第百六話「ひんむく しゅーと」
「おま……っつ!」
振り返った瞬間に、体が硬直する。幽霊に体を押さえつけられたのだ。
「どうして逃げるのかな? ワタシ、君に会うの楽しみだったんだよ」
「そりゃ、光栄だな、裸でも見せてくれるのか?」
「ええ、かまわないわよ、あなたのすべてがワタシを睨むように、ワタシのすべてはきみを閉じるの」
ジャンヌはまたわけのわからない台詞を吐きながら、俺に微笑みかける。
こいつが何をしにきたかなんて御見通しなんだ。ジャンヌはずっと、俺を危惧していた。
いつからかは知らないが、執拗に俺を封じたり、俺を警戒している。あのクロウズでの冷蔵庫をよけられた時に確信していた。
「さあ、あなたと御話を――」
「残念だよ、あんたとはわかりあえない」
「なんでかな?」
「裸ってのは心じゃなくてな、衣服のことなんだよ!」
俺は、ずっと胸に当てていた左手、風のハープを弾いた。
ぶっと、背中に押し付けられるような衝撃を浴びる。俺は、自分自身を吹き飛ばしたのだ。
振り返ったのも、腹に当てたのもこのため。目的地までに障害物がないことを確認して、左手で触れる場所が丁度そこに向かうように。
「ぶぶぶっ!」
体は大きく揺さぶられ、どこまで飛ぶのかわからない。
だから、ブレーキも用意してある。
「シルフィード、クッション!」
先に目的地についていたラミィが、俺の体を受け止めたのだ。
「見た目柔らかこの体、脂肪はそんなにありません! 真実しか言わない正義の言霊。シルフィードラミィ! 風の便りにてただいま参上!」
「胸のはノーカンにしてやる!」
俺は揺さぶられた脳を押さえようと頭を抑える。
ラミィには奴隷紋章がある。移動速度の速いあいつなら、俺の居場所を把握しつつも目的の場所を察知できる。
ジャンヌを倒すために考え抜いた作戦の、そのためのフィールドを。
そこは、平地で障害物も何もないただの広場みたいな場所だった。ジャンヌの視界から隠れるものを一切排除したその場所を、俺たちはあえて選んだ。
「ラミィ、早く二手――」
「ねぇ、まって、まってよ」
ジャンヌが、思いもよらぬスピードでこちらに肉薄してきていた。あの風のハープに追いつかんほどの素早さだ。
このままだと、作戦の準備もままならないまま動きを封じられる。
「ちっ、せっかく距離を稼いで」
「安心してくれ、時間もしっかり稼いでいるよ」
そのジャンヌの後ろに、味方の影があった。
ジャンヌはそれに気づき、振り返る。攻撃はそれで一度やんでしまったが、俺たちが視界からはなれた。
「ラミィ今だ!」
「うんっ!」
「……ジル」
「久しぶりだ。君は、変わったな」
ジルが援護に駆けつけてくれたのだ。おそらく、イノレードの人たちを救助した後、瞬間移動を何度か繰り返して、最速で駆けつけてくれたのだろう。
ただっぴろい平地には、真ん中をジャンヌにして、丁度三等分できる範囲に俺たちは別れた。
こっからが戦闘開始だ。
*
ジャンヌの能力は強大だ。正体を知る前にほとんどの人間は殺されるし、幽霊なんてわけのわからないものを理解することは、ほとんどないだろう。
だが、種さえわかれば、ジャンヌは対抗できる。
「ふふっ……ジル、あなたもいじわるするのね」
「君の戦闘能力は未だに覚えている。出撃前のアオとの会話で、確信が出来た」
ジャンヌの死角には必ず一人の人間を置く。そうすれば、幽霊での硬直は不可能だ。他の魔法を使うにしても、意識を反らせばすぐに解けてしまう。
あと懸念すべきは、モンスターがジャンヌの援護をするかどうかだが。
「アオ、モンスターはキャルやイノレードの方々に任せてきた。暫くの間なら、このメンバーで戦い続けられる。タスク一味の主要人物捕獲は、この作戦の最大目標だ」
「さんきゅうだな」
あの受付ギャルも助けてくれたか、あとはレイカとかその辺がいるのかな。なんにしても、それなりの時間は稼げる。
「みんな、いくぞ!」
「おうおう!」
「いくよっ!」
『アオ! しっかり!』
皆で同時に攻撃を開始する。
俺は拾った石ころを左手に持って、風のハープで吹き飛ばす。
ジルは腰の剣を持って突撃する。
「シルフィード、ブレッド!」
ラミィは拳を風に乗せて遠距離攻撃をする。
近距離はできる限り避ける。多くても二人までだ。近づいて三人とも視界に納められたら終わりだからな。
「宵闇さん宵闇さん、彼等を止めてくださいな」
まず最初に、ラミィの風の拳が霧散する。次に横目でジルの動きを抑えながら、その視界内にいる俺の飛ばした石を止めようとして。
俺は、弦を弾く。石はがむしゃらに、ブレた軌道に変わった。
