが回復魔法を放つ。
見ると、体のあちこちが崩れていたのだ。特に、盾で守りきれなかった足元が酷い。靴を越え、皮膚が灰に変わったせいで、ひりひりと足元を傷めている。
「はぁ……はぁ……」
ジャンヌが、少しだけ息切れしていた。叫びきって疲れたような、普通の息遣いだ。もちろん、あの黒い姿は解除されていない。
「僕の知らないあの姿が、ジャンヌの本当の戦闘形態なのか?」
ジルは警戒しつつ、そのジャンヌの姿を見据えて言った。
戦闘形態。
たしかに、今までの幽霊は戦うというよりも、小間使いの小人みたいな感じだった。攻撃力こそあるが、範囲はそこまでないし、謎さえわかれば弱点だって見つかる。
今回はどうだ。持ちえる情報を引き出そうと、知恵をまわす。
「……全身を知らない黒色で埋めてる。蝶みたいな羽で空を飛んで、機動力は飛躍的に上がっている。そして何より、全身から湧き出る黒い粉」
『空間や魔法そのものを、灰に変えてる』
一番厄介なのが、このりんぷんだ。どういう原理かは知らないが、ジャンヌの体から無限に湧き出ている。
そのせいで、俺たちが攻撃しようとしても、ジャンヌに到達する前に灰に変わってしまう。
「絶対防御じゃねぇか、こんなん」
たぶん、スピーの効力もあれで跳ね返したのだろう。
「まだっ、諦めちゃ……ごほっ、ごほっ!」
ラミィが俺を元気付けようと言葉を出して、途中で咳き込んだ。
「ラミィなにし……ごっ!」
俺も、どうしてか咳き込んだ。気分も悪くなり、吐き気がする。
『ビュン、シュート! アオ、たぶんそのりんぷんはずっと空気中を漂ってる! 灰にならないまでも、毒性なのよ!』
「……っ! タバコじゃあるまけほっ」
フランによってビュンの風が届く。いくらかのりんぷんをふきとばし、ラミィにその風を継続させる。
「アオくん、ジルさん、私のうしろにっ、風でりんぷんを防げば」
「そう言っている暇もないようだ!」
ジルはラミィの言葉に口を挟む。顔色の悪い表情がのぞくのは、今まさに動こうとしているジャンヌの姿だった。
「ほんとうに、どうしてくれるのよ!」
「ラミィ離れろ! 距離をとるんだ!」
俺は足に鞭打って立ち上がる。盾があるのは俺だけだ、他の奴は近づいただけで千切れる。
ジャンヌが、こちらへと飛んでくる。
『シュート!』
フランの遠距離魔法が援護をしているが。全く意味がない。
ジャンヌの体に当てるまでもなく、すべてが消えてしまう。
俺はまた、突撃してきたジャンヌを盾で受け止める。
「フラン! お前はりんぷんをなんとかしてくれ!」
『う、うん!』
フランはすでに水光で二枚、トゥルルで一枚使っている以上、連射限界は三回だ。攻撃魔法を打つべきじゃない。
俺がジャンヌを押さえている間、ラミィとジルは遠距離から魔法を打ち始める。
「迅フォニック!」
「コンボ! ガブリ、デブラッカ!」
『ビュン、シュート!』
しかし、どれだけ圧縮しようが、質量を増やそうが、関係無しに片っ端から消えていく。
フランのビュンでも、これだけジャンヌに近づけば、すぐにりんぷんは俺の肺に届く。
「ごほっ!」
『土の盾だって回復があるのに!』
「おっつかねぇ!」
俺の体は少しずつ痛み始める。ささくれのように、皮膚が裂けていく。
「ジルさんっ!」
ラミィが最強技を構える。ジルに向かって。
ジルはそれを悟って、頷き、
「迅フォニック!」
「送れ!」
ラミィの技を、至近距離までワープさせる。
ジャンヌの目の前に現れた風は、それでもジャンヌの体に触れることなく崩れていく。
でたらめだ。
俺の土の盾意外、なにも維持できない。
「ワタシに、触れるわけないのよ」
ジャンヌは、目標を俺からあの二人に変えた。俺を無視しようと振り返るが、
「させるかよ!」
俺はすぐに対応する。攻撃の気配が見え見えなら、それに先回りだって容易い。
ジャンヌは俺の対応に釘付けになる。
ジャンヌの攻撃は愚直だ。戦法も何もない。ただ暴れているだけ。
それでも、この圧倒的な戦力差だ。
「辛うじて使えんのが俺の盾だ、ちょっと息苦しくても、これくらい!」
「……うざったい」
『っ! コンボ、ビュンビュンビュン、シュート!』
「アオ!」
「アオくんっ!」
ジャンヌは、俺の盾を殴るのをやめた。自らの体を両手で抱きしめ、うずくまる。
縮こまったジャンヌの体は、黒色の肌は、収束するようにジャンヌの心臓に集まっていく。
「ほんとうに、あなたたちうざったいのよ」
ジャンヌの体が、世界が震える。大津波の前みたいな振動が、地面を揺るがした。
「消えちゃって、どっかにいなくなれぇええええっ!」
ジャンヌは弾けるように叫んだ。
その叫びを皮切りに、
「送れ!」
世界が、黒く染まった。
***
わたしの覗くスコープが、真っ暗になった。
見える全ての場所が、ジャンヌの黒いりんぷんで染め上げられたのだ。
避ける場所はどこにもない。たとえ盾が灰にならなくとも、あの空間にいるアオたちは無事ですむわけがない。
直前に放ったビュンも、ほぼあの黒い中に溶けていってしまった。
「アオ! 応答してアオ!」
『……い』
「アオ!」
アオが応答に応えた。
どうやってあの状況で生きているかもわからないが、わたしは安堵してしまう。
『が……ごっ!』
だがすぐに、そんな思いは消えてしまう。
アオの口から漏れたのは、何かを吐き出すような声。
「どこにいるの、ねえアオ!」
わたしは、トゥルルで大体の位置しか追えない。どこに……
「あ!」
そこでやっと気づいた。
あのジャンヌの隣から、かなり離れた場所に人影がいることがわかった。
わたしは、それがアオたちであることを祈ってその場所をスコープで照らす。
***