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「う……ん、コマネチ」
ぱちりと目を覚ました。ありゃ? 今私ったら、女子高生が口走っちゃいけない単語を発しませんでした? 一体どんな夢見てたのかさっぱり思い出せないわ。
ゆっくりと身体を起こしてみると少し頭がくらっとしたけど大丈夫そうだ。
私が寝ていたのは真っ白のシーツに包まれたベッドだった。その周りはカーテンで区切られていて部屋の様子は分らないけれど保健室みたいだ。
もしかしてあれは夢? トイレで倒れた私は保健室で寝かされ、さっきのあれやこれやはその間に見た夢だったのかしら?
細部まではっきりと思い出せるやたらリアルな夢だった。トイレで倒れたっていうのはちょっとアレだけど、まぁいいでしょう。うんうんと頷いているとカーテンが開けられた。
「あら起きましたかぁ。気分はどうですかぁ? お怪我はなかったようですが」
ひょっこりと顔を出した女の子に私は釘づけになった。
おっとりとした口調に見合う、眠たげにとろんとしたたれ目が印象的な可愛らしい女の子だ。
うわー、看護婦さんだ! 看護師さんっていうか看護婦さん。白と黒で統一された服はかなりクラシカルで、スカートなんかがぴらぴらしてまして一歩間違えればメイドさん? みたいな。一般的なナース服とは違う、機能性よりもファッション性を重視した感じなのです!
……どうしてナース服についてこんな力説してるんだろ私。
友達に引きずられて物の見方が若干一般から逸れてしまっている自覚をした。私と同じか少し上くらいの女の子にハァハァしそうになった自分にドン引きして悟った。
俯いたついでに自分の身体をペタペタ触ってみる。うん、本当だ怪我はないみたい。やっぱりあの時私の周囲に張り巡らされてた壁のお陰で無傷ならしい。
あのコスプレ野郎がした事なのかしら。
一万個以上文句を挙げ連ねてやりたいけれど、この配慮だけは褒めてやっていい。
私だって一応年頃の女の子なわけだし、体中傷だらけなんて大惨事は避けたいもの。お嫁に行けなくなっちゃう。
嫁? そういえば……。つらつらととりとめのない思考に浸っていたんだけど「もしもーし?」とナースさんに顔を覗き込まれて我に返った。
「気分は、悪くないです」
貴女に「萌え!」って言いそうになった自分が気持ち悪いだけです。
「そうですかぁ、よかった。ではフランツ様をお呼びしますので、しばしお待ちをー」
カーテンを全開にしたナースさんは、すたすたと歩いて部屋の扉へ向かった。
「フランツ様ぁー! フランツ様ぁーっ!?」
あ、呼びに行くんだとばかり思ってたけど、呼んで来させるんだ。へー……。
様ってつけてたからナースさんより目上の人なんだろうに、いいのかそれで?
そして彼女が言った通り暫く待っていると(その間にトイレに行かせてもらったのは内緒)、一人の男性がやってきた。
髪に白髪が混じり出している壮齢の男の人だった。黒一色の長いローブという厳めしくみえそうな格好だけど、本人の顔には柔和さが滲み出た微笑みが湛えられていたから、怖い印象はない。
「顔色もいいようですし、問題はなさそうですね」
ベッドに座る私を見てフランツ様とやらは頷いた。
「初めまして、私は神官長を務めておりますフランツと申します」
「しんかん」
なんかまた耳慣れない単語出てきた。
うん、ナースのお姉さんを見た時点で気づいてたけど、やっぱりここはファンタジーの世界なのね。これは揺るがない事実なのね。あのお兄さんは嘘ついてなかったのね。
色々聞きたい事はあるけど取り敢えず。
「えっと、葛城悠です」
「カツラさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「あまりよろしくないです!」
何故そこで切った。
カツラって苗字は日本じゃ全く珍しくもないし、カツラさんに対してカツラさんって言うのは当然だと思うけど。
葛城だって言ってんのにわざわざカツラって呼ぶのは、ちょっとした悪意が見え隠れしてるよね絶対。
いやフランツさんにそんな気はないんだとは分かってるよ? でもやっぱ、ん? ってなるじゃない!
「悠って呼んで下さい」
「ハルさん、ですね」
何故私がカツラ呼びを拒んだのかやはり理解していないようで、首を傾げながらも頷いてくれた。
「ではハルさん、起き抜けでも申し訳ないのですが貴女に確認したい事があります。私はあなたが現れた場に居合わせたのですが……気になる点がありまして」
まぁ、それはそうだろう。突然空から人が降ってきたんだから。しかも大層立派そうなステンドグラスを割って。
猛スピードで落下してきたにもかかわらず本人無傷だし。
ていうかそうか、フランツさんあそこにいたのか。私はすぐ気絶しちゃったしあんまりどんな状況だったか見てないんだけど、言われてみれば何人かいた気がする。
思い出そうとして何か引っかかりを感じたけど、よく分からないから頭の隅に追いやる。
「……ん? そうだステンドグラス! すっごい盛大に割っちゃいましたけど、フランツさん怪我してません!?」
考えてみれば血のステンドグラス事件として後々まで語り継がれるレベルの凄惨な出来事になってそうな……。
「ああ、それは心配ありません。ソレスタ様が咄嗟に術を掛けてくれたお陰で被害は出てませんよ」
「よ、よかった……」
異世界来た日に重犯罪者として処罰される羽目になるかと思った恐ろしい。
安堵の息を吐くと、ナースさんが後ろでクスリと笑った。
「それで、ハルさん」
「あ、そうでした。すみません質問どうぞ」
質問というか私的には尋問ですが。答えを間違えたら、この温厚そうなおじ様が急に鬼の形相になったりしたらどうしよう。牢屋に閉じ込められるとかあるんだろうか。
「まず初めに、貴女はクトウの民でしょうか」
「クトウ? あの私、何でか言葉は通じるんですけどこの世界の人間じゃなかったりとかして、すみませんクトウって何ですか?」
自分でもすんごい怪しい事言ってるって自覚してるよ!
