第一話「このせかい おわり」
「おめでとう! キミは六十億二人目の被害者だ!」
人類がもし絶滅するとしたら、どんな理由だろうか。
数十億年後に自然消滅するのか、隕石が墜落して、一瞬にして消し飛ぶのか。
結局出てきた答えは、仮面をつけた一人の怪物が世界を回り、自分と同じ存在にするウイルスをばら撒くという突拍子も無いものだった。
「とってもいい感じだよ君は、本当の意味で運を引き寄せた。ボクはね、君みたいなのがダイスキナンダ」
核兵器をものともしない、言葉でしか交流の出来ない怪物は、手ぶらで世界を歩き回り、地味な殺人事件を三桁まで続けてから、ようやく脅威として認識された。
殺した人間を自分と同じ存在に変えて、彼はいまや、殺した数と同じく六十億人以上いるのだろう。
すでに人類は敗北し、この名前もない一人の怪物こそが、生物の頂点だ。
「聞いているかい? ボクはね、君が、ダイスキナンダ」
嘘だ。
ならなぜ自分の家族を殺したんだ。
部屋の隅では吹き飛んだ血液が散乱し、ドアの隙間から父の足が見える。
物音がして、一階に来たときには、もう手遅れだった。
「安心してよ、彼等もじきボクになる。ボクはすべての人間が大好きだから、一つになりたいだけなんだ」
俺はその現場に遭遇し、失禁したまま廊下にへたり込んだ。
それに気付いた怪物が、楽しそうに話しかけて来たのだ。
「愛の完成は、ひとつになることだと偉い人はイイマシタ」
その怪物は、人間そっくりの姿で両手を広げる。
「しかし、完成しては面白くありません」
わざとらしく悩むように、首をかしげて俺を見た。
「だから、キミみたいにキリのいい数字の人間には、チャンスを与えたいんだ」
「……ふざけるな」
震える声で、初めてそいつに口答えをする。
それを聞いた怪物はさも面白そうに、仮面を揺らして笑う。
「ふざける? 面白いけどナンセンスだネ。ボクは産まれたときから真面目じゃないし、嘘もつくけれど、約束は守るよ」
「ど、どこがキリのいい数字だっ……」
「……ぶはっ! それもそうだね!」
怪物が噴き出した。
「でも、約束は本当さ。キミに自分を保つチャンスを与えたいんだ」
怪物はぬっと近づいて、仮面の顔を俺の目の前まで寄せてから、止まった。
「あっちの世界で、一番美しいものを手に入れてきてくれ」
今までとは全く違う重い声音が、俺の耳に響く。
「そうすれば、この世界からボクは消えるよ。ついでにボクになった友達とも会わせてあげる、全てが元通りさ」
突如、俺の首に怪物の手が絡み付いた。
首を絞められて、息ができない。口から渇いた声と血が流れて、意識が段々と薄れていく。
「言ったよ、約束だ。あっち世界で、一番美しいものを手に入れてきてくれ。それがあれば、ボクはこの世界をあきらめよう」
ぼやける視界の中、怪物の肩を揺らす姿は、ずっと目に焼きついていた。
*
藤木あおは子供の頃、何故かじゃんけんに勝つことが出来なかった。
別にグーばかりを出しているわけでも、わかりやすいクセがあったわけでもない。とにかく、大切な勝負のときは絶対に勝てなかった。
かけっこも、同じ時間だけ練習したクラスメイトと何故か差がついた。ノートをとってまじめに勉強しても、テストの点は隣で寝ていた生徒と同じくらい。
だからか、ジャンケンで後出しをし、かけっこでフライング、テストではカンニングをしていた。
もちろん、子供の頃のあだ名は卑怯者だった。
そうして年を重ねるうちに、要領を学ぶ。
ばれないよう、見られるなら人に忌み嫌われない範囲で卑怯なことをする。
屑のすることだった。
それでも自分が嫌いじゃないのは、もしかしたらナルシストなのかもしれない。
現在高校生、子供の頃から感じていた、あのじゃんけんみたいな間の悪さ。
今回俺が怪物に選ばれたのは、その分のツケを返してくれたのかもしれない
それとも、屑の自分に下った、間の悪い罰なのかもしれない。
*
「成功じゃぁああああっ!」
「やっ……たっ! やったぁ!」
意識が戻ったとき、最初に耳にしたのは二人分の咆哮だった。
辺りは濃い煙が延々と立ち込めていて、何も見えない。
ただ、誰か二人の人間が、煙の向こうではしゃぎまわっているのだけは確認できた。
「あ、え?」
俺は素っ頓狂な声をあげながら、辺りをきょろきょろする。
段々と煙が晴れていく、するとそこには、声の主たる二人の姿があった。