「シルフィード、スマッシュ!」
それと同時に、ラミィがジャンヌの前にまで肉薄する。拳を放ってすぐに走り出したのだ。
前と後ろからの同時攻撃だった。
「……ビュン」
「きゃ!」
後ろを振り向くことなく、ジャンヌは魔法を放った。ビュンではありえないほどの突風が吹き荒れて、ラミィと石を吹き飛ばした。
「く、一言でこ……っち!」
「じっとしててね」
すでに、硬直の手は俺にも伸びていた。指先一つ動かない。
ジルを視界から外さずに、俺も同時に硬直させる。
「……後ろを向いたままラミィを倒せると思ってんのか?」
「吹きぬける風さんが、この中でお話できそうだったから」
たしかに、この三人のなかだと一番弱いのはラミィだろう。ジャンヌの判断は正しい。
だが、舐めてる。
「送れ」
俺との会話に気を取られた一瞬、動けないはずだったジルの体が消えた。
ジャンヌは目を開き、気配のする背後を振り返って。すでに肩へ剣が届いていることに気づいた。
「まだ駄目か!」
ジルの剣は、ジャンヌの上着をちょっとだけ切って止まった。ジャンヌが見た瞬間に硬直したのだ。
視界に入らなければ効果を発揮しない幽霊だが、視界にさえいればほぼ無敵なのだろう。
「だが、ほんの少しでも刺さるのなら」
「ありだな! 土!」
振り返ったという事は、動けるのは俺だ。
土の盾を地面に付きたてて、大量の触手で迫る。
「おら脱がせぇ!」
「……ボボン」
ジャンヌは振り返ることなく、俺の攻撃を把握して燃やし尽くす。そんなのわかってる。
「ジル!」
「送れ!」
「もういっちょ!」
俺の触手と、ジルの瞬間移動が同時に迫る。
二度目の触手攻撃は、ジャンヌの近くにあった地面全体を触手に変えた。これならどれか一つの触手は死角に行くだろう。
「……宵闇さん宵闇さん、ワタシと踊ってくださいな」
ジャンヌは怯むことなく、可愛らしくくるりと回る。その方法で視界に入ると同時に、バラバラと触手は崩れていく。
ジルも危険を悟ったのだろう。今回は剣を引いて回りこんだ。右肩の皮膚が、何かに引き裂かれるようにちょっとだけジルを傷つけた。
なるほど、咄嗟に見るだけじゃ拘束が基本だが、余裕のまま意識すれば攻撃も出来る。
「アオくんっ!」
「わかってら!」
『確認!』
俺は土の盾を右に構えて、大きな衝撃を受け止める。
そしてまた、硬直状態に戻る。誰が先に動くべきか。
「わからないな~」
ジャンヌはそんな俺達の思惑とはかけ離れた、気楽な声を漏らす。
「余裕ぶっこきやがって」
「星のない空さんは汚いなぁ」
無邪気な笑いは、俺達をからかっている。
いつか脱がす。今脱がす。
と、ジルが前に出て口を開いた。
「ジャンヌ、君は何故こんなことをするんだ」
「何故? 何が何故なの?」
「君におきた不幸は、ある程度だが想像はできる。でもその恨みを世界に向けては」
「向けてないよ、ジルは何を言ってるのかなぁ?」
ジャンヌは眉をひそめて、可愛らしく首をかしげる。
「ワタシはね、もう失敗しないために、世界を変えるだけなんだよ」
「ジャンヌ!」
「はっ」
俺はそんな会話に、茶番めいたものと、馬鹿馬鹿しさを覚えていた。
「失敗しないって、か」
「星のない空さんは、なにか楽しいことでもあったのかな?」
「教えてやらねぇ……ジル、説得はこいつをひん剥いてからだ。動けなくして、裸にしてやる」
「……裸以外は、その通りだな。彼女に勝とう!」
再度、俺達は臨戦態勢に入る。
ジャンヌだけは、微笑を崩さず、受け入れるように両手を広げた。
「おいで、みんなはワタシと違うけれど、ワタシがみんなと違うだけだから」
「……ラミィ、あいつ、いい体してるよな」
「……っ!」
俺はラミィに合図を送った。この一回か勝負だ。
ジャンヌはまだジルの瞬間移動には慣れていない。今ならまだ錬度は低いはずだ。
「コンボ、キランキラン!」
ラミィが魔法を唱える。ただ、効力を喋る以上は目潰しにはならず、互いに目を少し瞑るだけだ。
その一瞬なら、全員が動ける。
「送れ!」
ジルは目を瞑ったまま瞬間移動をしたようだ。上手い。
たぶんジャンヌは自らを移動して回避しただろう。そう、回避運動だ。
「風!」
俺は風のハープを弾き鳴らして、移動距離を歪ませる。ジルとジャンヌの構図はわからないが、そっちを見る必要はない。
ただ、知っている位置にいたラミィに近づけた。
「シルフィード、フィスト!」
静止動作をしたばかりのジャンヌに、ラミィの一撃が迫る。位置関係はキランの前に調整した。ほぼ避けられない攻撃だ。
「チョトブ」
ジャンヌは跳躍の呪文を唱える。嵌った!
