だいにしょー。その3
一輝が住む街の、少しだけ開けた駅前の商店街。
そこにある一角に入ってから三軒目に、個人経営のペットショップがある。
『ウチにはポイ捨てしていいペットなんて一匹もいねえんだよ!! 出てけーーっ!!』
店長の怒声と共に、一輝とメリメが入り口からバタバタと飛び出してきた。
その後ろで、勢いよくドアが閉められてしまう。
「く、くそっ! バカ、お前が変なこと言うから!」
「だ、だってぇ! しっぽしか必要ないんだから、餌とかカゴなんていらないじゃん!」
一輝とメリメが口論する。
トカゲを買いに来たはいいものの、二人は結局つまみ出されてしまっていた。
最初、女の子にしては珍しく爬虫類が平気なメリメに対して親切に応対してくれた店の人も、メリメがしっぽだけ欲しい、だから飼うための入れ物や餌などいらない、と漏らしてしまったあたりから顔色が変わった。
挙句の果てに「しっぽを取ったらとかげはどうするかって? 殺すのはかわいそーだし、いつもみたいに自然に帰してあげよーかなぁ」などと言ってしまったせいで、激怒した店長に追い出されてしまったのである。
「なんでお前は余計なことを言うんだ! 黙ってりゃいいだろ!」
「だってだって、こっちの餌はいいですとか、こっちのカゴはこの子に合いますとか勧めてきてくるんだもん! わたし、飼うなんて言ってないのに!」
「それはこっちで用意してるとか、適当なこと言っときゃいいんだよ! なんでバカ正直にしゃべるんだ!?」
「そ、そんなのイッキが先に言ってくれなきゃわかんないよぅ!? それに、なんであんなに怒られたの!? しっぽ取ったらリリースなんてふつうじゃないの!?」
メリメは本当になんで怒られたのか分からないようで、どうもメリメからすれば、魔法でよく使うトカゲなどの動物は必要なものだけ取ったら逃がして自然に帰すのは当たり前らしい。
「あーくそっ、そうか。よく考えたらお前、そういや日本人どころか悪魔なんだもんな……。動物愛護法なんて知らんか」
「あいご……ほう? なにそれ。ニンゲン界って、ほーりつで動物を捨てちゃダメって決まってるの?」
「まあ、そんなもんだ……。言っとけばよかったよ。もうあの店行けねーよ、参ったな」
とはいえ一輝としても正直なところなんとかして尻尾だけ取ったら、そのあとトカゲをどうするかについてまでは考えていなかった。爬虫類が好きでいくつか飼ってる友人もいるので、そいつに押し付けるということもできなくはないが。
「そういや結局、コウモリも置いてなかったな……。つーか、トカゲがあんなにクソ高えとは思わなかったぞ」
一輝がなによりも一番驚いたのが、その値段である。
小さなただの白いトカゲが、想像してたより一桁高い。珍しいものなのかもしれないが、一輝としては納得がいかない値段である。
「三千円しか持ってなかったけどよ……。トカゲ一匹に足りねえとかマジか。しゃーねえ、どっかで金下ろして、隣駅に行くか……」
「ねえねえ。でもあのとかげたち、なんか変だったよ。いつも使ってるのと違うっていうか、ふつーのでいいのに」
「ふつう? その辺にいるようなやつか? つっても、どうやって捕まえるんだよそんなん。捕まえ方なんて考えたこともないぞ。メリメ、お前できるのか?」
「わ、わたしはいつも魔法具店で買うから……。で、でもでも。何かちがったら、失敗しちゃうかも」
「うーむ……。まあ、そのへんはとりあえず置いとこう。それより金を下ろさないと。そこの角にコンビニのATMあるから、そこ行こう」
しかたなく二人は連れ立って、商店街の道を歩く。
「ああ、あそこだあそこ。……しっかし、けっこう見られてるなあ……」