一人は男性。かなり老け込んだ爺さんで、サングラスをしている。両腕を組みながら不敵な笑みを浮かべた白衣の男だ。
もう一人は少女。十歳前後の小柄な少女で、気の強そうな大きな瞳がこちらを見ている。流れるようなブロンドのロングヘアーと、ぶかぶかの白衣を煙の風で揺らし、無い胸を張って仁王立ちをしている。
最初に近づいてきたのは、爺さんの方だった。
「ようこそ、言葉は通じるかね?」
「あっ、なんで最初にパパが話すの!」
「早い者勝ちじゃい」
「なにそれ!」
俺は呆然としたまま、床にへたり込んでいる。
その様子につられたのか、二人も少しづつ落ち着いていく。
少女と爺さんは同時に咳払いして、腕を組む。なんとも仲が良さそう。
「まあ、額面どおりならば言葉は喋れないのだがな、期待という奴じゃい」
「はぁ」
「喋ったじゃと!」
気のない俺の声に、二人が驚く。
「……ひっ!」
少女の方は途端に逃げ腰になって、爺さんの背中に隠れた。
なんだ、俺何か悪いことしたのか。
「これは一体、そんな言語を入れた覚えはないのだがな、いや、これは必然的な」
「あの、あなたたち誰ですか?」
「……本当に素晴らしい」
いきなり近づいてきて、爺さんに肩をつかまれる。
怖い、怖いよ。知らない人にこれやられると怖いです。
「パッピーバースデイ! 君はわしたちの――」
「……ねぇパパ」
興奮冷めやらない爺さんに、少女が水を指した。
爺さんの後ろで、怪訝な表情を浮かべる。おずおずと、小動物のように俺をみている。
「これ……もしかして失敗じゃない?」
*
それから数分たった。
少女と爺さんがなにやらヒソヒソ相談した後、
「すまない、ちょっと君のことを聞いていいかね。わしの名前はフランク。こっちはわしの娘で、名前は……名前はぁ……」
「……フランよ」
わざわざ爺さんのフランクが少女フランに名乗らせている。
もしかして、人見知りが激しかったりするのだろうか。最初はあんなにはしゃいでいたのに。
あとはあれだ、なんというか、紛らわしい名前だ。
「紛らわしいじゃろ。だからわしは博士で、フランはフランと呼んでくれ」
「えっと、わかりました。俺は藤木あおです。どうも」
俺は床に座りなおして、頭を下げる。
ふと、床が目に入る。なんだか替わった模様の円陣が掻かれていて、端の六ヶ所になにやら紙が置いてある。
なんだこれ。
「俺は、どうしてここにいるんですか?」
とりあえず、状況を把握したかった。
「ここにいる、とは?」
「さっきまで俺、自分の家にいたと思うんです。それで……」
続きを言おうとして、寒気がした。
あの、仮面の怪物のことを思い出したからだ。
「おかしいのぅ、何か手違いがおきたとしても」
博士はその沈黙の中で、考え唸る。
「パパ、間違えて召喚魔法が発動したんじゃない?」
ぼそりと、そんな博士にフランがアドバイスをする。
魔法? 魔法って言ったよな今。
「ああ、なるほど、それは合点がいくのう」
相手側二人が、なにやら勝手に納得し始めている。
俺がわけもわからず二人の反応を待っていると、博士がこちらの前で真剣な表情をして、
「すまない!」
髪の薄い頭を見せて、謝ってきた。
「どうやらわしたちが、魔法を間違えたようでな。見ず知らずの君を、この場所にまで転送してしまったのだ」
「魔法って、なんですか?」
「魔法といったら、魔法じゃよ」
会話が上手くかみ合わない。どうなっているんだ。
「火」
そのときだった、突然、目の前を炎が通り過ぎた。
「これが、魔法じゃ」
博士は得意気に、片手にカードのようなものを掲げている。どうやったのかは知らないが、火種もないのに火を出して見せたのだ。
もしかして、魔法ってあのファンタジー的な魔法なのか。
よくよくその室内を見渡すと、見たこともない文字列がいくらか目に付く。
二人とも日本語を話しているのに、あの文字は何だ。
大きく書かれた壁紙は、世界地図のような形をしているのに、どうも見たことのない海と陸地が描かれている。
締めに、部屋にあった窓を覗く。夜なのか、光はか細い。
「あ、ああっ!」
窓の外には、林間学校でしか見たことないような、満天の星空。
「なんだよあれ!」
月のように夜空で輝く、二体のドラゴンが、自分の知っている世界とはまるで違っていた。
『あっちの世界で、一番美しいものを手に入れてきてくれ』
あっちの世界。それが、異世界のことを指しているのだと理解した。