俺はもう一度風のハープを弾く。回避運動は、絶対にさせない。
「コウカサス」
ジャンヌは自らの選択の失敗を悟りつつも、すぐ防御行動に入る。
ラミィの攻撃は止まらない。すでに振り出した手を、開く。
「アンドっ、プッシュ!」
ラミィは拳で殴るのではなく、そのまま後頭部を掴み上げ、地面に顔をたたきつけようとした。
打ち合わせのひとつが、通った!
ジルが最初に攻撃、回避は俺のハープが、防御はラミィの技でいなす。このパターンがきた時、初めて成立する。
「ガブリ!」
ジャンヌの、三回目にてやっときた攻撃。
その場で体勢を崩していたジルは、そのまま吹き飛ばされる。
ラミィは風の装甲を纏いながら、体のあちこちを引き裂かれて後退を余儀なくされる。だが、彼女は飛べる。空中を動ける。
「怒涛、粉砕! 全身全霊!」
ラミィはその崩れた体制のまま、最強技を放つ。
ジャンヌは、その攻撃の気配に対して、躊躇いもなく振り返った。
風が何かに削られ、どんどんとしぼんでいく。このままでは、破壊する力はすぐにラミィの体にまで到達するだろう。
三人の同時攻撃は、防がれた。ジャンヌは防いだと確信しているし、実際そのとおりだ。
三人が体勢を戻す頃には、ラミィが死んでしまう。
かかった。
「ジンフォ……っ!」
「はい、これで――っ!」
ジャンヌは目を見開いて、何かに気づいた。気づかれた。
「でも遅いんだよ!」
ジャンヌの力は強大だ。連射限界もわからない以上は、これ以上何人増えようが変わらない。だいたい、同時に攻撃なんて三人が限界だろう。大人数になれば、ジャンヌに逃げられるかもしれない。
だからこその三人だ。ジャンヌが対応できると確信した人数で挑み。全てを失敗してから、
四人目がいないと、騙す!
「フラン!」
ジャンヌの背後からは、ラミィの気配に合わせて一直線に、こちらに来る魔法があった。
長距離狙撃魔法。フランの水光の、圧縮魔法弾だ。
***
「確認……位置関係、距離、予想弾道」
わたしはいつも不安だった。
いつの間にか、知らないうちに大切な人が遠くに離れることを思うと、いつも誰かのそばでそわそわしていた。
パパが死んでからのことだ。
だから、今も一人は怖い。
「でも、遠くにいても、繋がっているのなら」
淵の精霊に出会って、パパの想いを知った。離れていても、残せるものがあることを知った。
「寂しさは、ごまかせる」
わたしは、唱えた水と光のコンボに変わった大砲を、持ち直す。
それは大砲にしてはあまりにも長いバレルが備わっていた。長すぎる故に、携帯しての移動はほぼ不可能で、それを助長するようにバレルの途中に三脚が付いている。砲身の真上には望遠鏡、スコープといわれる遠見のレンズが装着されている。
狙撃銃と呼ばれたこのわたしの新しい力は、圧縮した魔法をより遠くへと飛ばせる。
「慌てないで、揺れは大丈夫?」
「うん、大丈夫」
お母さんが、隣でわたしに話しかける。
丘の上ではどうにも直線上に届かず、船を出してもらったのだ。もちろん、アオと事前に打ち合わせてある。
船は揺れるけど、昔から魔法の気配を追って、移動しながら大砲を打っていた体だ。目的が遠くな分角度がシビアだが、当てられないわけじゃない。
魔法は常に狙いではなく意思に反映される。パパがよく言っていた。
「チョトブ」
大砲に、魔法が装填される。
失敗しないように打っては駄目だ。そんなの、無理に決まっている。
今行える最良を目指す。人は常に、実力以下のことしか出来ないのだから。
スコープの先にいるジャンヌが、攻撃魔法を放った。
「……シュート」
わたしは、ゆっくりと引き金を引く。
***