フランツさんがポカンとしちゃってるもの。ナースさんも口元を手で押さえて「まぁ」とか言っちゃってるもの。
痛い子だと思われちゃったか、でも仕方ないじゃない本当の事だもん!
「ここではない……別の世界から呼び寄せられた?」
フランツさんは目を伏せて少し考える素振りを見せてからしっかりと私を見据えた。
「ええまぁ、そんな感じです」
怪しげな男に強引に連れて来られました。数時間前の奴とのやり取りを思い出して遠い目をしてしまった。
私が物思いに耽っていると、フランツさんはナースさんにチラリと目配せしおもむろに立ち上がった。
「やはり、貴女様がユリスの花嫁様でございましたか。ルイーノ、陛下達にご報告を」
「はぁい」
ナースさん改めルイーノさんはお辞儀をするとマイペースな歩調で部屋から出て行く。
私はそれを大人しく見送りってからフランツさんに視線を戻した。
彼はさっきまでベッドの脇に置いてある椅子に座って私の視線に合わせるようにして喋っていたんだけど、今度は床に片膝をつくようにしてしゃがみ、深々と頭を下げた。
え!? なんですか急に!?
「貴女様をお導き下さった偉大なる神ユリスに多大な感謝を捧げますと共に、我々の呼びかけに応えて下さったハル様を歓迎致します」
な、な、な、なんのこっちゃい!
いきなり態度を変えてしまったフランツさんにビックリしてあたふたする。
慌ててベッドから降りて私も床に座り込んだ。父親と同じような歳の人にこんな態度取られて動揺しないはずがない。
何で私が様つけられなきゃいけないの。ただの一般市民の、女子高生っていう付加価値が付いてるだけの小娘だよ! しかもそれだってもう卒業なんだから無くなるしね。
「ハル様いけません、そんな軽々しく膝をつかれては」
「フランツさんこそやめて下さい、何ですか急に」
あなたが先に、いやあなたが、いやいやあなたが、みたいなやり取りを数度繰り返し、結局は二人して同時に立ち上がる事になった。
何やってんだ私達。フランツさんもそう思ったのか苦笑している。
「私とした事が配慮が足りず困らせてしまいましたね」
やんわりとソファに座るように促され大人しく座ったものの、まさかフランツさんは立ったまま或いはまた床にしゃがむ気じゃないでしょうねと睨んでいると、彼は諦めたように私の向かいに座った。
「どうやら貴女は事情を全く理解しておられないようだ」
全くもってその通りなので頷く。フランツさんは笑みを浮かべ「宜しければ私にご説明をさせてもらえないでしょうか」と提案してくれた。
願ったり叶ったりです。
「まずはユリスの花嫁について」
「そう、それ! ずっと気になってたんですよね、誰かのお嫁さんになったつもりないんですけど」
それどころか彼氏すらおりませんけど。
「ユリスの花嫁というのは別に本当にお嫁さんになるということではないのですよ。ユリスとは神の名。そして神に選ばれ異世界よりこの世界に渡った者のことを指すのです。男性なら花婿ですね」
神に見初められた者、という意味合いの言葉らしい。
おお神よ! 何故私を選びたもうた! 何の為に呼ばれたんだか知らないけど、こんな何の変哲もない女子高生がホイホイ異世界に来たって役に立ちやしないでしょうに。
というか私、神に選ばれたというかコスプレ野郎に無理やり引きずり込まれたんじゃなかったか?
「私は神様に連れて来られたんですか?」
もしかして、あの男が実は神様でしたーなんてオチじゃないよね。やめてよ、あれがゴッドだなんていくら無宗教な私でもショックだわ。
「それは少し違いますね。我々が正式な儀式に則り一時的にこちらの世界とハル様の世界の空間を繋げ、花嫁の存在を神に請い願い呼び寄せたのです。神は人物の選定をするのみ。逆を言えば、貴女は間違いなくユリスに選ばれた者です。どんなに術を張り巡らしたからといってその資格なき者であればこちらへ来ることは叶いません」
「はあ……左様ですか……」
相手の丁寧な物言いにつられて自分の言葉遣いも変わってしまった。
うむむ、話がちょっと私の知ってる事実と噛みあわない。
「呼び寄せる儀式ってフランツさん達がしてたんですか?」
「そうです。ちょうどハル様が空から落ちて来た時が儀式の最中でした。国王陛下や宰相様もそれはもう驚かれておりましたよ」
ひいいいいいい! そんな大物が揃ってる所に私はステンドグラスの雨を降らせたのか!
ふふって笑ってる場合じゃないじゃないですかフランツさん!
本来なら打ち首獄門ものだよね、ユリスの花嫁じゃなかったら死んでた。