「……うう。ぴったりくっついて歩くの、やっぱり恥ずかしいよぅ……バカップルじゃん、これじゃ」
メリメが口をとがらせてつぶやいた。少し顔を赤らめている。
通り過ぎた女の子たちが、スカーフで巻いてしっかりと繋いだ手を見てちょっと珍しそうに軽く振り返った。スカーフがいけないらしく、通行人からの視線が少々熱い。駅前と言っても小さな街で、繁華街ではないのである。しかも今日は平日だ。
とはいえ、あまり離れて歩くとかなり幅を取ってしまうので、手を離せない二人はもし誰かに正面から突っ切ってこられたらものすごく困ることになる。自転車でも飛び込んできたら冗談抜きに大惨事になりかねない。そういうわけで、世に言うバカップル状態で衆人環視の中ここまで歩いてきたのだ。
「別にいいんだけど……いいんだけど。思ってたよりなんかつらいなこれ……。あんまり幸せじゃないぞ。気にしすぎなのかもしれんが」
「う~~……! わたし、あんたが相手なのがすっごい気に入らないんだけど……! 彼女作ってやるはずが、わたしがこんなんになってどうすんの」
「大きなお世話だ。俺だって好きでお前みたいな子供なんぞとこんなことしてるわけじゃねえ……。ほら、そこ入るぞ」
うなるメリメといっしょに、一輝はコンビニの入り口をくぐる。
ドアを開くと、涼しい空気が流れてきた。
「あ……、すずしー。わっ? なになに、なんだか色んなものがいっぱいある。それに、なんだかお店のなかが明るーい。ここってなんのお店?」
「……。コンビニ知らんのか?」
「『こんびに』? 食べ物屋さんかな? へー、おかしもある。あ、すごーい、本に、化粧品まであるじゃん。あっちは文房具? なんでもあるね」
「お、おい引っぱるなよ。そうか、魔界の悪魔だもんな……」
はしゃぐメリメを連れて、一輝は店内を歩く。考えてみれば、一輝はメリメの住む魔界がどんなものか知らない。こっちではありふれたものが、意外と新鮮なんてこともあるのかもしれない。
メリメは珍しそうに、きょろきょろと周りを見回している。旅行にきた外国の女の子かと思ったのか、それを見た店員の女の子がくすくすと笑った。
「お、おい。恥ずかしいからやめろ。こっちだ」
一輝はメリメを連れて、ATMの前に来る。
「ねえねえ、これってなんの機械?」
「これは、金を預けたり下ろしたりできる機械だ」
「えっすごい! ぎんこーなのこれ!? へー……でも、こんな小さいのじゃ危なくないの? 壊されて盗まれたら、一輝のお金なくなっちゃうよ?」
「別にここから盗まれても、俺の金はなくならねえよ。それに日本は治安がいいからそんな大胆なやつはそうそういねえ……って。う、しまった。また、これだよ」
一輝は金を下ろすためにカードを出そうと、財布をポケットから出したところで渋い顔をした。
財布の中身を。
いじれない。
というよりも片手である以上、どうしても手で持っている物をもう片方の手で、という作業自体ができないのだ。
「いちいち不便すぎるにもほどがある……。どうすっか、ええと」
とりあえず、ATMには手元のあたりに物を置けそうなスペースがあるので、そこに一旦財布を置いてカードを出すことにした。
「なんだかなぁ。工夫すればどうにかなるこたなるんだが。無駄にスムーズに行かねえな」
一輝はやったことがないが、もし手の骨を折ったりしたらこういうことになるのかなぁ、などと思ったりする。ふと、交通事故で入院している父を思い出した。
「……まあいいや。さ、行くぞ」
預金から二万ほど下ろすと、すぐに踵を返して外に出ようとする。
しかし、メリメがついてこない。振り返ると、じっと店の一角を見つめていた。
「なんだよメリメ」
「今日はあついよね」
「暑いな。それがどうかしたか」
「あついと、冷たいもの食べたいよね」
「ああそうだな。それでどうした」
「冷たいもの食べたら、しあわせだよね」
「……何が言いたい。言ってみろ」
「うん。アイス食べたいにゃー」
メリメが見ていたのはフリーザーボックスである。積まれたアイスが気になるらしい。
「にゃー、言うなや。……しょーがねーな」
言われてみれば、たしかに一輝もアイスの一本も食べたい気分だ。今日は日差しも強く、かなりの夏日である。
「メリメ、お前金持って……ないよな。じゃあ、一つおごってやるから好きなの選んでいいぞ」
「えっほんと? やったぁ♪ じゃ、どれにしよっかなー?」
ルンルン気分でメリメはアイスを選びはじめる。一輝は自分用にソーダバーをさっと選んだ。
「早く決めろよー。このあと隣駅まで行かなきゃならんし。あ、それと片手で食えるやつにしろよ。カップアイスはNGだからな」
「はーい。どれがいいかな、うーんどうしよー……。じゃ、これで!」
そう言って、メリメはいくらか迷ってからフルーツ味のアイスを手に取った。
六本入りの箱の。
「……。マジで?」
「うん。これがいい」
「……ああ、そうか。お前日本語読めないんだな? それ、一箱に六個入ってるぞ?」
「え、読めるよ? 知ってるよ、書いてあるし」
「……。マジかお前? どれだけ食う気だ? 腹壊すぞ?」
「えー? だってイッキ、一つって言ったよ? 一つじゃん、いーじゃん」
「そりゃ一つは一つだけど。小学生かよ。別にアイスぐらいいいけどさぁ……。遠慮0だなお前……」
しぶしぶ一輝は自分の分とメリメの箱アイスをレジに置いた。
そして、財布を出して会計を済ませようとする。
「……」
財布の中身を。
いじれない。
「……。おい、メリメ。俺の財布の中にある札を、一枚出してくれ」
「え? あ。う、うん、二種類あるけど、こっち?」
「そう、そっちだ」
メリメに千円札を取らせて、なんとか会計をする。なんで頑として手を繋ぎっぱなしにするんだろうと思ったのか、店員の女の子が変な顔をした。
「……。メリメ、このチャックを開けて、お釣りを中に入れてくれ」
「う、うん。開けて、じゃらじゃらー。……はい、チャック閉めましたです」
「よし。じゃあ行こう」
なるべく自然に振る舞いながら、二人はレジ袋を手にドアを開けて店を後にする。
「……」
「……」
「……くそう。買い物もロクにできねーんじゃねーか……」
「まあ、無事買えたんだからいーじゃん。あ、それよりアイス食べよーよ」
がっくりする一輝を尻目に、メリメは歩きながら一輝の手にある袋の中で箱アイスを開けて一本出すと、歯を使って器用に包装を破った。
「んぎ。ぱく。あ、冷たくておいしー♪」
「……俺も食お。よっと」
一輝もメリメにならって、歯で包装を取ってかじりついた。
じりじりと強い日差しの差す暑さの中で、氷菓子の甘さと冷たさが口の中に強く広がる。となりで、メリメがご機嫌な声を出す。
「ちべたーい♪ おいしー♪」
「……あっちーなー……」
目の前の熱されたアスファルトには、今にも陽炎が立ちそうだった。夏の日にじっと立ち続ける電柱、少し上を向くと、電線に彩られた雲一つない青い空が広がっていた。どこか遠くで、蝉が鳴いていた。
「ニンゲン界ってこんなにあっついんだねー。アイスすぐ溶けちゃいそう」
冷房の効いた店内から出てすぐだというのに、噴き出してきた汗を手で拭いながらメリメが言う。
「今は夏だからな。魔界っつーか、お前んとこはそういうのないのか?」
「あるけど、ここまでむしむしはしないね。こんなのはじめて」
「あ、じゃあお前、召喚されてきたのって初めてなのか? コンビニも知らなかったし」
「うん、そーだよ。言ってなかったっけ? でも、ニホン、って国なのは知ってるよ。召喚されてくる時に、魔方陣の効果でそーゆー情報は勝手に覚えるよーにできてるから」
「ふーん。日本語話せるのもそれか。便利なもんだなー」
二人は食べ歩きながら会話する。適当なところまで行くと、日陰のある街路樹のそばで立ち止まった。
「ふう。魔界、なー……。なにがあるんだ? こっちとどう違うんだ?」
「うーん、全然ちがうかなぁ? こんなふうに、高い建物ばっかりじゃないし。レンガとか、あんまり使ってないんだねこっちは」
「レンガ? ああ、ヨーロッパっぽいのか? でも、コンビニはなくても電気はあるんだろ? 最初来たとき、見たいテレビがどうとか言ってなかったか」
「テレビはあるよ。だってわたしんち、お金持ちだもん。パパがこっちから買ってきてくれたおっきいやつ。電気も魔法で作れるし、ほーそーきょく? もあるし」
「お金持ちって。こっちから輸入? うーん、一体どういうところなんだ……?」
「えへへ、だからね? 実はわたし、ニンゲン界に来るの、前から楽しみにしてたんだ。手は、こんなになっちゃって不満だけど……」
メリメはぴょん、と一輝の前に立つと、はにかんだ笑顔を浮かべた。
「でも、ちょっと楽しいかも。こっちは不思議なもの、いっぱいあるね。えへへ」
「……。そ、そうか。そりゃ良かった」
一輝は、少しだけドキッとしてしまった。笑った顔が、想像以上に可愛かった。
(……いや、待て待て俺。そりゃ顔は可愛いが、こいつはたぶん俺より六つくらいは下だぞ? 去年くらいまでランドセル背負ってた……。お、俺はロリコンじゃねえ……うん)
ちょっと自分を落ちつける。いかんいかん、ととりあえず心の中で唱えておく。
「あ、もうアイス食べ終わっちゃった。も一本ちょーだい」
メリメは一輝の持つ袋から、アイスを新しくもう一本出しはじめる。
「……。本当に一人で全部食う気なのか……?」
「びりびり~。へ? はぐ、そーらよ? らって、溶けひゃったりゃもったいないひゃん」
「よく食えるなぁお前。聞いてるだけで頭がキンキンしてきそうだ」
「う~~ん、冷たくてあまーい♪」
これまた、幸せそうに脳天気な顔で言うのである。
「あ、ねえねえ。あの黄色いお店はなーに? マツモト? って書いてある。あ、あっちにはコーヒー屋さんがあるね?」
「わっ。きゅ、急に引っぱるなって」
メリメの引く手に連れられて、一輝は再び歩き出す。珍しそうに、メリメがあちこち見てきょろきょろした。
「お、おいおい。これから電車乗って隣の駅に行くんだぞ? 遊んでる場合じゃ……」
「いーじゃんいーじゃん、少しぐらい。せっかくニンゲン界に来たんだし、ちょっとぐらい遊んでもだいじょーぶだよ。ね、いーでしょ、イッキ?」
「い、いやお前、俺たちは今そんなことしてる場合じゃ」
「えー? ねえねえ、いーでしょ? ちょっとだけ、ちょっとだけだからぁ。ね?」
メリメがこっちを見上げながら、首を傾げておねだりしてくる。
「……う、うーん。しょうがねえな……じゃあちょっとだけだぞ?」
一輝は少々強引に押し切られてしまった。まあ、そんなに広くもない駅前なので、軽く見物するだけなら大して時間もかからない。
「ぃやったぁ! えっへへー、なにがあるかなー? わ、なにあのメガネおじいさんの人形!? ちきん? 食べ物屋さん?」
「……うーむ……」
となりではしゃぐメリメを見ながら、これはまさかひょっとしてデートというやつなのか、それとも子守の一種なのか? と一輝は何とも言えない気分になってつぶやいた。